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戦争を生み出す心を超えていく

かなりの部分まで、20世紀の不平等を緩和したのは、経済的、政治的な衝撃を伴う戦争という大混乱だった。漸進的で、合意にもとづく、争いのない変化を通じて、平等の拡大へと至った例はひとつもなかった。20世紀において、過去を消し去り、社会がまっさらな状態で新たに始動できるようにしたものは、調和のとれた民主的合理性や経済合理性ではなく、戦争だったのである


HONZ「暴力と不平等の人類史:戦争・革命・崩壊・疫病」


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上記は、ウォルター・シャイデル著「暴力と不平等の人類史」に対するトマ・ピクティによる総括だそうです。耕作が始まり財を蓄積できるようになってから、平時においては貧富の差(不平等)が拡大し、何らかの理由で社会が崩壊することで貧富に差がチャラになる。人類はそんな歩みを繰り返してきたようです。貧富の差が拡大すれば、社会の中には不満が溜まります。それは戦争を生み出す土壌とも言えて、人類はその意識に相応しく、戦争という残酷な結果を頂き続けているのです。だからこそ、戦争という痛みを刻むことで、それを超える意識を育む必要があります。

8月15日。

日本にとって終戦記念日であるこの日は、戦争の痛みを刻む大切な日となっています。そんな日の大人ミーティングでジイジはこんなふうに語りました。


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21世紀に入って20年になるというのに、この生命の、奇跡の星ともいえる地球にいる人間という生き物は、本当に傲慢で自分たちの能力が高いと思っているけれども、これぐらい愚かしい生き物はないということが見えてきました。

メディアは日本の終戦を毎年振り返っていますが、犠牲者の立場になってしまっているのです。確かに犠牲的側面はありますが、その犠牲に至った過程を観ないで、ただ自分たちが受けている被害だけを言っていては、この戦争がなぜ起きたのかは分かりません。それからあまりにも酷すぎる犠牲が起きたので、いつまでもそれを忘れられないのだけれども、宇宙は常に未知なる未来に向かって進んでいるのだから、未来志向にならなければいけない時代が来ているのだとつくづく思います。

日々のニュースを見ていても、そのような、次の時代にいくという現象は見えませんが、宇宙的には明らかに未来に行くようになっています。だからそれを促すために新型コロナウィルスもあれば、50年に一度の特別警報が出るような雨が様々なところで降り、これから台風もやってきます。来年になれば、さらにひどくなるでしょう。そのうちに東南海地震や首都直下型地震が来たら経済は確実に崩壊します。それは生きていくための手段が奪われるということではなく、生き方を変えなさいというメッセージと受け取らないと、いくら反省して振り返ったところで姿勢は根本的には変わりません。今日、NHKで放映された「太陽の子」。若手物理学者たちが原子爆弾を作ろうとしていました。日本は原爆を落とされましたが、たまたまアメリカの方が開発が早かっただけです。先に日本が開発していたら、日本も確実に使っていたでしょう。そういう意味では被害者とは言えません。みんな加害者と言えます。それをしっかり振り返ってこの生活に反映させて次の時代の指針を示さなければいけません。人類は宇宙船地球号という同じ船に乗っています。生命システムは一つの流れなのにそこの中で人々は共有することが出来ないのです。多分、宇宙の法則は調和して生きることを人間に信託しているはずなのです。それをやらないからこのような大変なことが起きるのです。これは怪しい宗教の話ではなくて、物理性として神は人間にいい加減にしなさいというメッセージを与えているのです。もっと進化したヒトにならなければなりません。


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8月15日。


日本では戦争の痛みを刻む日となっていますが、それが被害者意識になりがちです。被害者意識は自分視点の表れと言えます。自分だけの視点で見ているから、自分が受けた被害が強調され、他のことが見えなくなります。それは日々の中で貧富の差を拡大させ、結果、戦争へと至る姿勢と同じものと言えます。だからもっと客観的な視点に立ち振り返る必要があります。日々の出来事は自らの心の顕れで、世界で起きる出来事は人類一人ひとりの心の顕れなのです。ということで最後にジイジが語った預言を紹介して終わりにしますね。


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「いつかこの国を司る人たちがここへ来て、こう問いかけます。『私たちはこれまで、この国を豊かな国、本当に人々が幸せな国にしようと一生懸命努力してきましたが、いくらやってもどうにもうまくいかないのです。どうしたらこの国を正しく導くことができるのでしょうか。』


それに対して、僕はこう答えます。『それは、仕組みや制度をつくることではありません。ここにある自然を見てください。そして、そこに生きる人々の心を見てください。このような心で人々が暮らせるようになった時、そこは本当に豊かな国となるでしょう。』」


木の花ファミリーの蓮池です。






賢者は己の敵から多くのことを学ぶ


クローズアップ現代「劇団四季 終わりなき苦闘」を木の花ファミリーのみんなと観ました。新型コロナウィルスの影響で劇団四季は、一時講演中止に追い込まれ、経営はとても厳しい状況にあるようです。そのような中、講演再開を迎えた日、劇団四季の吉田智誉樹(ちよき)社長は、以下のように話していました。

