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記事読みました。
中野くんが木の花ファミリーに移住する前確かみんなで会ったよね。
その時を懐かしく思いました。
今はどの写真をみても、(中学校で)相談員をしていた頃よりずっと満ち足りた穏やかな表情をしているなと思います。中野くんの生きる場所を見つけたんだなと感じます。
私は今、軽度知的障害の生徒が社会的自立と就労を目指す高等部単独の特別支援学校で、3学年主任をしています。私たちがそれぞれの場所で充実した生活を送れることの幸せを感じます。お互い、一歩ずつ地面に足をつけて成長していきたいね(^-^)
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今の社会は一人ひとりの欲望を最大限に尊重することで発展してきました。テレビCMは人々の欲望を刺激し、ニュースや新聞は、経済発展を神のように祭り上げ人々の消費を促します。個の尊重、プライバシーという名の下、人々の自我(エゴ)は膨らみ続けて来ました。
そのような社会の中で、自我を手放し血縁を超えて生きる木の花ファミリーの暮らしは人々の理解を超えることもあるのでしょう。「不自由の自由、それが本当の自由」に書いているように、僕らは今まで多くの無理解に出会って来ました。ですが、僕らが生き生きと生きる姿は言葉を超えた説得力があります。そのためか、僕らは無理解と共に支援者とも出会って来ました。だから、この道を生き抜き幸せになっていくだけ。友人からのメールを読んであらためてそう思いました。
個人の幸せを追求する視点から僕らの生活を見てみます。
すると、給料がなく休みもなく、毎日朝早くから夜遅くまで働き続け好き勝手出来ない姿が浮かびあがります。そんな僕らの働きについて、いさどんは冗談で「ブラック企業を超えたブラックホール企業だ」と言ったりしています。それでも僕は友人から「満ち足りた穏やかな表情をしている」というフィードバックを貰っています。不思議ですよね?
それは僕らの「働く」が労働ではなく「傍楽(はたらく)」だからなのだと思います。経済は働くことによって生まれますが、僕らは働くことを通して傍(はた)を楽(らく)にし、自分を超えた大きなネットワークの中で役割を果たします。すると時代や宇宙といった大いなる存在の中に自分が位置づけられ、その中で自分の個性を最大限に発揮出来るのです。宇宙や時代の流れを感じて、その流れを共に推進する喜び。それが穏やかで満ち足りた表情となって表れているのでしょう。
個人の幸せ、自分だけの幸せを追求したとします。その時、多くの人にとって働くことは労働であり、賃金を得るための手段となります。するとどうしても労働に見合った賃金を求めるようになり、そこに固執することになります。思い通りにはならず不満を抱えたり、思い通りになったとしてもそれに執着し、それを失うことを恐れたりします。心が波立ち、自分の状況に左右され一喜一憂することになるのです。そうしていると時代や宇宙の流れから切り離され安定を失うことになります。結果、なかなか幸せになることが出来ないのではないかと思います。
自分のあぁしたい、こうしたいという気持ちを手放し、ただ出会う出来事をいただき楽しんでいく。ただひたすら傍(はた)楽(ら)いていく。そんな暮らしを楽しみどんどん幸せになっていこうと思っています(^-^)
※農事組合法人木の花ファミリーは組合員全員が個人事業主(経営者)のため、労働基準法や最低賃金の縛りを受けません。詳しくは、「農事組合法人木の花ファミリーと6次産業化」をお読みください。
※木の花ファミリーブログ「世界のお金がみんなのお金になるように」に対する感想は、木の花ファミリーこの話!にも掲載されています。こちらも合わせてお読みください。
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