「心を磨いた結果出会うこと」に書いているように、僕には願いごとがあります。
その願いごとは個人の想いで叶えることではなくて、天の流れの中で叶っていくことなのだと思っています。なので、どうすれば叶うのかを想像することがまったく出来ません。
僕はとりあえず願いを置いておきます。そして、日々の生活を大切にしています。
天とは宇宙のこと。そして自分も宇宙の一部です。
ということは、自分の願望も、元を辿れば、天から与えられたものなのでしょう。
ではなぜ天は僕にその願望を与えているのでしょうか?
きっとそれを通して学び、心を育てることが求められているのだと思います。
なので、「叶わないから願いを捨てる」というのは違うと思います。
とはいえ、その願いに執着するのも違うと思います。
すべての出来事は自分に相応しく与えられています。
だから、願いを置いておいて、ただただ心を磨いていくことが大切なのでしょう。
それは天との対話なのだと思いました。
天から与えられた自分の願いごとや想いを通して、現実と向き合い、
その奥にある天に意思に気持ちを向けるのです。
結果を求めるのではなく、一つ一つのプロセスを楽しみ、
そこに天に意思を読み解いていくのです。
それがどんな未来を切り拓いていくのか?
それが自分の想像を超える出来事であることは間違えないでしょう。
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ところで、先日、安全保障関連法案が衆議院を通過しました。
安全保障関連法案に反対する学者の会やSEALDsなどそれに反対する団体が活発に活動し、世論も反対が多数となっています(「《本社世論調査》内閣支持率急落35% 不支持51%」参照)。
多くの人が反対しているのに法案は成立していく。
そんなおかしな現象が起きているのです。
この法案については違憲という判断もあり手続き上の問題は多々あると思っています。
その問題を置いておけば、僕はこの法案について賛成でもなく反対でもありません。
大切なのは、真の平和を生み出すことであり、それは法案に対する賛成か反対かという2者択一の判断によるのではなく、その奥にある心がもたらすものなのではないでしょうか?
例えば、「戦争にNOを言う」ということが反対に理由に掲げられていますが、奥にある心が「外国のことはいいから自分の安全だけを守りたい」というものなら、それは新たな争いの火種になるのではないでしょうか?その利己的な姿勢は他者(外国)からの非難を生み出す可能性があるのです。
ならば、賛成すればよいかと言ったらそんなこともありません。今の世界には貧富の格差など構造的な問題が多々あり、その不満から戦闘が生まれています。それを武力で解決することは出来ないでしょう。法案に賛成すれば、そんな戦闘を支援することになり、それは不毛なものになりかねません。自分の利益を守る。そんな気持ちから戦闘が生まれているのです。
賛成、反対に注目するのは結果を求める心です。
そうではなく、今のプロセスを見極め、その奥にある天の心を感じることが大切だと思います。
僕は安全保障関連法案を巡る動きに時代のうねりを感じています。
天は僕らに大きな変化を求めています。
法案を進める人たちは、世論の反対に目を向けて、その現実から学ぶべきだと思います。
そして、反対運動をしている人たちは、反対しても法案が進んでいく現実から学んでいく必要があるのではないでしょうか?
どちらも天からのメッセージです。
一人一人の心の持ち方が違うからこのような現実が生まれているのではないでしょうか?
いさどんのいただきます人生「あなたにも問われる」の中で、いさ総理(いさどん)は「自分を守ろうとすることを放棄する」ように勧めています。
自分を守ろうとする心。
それは法案に賛成する人に中にも反対する人の中にもあるのではないでしょうか?
それが思い通りにならない現実を生み出し、時には争いに発展するのではないでしょうか?
自分を守ろうとする心を手放すこと。
僕は今の法案を巡るプロセスからそんな天のメッセージを感じています。
人間の力で意図的な現実を生み出す時、それに抵抗する力を生み出します。
人類はそんなふうに争いを生み出してきたのだと思います。
違う流れを生み出してみませんか?
願いや想いを置いておいて、ただただ心を磨いて、天と対話し流れを委ねる。
みんながそんな生き方をした時、この世界には人間の想像をはるかに超えた喜びが広がっていく。
僕は今、そんなふうに感じています。
About author: Yoshifumi Nakano
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