僕はその中で経済の講座をいさどんと一緒に担当します。
今日はそのプレゼンの打ち合わせをし、講座の柱となることを確認しました。
(そのほとんどがいさどんからの言葉ですが・・・・・)
(そのほとんどがいさどんからの言葉ですが・・・・・)
講座で伝える内容としては、時代の流れ、
そして木の花ファミリーの安心安全な暮らしが挙げられます。
ですが、それらの情報はあくまで考えるための材料であり、
真学校は、「明快な回答がありそこに誘う」という場ではないのです。
地球温暖化や経済格差、紛争、難民、国々や民族の対立・・・・
現代社会は混沌としています。
混沌の中、その解決策を求める気持ちになるかもしれませんが、
そこには人生の深みがありません。
問題が生じている時、問題のないところにいって、みんなで幸せになろうとする。
それは良いことに聴こえるかもしれませんが、とても薄っぺらな話しです。
みんなで幸せになろうとする時、
幸せになるべき人間性があって初めて幸せになるのではないでしょうか?
人間性が高まらない状態で幸せを求めることが社会に何をもたらすのか?
そのことに想いを巡らせてみて下さい。
問題がある時、ただ解決策だけを求める。
それは新しい発想だけ貰って楽になろうとしている姿勢です。
その姿勢が人々を現実から引き離し停滞を生み出しているのではないでしょうか?
そこからは結局新しい発想も生まれないのです。
新しい発想は自分を放棄した時初めて生まれるものです。
この世界には法則性があります。
常にそれと対話していくこと。
それが天と共に生きるということです。
問題ごとに出会った時、ただそれを改善しようとしていく。
それは人間の知恵の中で良い生活を送ろうという心に繋がり、
その結果、天は離れていき、停滞が生まれます。
美しい蓮池を生み出しているのは水中で混沌としている泥の存在です。
表面に浮かぶ現象を生み出している奥の世界。
それを知り生かすことで人生は深まり花開いていくのです。
木の花ファミリーの暮らしは未来に対して一つの回答を示しています。
ですが、それを解決策として知識として取り入れても意味はないのです。
人は常日頃当たり前のように思考を組み立てています。
その思考は自分の枠内にあります。
知識として取り入れたものはその枠を超えることはありません。
ですが、自分の思考の背後にはこの時代の意志や物語があり、
自分がここにいる意味があるのです。
心を開くことにより、そういうものを織り交ぜて生きていく状態に変わっていく。
それは人間として生きる姿勢の変化であり、真学校の目指すところなのです。
生きるということは本来、変化すること、未知なるところの向うことです。
星々は常に新しいところを運行し、自然は変化し続けます。
天は分からない未来を生きているのです。
時代は未知なる世界へ向けた変化を人間に促します。
時代に応えるために。
何かを貰って新しい自分になるのではなく、
環境と響き合い変化していける人間になっていくのです。
ここで書いていることは真学校全体で目指すことですが、
僕は僕の関わりを通して、
そんな姿勢を受講生のみんなと追及していきます。
それはとっても楽しい時間となるでしょう(^-^)
1か月の真学校、参加して見ませんか?
昨年の真学校の様子。糀仕込みをしています。 |
こちらも昨年の真学校の様子。みんなで終了パーティを作り上げました。 |
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