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「劇団四季は今までもいろんな敵と戦ってまいりました。それは芝居で食うために観客を獲得する戦いだったり、演劇は売れないからアマチュアでもいいんだという、無理解との戦いでもありました。しかし、このコロナという敵はこれまでで最大の敵だと思いますね。とても長かったですけれども、ようやく今日を迎えられた。頑張りましょう。よろしくお願いします。」

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番組の中で吉田社長は新型コロナについて何度か「敵」と表現していましたが、その言葉を聞きながら、僕は「賢者は己の敵から多くのことを学ぶ」という言葉を思い出していました。これは古代ギリシアの演劇作家アリストファネスの言葉です。僕は昔、この言葉について以下のように書いています。

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「敵がいる」というとネガティブな印象を与えますが、必ずしもそうではないのだと思っています。

賢者は己の敵から多くのことを学ぶ

ということは、敵がいる状態は学びがあるということです。ライバルという言葉を日本語に直すと好敵手と書きます。好ましい敵です。ライバルという好ましい敵がいることにより成長する機会となるのです。2年前、僕は「敵が目の前にいるということは自分が敵を生み出す心をしているということですと書いていますが、この時の僕は、敵という存在を超えていくべきものと捉えていました。最終的には敵がいなくなることを良しとしていたのです。ですが、好敵手であるライバルは自分を成長させてくれる存在です。生きている間、成長し続けるならば、敵がいることは常に有難いことなのです。そのことに気づきました。

そして、この「敵はいない方が良い」という心は曲者だなと思いました。それは都合の悪いものを排除する心にも通じるもので、争いを避けているようで争いを増幅していくのだと思います。実際に人類は長年、平和を求めて争ってきています。そして、この心が敵を好敵手ではなくただの敵にし、それが学びのない不毛な争いとなっていくのでしょう。


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新型コロナウィルスは社会に多大な影響を及ぼしています。生活が苦しくなっている人々にとってその存在が敵に感じるのは仕方がないことかもしれませんが、新型コロナウィルスには以下のような側面もあります。

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新型コロナウィルスの感染拡大によって経済活動が停滞している間、地球上の二酸化炭素排出量が一時的に下がりました。世界各地で空気や川の水がきれいになったという報告もあります。IPCCは、2030年に地球の気温が産業革命前に比べて1.5度上昇することを予測し、多くの科学者たちが、気温上昇に伴う巨大台風の増加や豪雨、干ばつ、海面上昇、生態系の崩壊や食料難などを最小限に食い止めるためには、今後10年間に人類がどれだけライフスタイルを転換できるかが勝負であると警告しています。新型コロナウィルスによって人間の経済活動に歯止めがかかったことは、見方を変えれば、地球の自浄作用とも言えるでしょう。


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物事にはいろいろな側面があり、すべては相応しく与えられています。自分にとって不都合に思えることも大きな視点で観れば、この世界にとって必要なことなのです。だから新型コロナウィルスなど不都合に思えることから学ぶ姿勢が大切になります。

“劇場は、人生を深く味わいなおす場であり、芝居は、人々の感動のために奉仕しているのです”

これは劇団四季創設者、浅利慶太さんの言葉です。先に紹介したアリストファネスは喜劇の中にするどい現状批判を込めて社会に大きな投げかけをしていました。演劇は、古い時代から人々に夢や希望を与え続けています。

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による』

この聖書の言葉にあるように、神の言葉、宇宙の法則の表現は常に必要とされています。演劇がそのようなものであり続けるならば、この世界で大きな役割をし続けるのだと思います。

宇宙の法則の表現。

ということで、最後に再び木の花ファミリー通信2020年夏至号から文章を引用して終わりにしたいと思います。

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人間がどれだけこの世界の本質から外れようと、世界は決してぶれることなく未来へ進み続けます。

私たちの生きる天の川銀河は、広大な宇宙空間に直径10万光年という果てしないスケールで広がり、セントラルサンを中心として無数の天体たちがそれぞれのサイクルを刻みながら、全体が秒速約200㎞という速度で回り続けています。それは人間の尺度などはるかに及ばないスケールです。これほど巨大なものが100億年以上にわたりぶれることなく、秩序を保ち続けてきたということは、そこに決して揺るぎのない、人智を超越する絶対的な軸があるということです。その絶対的な安定の中を太陽系が巡り、太陽系の秩序の下に地球が巡り、その中に私たちの毎日の秩序があるべきなのです。それは言い換えれば、人間がどれほど外れようとも、決してぶれることのないこの世界の本質へ、戻ろうと思えばいつでも戻れる世界に私たちはいる、ということです。

秒速200㎞は、地球上の尺度からすれば驚くべき速さです。しかし、直径10万光年の銀河からしたら、動いているかいないかわからないほどゆっくりなものです。この世界には、人智を超えた絶対の秩序の下に無数の尺度が存在し、それを現代人の思考回路で解釈することは到底できないのです。その解釈不能な世界の中で、自らの尺度だけを基準として生きているから、自分が外れていても、それを正常だと思ってしまうのです。自らの尺度だけで生きているから、本来はすべてが共有され循環していく大調和の世界の中で、貪り、奪い合い、獲得したものを手放すことを恐れ、自らの心が生み出した不安や恐怖でがんじがらめになっているのです。

