透明感を取り戻す

天体の節目、秋分の日の前日、僕は川辺まで散歩をし、川に足をつけて本を読んで寝転がりました。川の水の冷たさと太陽の暖かさ。とても心地よい時間を過ごしました。



そして久しぶりに自分が1月1日に書いたブログ「やっぱり天の物語を生きる~新年の挨拶として~」を読みました。身近な人(両親)への想いや感謝の気持ち、それ以上に大切な天や自然に生かされていることへの感謝の気持ち、そして世界と一つになり、天の物語を生きることの大切さを再確認しました。

あの頃、僕の心は透明でクリアでした。
今は・・・

僕は自分を小さなところに囲い込んでいました。
それは人からの評価という枠組み。
人の気持ちを惹きたいという気持ちをコントロールせずに、
僕はいつの間にか少しずつ少しずつ小さなところに自分を囲い込んでいました。

人からの評価、表面的なことに目を奪われる。
そして、それに心が翻弄される。

そんな状態が続いていました。

これは自分の実態。

心の中に残っていた未熟が刺激され、そしてそれに翻弄された結果。
僕はしばらく未熟を生きました。

今日の太陽は暖かかった。
僕はシャツを脱ぎ、それを振り回して歩いていました。
それに反応するように風が巻き起こる。
僕はそれに合わせてさらにシャツを振り回す。

風が舞い上がる。

僕の未熟も舞い上がったかな?????

そんなの知らねー

日々起きることは自分の実態を表していて、それは日々の積み重ねで変化します。
僕はしばらく小さなところに自分を囲い込んでいた。
そんな日々を積み重ねていた。
だから情けない日常が続いていた。

ただそれだけ。

これからは???

知らねー

どっちみち現実は意図した通りには起こらない。
意図なんでどうでもいい。

ただただ天を意識します。
天とはこの世界の奥に流れる法則であり絶対的な愛であり善意であり調和。
そう、それは常に奥に流れているのです。

それを感じて生きていく。
感じるように意識していく。

ただそれだけ。

川辺に寝転がり見上げた太陽です。




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