「天気の子」から見えるこれからの生き方


瀬織津姫(セオリツヒメ)や男神・天照(アマテラス)、国常立尊(クニトコタチ)など。封印されていると言われる神々がいますが、以下は国常立尊に関する話です。

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宇宙の創造神である七代の神々が世に現れ、そこから個性豊かな八百万(やおよろず)の神々が次々と生まれた神代の時代。自由気ままに振る舞おうとする八百万の神々に、地の大神様は世を乱さぬようにと心の掟を厳しく説かれました。地の大神様は名を国之常立大神(くにのとこたちのおおかみ)といい、その厳しさ故に八百万の神々から疎まれておりました。

「こう厳しくされてはかなわん。何とかならないものか。」
相談した八百万の神々は、天の大神様のもとへと向かいました。
「どうかあの神様にご退陣頂けるようお願いくださいませ。」
八百万の神々の懇願を受け、天の大神様は国之常立大神にこう伝えました。
「すまないが、一度この世の表から退いてくだされ。しかし、いつか必ず世が立ち行かなくなる時が来る。その時再び現れ、この世界を立て直してくだされ。」

それを受けた国之常立大神は、艮(東北)の方角へと退かれ、それより後「艮の金神(うしとらのこんじん)」と呼ばれるようになりました。そしてこの方角は「鬼門」として恐れられ、封印されたのです。


それから、長い時が経ちました。八百万の神々が好き勝手に振る舞った結果、世の中は荒れ放題。自分さえ良ければ良いという「我よし」、力あるものが弱いものをねじ伏せる「力よし」の世となり、まさしく、かつて天の大神様が「いつか必ず世が立ち行かなくなる時が来る」と言われた時代が訪れたのです。


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話は変わって。

日本全国で梅雨空が続く中、木の花ファミリーのみんなと映画「天気の子」を観ました。この映画は「君の名は」同様、瀬織津姫がテーマになっていると言われています。(天下泰平ブログ・瀬織津姫を描いた『天気の子』参照)。2012年12月21日、銀河の冬至を過ぎた今、真の女性性の蘇りが時代のテーマとなっています(「真の女性性が蘇る」参照)。その象徴が瀬織津姫。新海監督がそれを意識した可能性は大きく、映画の隠されたテーマと言えると思うのですが、そこには新海監督の思惑や感情が多く入り込んでいると感じました。

映画は男女の恋愛を描いている側面が大きいのですが、瀬織津姫の復活、真の女性性の蘇りは恋愛を超えるものです。真の女性性について、滝沢泰平さんは以下のように述べています。

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『夜明けの晩』に本当の自分と出逢うこととは、自分がこの地球で実現させたかった真の想い・自分自身の中に眠っている未知なる才能と出逢うことを意味しています。

今回の夏至の瞬間を誰よりも待ち望んだけれど、既に魂が肉体を離れ天に戻った私の親友である先住民族の長老はこのように語っていました。

 新たな時代への潮流の中で大切なことは、(それが一番良い方法だと信じて)全てを自分でやろうとするあり方(誤解)から自分自身を解き放つことだ。自分が望む結果よりも、遥かに偉大な結果へと天が導いてくれるということを信じて委ねられるか。それは、また宇宙時間への回帰の大切さを意味している。』

そのためのキーとなるのが、自らの中に「真の女性性を蘇らせる」ということだと思います。

真の女性性とは

『天の愛を受けとる在り方であり、天に導かれながら生きていくということ。』

かつて、「死」さえも天が統治して導いてくれているということを感謝と共に受け入れていた時代がありました。身体を持った「生」の時間と、身体から離れた「死」という時間を、行ったり来たりすることは、"悠久の宇宙時間"の中に在る魂にとっては何も怖いことではなかったのです。

           天下泰平ブログ・第1話「宇宙時間」より

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真の女性性の蘇り。それは地上の誰かとの関係にではなく、天との関係の中で実現されます。映画で描かれているロマンチックラブは人間的な望みであり、それは監督の思惑や感情の表れだと思うのです。瀬織津姫の復活を表現するならば、個人的な感情は超えるべきもので、それを超えたトキ、天の愛のもと、出会う出来事をすべていただく偉大な人生が始まるのです。

