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一つの滞りからみんなが学んでいく

一つの滞りからみんなが学んでいく

7月5日、西日本を中心に集中豪雨が降り続き被害の拡大が予想される中、安倍首相と上川法務大臣は自民党の若手議員と懇親会「自民亭」を行っていました。集中豪雨は今、実際に大きな被害をもたらしています。7月6日には、オウム真理教の松本智津夫死刑囚ら7名の死刑が執行されたということもあり、その緊張感のなさを問題視する声が上がっています。それは当然の批判と言えますが、同時に以下のようなことも思います。 何かを批判したい気持ちが生じたトキ、自分自身がその対象と同じレベルに陥っている。 そんな経験をしたことがありますが、こうなっている時は、なかなかこの事実は見えません。それはきっと、自分は正しい位置にいて、正しいことをしていると思っていたり、必要なことを伝えようとしていると思っているので、自分が出している空気や波動、周りに与える影響が見えなくなっていくのです。 例えば、上記の出来事だけでなく、加計学園や森友学園、自衛隊日報問題など。安倍政権には批判されて然るべき問題がいくつもありますが、その批判ばかりに心を奪われていると批判の応酬となり、醜いやり取りになっていくことがあります。3年前の安全保障関連法案の際、与野党の議員がもみ合いとなった姿に子どもたちが困惑していたことを思い出します。 批判したい気持ちが生じたトキ、上記のようなことも意識する必要があります。 では批判はしてはいけないのかといったらそんなことはありません。上記の状況を生み出しているのは自我の反応と言えます。自らを分けると書く自分。自我の反応は自らを世界から分けて際立たせようとします。間違えに思えるものを遠ざけ自分を正当化します。その結果、違いが強調され分かり合えなくなるのです。ですが自我の反応を超えて、ただ見える景色を伝えることが出来れば、それは相手にとって有益なものとなりお互い分かり合え成長へと繋げることが出来ます。 冒頭で紹介した安倍首相や上川法務大臣は、集中豪雨の現場や死刑執行の現場から離れているので、それらと自分を完全に切り離しています。切り離すことで配慮を欠いた行動に至っているのですが、それは人類全体が持つ傾向とも言えます。 西日本を襲った集中豪雨ですが、集中豪雨などの異常気象は、天体の動きの影響もありますが、人為的要因も大きいと言われています。近代以降、人類は物理的豊かさを謳歌してきましたが、それが大気汚染や海洋汚染を生み出し、気候変動に繋がっていると言われています。ですが、多くの人は自らの生活と異常気象を切り離して捉え、傍観者や犠牲者となっていくのです。その態度は安倍首相や上川法務大臣の姿勢と変わりがありません。 そういうことを見通したトキ、滞りは批判の対象ではなくなり学びの材料となり、一つの滞りからみんなが学び、より良い世界を生み出すことが出来るのです。 世界との繋がりを取り戻す。 それが今、一人ひとりに求められることで、それは物理的な情報を得ることではなく心で通じ合うことです。自分自身の心の動き、そして日々に暮らしが宇宙との繋がりの中で営まれている。そのことを感じ大いなる流れに委ねて生きていく。そのトキ、一人ひとりの人生が宇宙全体の表れとなり、すべてが繋がりの中で生かされていきます。 そんな世界を木の花ファミリーのみんなと生み出していこうと思っています。 ジャガイモ収穫の様子です。...

