混沌とした泥の中から美しい蓮が生まれる

一昨日、1月23日は「ひふみ」の日。「ひふみ」という言葉から僕は天が意図した「ひふみの法則」という言葉を思い出します。以下、それを説明している文章を引用します。これは2016年6月21日、銀河の夜明けから本格的な光の時代へと切り替わる「トキ」に合わせて掲載されたものです。

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かつて、「死」さえも天が統治して導いてくれているということを感謝と共に受け入れていた時代がありました。身体を持った「生」の時間と、身体から離れた「死」という時間を、行ったり来たりすることは、"悠久の宇宙時間"の中に在る魂にとっては何も怖いことではなかったのです。

しかし、「生」にあった時、「出逢った大切な人・時間と共にいつまでも在りたい」という当たり前の欲求によって、"宇宙時間"から自分達のための"人間(物質)時間"への執着が生まれたといいます。


やがて"人間時間"の中でのサバイバルを目的とした「男性性」が暴走を始めます。自分たちのやり方で、競争・支配(コントロール)の価値観に基づき、自分たちのルールと科学に傾倒していくうちに、いつしか私たちは天(宇宙に委ねていく在り方)から離れました。


『天から離れたということは、内宇宙と外宇宙が分離し共振性が損なわれたということ。』


私たちの身体の中に存在する内宇宙。それは微生物たちも含めた世界であり各々の心の周波数が創り出す世界です。その内宇宙と、地球と同期する外の微生物たちが創り出す世界(外宇宙)は、本来は統合していて共に響き合っていました。


宇宙には天が意図した「ひふみの法則」というものがあります。
無意識に統合の時代を生きていた時代(ひふみの「ひ」=源)から、我々は「個」の体験を重ねるという分離の時代(ひふみの「ふ」=分離)を過ごしてきました。そして、今、まさに私たちは「生」の本来の目的を想い出そうとしているのです。(ひふみの「み」=意識をもって統合の時代を生きていく)。


『全ての生命(いのち)が響きあう場所で天に導かれて愛を生きる。』


競争やエゴ、自分(たち)さえ良ければ、今さえ良ければ、という世界ではなく、皆がひとつの真実の方向に向かって響き合う、「大いなる循環」の中で自らの輝きを活かしていく時代の到来。統合の時代へとシフトする今このとき、宇宙時間の中で、自分の輝きを、自分の中心で、真の女性性を取り戻しながら神の子として蘇る。天と自分の魂との約束を果たす時が今まさにやって来たのです。


自分自身を籠の中に閉じ込めているのは、「自分のやり方こそがベストだ」と信じ込んでいる自分自身なのです。その観念を一旦天へと戻して、認めたくない自分やもう二度と感じたくはない感情と再び出逢い、向き合い、その奥に在る、分離の時代には成しえなかった


『自分の中にある本当の想いや愛と繋がりなおす。』


そういうチャレンジを体験することが、閉じ込めた籠の中から輝ける自分自身を解き放つことにつながっているのです。


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ここ最近、木の花ファミリーではいさどんからメンバーに向けて死生観プレゼンが行われていますが、そこで確認されていることはこの文章で表現されていることとほぼ同じで、今僕たちに必要なのは、皆がひとつの真実の方向に向かって響き合う、「大いなる循環」の中で自らの輝きを活かしていくことなのだと思います。そのために必要なことは、認めたくない自分やもう二度と感じたくはない感情と再び出逢い、向き合い、その奥に在る、分離の時代には成しえなかった『自分の中にある本当の想いや愛と繋がりなおす』ことなのです。それは「死」を含めて全てを受け入れる姿勢であり、問題に出会った時、それをなくそうとするのではなく、問題を通して自分を知り高まっていく生き方といえます。そんな生き方についていさどんは以下のように語っています。

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地球温暖化や経済格差、紛争、難民、国々や民族の対立・・・・現代社会は混沌としています。混沌の中、その解決策を求める気持ちになるかもしれませんが、そこには人生の深みがありません。

問題が生じている時、問題のないところにいって、みんなで幸せになろうとする。それは良いことに聴こえるかもしれませんが、とても薄っぺらな話しです。みんなで幸せになろうとする時、幸せになるべき人間性があって初めて幸せになるのではないでしょうか?人間性が高まらない状態で幸せを求めることが社会に何をもたらすのか?そのことに想いを巡らせてみて下さい。

問題がある時、ただ解決策だけを求める。

それは新しい発想だけ貰って楽になろうとしている姿勢です。その姿勢が人々を現実から引き離し停滞を生み出しているのではないでしょうか?そこからは結局新しい発想も生まれないのです。

新しい発想は自分を放棄した時初めて生まれるものです。

この世界には法則性があります。常にそれと対話していくこと。それが天と共に生きるということです。

問題ごとに出会った時、ただそれを改善しようとしていく。それは人間の知恵の中で良い生活を送ろうという心に繋がり、その結果、天は離れていき、停滞が生まれます。

美しい蓮池を生み出しているのは水中で混沌としている泥の存在です。表面に浮かぶ現象を生み出している奥の世界。それを知り生かすことで人生は深まり花開いていくのです。

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過去から未来へ繋がる魂の変遷の途上に今があり、生きていることの奥には死の世界、魂の世界がありそちらが土台であり本質です。ですが、現代では「死」は忌み嫌われる存在となっています。人々は自らの土台を忌み嫌っているのです。それは鬼についても同様です。もうすぐ節分ですが、節分では通常「鬼は外、福は内」と言います。そのように人々は鬼を忌み嫌っていますが、鬼は本来、人々に道理を伝える存在、鬼が云うで魂となるように、それは世界の土台を司っているのです。

人は自らの都合を追い求め、都合に合わないものを忌み嫌ってきました。その結果出来上がったのが、それぞれの損得で繋がったり離れたりする表面的な世界です。多くの人が一生懸命に生きていますが、都合の悪いもの、死や鬼を忌み嫌っているため、魂が抜けてしまっているのです。

土台である魂を取り戻すためには都合の悪いこと、問題と向き合っていく必要があります。魂を入れる。それは自分と向き合う姿勢のことです。

美しい蓮池を生み出しているのは水中で混沌としている泥の存在です。表面に浮かぶ現象を生み出している奥の世界。それを知り生かすことで人生は深まり花開いていくのです。

このいさどんの言葉を心に置いて、世界や自分の混沌に向き合い、花を咲かせていこうと思っています。

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