海としての自分を生きる

公立中学校で学校事務職員をしていた頃、職員室で当時の教頭先生に対して怒りをぶつけたことがあります。僕に頼りがちで調子の良いことを言って仕事を振り続けていた教頭先生に対し、僕は不満を溜めていました。そして、勇気を振り絞って、「しっかりしてもらわないと困る」と伝えました。教頭先生は、そんな僕に対し謝罪をし、その後、お互いに協力し合って仕事をするようになりました。この時、心が通じ合ったように感じ、僕はこういうことを伝えたのだから、「さらにしっかりしなければならない」と気持ちを引き締めたのを覚えています。

この経験は、僕の中で大切な思い出として残っていて、自分は成長したように感じて来ましたが、それは僕からの視点です。僕は今、この体験を違ったものに感じています。

僕が普段から筋を通して淡々と必要なことを伝えていたら、教頭先生も淡々とそれに応じていたと思います。教頭先生が過度に僕に頼ることも僕が不満を溜めることもなかったでしょう。つまり上記の状況は必要なことを伝えない僕が創りだしたものなのです。そして、僕は「勇気を振り絞って」伝えます。これは「追い詰められた状況から逆転する」という僕好みの英雄物語と言えます。僕は自分を被害者の位置に置くことで、教頭先生を加害者に仕立て上げています。そして、勇気を振り絞ります。これ、当時は全く無自覚ですが、自分の英雄物語、成長物語に相手を巻き込んでいるとも言えるのです。そして、教頭先生はみんなの前で僕のような若造に怒鳴られます。それはとても恥ずかしい体験で、普段から僕が毅然としていたら本来必要ないものなのです。

成長の過程とはいえ、相手に不必要な傷を与えた。

僕は今、この体験をそんなふうに思っています。

冒頭の僕の話、僕の成長話として共感してくれる人もいるのではないかと思います。もしこの話に多くの方が共感してくれたとしても、それは客観的な視点ではありません。客観的視点、それは天からの視点、個人的感情を超えた視点です。常にこの視点に沿って自分を改善していこうと思っています。

感情は浮かんでは消える波のようなものです。大きな波、小さな波、いくつもの波が同時に存在していますが、特定の波に飲み込まれると、そこからの視点がすべてとなり、海である自分を見失います。僕は今まで何度もそんな経験をしていますが、昨年の8月、そのような状態になった僕に対して、いさどんは以下のように語りました。

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自分というものを内からだけ見ていてはいけません。

外から見える自分と内から見える自分というものが、
自由自在に行ったり来たり出来る状態になることが大切です。
ブログを読んでそれが少し出来るようになってきたことを感じました。

この道を極めることが大切です。
そこに向けて真っ直ぐに行くと人の価値が上がります。
そして価値が上がると自然にみんなから支持されるようになるのです。
その位置で願いが叶っていくことが大切です。
想うと叶うというのはそういうことです。

ところがあなたの場合、叶わない現状にありながら、
願いを叶えたいという願望や欲望になっているものだから、
宇宙の法から外れてしまったのです。
だからそれは「自分のこと」であり、我欲となっていくのです。
宇宙は「もっと叶えたい。あなたの望みは全部叶えたい。」と願っています。
その代わり宇宙の法に沿って願えということです。

だけれどもあなたの願いが叶うところまであなたが高まった時、
あなたにとってその願いはどうでもよくなっていることでしょう。
だから、今、あなたが持っている願いはどこかにボタンの掛け違いがあるのです。
そのためエネルギーを使えば使うほど価値を下げる状態となっています。
それはエネルギーの出どころが間違えているということです。

あなたは自分の心の足りない部分を埋めようとしています。
それは相手を見ているのではなく自分を見ているのです。
その願いは自分の矛盾から発生しているものです。
自分の中に矛盾がなければ、矛盾を埋めようという想いは出て来ません。
ただ淡々と生きていれば、そしてそれが清々しければ、
相応しく人が集まってくるのです。
そうではなく努力して人にアプローチする行為は、
自分を埋め合わせようとしている行為なのです。

あなたの矛盾は爆弾のようなものであり、あなたはそれを抱えています。
そうするとここに出会うことであなたがどれほど救われているか。
そう思いここに出会った価値を上げるとしたら、本物となることです。

そのためには正確に振り返ることが大切です。
逃げずに自分というものに真正面から向き合い、
誤魔化さずに正確に見ていくのです。
そうすれば自分が仕上がっていきます。

あなたは自分の爆弾を忘れてはいけません。
クリアしたからと言ってなくなったと思ってはいけません。
心を磨くという志を持っている限り、
自分の中にしっかり古傷としてもっていないと
調子にのったり、忘れたりします。
そうすると古傷が疼いた時にチェック出来ない状態となるのです。

だからしっかりと向き合いクリアしそれを忘れずにいて下さい。


☆彡 ☆彡 ☆彡

人は感情という波を通してこの世界を経験し、そして自分を認識します。それが内から見える自分です。ですが、人は本来、海そのもので全世界と繋がっています。その視点から自分を眺めることが外から見える自分です。

感情の波に飲み込まれると人は海としての視点を失います。そうすると自分自身がちっぽけな波となって不足感に襲われることになります。そうして外に対象を求めるようになります。冒頭の教頭先生の話も、卑屈な感情に飲み込まれた僕が生み出した現象であり、教頭先生は自分自身の矛盾です。だから当時の僕は教頭先生を通して、自分自身の矛盾を見ていたのです。そしてそれは爆弾(怒り)へとなって現れました。

この世界で出会う出来事はすべて自分自身の現れであり、相応しく与えられています。

願いも感情と同様、浮かんでは消える波のようなものです。叶うものは自ずから、自動的に叶うし、叶わないものは叶いません。それは天が相応しく与えるものであり、叶うか叶わないかはあまり重要ではありません。大切なのは、どんな時も海としての自分を見失わないことです。海であり続けたら自分の中に矛盾が生じることはありません。変化変容を繰り返す宇宙の法則に従い常に成長し続けることが出来ます。

自分というものに真正面から向き合い誤魔化さずに正確に見ていく。

それは波に飲み込まれずに海としての自分から波を見通すことです。かつて波に飲み込まれたことがある。その古傷を忘れずに僕は海として生きます(^-^)


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