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本日は7月7日の七夕の日です。
すでに過ぎましたが、7月7日の午前1時頃に天頂付近に主要な星が上り、天の川、牽牛星、織女星の3つが最も見頃になる時間帯となっていました。
この七夕の夜(7月7日午前1時頃)のことを別名で「夜明けの晩」と呼ばれています。
かごめの歌にもある「夜明けの晩」といえば「鶴と亀が滑る(統べる)」。
天を舞う鶴と地を這う亀の「天地一体・陰陽統合」。
七夕の夜の陰陽統合といえば、七夕物語に出てくる「織姫(ベガ)」と「彦星(アルタイル)」の男女であり、これは日本の引き離されて隠された神を象徴していると言われています。
織姫は「瀬織津姫(セオリツヒメ)」であり、一方の彦星(牽牛星=スサノオ[出雲王])は「饒速日(ニギハヤヒ)」という話です。
すでに過ぎましたが、7月7日の午前1時頃に天頂付近に主要な星が上り、天の川、牽牛星、織女星の3つが最も見頃になる時間帯となっていました。
この七夕の夜(7月7日午前1時頃)のことを別名で「夜明けの晩」と呼ばれています。
かごめの歌にもある「夜明けの晩」といえば「鶴と亀が滑る(統べる)」。
天を舞う鶴と地を這う亀の「天地一体・陰陽統合」。
七夕の夜の陰陽統合といえば、七夕物語に出てくる「織姫(ベガ)」と「彦星(アルタイル)」の男女であり、これは日本の引き離されて隠された神を象徴していると言われています。
織姫は「瀬織津姫(セオリツヒメ)」であり、一方の彦星(牽牛星=スサノオ[出雲王])は「饒速日(ニギハヤヒ)」という話です。
この縄文の夫婦神の統合が起こる七夕ですが、どちらかといえば、やはりメインは女性性の時代、女神の象徴である瀬織津姫。
この解放と男女の統合・和合が始まっている今、今日の七夕を境にそのエネルギーはもっと加速するように思えます。
ちなみに7月7日は「かぐや姫が生まれた日」ということで「竹の日」とされていますが、このかぐや姫が出てくる竹取物語もまた、ミカド(帝)と姫の結ばれない悲しいラブストーリー。
物語の最後、月に帰ったかぐや姫は、置き手紙と不死の薬の入った壺を残していきますが、ミカドは天(月)に一番近い山として、日本でもっとも高い山である富士山(不死山)で手紙と壺を燃やしたとあります。
七夕の日、使い終わった短冊を川に流す方法もあれば、短冊を燃やす方法もあり、これはかぐや姫とも関係していると言われています。
天(鶴)に帰った天女と地球(亀)に残された男性。
富士山といえば、コノハナサクヤの女神が象徴ですが、コノハナサクヤといえば桜がシンボル。
ただ、実はコノハナサクヤは隠された女神である瀬織津姫であり、桜は瀬織津姫のシンボルであります。
月の女神としても知られる瀬織津姫。
~ 中略 ~
「七夕と瀬織津姫、女神の解放」より
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そして、3年前の七夕の日、僕はジイジ(当時はいさどん)からこんな言葉を掛けられています。
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常に意識を全体性に持っていく必要があります。
あなたは今、個人的願望を抱えているわけだけれども、それをどう超えていくのか?
それが重要です。
個人的願望が全体性と共通していればいいのです。
例えば、個人的願望が宇宙の法に基づいていたら、それは理に適っていきます。
個人を高めるためというならば、それは全体性を持つことが個人を高めることであり、
全体性と個人は本来、共通していることなのです。
ですが、個人が抜きん出てしまうと、天が「それは違う」と滞りを与えてくれるのです。
心を磨いた結果出会うことがあります。願いが叶わない状態も自分を高める要素です。
「はい!分かりました」と叶うようなことなら、その願いは本当に自分を高めません。
だから何より心を磨き続けることです。
そして、自分を高める努力をしていると、その努力したことでエネルギーが消費され、他のものはいらなくなります。いらなくなった状態をさらに超えた世界。共通の世界で極めていく世界がその次にあるのです。個人で高める努力から「みんなで」とか「一つになる」というところで極める世界があるのです。
それは前人未踏の世界。我々は前人未踏の世界を創らなければならないのです。
「心を磨いた結果出会うこと」より
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個人的願望と全体性。個人的願望は自我、人智から生まれます。それは地の営み、かごめの歌の「亀」と言えると思います。そして、全体性は天の視点であり、かごめの歌の「鶴」と言えます。個人的願望と全体性との統合、それは天を舞う鶴と地を這う亀の「天地一体・陰陽統合」と言えます。
光だけが存在した時代、神は自らのことを認識出来なかったといいます。認識するためには対比が必要であり、そのために闇が生み出されました。この世界は神の自己認識の旅であり、そこに無限(∞)の深みを生み出しているのが自我という闇なのです。「我」がなくなればすべての認識は無に帰す、だからこそお釈迦様は「天上天下唯我独尊」と宣言したのです(「一人ひとりの認識がこの世界を創っている」参照)。
光を認識し、光を増すために闇は存在します。闇は光のためにある。自我という闇も全体性という光のためにあります。だから、自分の感情は他者の喜びのためにあり、自分の中を出たり入ったりしながら、自らの感情を味わうと同時にただの情報として客観的に見ていく。そしてそれを全体のために生かしていく。そんなふうに過ごすことできっと陰陽統合が実現し、世界は次のステージへと進んでいきます。
そのためには「いらなくなった状態」へと至る必要があります。
個人的願望を持つと同時に何もいらなくなる。
その状態ですべての想いを全体のために生かしていくトキ、この世界はきっととても美しく素敵なものへとなっていきます。それは前人未踏の世界。僕は今、そんな世界を木の花ファミリーのみんなと表現しようと思っています。
木の花ファミリーのみんな@ジャガイモ収穫 |
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