魂の変遷を見ていく

魂の変遷を見ていく

先日に大人ミーティングで、「心の水爆」という言葉が話題に上りました。これは昨年の9月、ジイジ(当時はいさどん)が大町へ行った時に語った言葉で以下のように表現しています。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 それはプロセスも何もいらないんだよ。だってそうじゃん。人間の思考回路を見てごらんよ。すべてにプロセスがあり、こういう原因があってこういう経緯でこの結果になって、というのが連続して、ずーっと物語を刻んでいるんだよ。それは宇宙の法であり、何かと言ったら因果の法則を立証しているわけだ。原因があってそれにふさわしい結果が起きて世界はこのようになってるんですよ、と。 ということは、現状が良くないものであるとしたら、そこから抜け出るにはどうしたらいいか。こうするとこうなるからああしてこうして・・・などと頭を回しても、それは今の結果を作ってきたのと同じ思考回路だから、結局同じ結果になるんだよ。そうではなく、この思考回路の物語をここで爆発させて、終わらせるということだ。 「わかったぞ!だからこうしよう」なんてことを繰り返していても、結局は同じことなんだよ。そこで爆発させると、物語が終焉を迎える。だから、これは言わば小型の水爆。霊的水爆だよ。 「大町道中記➁ ~心の水爆」より ☆彡 ☆彡 ☆彡 自我を持つ人間は思考回路の物語を生きています。そしてそこから人生の変遷が生まれます。ですが、人間の思考回路の奥には、魂の変遷があり、人はそれにより生かされているのです。心の水爆を爆発させる。それは思考回路の物語を終わらせ魂の変遷へと自分自身を委ねていくことなのだと思いました。魂の変遷とは何か?「21世紀の死生観・2~真学校でもっとも伝えたいこと」には以下のような記述があります。 ☆彡...

「後ろめたさ」をきれいにすると・・・

「後ろめたさ」をきれいにすると・・・

4月9日の夜、大人ミーティングで「21世紀の死生観・序章~魂のランキング」をみんなで共有しました。一人の人間の人生は母親のお腹の中から始まりますが、その始まりについて上記の文章では以下のように表現されています。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 女性は、自らの体の中にもうひとつ、神殿を持っています。それは子宮です。子宮とは、「子の宮」と書きます。そこに魂が宿り、御神体として、産道(=参道)を通り、鳥居をくぐって、生まれてくるのです。それはとても美しい、神聖な物語です。 ところが現代の人々は、間違った認識の性により、その神殿を汚しています。神殿とは、人生そのものを表現する場です。そこにどのようなものを迎え入れて、何を育んでこの世界へ送り出すのか。それによってこの世界が創られていくのです。 性の交わりは、私たちが神社へ行ってお参りをするのと同じ、神聖なるものです。愚かな精神によって営まれる行いは、その神殿へ、汚物を迎え入れることにもなります。子宮という、命を生み出す神殿へ、どのようなものを迎え入れるのか。その神殿の管理人は、女性たち一人ひとりです。ですから女性は、とても重要な役割を担っているのです。 その神殿に宿った命は、十月十日(280日)の細胞分裂を経て、人として社会に生まれ出てきます。始めの細胞は、単細胞です。そこから複雑な細胞へと分裂し、やがて海に生息する魚類に進化します。ですから子宮の羊水は、古代海水と成分が同じと言われています。やがて魚類から陸へ上がって両生類となり、爬虫類へと進化します。爬虫類は鳥類と哺乳類へ分かれ、哺乳類の進化は猿へとつながっていきます。そして猿は猿人へ進化し、人類の祖先であるホモサピエンスとなっていくのです。 この受精から猿へ、猿から人へと変化していく過程は、約30億年の生命の進化の上に成り立っています。子宮の中でその進化の過程をたどり、人となった私たちは、最初に通った産道(=参道)を通り、鳥居をくぐって、人間社会へと旅立っていくのです。そして人生という世界の鏡を通して、自分自身を悟りながら、学び、成長していく旅が始まるのです。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 母親の胎内で30億年の生命の進化を辿った後、人は産道(=参道)を通り、この世界に誕生します。そして、この世界で出会う出来事を通して自分を知っていきます。上記の文章ではそのことを以下のように表現されています。...