その小さな囚われを手放しなさい。

そして、自身から自由になりなさい。

手放せば、私たちはいつでも、多様な存在がひとつらなりの命として大調和の下に永遠に循環し続ける、大いなる宇宙の尺度で生きることができるのです。

その精神の位置に立つ時、人は不安や恐怖から解放され、貪り争う必要がなくなり、穏やかな響きの世界を創ることでしょう。そして自らにも、地球にも、健全な生き方をするでしょう。

人間は本来、群れて生きるものです。それが今、いかに分断して生き延びるかという、生命の原理原則とは真逆の方向へ向かっています。世界中が混迷を極める中、新たな時代のリーダーシップは政治にあるのではありません。学問の中にもありません。それはこの絶対不変の宇宙法則の中にあり、自らの尺度を手放し、大いなる仕組みの中に存在していることに目覚めた時、あなた自身の中に湧き出してくるものが次の時代の指針となるのです。

その時に大切なのは、土に近く生きること。なぜなら私たちは皆、大地の子どもだからです。大地は私たちの命の源であり、土と共に生きることは、私たちを生かすこの世界の大いなる存在 ——— 太陽や月や、宇宙の天体たちのサイクルで生きることなのです。それが地上を生きる生命の本来の姿であり、私たちの中に眠る真の生命力を呼び覚ますのです。 

人間は、自我から生まれる欲望のまま破滅へと向かう愚かな存在にもなれば、その体験から学び、宇宙の仕組みを地上に顕し、天地一体の世界を表現する尊い存在ともなれるのです。今、このメッセージに出会ったあなた自身が、その意識に目覚め、この大いなるターニングポイントを機に歩み出すならば、文明の発祥以来追い求められながら実現されずにきた、人類の命題である理想郷への道が、開かれることでしょう。



「天気の子」から見えるこれからの生き方


瀬織津姫(セオリツヒメ)や男神・天照(アマテラス)、国常立尊(クニトコタチ)など。封印されていると言われる神々がいますが、以下は国常立尊に関する話です。

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宇宙の創造神である七代の神々が世に現れ、そこから個性豊かな八百万(やおよろず)の神々が次々と生まれた神代の時代。自由気ままに振る舞おうとする八百万の神々に、地の大神様は世を乱さぬようにと心の掟を厳しく説かれました。地の大神様は名を国之常立大神(くにのとこたちのおおかみ)といい、その厳しさ故に八百万の神々から疎まれておりました。

「こう厳しくされてはかなわん。何とかならないものか。」
相談した八百万の神々は、天の大神様のもとへと向かいました。
「どうかあの神様にご退陣頂けるようお願いくださいませ。」
八百万の神々の懇願を受け、天の大神様は国之常立大神にこう伝えました。
「すまないが、一度この世の表から退いてくだされ。しかし、いつか必ず世が立ち行かなくなる時が来る。その時再び現れ、この世界を立て直してくだされ。」

それを受けた国之常立大神は、艮(東北)の方角へと退かれ、それより後「艮の金神(うしとらのこんじん)」と呼ばれるようになりました。そしてこの方角は「鬼門」として恐れられ、封印されたのです。


それから、長い時が経ちました。八百万の神々が好き勝手に振る舞った結果、世の中は荒れ放題。自分さえ良ければ良いという「我よし」、力あるものが弱いものをねじ伏せる「力よし」の世となり、まさしく、かつて天の大神様が「いつか必ず世が立ち行かなくなる時が来る」と言われた時代が訪れたのです。


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話は変わって。

日本全国で梅雨空が続く中、木の花ファミリーのみんなと映画「天気の子」を観ました。この映画は「君の名は」同様、瀬織津姫がテーマになっていると言われています。(天下泰平ブログ・瀬織津姫を描いた『天気の子』参照)。2012年12月21日、銀河の冬至を過ぎた今、真の女性性の蘇りが時代のテーマとなっています(「真の女性性が蘇る」参照)。その象徴が瀬織津姫。新海監督がそれを意識した可能性は大きく、映画の隠されたテーマと言えると思うのですが、そこには新海監督の思惑や感情が多く入り込んでいると感じました。

映画は男女の恋愛を描いている側面が大きいのですが、瀬織津姫の復活、真の女性性の蘇りは恋愛を超えるものです。真の女性性について、滝沢泰平さんは以下のように述べています。

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『夜明けの晩』に本当の自分と出逢うこととは、自分がこの地球で実現させたかった真の想い・自分自身の中に眠っている未知なる才能と出逢うことを意味しています。

今回の夏至の瞬間を誰よりも待ち望んだけれど、既に魂が肉体を離れ天に戻った私の親友である先住民族の長老はこのように語っていました。

 新たな時代への潮流の中で大切なことは、(それが一番良い方法だと信じて)全てを自分でやろうとするあり方(誤解)から自分自身を解き放つことだ。自分が望む結果よりも、遥かに偉大な結果へと天が導いてくれるということを信じて委ねられるか。それは、また宇宙時間への回帰の大切さを意味している。』

そのためのキーとなるのが、自らの中に「真の女性性を蘇らせる」ということだと思います。

真の女性性とは

『天の愛を受けとる在り方であり、天に導かれながら生きていくということ。』

かつて、「死」さえも天が統治して導いてくれているということを感謝と共に受け入れていた時代がありました。身体を持った「生」の時間と、身体から離れた「死」という時間を、行ったり来たりすることは、"悠久の宇宙時間"の中に在る魂にとっては何も怖いことではなかったのです。

