1月17日に出会ったアオバト |
1月9日の朝日です。 |
1月26日の朝日です。 |
そのトキ起きた滞りは、僕の実態を教えてくれましたが、実態こそがいつでも天に繋がっていて、実態と真摯に向き合う姿が尊いものだと言えます。幻想を壊し実態と向き合うように導く滞りに出会ったのだから、やはりそれらは吉兆だったのです。吉兆は天の意思に基づくもので、自分都合のものではないのです。
こんな感じに思っています。ところで、
今の状態に問題を感じて、何とかしようと真剣に向き合う姿勢が、かえって自分の視野を狭くしていたことに気づきました。それはどうしてかというと、その何とかしようとする気持ちが自分都合であり、その問題は、本当の意味では大切なことではないからなのだと思います。この場合、何とかしようとする気持ち自体が、問題の種になっています。僕は「これは人生最大の課題だ」と思っていて、何とかしようとし続けていましたが、その姿勢が問題の種となり続けていたのだとしたら、超えることが出来なかったのは当然と言えます。何とかしようとする気持ちを手放し、ただ目の前の状況をいただき続けたトキ、問題は立ちどころに消え去るのかもしれません。これはあくまで仮定で、だから先に行ってみないと分からないことだけれども、そんなふうに思いました。
それでこれは環境問題や平和運動にも通じることなのかもしれません。それらの問題を何とかしようとする心が自分都合のものだったらならば、その姿勢が視野を狭くしてかえって問題を複雑にしているのかもしれません。ただ目の前の状況をいただき続けたトキ、そのためにそのトキ起きる心のさざ波を鎮め続けたならば、この世界の問題事は立ちどころに消え去るのかもしれません。
ここで思い出したのが以下の言葉。
☆彡 ☆彡 ☆彡
許すこととは
相手を無罪放免することではなく
自分自身を負の感情から自由にすること。
☆彡 ☆彡 ☆彡
上記は森井啓二さんがFacebookに投稿していた言葉。自分や世界の問題ごとはすべて負の感情から起こっていると言ってもいいと思います。そして、何とかしようとする心も、負の感情があると自分都合のものとなり、問題ごとを複雑にしていきます。だからただ、自分自身を負の感情から自由にしてあげればいいのだと思いました。
言うは易く行うは難し
ですが・・・
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