オウム真理教の教祖である松本智津夫死刑囚。その三女である松本麗華さんの手記「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチェリーの手記」〔講談社)が出版され話題になっているようです。
僕はこの話題をきっかけに、松本麗華氏へのインタビューなどいくつかの記事を読み、動画を見ました。そのうちの一つ、池本孝慈さんのブログ記事、『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチェリーの手記』松本麗華〔講談社)はとても良質なもので共感出来ました。
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【地下鉄サリン事件から20年】麻原彰晃の三女・アーチェリーが語る (聞き手:田原総一郎)
麻原彰晃の三女「アーチェリー」が本名・松本麗華としてニュースzeroに顔出し出演
麻原彰晃の三女”アーチェリー”の告白『オウム・父麻原・事件』ウェークアップぷらす
地下鉄サリン事件20年 松本死刑囚の四女に話しを聞きました。(FNNNewsCH)
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松本麗華さんは、オウム真理教が起こした一連の事件について、教団が行ったことは認めながら、父親が指示を出したことについては、判断を留保し、「分からない」と述べています。松本智津夫死刑囚の四女、聡香さん(仮名)は、この麗華さんの態度に対して疑問を呈し、麗華さんが語っていることに関してデタラメだと批判しています。これはどちらかが嘘をついているというわけではなくて、同じ場所にいて二人はまったく違う現実を経験したのだと思います。
一つの出来事に対して受け止め方が人によって違うのはよくあることです。その時のその人の立場、心の状態、性格。それによって一つの出来事も全く違って表現されることはよくあります。当時、11歳の麗華さんと、5歳の聡香さんが全く違った体験をしていたとしても不思議なことではありません。
たとえば、僕たちは豊かな日本で暮らしています。ですが、感じるものは人それぞれで、物質的豊さを享受し楽しむ人もいれば、そこに虚しさを感じ生きる意味を探求する人もいます。自分を知り心穏やかに暮らす人もいれば、道を踏み外し見失う人もいます。そんな日本社会の中でオウム真理教も生まれています。
僕は麗華さんも聡香さんも自分がリアルに感じたことを語っているのだと思っています。そこには父親に対する愛情もしくは憎しみというバイアスが掛かっているとは思います。ですが、そこには嘘はないと思います。そして、経験者が持つそのバイアスがそのまま表現されることで、そこで何が起きたのか、オウムとは何だったのかをより深く知ることが出来るのではないかと感じました。
今の麗華さんの態度について、色々な識者が麗華さんを批判していました。道徳観念からしたら、父親の事件への関与を保留にし、遺族に謝罪をしていない麗華さんの態度は非難されるものなのかもしれません。ですが、立派な道徳観念通りに行動できる人間がどれだけいるのでしょうか?その道徳観念は人間の本質を掴みきれているのでしょうか?
日本社会が生み出したオウム真理教。その存在は、アレフとなって今も続いています。何がそれを生み出しているのか?それを突き詰めることは大切な取り組みです。松本智津夫死刑囚の娘であることを受け入れ、実名を公表し、表に出て語り続ける麗華さん。これからもオウム真理教や地下鉄サリン事件、そしてその被害者や遺族の方々に向き合い続け続けることになります。それはとても重く厳しい道のりでしょうが、今後の麗華さんの人生により、オウムを生み出した日本の闇に光が当たり、人々がそれを乗り越えていく。そんな可能性も感じます。
麗華さんは、「オウム真理教と一般社会にそれほど違いはない。そんな中でなぜ事件が起きたのかを考える必要がある」と述べています。そして、田原総一郎さんは、地下鉄サリン事件と太平洋戦争とを重ね、かつて日本全体で同じような状況が起きたと話しています。
おかしいと思いながら、誰も反対出来ずに間違えた方向に進んでしまう。
集団や社会はそのような特徴を持つことがあるようです。例えば今、地球環境の悪化が叫ばれる中、多くの国の政策で経済成長が大切にされています。大きな視点で見れば、これも同じような現象と言えるのではないでしょうか?この状態を超えるにはどうしたらいいのでしょうか?
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木の花ファミリーの暮らしは、この質問の答えになっています。
ここから少し僕や木の花ファミリーのことを書いてみようと思います。
今年の正月。「やっぱり天の物語を生きる~新年の挨拶として~」を書いた僕ですが、日々の忙しさの中で、天を感じるゆとりをなくし、「困難を克服する」「すごい人になる」という自分の物語を生きるようになっていました(「世界のお金がみんなのお金になるように。」を参照)。3月16日、確定申告書類を税務署に提出し一息ついた僕は、さっそく滞りを頂きました(「世界のお金がみんなのお金になるように。PART.2」を参照)。わかりやすいなと思いました。
木の花ファミリーブログ「宇宙を生きる子供達へ」にも書かれていますが、天とは宇宙のことです。宇宙の運行が季節をもたらし、時代の流れをもたらします。そこに心を開き、流れをいただくことで物事はスムーズに進んでいくのです。
自分の願いが叶う。それは嬉しいことかもしれませんが、自分の想像の枠を超えません。ですが、天の物語を生きる時、何が起きるか想像をすることが出来ません。自分の想像をはるかに超えたわくわくする出来事に出会えるのです。
物事がスムーズに進み、しかもわくわくする。
そんな天の物語を生きるためには自分を手放す必要があります。自分の物語を生きるようになってしまっていた僕は、それを手放し、天に心を向けて、その感覚を少しずつ取り戻しています。
そして、僕と同じテーマが木の花ファミリー全体にも言えるのです。一人一人のメンバーが、自分の感覚や感情に捕らわれて全体視点を失っているとその場は停滞します(その様子は、木の花ファミリーブログ「真夜中の女子会」に描かれています)。みんなが心から「それでいいね」という状態にならずになんとなく物事を進めていく。そういう状態に陥ることもあります。この延長に「おかしいと思いながら、誰も反対せずに間違えた方向に進む」ということが生まれるのだと思います。
一人一人が天に心を向けることで、全体でこの状態を超えていくことが出来ます。はっきりと意志を示し、みんなで一つの方向に進んでいくことが出来ます。僕たちは何度かその一体感から生まれる喜びを味わっています。今のところすぐに忘れてしまうのですが・・・
僕たちはみんなで自分を超えられることを知っています。まだまだ未熟ですが、そこを目指し続けています。そんな僕たち木の花ファミリーの暮らしは、これからの時代の希望となり、多くの人々を幸せにしていく。そう確信しています。
木の花ファミリーのみんな |
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