それは何かをしてはいけないとか具体的な行動がどうこうではなくて、自分の感情に捕まらないということ。自分の感情に捕まること、囚われることを許してはいけない。そういうことなのだと気づきました。
なぜなら、僕は今までそれだけのことを話し書いてきているからです。これだけ悟ったようなことを書いていて、感情に捕まることを許すわけにはいかないのです。ということは書けば書くほどそれが許されなくなっていきます。だからこそ。だからこそ僕は文章を書いていきます。なぜなら、それが僕の進む道だからです。
今年の7月、僕はこんな文章を書きました。
☆彡 ☆彡 ☆彡
この道は言ってみれば、自己否定の旅だと思っています。それはもっと大きな自分、世界と一つになるための自己否定です。常に否定し続け、それが即、肯定へと変容し続けます。それは自分を手放すことが出来ることへの誇りであり、大いなるものへと自分を委ねる覚悟となります。
この道は山登りに例えられます。山のすそ野は広くどこからも登ることが出来ますが、頂上は一つ。登れば登る程、道は限られていきます。同じように、この道は究めれば究める程、道は狭くなり、今まで良かったことも駄目となり、自らの選択はどんどん限られていきます。
不自由の自由。
一見、不自由に見える心の道ですが、それを進むことが本当の自由への道です。
なんでもいいけど道は一つ。
そんな感じです。
不自由の自由。
一見、不自由に見える心の道ですが、それを進むことが本当の自由への道です。
なんでもいいけど道は一つ。
そんな感じです。
「不自由の自由、それが本当の自由」より
☆彡 ☆彡 ☆彡
その行きつく先は天。僕はそこまで昇っていきます。
・・・・とここまで書いて。
「許されないことをした」という感覚も感情のようなものだから、それにも当然囚われるわけにはいかないわけで、結局なんでもいいんですけれどもね(^-^)
ただただすべてを委ねるだけです。
11月3日文化の日の朝日です。 |
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