それでも「天気の子」には今の時代に対する大きなメッセージが込められています。降り続く雨により水没していく東京。それは確かに瀬織津姫からのメッセージと言えます。

祈るだけで一部の場所を晴れにすることができる陽菜(ひな)は人々の望みを受けて祈りますが、その代償により自らの身体を透明にしていくことになります。そして陽菜が人柱となって消えたトキ、東京に晴れがもたらされます。降り続く雨は天の気の乱れの証。そしてそれをもたらしたのは、人々の気の乱れです。「我よし、力よしの世」が天の気を乱しているのです。そんな人々の望みを叶え、そして人柱となって消えて東京に晴れをもたらしたのが陽菜の行為です。それは人々の罪を見えなくする行為、闇へと向かう時代の行為と言えます。主人公の帆高はそんな陽菜を救いに行き、天(そら)から連れ戻します。その結果、東京に雨が降り続くことになり、水没していくのです。それは人々の心に相応しい姿であり、その行為は人々の姿を光に晒す大切な行為と言えます。

ですが、それだけでは不十分です。そこから「なぜ雨が降り続くのか?」という問いかけとそれを超えるための取り組みが必要なのですが、映画ではそこには触れられていません。それは陽菜を救った動機が「青空よりも陽菜の方がいい」からなのです。それは帆高のエゴであり、東京に雨をもたらしている心そのものと言えます。この心だと世界は狂ったままであり、狂ったままの世界を肯定することにしかなりません。

狂った世界のために一人の人が犠牲になる。それは狂った世界を支えることにしかならない。だから救いに行く。そして共に世界と向き合い正していく。

そんな心が真の女性性の蘇り、瀬織津姫の表現だと思うのです。

新型コロナウイルスの蔓延や自然災害、紛争など。これから世界は厳しい時代を迎えようとしていますが、それは光の下に晒された人々の真の姿です。なので、光へと向かうプロセスと言えます。その時代の流れを信じて、天に心を向けて生きていくこと。それは今、国常立尊=艮の金神様の復活としても表現されていることです。最後に富士浅間木の花祭りの「艮の金神と翁との問答」を紹介して筆をおこうと思います。

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艮の金神と翁の問答
〜 富士浅間木の花祭りより 〜

翁 
伊勢天照皇大神 熊野権現 富士浅間 ところは当初の氏大神。木の花の佐久夜の御庭におわします、金色(こんじき)の尊き姿の御身は、どなた様にてござりましょう。

金神
この方は、艮の金神と申す。
時いよいよ来たれり。この度は、地球(くに)最後の天意転換(たてなおし)。一度に清める神幽顕の三千世界。汝らの宇宙(うつ)、光一つ上ぐる仕組み。今の世は「我よし、力よし」の獣の世、蛇の「あやま知」支配する、穢れ逆巻く魔釣り(まつり)の世。

艮の金神とはいかなるお方にてござりましょう。

金神
この方は、宇宙(うつ)を創りた元つ神。こ度の宇宙の天意転換(たてなおし)、始原(はじまり)の、時より決まりてありた事。この方隠れている間、「我よし」「あやま知」逆巻いて、神が息の出来ぬほど、穢れ汚れたこの世界、最後の最後の大仕上げ。この方再び現れたなら、光に穢れ混じること、適わぬ世となるべきなり。古き仕組みに変わりたる、新たな仕組み始まれり。
縁ある御魂引き寄せて、掃除洗濯 済みしものより、神の使える器となりて、こ度の尊き天意転換、汝らご用に使うてやる。

一度はお隠れなされた御身が、再び現れ出ると申されるか。

金神
いかにも。この世は逆さまじゃ。どうにもならぬ者どもを、今から改心させるため、世の中ひっくりかえすぞよ。これからは、神人、天地が一体の「弥勒の世」が始まるぞ。
故に皆々様、御魂磨いて下されよ。御魂磨かずおられては、使えるものにはならぬぞよ。
神多くの人民の、御魂目覚めて欲しいのぞ。汝ら皆々大切な、地球(くに)の日月の神々じゃ。
一なる花を二の花へ、二なる花を三なる花へ、大和の御魂を呼び覚まし、腹にまことを据えるのじゃ。
ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト
ヒからトへの尊き道を歩みきったるその先に 真のヒトの姿現れる。
この心、天教山より日の本の、隅々にまで広げるぞ。汝らその役、引き受けられい。

引き受けましょう。我らこれより「弥勒の世」、創らんがためありましょう。

金神
皆々様、いよいよ金神動くぞよ。さすればこの世、嬉し嬉し、愉し愉しの世となりて、真の世が花開く。皆々笑え、愛し合え。真次々現れくるぞ。
あっぱれ、あっぱれ、富士は晴れたり、日本晴れ。
真の神が現れる。神人共に現れる。弥勒の世の幕開けじゃ。

真の真釣り(まつり)始まるぞ。新たな時代へ、船出の時じゃ。幕開け祝い踊ろうぞ。


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