           天下泰平ブログ・第1話「宇宙時間」より

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真の女性性の蘇り。それは地上の誰かとの関係にではなく、天との関係の中で実現されます。映画で描かれているロマンチックラブは人間的な望みであり、それは監督の思惑や感情の表れだと思うのです。瀬織津姫の復活を表現するならば、個人的な感情は超えるべきもので、それを超えたトキ、天の愛のもと、出会う出来事をすべていただく偉大な人生が始まるのです。

それでも「天気の子」には今の時代に対する大きなメッセージが込められています。降り続く雨により水没していく東京。それは確かに瀬織津姫からのメッセージと言えます。

祈るだけで一部の場所を晴れにすることができる陽菜(ひな)は人々の望みを受けて祈りますが、その代償により自らの身体を透明にしていくことになります。そして陽菜が人柱となって消えたトキ、東京に晴れがもたらされます。降り続く雨は天の気の乱れの証。そしてそれをもたらしたのは、人々の気の乱れです。「我よし、力よしの世」が天の気を乱しているのです。そんな人々の望みを叶え、そして人柱となって消えて東京に晴れをもたらしたのが陽菜の行為です。それは人々の罪を見えなくする行為、闇へと向かう時代の行為と言えます。主人公の帆高はそんな陽菜を救いに行き、天(そら)から連れ戻します。その結果、東京に雨が降り続くことになり、水没していくのです。それは人々の心に相応しい姿であり、その行為は人々の姿を光に晒す大切な行為と言えます。

ですが、それだけでは不十分です。そこから「なぜ雨が降り続くのか?」という問いかけとそれを超えるための取り組みが必要なのですが、映画ではそこには触れられていません。それは陽菜を救った動機が「青空よりも陽菜の方がいい」からなのです。それは帆高のエゴであり、東京に雨をもたらしている心そのものと言えます。この心だと世界は狂ったままであり、狂ったままの世界を肯定することにしかなりません。

狂った世界のために一人の人が犠牲になる。それは狂った世界を支えることにしかならない。だから救いに行く。そして共に世界と向き合い正していく。

そんな心が真の女性性の蘇り、瀬織津姫の表現だと思うのです。

新型コロナウイルスの蔓延や自然災害、紛争など。これから世界は厳しい時代を迎えようとしていますが、それは光の下に晒された人々の真の姿です。なので、光へと向かうプロセスと言えます。その時代の流れを信じて、天に心を向けて生きていくこと。それは今、国常立尊=艮の金神様の復活としても表現されていることです。最後に富士浅間木の花祭りの「艮の金神と翁との問答」を紹介して筆をおこうと思います。

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艮の金神と翁の問答
〜 富士浅間木の花祭りより 〜

翁 
伊勢天照皇大神 熊野権現 富士浅間 ところは当初の氏大神。木の花の佐久夜の御庭におわします、金色(こんじき)の尊き姿の御身は、どなた様にてござりましょう。

金神
この方は、艮の金神と申す。
時いよいよ来たれり。この度は、地球(くに)最後の天意転換(たてなおし)。一度に清める神幽顕の三千世界。汝らの宇宙(うつ)、光一つ上ぐる仕組み。今の世は「我よし、力よし」の獣の世、蛇の「あやま知」支配する、穢れ逆巻く魔釣り(まつり)の世。

艮の金神とはいかなるお方にてござりましょう。

金神
この方は、宇宙(うつ)を創りた元つ神。こ度の宇宙の天意転換(たてなおし)、始原(はじまり)の、時より決まりてありた事。この方隠れている間、「我よし」「あやま知」逆巻いて、神が息の出来ぬほど、穢れ汚れたこの世界、最後の最後の大仕上げ。この方再び現れたなら、光に穢れ混じること、適わぬ世となるべきなり。古き仕組みに変わりたる、新たな仕組み始まれり。
縁ある御魂引き寄せて、掃除洗濯 済みしものより、神の使える器となりて、こ度の尊き天意転換、汝らご用に使うてやる。

一度はお隠れなされた御身が、再び現れ出ると申されるか。

金神
いかにも。この世は逆さまじゃ。どうにもならぬ者どもを、今から改心させるため、世の中ひっくりかえすぞよ。これからは、神人、天地が一体の「弥勒の世」が始まるぞ。
故に皆々様、御魂磨いて下されよ。御魂磨かずおられては、使えるものにはならぬぞよ。
神多くの人民の、御魂目覚めて欲しいのぞ。汝ら皆々大切な、地球(くに)の日月の神々じゃ。
一なる花を二の花へ、二なる花を三なる花へ、大和の御魂を呼び覚まし、腹にまことを据えるのじゃ。
ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト
ヒからトへの尊き道を歩みきったるその先に 真のヒトの姿現れる。
この心、天教山より日の本の、隅々にまで広げるぞ。汝らその役、引き受けられい。

