毎日が瞑想である暮らし

昨晩、大人サミット開催中の大人ミーティングで、僕は「不自由の自由、それが本当の自由」をシェアしました。それを聴いたプラサンコム氏(タイの仏僧)は、仏の道について「飛行機の離陸のようなもの」と言い、以下のような話をしました。

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飛行機はとても重量があります。それが飛び立つためには長い助走、そしてエネルギーが必要となります。ですが、一度飛び立つと、それはスムーズにどんどん上昇していきます。私は、ガールフレンドや社会的地位、家や財産を手放し仏の道に進みましたが、初めの7年間は、ヴィパッサナー瞑想、特にウォーキングメディテーション(歩く瞑想)に集中して取り組みました。仏の道は自分の大切なものを手放し、より大きなもののために自分を捧げる道です。最初は辛い想いもしました。ですが今はとても軽やかになっています。それは一度離陸した飛行機が軽やかに飛び続けるようなものです。あなたもヴィパッサナー瞑想を取り入れるといいと思います。

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飛行機の例はとても分かりやすいと思いました。そして、瞑想。ヴィパッサナーは、「物事をあるがままに見る」という意味で、ヴィパッサナー瞑想はそのための実践法です。そこで実践ということで言えば、木の花ファミリーの暮らしは生活がそのままヴィパッサナー、物事をあるがままに見るための実践となっています。

例えば、きょうこちゃんが癌の治療で入院していた時、いさどんやそこにいた人達はこんな会話を交わしています。

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最後にこうちゃんは「なかなか病院で笑っている人たちはいないよ(笑)」と言い、きょうこちゃんは「ほんと、ほんと!死ぬかもわからないけれど、面白い人生をもらっているなと思ってね。だって、この間せっかく血が入ったのに、もう全部出ちゃったもの!」と言うと、みかちゃんが「木花咲耶姫様のモットーは潔く生きて潔く散るということだからね」と言い、いさどんは「その散り際の美しさが木花咲耶姫の個性だ」と言い、皆で病室の窓から雪の王冠をかぶった美しい富士山を見た。きょうこちゃんは「一言では言えないけれど、良い時間だった!どこまで覚悟ができているかはわからないけれど、もう何度もそういう場面が来ているから、ある意味覚悟はできているなと思う。そこまで腹をくくっちゃうと、面白いな。ありがたいとかいただくことの深みを日々学ばせてもらっているな」と言い、いさどんは「ありがたいも深みがあるんだよ。『いただきます』だから、いただき(頂き)・・・頂上まである」と言うと、みかちゃんは「頂き増す!どこまで行っても頂きが増していくんだよ」と言い、こうちゃんは「登山に終わりはないってことだ」と言い、皆で拍手して病院を後にした


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もっと生きたい。生きていてほしい。そういう自分たちの思惑を手放して、ただただ目の前の状況を真摯にいただいていく。僕たちは物事をあるがままに見るだけでなく、あるがままを受け入れていくのです。その結果、今の元気なきょうこちゃんがいます。

多くの人は、人生において自分の希望、想いを実現させようとします。そうすると自らの思惑が働き物事をあるがままに見ることが難しくなります。そこで自らの思惑から離れる瞑想がとても重要な実践となっていくのでしょう。

僕らは自らの思惑ではなく、天の流れに沿って生きることを決めています。そして、そのためにお互いに見える景色を伝えあっています。日常生活があるがままに見る実践であり、あるがままを受け入れていくのです。

だから僕らの日常生活は瞑想であり、毎日が瞑想なのです。

ただただ目の前の出来事をいただいていく。

その姿勢が生み出す出来事は想像を超えるもので、毎日、わくわくして暮らすことが出来るのです(^-^)

大人サミット1日目の写真(一番右がプラサンコン氏です)。



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