カタカムナを生きる ~神話は更新される~

カタカムナを生きる ~トキのズレ~」に書いたように、先日、いさどんからメンバーに向けてカタカムナプレゼンがされましたが、楢崎皐月氏がカタカムナの解読をする時、日本の神々の名前が参考になったそうです。

アメノミナカヌシ、クニノトコタチ、イサナキ、イサナミ、アマテラス

これら日本の神々は、カタカムナの単音思念で読み解くと、この宇宙の物理性を表しているのです。その物理性から生まれた物語が神話となっています。そのため、神話を読み解くことはこの世界の法則、この世界の奥に流れている意志を読み解くヒントとなるのです。

先日、いさどんは隠された神さまと言われるセオリツヒメについて以下のように読み解いています。

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ヒメとは女性のことだろう?秘かなメ。メは芽が出る・これから始まるということ。ヒとメはどちらかというと陰を示していて、奥にあって現象化の始まり。セは狭い。オはひとまずおいておいて、リは分離、ツは集う・番う。だから、セオリツとヒメのふたつに分けるとすると、セオリツなのかセヲリツなのか。オなのか、ヲなのか?つまり、オは六方向に拡大・収縮という意味で拡大のこと。しかし、それがヲになると、奥に達して収まるという意味でそぎ落とすということになる。男性が拡散することに対して、どちらかというと女性はそれを仕分けて必要なものを収めるということだから、「セヲリツヒメ」ということになる。でも、ヲはなかなか使われないね。トータルしてみると、エネルギーが集中している狭い道、いわば探究の狭い道(セ)の真理の奥に達して収まり(ヲ)、分離して(リ)、集う(ツ)芽(メ)が秘かに出ている(ヒ)。つまり、奥のほうにあって真理の芽がそこで今構えている状態。だから、セヲリツヒメというのは、今はまだなかなか真理が出てこないけれど、それが準備して待っているということ。この世界にはなかなか出てこないのだけれど、いよいよ出てきたら極めて狭くて奥のほうにある真理が引き出されるということだ。

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セヲリツヒメはアマテラスの伴侶です。アマテラスは古事記では女神として描かれていますが、本来は男神だと言われています。そのことはアマテラスという言霊にも表れています。アマテラスをカタカムナの単音で読み解くと以下のようになります。

宇宙空間の(アマ)正と反が露わになった(テ)場所が(ラ)極限に達する(ス)

これは拡散し分離して行く動きと言え、男性性と言えます。女神であるセヲリツヒメが隠され、そして男神であるアマテラスが女神とされている。それは本来、女性の領域であるところにも男性が浸食していることを表していて、男性が支配的となり分断が極みに達している現代社会の状況を表しています。

セヲリツヒメの復活。それは今生まれつつある神話であり、宇宙の物理性、そして時代の表現です。

話しは変わって。

世界の神話の中にはドラゴンスレイヤーに分類される話が多数存在すると言われています。それはどういうものかというと、財宝を守る龍が存在し、人間がその龍を倒し財宝を持ち帰るというものです。僕はこの神話は「現在の人間の特徴」を表しているのではないと思っています。

今、多くの人は自分の外に障害や悪を見出し、それを克服しようとしています。その姿は神話に登場する龍を退治する人間の姿に重なります。今の人間は、英雄になることに憧れ求めていますが、英雄になるためには克服すべき課題や悪を必要とします。そのため世界に課題や悪はなくならず存在し続けます。加えて、彼が英雄となった結果得るものは財宝という自分の望みとなっています。龍は神聖な生き物です。自分の望みを追い求める結果、神聖なものを失っていく。ドラゴンスレイヤーの神話はそのことも示唆しており、それは人々が自分の望みを追い求めた結果、人との繋がりが希薄となり、地球環境が悪化し続ける今の社会となって表れています。これは時代が生み出した人間の形であり、だからこそ世界各地にドラゴンスレイヤーの神話があったのです。

ですが今、新たな神話が生まれ、それは新たな人間の姿を示唆しています。例えば、「虹の戦士」の話。

地球が病んで動物たちが姿を消しはじめるときまさにそのときみんなを救う虹の戦士たちがあらわれる・・・。

そんなふうにアメリカ・インディアンが信じつづけてきた、最後の再生への物語。これは何かを倒すためではなく救うために立ち上がる人間の姿を示しています。そして望みは自分の幸せではなくみんなの幸せです。