ただみんなでひとつを表現していく

ただみんなでひとつを表現していく

困った相手に対して正当性を通そうとして同じ土俵に立っている。表面上は穏やかに接していてもその奥には怒りがあって、そのためムキになって自分で対応しようとしている。正当性を通そうとする態度が相手を刺激して、さらに相手を困った存在にしている。正当性を主張するのではなく、こっちが困った人になればいいんだよ。それはおかしな言い分は相手にしないってこと。相手にしなければ、向こうが困るのだから。 まあ、これは最初から然るべき人に相談して頼ればいいだけの話なのにね。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 上記は昨年の6月にいさどんが僕に語った言葉です。当時、僕はこの言葉を元にして「怒りに向き合い、怒りから自由となる」という記事を書きました。以下、少し文章を引用します。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 僕は最近、困った人と出会いました。それで僕は、筋を通しながら流れを見ていこうと思っていたのですが、筋を通そうとする心の奥には、非常識な相手に対する(あまり自覚していない)怒りがあって、僕はその怒りに翻弄されていただけなのです。「僕といさどんと木の花ファミリー」に書いているように、僕は長年「虐げられた状態から逆転し見返す」という物語を好んできました。そのため無自覚に虐げられる状態を生み出してきたのです。この一見理不尽な行動、その奥にはこの世界に対する「怒り」の心がありました。僕は今日、そのことを確信しました。「怒り」の心があるから「怒って然るべき」状況、虐げられる状況を無自覚に生み出してきたのです。そして「世界と一緒に変化を楽しむ」に書いているように、「正義を掲げ、その正義を貫くことに熱くなる」物語も好んできました。正義を貫くためには悪が必要で、対象が悪ければ悪いほど、正当に「怒る」ことが出来るのです。そう、僕は正当に「怒れる」状況を長年好んで来ていて、だけれども「怒り」を求める自分には無自覚で、そのために滞りを生み出してきたのです。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ここで書いている困った人との関係は3月31日をもって一つの区切りとなりました。一つの流れの終わりを感じていますが、今、あらためて思うことは困った人と出会う縁を自分が持っているということです。そういう縁を生み出してきたのは「虐げられた状態から逆転して見返す」物語や「正義を掲げ、その正義を貫くことに熱くなる」物語を好む自分と言えます。それは僕の特徴で、それを悪いと思ってなくそうとするよりも、その物語が生み出す世界を見通し、そこから自由でいることが大切なのだと思っています。...

本当の意味で願いが叶っていくこと(2)

本当の意味で願いが叶っていくこと(2)

3月24日、1ヶ月間の真学校が終了しました。日本、中国、台湾、タイ、4ヶ国から受講生が集まり濃密な時間となった今年の真学校、その最後にあたり、いさどんは以下のように語りました。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ハプニングの連続でないと、人生ではありません。ハプニングの連続だからこそ、人生は楽しいのです。 この世界に命として生きるということは、そういうことです。それなのに人間は学習し、予定を立て、その計画の通りに生きていこうとするのです。そして、自分の計画通りに物事を進めようとすることで、自我の芽を、大きく育てていくのです。 皆さんはこの1ヶ月間の間に、私たち一人ひとりの中に、大宇宙の柱である天之御中主の分霊が立っていることを学びました。その内なる柱に目覚めれば、今のように、毎日ハプニングで生きていることがとても楽しくなります。それはとても豊かで、ダイナミックな人生です。 多くの人々は、自分自身の考えや目的を達成しようと思い、一生懸命生きています。しかし、一人ひとりがバラバラの目標に向かって生きた結果が、今の地球上の世界なのです。それぞれが自分の思うように予定を立て、その通りに生きようとすれば、世界はバラバラになっていくのです。 ~ 中略 ~ 何が言いたいのかというと、こういったハプニングの連続が、人生だということです。そしてそれぞれが個性を発揮し、エンジョイしていく。それが、地球で生きるということなのです。 皆さんは、一人ひとり、とても個性的です。その個性はどれもオリジナルであり、天が皆さんに与えたものです。その個性を、存分に発揮してください。ただし、それを調和させてください。そうすると、天が望んでいるように、この世界は大調和のハーモニーを響かせるようになります。それが、皆さんの当初の目的である、自らの健康で豊かな暮らしにつながるのです。 ~...