引き受けましょう。我らこれより「弥勒の世」、創らんがためありましょう。

金神
皆々様、いよいよ金神動くぞよ。さすればこの世、嬉し嬉し、愉し愉しの世となりて、真の世が花開く。皆々笑え、愛し合え。真次々現れくるぞ。
あっぱれ、あっぱれ、富士は晴れたり、日本晴れ。
真の神が現れる。神人共に現れる。弥勒の世の幕開けじゃ。

真の真釣り(まつり)始まるぞ。新たな時代へ、船出の時じゃ。幕開け祝い踊ろうぞ。


天の意思が轟く(とどろく)トキ

ちょっと前の富士山と太陽です(^-^)


【2019年12月のジイジの会話】

ジイジ  轟く(とどろく)とは、物理的にイメージすると、どのように表現できるか。雷の発生条件が整うと、その響きを天から地に向けて響かせること。いよいよ天の意思が地上を生きる人間たちに向かって、有無を言わさず轟く(地に響きわたる)。それは、災いをもたらすものではなく、意識の目覚めを促すもの。示す意志=天の轟き。

裕子  じゃあ人の意識がすごく変わるという事?

ジイジ  人の意識が変わるどころか、世の中の仕組みが変わる。時代の方向、流れが変わるのだから、この世界が存在する意味が変わる。人の意識は時代と共に変わるのだから、人の意識が変わるのではなく、時代が変わるから人の意識が変わる。

ゆうこ  そうか、意識は変えようと思っても変えられないということは、ただ受け取ればいいという事?

ジイジ  そんなことはない。自分の中にある強い自我の意識、その自我を自分の中で回すのではなく、自我を天に向ける段階で、自我は天との共有の意志となり、その自我に天の、つまり時代の意志が下りてくる。そうしたら、その者自体は時代の申し子であり、世の中のために生きることになる。しかし、どの方向に向かうかという意思は自分の中で決めなければいけない。

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この会話でジイジは、「いよいよ天の意思が地上を生きる人間たちに向かって、有無を言わさず轟く(地に響き渡る)」と言っていますが、今年に入り世界中で広がっている新型コロナウィルスはまさにそのような存在と言えます。だからこそジイジは今年の3月、コロナウィルスについて以下のように語っています。

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新型コロナウィルスの登場は、劇に例えるなら、物語のクライマックスとなる役者の登場のように感じます。それは、その劇を観ている観客達や、劇を演じている登場人物達が待ち望んでいたものですが、皆それまで劇に浸りすぎていたので、それが待ち望んでいた人物の登場であることを忘れてしまっていたのです。
これは、新たな劇の進行の予言のようなものです。そこで私たちは、なぜそれが登場したのかを理解し、その登場したものに対して敬意を表すると同時に、今までその存在を忘れて敬意を表さずにいたことを振り返る必要があります。忘れていたことに対する振り返りをしなければ、敬意を表することはできないのです。

 ~ 中略 ~

本来、人類が存在すること、生命が生きることは、私たちの手の内にはありません。そのことを理解するために今回の出来事が起きていることに気付いたら、この出来事は、私たちが生きていることは、この世界を創造する大いなる存在との連携の元にあるのだという、生命としての本来の立ち位置へ、人間をいざなってくれることでしょう。そのように捉えれば、私たち人間は今、このささやかな投げかけを厳粛に受け止めていく姿勢が必要なのです。

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僕たちが忘れていたことを思い出させるために新型コロナウィルスは広がっています。何を忘れていたかというと、「生命が生きることは、自らの手の内にはない」ということです。木の花ファミリー通信2020年夏至号「コロナウィルスはメッセージ~世界は人類の思い通りになるか」ではそのことを以下のように表現しています。

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私たちは、地上に光を注いだり、雨を降らせることができるでしょうか。毎日朝が来ることを、四季が巡ることを、地球が回ることをコントロールすることができるでしょうか。

産業革命以降、人間はまるで自分たちの力で世界を動かしているかのように振舞ってきました。しかしよく見てみれば、世界は人間の力で動いてはいません。毎日が来るのは私たちがカレンダーをめくりスケジュールをこなしていくからではなく、地球が回っているからです。地球も月も太陽も、他のあらゆる星々も、私たちの日常をはるかに超越したスケールで宇宙を巡り、それによって世界が動き、その中で私たちは生かされています。

その巨大な世界に秩序をもたらしているのが、時です。宇宙の万物はこの絶対の柱に沿い、過去から未来へと進み続けます。もしも時をさかのぼって地球が逆回りをしたり、死者が生き返るようなことがあれば、世界は秩序を失うでしょう。決して例外なく万物が絶対の約束のもとにあるからこそ、秩序が保たれているのです。

そもそも、この世界を生きることに、自由などないのです。誰も地球をコントロールできない。では自分のものだからと心臓をコントロールできるかと言えば、それもできない。眠ることを、呼吸することを、歳を取ることを、誰が思い通りにできるでしょう。私たちは決して抗うことのできない絶対の法則の中で命を与えられ、生かされているのであり、生きることで自らの手の内にあるものは何もないのです。それなのに、人間はすべてを自らの思い通りにしようとし、他者の思い通りになることは否定するのです。その結果、他者との共通点を見出すことのできない人々は、自らの創り出したものに支配されていくことになるです。