そして日本では、艮の金神、国之常立神(クニノトコタチ)の復活です。地の大神様、地球神である国之常立神は、八百万の神々に対して心の掟を厳しく説いていましたが、そのため神々に煙たがられ、艮の方角に封印されました。その際、天の大神様は国之常立神に以下のように伝えたと言います。


「すまないが、一度この世の表から退いてくだされ。しかし、いつか必ず世が立ち行かなくなる時が来る。その時再び現れ、この世界を立て直してくだされ。」

その国之常立神が復活する神話が今、生まれています。富士浅間木の花祭りはそのことを表現するお祭りであり、それは「艮の金神と翁の問答」に表されています。

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艮の金神と翁の問答              

 
  
伊勢天照皇大神 熊野権現 富士浅間 ところは当初の氏大神。木の花の佐久夜の御庭におわします、金色(こんじき)の尊き姿の御身は、どなた様にてござりましょう。

金神  

この方(ほう)は、艮の金神と申す。
時いよいよ来たれり。この度は、地球(くに)最後の天意転換(たてなおし)。一度に清める神幽顕の三千世界(みちよかい)。 汝らの宇宙(うつ)、光一つ上ぐる仕組み。今の世は「我よし、力よし」の獣の世、蛇の「あやま知」支配する、穢れ(けがれ)逆巻く魔釣りの世。

      

艮の金神とはいかなるお方にてござりましょう

金神
この方(ほう)は、宇宙(うつ)を創りた元つ神。こ度の宇宙(うつ)の天意転換(たてなおし)、始原(はじまり)の、時より決まりてありた事。この方隠れている間、「我よし」「あやま知」逆巻いて、神が息の出来ぬほど、穢れ(けがれ)汚れたこの世界、最後の最後の大仕上げ。この方再び現れたなら、光に穢れ(けがれ)混じること、適わぬ(かなわぬ)世となるべきなり。古き仕組みに変わりたる、新たな仕組み始まれり。
縁ある御魂引き寄せて、掃除洗濯 済みしものより、神の使える器となりて、こ度の尊き天意転換(たてなおし)、汝らご用に使うてやる。


一度はお隠れなされた御身が、再び現れ出る(いでる)と申されるか

金神  

いかにも。この世は逆さまじゃ。どうにもならぬ者どもを、今から改心させるため、世の中ひっくりかえすぞよ。これからは、神人(かみびと)、天地が一体の「弥勒の世」が始まるぞ。
故に皆々様、御魂磨いて下されよ。御魂磨かずおられては、使えるものにはならぬぞよ。
神多くの人民の、御魂目覚めて欲しいのぞ。汝ら皆々大切な、地球(くに)の日月の神々じゃ。
一なる花を二の花へ、二なる花を三なる花へ、大和の御魂を呼び覚まし、腹にまことを据えるのじゃ。
この心、天教山より日の本の、隅々にまで広げるぞ。汝らその役、引き受けられい。

      

引き受けましょう。我らこれより「弥勒の世」、創らんがためありましょう。

金神  

一度は渡したその榊。天の元に供えられい

(金神は後ろを向く。翁が榊の枝を金神の腰に差して退場する。
金神、根付きの榊に持ち替えて、四方でへんべいを踏んだ後、神座に戻る)

皆々様、いよいよ金神動くぞよ。さすればこの世、嬉し嬉し、愉し愉しの世となりて、真(まこと)の世が花開く。皆々笑え、愛し合え。真(まこと)次々現れくるぞ。
あっぱれ、あっぱれ、富士は晴れたり、日本晴れ。
オー、オー、ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト オー。
真(まこと)の神が現れる。神人(かみびと)共に現れる。弥勒の世の幕開けじゃ。
真(まこと)の真釣り(まつり)始まるぞ。新たな時代へ、船出の時じゃ。幕開け祝い踊ろうぞ。



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虹の戦士も艮の金神の復活も世のため人のために生きる人の姿を示しています。これらは時代が今、生み出している神話であり、この世界の奥にある意志の顕れです。これらの神話が世に広がり、それを生きるものが増えて行った時、世界は自ずから変化していきます。僕ら木の花ファミリーはその先駆けとしてみんなで助け合い学び合う暮らしをしています。それは新たな神話という時代の意志を受けた世直しであり、生きることがそのまま世直しになる暮らしです。





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