想いを手放し、想いのままに生きる

想いを手放し、想いのままに生きる

僕は今、確定申告の準備をしていますが、締め切りが間近に迫る中、国税庁長官の佐川氏が辞任しました。学校法人「森友学園」への国有地売却問題での決済文書書き換え疑惑を受けてことで、佐川氏は売却問題が発覚した昨年の2月、理財局長を務めていました。財務省は書き換えの事実を認め、そして佐川氏は国税庁長官を辞任しました。佐川氏が自らの意志で書き換えをするとは考えにくく、それを指示した存在がいたと思われます。 決済文書を書き換える行為は作為です。そして佐川氏の辞任にも「トカゲの尻尾切り」という作為が感じられます。 こうしたい、こうなって欲しいという気持ちがあるからそうなるように作為をするわけですが、その作為が上手くいく保証はどこにはありません。作為は自分の視点からするわけですが、自分の欲に縛られれば縛られる程、その視点は狭くなっていきます。そのため作為は思いがけない結果を生み出し、結果に対応しようとして新たな作為が生まれ・・・というように自分の欲に縛られると結果に翻弄されるようになっていきます。 今、森友学園問題は上記のような状況にあるように思われます。そして、それは今の社会を象徴する出来事と言えます。 我々の直面する重要な問題は、それを作った時と同じ考えのレベルで解決することはできない。 上記はアインシュタインの有名な言葉ですが、今、直面している問題は自分たちの想いの結果生み出されたものです。自分たちのこうしたい、ああしたいという想いが自分たちの意図を超えて今の問題を生み出しているのです。そして何とかしようとするのですが、その想いも大抵は同じレベル(自分視点)でなされます。そうすると何とかしようという気持ちが今の問題を維持しているとも言えます。人は問題を通して学ぶのでありそのことを必ずしも否定的に捉える必要はないのですが、ある程度学んだら想いをリセットする必要があります。そうでなければ人は、自らの想いが生み出す想いもよらない結果に翻弄されたままとなります。 突破口は気づきにある 僕は昨年の10月、以下の文章を書いています。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 気づきとはこの世界に対する理解です。それを得るためには世界に起きていることをただの情報として眺める視点が必要となります。感情や思惑が挟まると世界は自分の色に染まっていきます。そして、想いのままに行動することになり、そこに気づきは生まれません。人は他者からの理解を求めるものです。ですが、その時理解される自分とは今の自分であり、今の自分が現在の問題を作ってきたのです。だから他者からの理解を求めることはないのです。そうではなく、ただ世界や他者を理解していく。そのことに努めた時、自ずと気づきは生まれ、それが新しい動きとなっていきます。 ☆彡 ☆彡...

時の遊牧民から時代人へ

時の遊牧民から時代人へ

「時代の遊牧民」 遊牧民が季節の移り変わりによって適切な場所に移動していくように、僕らは時代の流れを読んで、それを楽しんでいくのです。すべては時代が生み出しています。例えば、先に紹介したデカルトは、自然から魂を抜き機械にように見なす冷たい思考を生み出しました。この冷たい思考、実は熱い情熱から生まれています。デカルトは夢で新しい学問を打ち立てる啓示をうけます。その夢の内容は圧倒的で強烈な印象をデカルトに与えます。そして、新しい学問の構築に情熱を捧げ、「我思う」の思想が生まれたのです。時代がデカルトを通して近代科学の基礎を生み出した。そんなふうに思えませんか?そして今、時代は変化の時を迎えています。それは星の動きや歴史の周期が教えてくれています。 僕らは時の遊牧民より ☆彡 ☆彡 ☆彡 時の遊牧民、これは2年前の10月、モンゴルから来たムルンくんと交流する中でいさどんの中から湧いてきた言葉です。そして、僕はその言葉を聴いて上記の文章を書きました。この言葉はその1年後、時代人、時代主義という言葉に発展していきます。以下、いさどんブログ「わたしたちは時代人(じだいびと)です」からの言葉です。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 わたしたちは、「時代人」です。つまり、時間という共通した乗り物に乗って旅する旅人です。この時間という乗り物には地球も乗っています。この世界に存在するものはすべて、時間に乗って旅しています。そして物理的にも、地球は宇宙を旅しているのです。 なぜ、時間は進んでいくのでしょうか。それは、一秒、一分、一時間、一日、一年と人間が時間の基準をつくり、時間を認識しているからです。それは人間社会だけの話のようですが、実はこの世界はサイクルのもとに成り立っています。そのサイクルは、一秒、一分、一時間、一日、一年と人間が便宜上区切っただけではありません。一日は地球の一自転であり、一年は地球の一公転です。春・夏・秋・冬の四季のサイクルの中で植物は芽吹き、栄え、種を残し、しばらく冬眠した後、また春に芽吹いてきます。その繰り返しによって時間が刻まれていくのです。ですから、これは人間がつくったものではありません。そして、人間以外のそういった仕組みを認識しないものもすべて、そのサイクルの中にあるのです。 その大いなるサイクルの中で今、わたしたちは歴史的な転換期を迎えています。皆さんもそのような時代の移り変わりに気付き始めているからこそ、今、このメッセージに出会っているのでしょう。地球環境や世界情勢は今、混乱の極みを迎えています。しかし、時代は常に未来へ向かって進み続けていますから、この混乱もいずれ収まり、この延長線上に世界が進み続けていくことはないでしょう。それは、目先のことや自らの欲望におぼれず、ひとつの物語として時代を読み解いていくことができれば、今の延長にある流れがいずれ行き詰まることは明らかなことが観えてきます。その証として、今、世界中では人類史上稀に見る危機を迎え、わたしたちが自らの姿勢を転換する必要があることを時代が教えてくれています。...