生命とは、生態系の循環の中でそれぞれの個性にふさわしい位置を与えられ役割を果たすものであり、本来自由でもなければ、平等でもありません。しかし人間社会は、民主主義という見せかけの自由・平等の世界を創り、自我から生まれる願望を一人ひとりが際限なく自己主張することが権利であり、進歩した世界であると思い込み、それが麻薬のように広まって、生命の本質からどんどん外れていきました。本来、生きることには優先順位があり、第一優先事項を第一番目として、二番目や三番目を一番に持ってきてはいけないのです。現代の人々は、自我の欲望から生まれる五番目や六番目を第一として生きています。だから世の中が狂うのです。新型コロナウィルスは、その狂った世の中の実態を暴き出し始めたのです。

そのメッセージに気付かず、人間がこのまま進み続ければ、世界はより過激な第二、第三の刺客を送り込んでくることでしょう。人々はコロナウィルスを、抑えても抑えても増殖して自分たちの生活を脅かす脅威と捉えています。しかし地球の側の視点から見れば、人間こそ、抑えても抑えても増殖し、地球の資源を貪り、他の生命を傷付け、生態系を破壊していく極めて有害な存在であると言えるのです。その人間の在り方に対し時代がNOを出し始めた今、私たち人間は、欲望のままに生きる自我の側から、その自我をはるかに超越し、私たちを生かし続ける世界の側へと視点を転換させ、自らの生き方を根底からひっくり返す必要があるのです。
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自らの想い通りにしようとし、際限なく欲望を広げた人類は、自ら生み出した欲望に支配されるようになっています。例えば、お金。交換をスムーズにするために生まれたお金は今、欲望の対象となり、人々はお金を求め、お金がなければ生きていけなくなっています。それは生命の本質から外れた世界であり、狂った世界と言えます。そんな世界に対して、これからは「天の意思が地上を生きる人間たちに有無を言わさず轟く」のです。それは新型コロナウィルスだけの話ではなく、これからずっと続くことです。それが2012年12月21日、銀河の冬至を超えたトキの流れであり、時代からのメッセージなのです。


2億2600万年掛けて銀河系を1周する太陽系。それは螺旋を描きながら公転していて、その1螺旋が2万5800年。人類はその太陽系の螺旋と共に長らく闇へ闇へと進んでいました。そのピークが2012年12月21日であり、それを境に天体は光へと進んでいます。だからこそ人類もその天体の意思に沿う必要があります。

闇へと進む間、人類は見せかけの良さ、見せかけの美しさの中で物事を曖昧にし、たくさんの矛盾を生み出してきました。曖昧にし、表面を取り繕う中で、他に生かされていることを忘れ、自らの欲望を許し際限なく追い求めることで見えない闇を広げてきました。その見えない闇がコロナウィルスなどの明快な問題ごとを生み出しているのです。それは一人ひとりの何気ない行動が生み出していることで、そのことをジイジは以下のように表現しています。

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発音が曖昧ということは、言葉が曖昧ということです。言葉が曖昧ということは、意味が曖昧ということです。意味が曖昧ということは、コミュニケーションが曖昧だということです。そうすると、自分の思うことも相手に伝わらず、相手の言うこともわからないまま適当に解釈することになって、曖昧な人間関係をつくることになっていくのです。そのように意識しないうちにすべてのことを曖昧にしていくと、やっていいことと悪いことも曖昧になります。そして、自分の行動に矛盾が発生してもそれをいいとも悪いともはっきりさせないまま、ただ都合のいい豊かさだけを追い求めていくからその豊かさも曖昧になります。そういった一人ひとりの小さな行いを曖昧にしていった結果、地球上にたくさんの矛盾が積み重なっていったのです。そして今、明快な災害が起きるようになりました。


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そんな現代の人々に必要な取り組みについてジイジは以下のように述べています。
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僕が今、考えているのは、人というのは自分を良いものだというふうに見せてカモフラージュしている。だから、正直でないことが染み付いていると、わからないことはこういうふうにしていこう、と見せたいものなのだ。自分の許容範囲の中に収めていきたいものなのだ。ところが、実際の人間というものは、日常親しく付き合っていればボロが出てくる。しかし、いちいちそこで問わない人間関係であれば、そんなことは誰も問わない。穏便にいけばいいから。お互いに自分の許す印象が維持されていれば、それでいいわけだから、それに言及しない。

ところが、それでは生きているという意味からしたら、人間は生きることによってただこの世界に役割を果たしているのではなく、自らのカルマというものを浄化するために生きている。だから、人間の生きる目的からは外れている。それをノーチェックでいって、そこに矛盾やエネルギーがたまっていけば、ぶつかったり、悩んだり、中にはうつ病になるものも出てくる。

そこに対して、その行動を理解して果敢に挑戦する気が自分にあるかどうか。そこをごまかして、自分に挑戦しないで、逃げている。それを自分だけの問題だと思っているのだが、それが世界の空気をつくっていく。

ここで難しいのは、自分の癖・性分というものは捨てるものではないということ。癖・性分というものは直すとか捨てるとか、そういうものではない。癖・性分というものは、有効に生かすというところで、初めて変化をもたらすことができる。そうすると、人は癖・性分を有効活用するというところになかなか行かないものだ。だから、同じことを繰り返す。

