奥の心を探求することでゴミがなくなっていく

昨晩の大人ミーティングでは、クローズアップ現代「あなたの隣もごみマンション!?現役世代に広がる”孤立”」を観ました。この番組について、ジイジは以前、以下のように語っています。

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今の社会では人付き合いが表面的になっていて、番組に出ている人たちはそれでよい評価を得たりしている。だけれども実体、人としての成長は伴っていないから、実体を表すように部屋がゴミ屋敷になっていく。今の社会ではお酒や性に溺れる人たちがいるが、それも同じこと。表面を取り繕ってもどうにもならない実際の人間性がゴミ屋敷やお酒に表されている。社会、人間性の崩壊は潜在的にはここまで進んでいるということでこれは深刻な問題。番組では孤立をクローズアップしていてコミュニケーションの大切さを訴えているけれども、孤立の奥には人間性の未熟があってこれは小手先でどうこうなる問題ではない。一人ひとりが自分の人間性に向き合い向上していくことが大切で、その方法がみんなで共に暮らすこの暮らしの中にある。だから本当にこの暮らしはこれから必要になってくる。


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この世界に表されることはすべて人間性の表れです。心の中にゴミがあるからこそ「ごみマンション」がその姿を表してくれているのです。そして、今日の大人ミーティングであらためて心に残った言葉は、「自然界にはごみはない」という言葉です。なぜ自然界にごみがないのかと言ったら、すべてが繋がり循環し生かされているからで、人間の世界にごみがあるのは、分断が進むことによって生かされず無駄になるものが発生しているからです。それは心の中も同様で人との繋がりがないまま自分の想いに浸っていると、無駄な思考や感情がたくさん発生し、それが心の中のゴミとなっていくのです。

「自分が・・・」という意識や「自分の・・・」という意識が強まることでこの世界に分断を広げてきましたが、その分断は一人ひとりの内面にも起きていて、自分の嫌な部分、受け入れたくない部分は心のゴミとなり、人生のトラブルとなって表れます。

ごみマンションは今の社会、そして一人ひとりの心を表しています。だからごみマンションの解決に一番大切なのは自分自身と向き合うことなのです。

話しは変わって。

今、日大アメリカンフットボール選手によるラフプレーが社会問題となっていますが、そのことについてジイジは以下のように語りました。

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みんな行為を見て善悪で裁きたがっているが、本当に大切なのはその行為の奥にある心を見ていくこと。奥にある心を感じるトキ、それが何だったのかを本当の意味で理解出来る。

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奥の心を見ていく。

それは事件の当事者の心の奥を推察するだけでなく、善悪で裁こうとするトキの奥の心を見ていくことも大切になります。行為を善悪で裁こうとするトキ、その奥にある自分の心はどんな心なのか、そのことを常に観察していくことが大切です。

ごみマンションに象徴されるように、今、多くのヒトの心の奥にはゴミがあります。そのゴミとは、無駄な思考や自分の受け入れたくない部分であり、そうすると自分に対する理解は自分都合で表面的なものとなります。他者に対する理解も自分都合で表面的となり、自分の受け入れたくないものを他者に見て裁いている。行為を見て善悪で裁く心の奥にはそんな心を感じます。もちろんそうではない場合もあるのでしょうが。

自分に対する探求を深めれば深めるほど、心の中のゴミはなくなっていきます。そしてこの世界は心の反映だから、心のゴミがなくなれば、この世界からもゴミがなくなっていきます。起きた出来事の奥の心を探ると深いところで理解し合えて、それは次へと繋がる学びとなります。すべての出来事が生かされていく。つまりは経験の中にゴミがなくなっていくということです。

奥の心を見ていくこと。

それはきっとこの世界からゴミをなくす取り組みとなり、その先にはきっとすべての存在が繋がり生かされる世界があります。だから僕は木の花ファミリーのみんなと現象の奥の心を探るよう心掛けています。


木の花ファミリーの暮らしの一コマです。




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