「命には囚われない」という悟り

「命には囚われない」という悟り

今年のノーベル経済学賞は、行動経済学の研究を進めた米シカゴ大学のリチャード・セイラ―教授に授与されました。行動経済学は、経済学に心理学の理論や分析を応用した学問ですが、人間の非合理な側面を解析し、経済理論を構築していきます。行動経済学の研究は、2002年、2013年のノーベル経済学賞の対象になっていて今回で3回目。近年、注目を集めているようです(今年のノーベル経済学賞『行動経済学』は何が凄いのか参照)。僕自身、昨年の2月、「人間性が経済を生み出す」で行動経済学を紹介していますが、これは人間の反応パターンを知るという意味ではとても有益な学問だと思っています。 例えば、行動経済学の知見の一つにプロスペクト理論というものがあるそうです。それによると人は、同じ変化の大きさであれば、「プラスに触れる」ことよりも「マイナスに触れる」ことに、より敏感に反応します。 「50%の確立で5,000円が当たります。同時に50%の確立でハズレが出て、その場合、2,000円支払う必要があります。」 上記は経済的には”お得”な賭けなのですが、多くの人はこの賭けを避けると言います。それは2,000円を失うことを恐れる気持が、5,000円を得る期待を上回るからです(人は失う恐怖に弱い参照)。 失う恐怖から行動を避ける。行動の結果、何かを得られる場合でも。 それは経済的活動だけでなく人生の様々な場面で人間に起きる反応なのだと思います。そして、それはこの世界に停滞を生み出す一因となっています。 話しは変わって。 台風21号が猛威を振るっていますが、その台風について、ようこちゃんといさどんは以下のような会話をしました。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ようこ: 昨日の夜、台風21号に思いを馳せていたら、突然地球の悲しみや痛みがわたしにうつってきて、涙が止めどなくあふれた。そのときに、「台風の勢力を沈めようとするよりも、私たち一人ひとりの心を正常にするしかない」ということを改めて感じた。そうしたら、今も急に地球の悲しみがわたしにうつってきて、涙が出てくる。 いさどん:...

追い求める人生からいただく人生へ

追い求める人生からいただく人生へ

なぜこのような生き方が重要なのかといえば、今の社会を観ればそれは一目瞭然です。今、世界中が様々な問題で大混乱を迎えています。そういった中、人間たちは一体これから何をしていこうとしているのでしょうか。どのように突破口を開いていこうとしているのでしょうか。 その突破口のひとつとして、ケア滞在を申し込んでここに訪れた人たちが健全になっていくプロセスから新たな世の中が始まるヒントがあると思うのです。彼らがそのままの病的な状態でいて改善しなければ、先が観えず、同じ現象が続いていくだけです。そして、それと同じような混乱が世界中で起きているのです。ですから、単純にひとりの人の人生が行き詰まり、それを改善するためのプログラムを私たちは提供しているのではなく、ひとりの人生の行き詰まりが時代の変遷を解き明かすことにもなり、そして新しい世界を切り開いていくことにもつながるのですから、これはたいへん重要な取り組みなのです。 人類史上初の「リョウ」の集いにようこそ!〜Part.4より ☆彡 ☆彡 ☆彡 上記は自然療法プログラム(ケア滞在・ケアプログラム)を受けていたリョウタくんの卒業コンサートにていさどんが語った言葉です。そして、その二日後にはリョウくんの卒業コンサートも行われ、そこでいさどんは以下のように語りました。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 一昨日、リョウタくんがケアプログラムを卒業しました。今日は、リョウくんがこのプログラムを卒業します。彼らは競争社会の中で頑張って勝ち抜こうと思いながら生きてきました。しかし、それをすると自分も傷つくのです。そうした中で彼らは木の花ファミリーと出会い、皆と力を合わせて豊かに生きる道を見つけました。今までの社会では彼らは行き詰まりを迎えたかもしれませんが、新しい時代を切り開くという意味では、彼らはこれから世の中をリードする人たちなのです。 自然は私たちに命を与えてくれ、そして豊かな人生を学ばせてくれます。それが私たちの価値となり、人生を終わっていくことができます。自然を犠牲にして人間だけが創る社会は、もはや終焉を迎える時代が来ています。 ~...