そこで、癖・性分を有効活用するにはどうしたらいいのか。まずは出来事を癖・性分で受け取っているのだから、出来事を客観的情報として冷静に分析する力を身につけないといけない。しかし、自分から離れて事象を観ることは難しい。それに一喜一憂している自分に対して、自分から離れて、それを観る。しかし、それは簡単にできるわけがない。一生の問題だから。

そのときに、それが可能になるのは真剣に取り組んでいく姿勢。真剣でも、方向が間違っていたら、同じような滞りが繰り返し起き、そのうちに嫌になって、やる気がなくなり、ダメになるというものも出てくる。一生懸命だったって、ただ一生懸命やっていると、ダメになる一生懸命もある。

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物事を曖昧にし、表面を取り繕いながら一生懸命に努力しても改善にはつながりません。これから轟き続ける天の意思は真実の光の下にそんな姿勢を暴いていくのです。だから、本質に向き合わず対処療法を続けていても問題ごとが治まることはありません。思惑を手放し真実に向き合う勇気が必要になります。そして自らがこの世界に生かされていることを思い出し、自らの意思を天に沿わせたトキ、真実の光の下に一人ひとりの癖・性分が生かされ、この世界に調和の響きが広がっていくことでしょう。

今、天の意思が地上に轟くトキを迎えています。

毎日の生活を美しく生きていく

時代が令和を迎えた今年の5月、ジイジはこんなふうに語っています。

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これからの時代がどれほど困難であるのかは、行ってみなければわかりません。平成は、その困難な時代の予告編だったのかもしれません。令和になり、いよいよ本番です。ではなぜその本番を与えられたのかというと、その先があるからです。
過去6億年の間に6回大量絶滅を繰り返してきた地球の生命の歴史に照らし合わせてみれば、現代を生きる人類は、次の生命大量絶滅の引き金となるかもしれません。人々は、何かが壊れる前はそれを守ろうとします。そして壊れれば、それを惜しみます。しかし、壊れるからこそ新しいものをそこに表現できるのです。それは、大量絶滅をするたびに進化してきた生命の歴史と同じです。
ですからやはり、壊れなければなりません。そこで、積極的に壊れていくことを喜べる生き方とは、どのようなものでしょうか。それは、使えるものを壊していくということではなく、価値観を変えていくということです。出会ったことをポジティブに捉え、変化することを喜ぶ。その時の変化は、進化になります。
変化は積極的に喜びを持って受け入れるものですが、現状の自分を守ろうとすると、出会ったものを拒絶したくなります。さらに、その自分に執着すると、変化は苦痛になります。それは、地上にいて地獄を生きることとなるです。しかし、それが喜びとなった時、尊いものへと向かう目覚めが始まるのです。

火山が噴火する、地震が起きる、台風もたくさん来る。そういう日本にいて、それが喜びになる。大変なことがあるから、大調和になるのです。それが大和という国であり、その証として、令和という時代がいよいよ始まったのです。

令和は、平成よりも物理的にはさらに厳しい時代となるでしょう。それを、大調和を持って乗り越えなさいということです。その厳しさは、ただ乗り越えるためではなく、大調和することを呼び覚ますためにあるのです。これから、今までに人類が積み上げてきたものがどんどん壊れていく時代が始まります。それを乗り越えるために必要なことは、力を合わせること。そして、壊れた先には、これまでに出会ったことのない新しい世界が待っているのです。そのことを、令和という時代は、私たちに示してくれているのです。


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そしてトキは進み、天皇陛下即位の礼が行われた今年の10月、木の花ファミリーで毎月行われる誕生日会では、「いのちの歌」の合唱が歌われ、感動的な時間が生まれましたが、そこでジイジは以下のように語りました。

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この歌は感動的ですよね。こういう歌が堂々と日常の生活の中にあることを素直に歌って、それがこういう歌に繫がらないといけないと思うのですが、実際に今、世界は汚れてしまっています。それが悲しいとかそういうことをジイジは言っているのではなくて、だからこそ世界を美しくしなければいけないのです。誰が世界を美しくするのですか?うっかりしていると自分も汚す側になりますよ。もう既に汚す側になっているかもしれません。テレビなどいろいろなところで感動的な場面に出会ったとしても、実際のこの世界が汚れていたら、偽物ですよね。それを本物にするために、それを誰がするかといったら、それに気づいた人たちが「これではいけない」と自分の一歩を、きれいにするための一歩を歩まないといけないのではないかと思っています。

ジイジ、爺さんですし、こんなセンチメンタルな話をするのは似合わないかもしれませんが、この爺さん、心は誰よりも美しいつもりです。だからとても真面目に世の中をきれいにしようと思って生きていますが、ただ表面的に感動しているだけではなくて、実際にそういう世界を創るための毎日をみんなが生きないと、みんな偽物になってしまいます。

千葉県はこないだ凄い洪水があったのに、そこにまたたくさんの雨が降りました。今日だけで10月一か月分の雨が降ったと言います。どうしてそんなことになるのでしょう。それは天気が悪いのでしょうか?何かしら人間の在り方が間違えているのだと思うのです。だからこういう歌を歌って、感動したりきれいな場所を創るのもいいのだけれども、大事なのは毎日の生活を美しく生きることです。ここはそういう場所になるのに相応しい、もしかしたら、世界でたった一つの場所かもしれません。爺さんなのに、こんなコメントして恥ずかしいのですが、本当にそんなふうに思っています。

今、世の中のいろいろを想うと、気が変になりそうです。人間たちは変でしょう?だから気づいた人が良い生活をしてその見本を示さなければなりません。みんなにそういうことをお願いして、そしてジイジは絶対にやります。

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毎日の生活を美しく生きること。それこそ令和の時代に求められる大調和の精神です。そして、それは4年前の10月2日、大人ミーティングで紹介されたオーロビルのマザーの言葉、そしてそれを受けたジイジ(当時はいさどん)の言葉に通じるものがあります。以下、まずはマザーの言葉から紹介しますね。

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The Mantras of Bliss and Transformation !