様々なレベルの流れを読み解く

様々なレベルの流れを読み解く

1年前、天の流れについていさどんは以下のように語っています。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 天は流れを創る。そしてその流れに具体的にことを乗せるのは、地の仕事である。流れを観て、流れに応じた行動をする。そういうコラボである。道理を考えて人智を回すことも大事だが、それをやり過ぎると人智だけになり流れを忘れるから、流れを観ながら人智を回していく。当たり前のことだが、ついつい出来事に意識が行き過ぎると、そのことを忘れる。流れを観ていれば、ことはスムーズに進む。それは流れているのだから、行きつくところに行きつく。 流れを観るとは、結論が出るということではない。 流れを観て、それに沿うと、行きつくところに行きつくから、その時に「ああそうか」といただく。結論はない。しかし流れをしっかり読める人間は行き着く先が想像できるものだから、思った通りにことが成るということだ。それは最初から成るべきことが成るように生きているということである。このようなものの捉え方でいると、道理が常に通っているから、自分の考えている通りにすべてが回る。 「魂を入れていく」より ☆彡 ☆彡 ☆彡 そして、最近、いさどんがこんな話をするのを聴きました。 ☆彡 ☆彡...

今の社会は自分の未熟を表している

今の社会は自分の未熟を表している

以下、2年前の大人ミーティングでのいさどんの言葉です。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 物事の捉え方はたくさんあってね。善意で捉えようと思ったら、この世界にある全てのことは、善意になるんだよ。ただ、人にはそれを善意で捉える力がないだけなんだよ。宇宙は全て善意でできている。 なぜかというと、宇宙は調和でできているから。調和は、悪意では保てない。調和は、善意によってしか、成り立たない。だから、物事を善意で捉えられないときには、自分が未熟だと思わないといけない。そこを悪意で捉えるということは、自分を観ないで、悪意は相手から来ると思っているのだけど、悪意は、自らの未熟さから生まれるものなんだよ。だから、自分が言っていることは全て、自分自身を表しているんだよ。そこに気付かないと、自らを改めることはできないね。人間というものは、必ず自分の都合の良いように答えを求めようとするんだよ。だから、自分の本心があっても、そういった人たちは「けど」「でも」と言って、本心と違う行動を取るんだよ。そのカラクリをわかって、自分自身に修正の目を向けられるようになったら、人は成長できる!そのためには、自らの想いをどんどん外に出していって、まわりからフィードバックをもらい、客観的な視点を育てていくことが大切だね。 「宇宙は全て善意で出来ている」より ☆彡 ☆彡 ☆彡 国連人権理事会の「表現の自由」に関する特別報告者、デービット・ケイ氏が日本政府を問題視する演説が報道されている中、安倍政権は共謀罪の法務委員会での採決を省略し、参院本会議で中間報告のみで採択を行いました。共謀罪に関しては、凶暴な新テロ法案と報じている海外メディアもあり、採択の進め方も含めて民主主義の危機と捉える人々もいます。 実際にそうだとしても、その動きを生み出しているのは一人ひとりの日本人で、これは日本人、つまりは自分の未熟を表しているのです。 森友学園や加計学園、そして共謀罪の強硬採択と安倍政権は批判されるべきところは多々ありますが、安倍政権を批判すると同時に上記のような視点も持つ必要があります。 例えば、安倍政権の辞任を求める運動をしたとして、それが成功したとしても、一人ひとりの人間性が向上することがなければ、次に同じような政権が生まれるだけです。...

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