Are you ready to change yourself completely?
You will have to throw off your ideas,ideals,values,interests,and opinions.
Everything will have to be learnt anew.
If you are ready for all this,then take aplunge;
otherwise don't try to step in.


至福と変容のマントラ

完全にあなたを変化させる準備ができていますか?
あなたは自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨てるでしょう。
全ては新しいものとして学ぶべきことです。
もしあなたがこうした全てに準備ができていたら、飛び込んで。
さもなければ、それには踏み込もうとしないことです。

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そして、この言葉を受けてジイジは以下のように語ります。

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あなたは自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨てるでしょう。」というマザーの言葉。それは自我を捨てて、天のままに生きるということです。

僕は昔、それを天のマリオネットと表現しました。
でも、その考えは今は変わっています。

昔、夜、外に出て上を見て、月が出ていれば月、星が出ていれば星、
曇っていたら、その上に星や月を想像して語っていました。

「神さま、私はあなたの意志に沿うものです。」

そうすると、そういうことを語っていた時、その間違いに気付きました。
「あなたの意志に沿うものです」ということは、
あなたという意志があって、そして、それを受けている自分がいるということです。
でもよく考えてみたら、あなたという意志はわたしに表れています。
だから、本当のそれが通じた時に、私の意志はあなたそのものなのです。

あなたはわたし、わたしはあなた。

その時、「神さま」とそこに気持ちを向けたり、
「あなたの意志」というようにそこに特定を持った時に、
すでに自分、自我を成立させているのだと気づいたのです。

まわりてめくる。

すべては新しい出来事として学ぶべきことです。
常に新鮮で新しい毎日が来るわけですから。

これを世間の価値観で生きる人たちはなんだろう?と思うかもしれませんが、
すべての人が行きつく先はそこなのです。
まだ社会がそこまで熟していない時に、我々が先駆けとしてこれをやっています。
その構造が分かるならば、本当にそのことの貴重さ、尊さ、有難さを思って、
あっさり一目散にそこに向かうでしょう。

~ 中略 ~

我々は何をするかというと、僕と同じような話をみんなにしろって言っているのではないのです。「みんなで」という気持ちで暮らし、それを人々に見てもらいたいのです。こんな素晴らしい世界がいっぱいに広がって欲しいから、人々に見て欲しいのですよ。たったそれだけです。

それは日常、みんなが気持ちよく「さーと」心が通っていって、
「ああこれだったんだね。これがやりたかったんだね。」
そういうことを言葉ではなく空気を感じて、
「神さまの目的はこういう世界だったんだ」と理解することです。

これはとても身近にあって、アカデミックでもなんでもありません。
哲学とか立派な話でもなんでもありません。

「あぁ、いい空気だね。」
「こういうところに生涯身を置きたいね。」
「こういう生き方を自信を持って、安心の場所でやりたいね。」

そう感じたら誰だって出来るんですよ。

僕はこういう話をしばらく避けてきましたが、
みんなが僕の気持ちに共鳴するならば、
僕からどんどん発信されて、「そうだね、そうだったね。」となるんだったら、
いくらでも話す価値があるなと思うのです。

でも待ちの姿勢で話を聴いて、良い話だったねとなって後で忘れていくならば、
僕もジレンマを感じてしまいます。

みんなで良い響きを生み出していく。そんなふうでありたいです。

なので、お願いだから、人の心を調整するような時間をこの場に持ち込まないで下さい。
自分の心は自分で調整して下さい。もうそういう段階です。

それでも、残念ながら、充分に果たせなかった時に、それを投げやりにならないで、表に出して、みんなにそれを正す方法を請うて下さい。自分に実力がないのですから。

そして、みんなに助けてもらって、心から「ありがとうございます」と言って進んで下さい。そうしたら、あなたの未熟も「良い場創りに役だったね。」ということになります。

みんなが他者のことを思い合う。
そういう心の表現に繋がるのですから。

だから未熟でもいいのです。
本当にみんなに託していく。そういう場創りが大切です。
そしてそういう場はいつでも表現出来るのです。
道を難しい道だと思わないでください。



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本当にみんなに託していく。そういう場創りをすることで、一人ひとりの未熟がみんなの中で生かされていきます。毎日の生活をそういう美しいものにしていくことで、これからの厳しい時代を恵み多いものに出来ます。それが僕ら木の花ファミリーが表現していく暮らしです。


ジイジ(真ん中)と木の花ファミリーのみんなです。


牡牛座満月です(2019年11月12日20時20分頃撮影)


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