毎日の生活を美しく生きていく

毎日の生活を美しく生きていく

時代が令和を迎えた今年の5月、ジイジはこんなふうに語っています。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 これからの時代がどれほど困難であるのかは、行ってみなければわかりません。平成は、その困難な時代の予告編だったのかもしれません。令和になり、いよいよ本番です。ではなぜその本番を与えられたのかというと、その先があるからです。 過去6億年の間に6回大量絶滅を繰り返してきた地球の生命の歴史に照らし合わせてみれば、現代を生きる人類は、次の生命大量絶滅の引き金となるかもしれません。人々は、何かが壊れる前はそれを守ろうとします。そして壊れれば、それを惜しみます。しかし、壊れるからこそ新しいものをそこに表現できるのです。それは、大量絶滅をするたびに進化してきた生命の歴史と同じです。 ですからやはり、壊れなければなりません。そこで、積極的に壊れていくことを喜べる生き方とは、どのようなものでしょうか。それは、使えるものを壊していくということではなく、価値観を変えていくということです。出会ったことをポジティブに捉え、変化することを喜ぶ。その時の変化は、進化になります。 変化は積極的に喜びを持って受け入れるものですが、現状の自分を守ろうとすると、出会ったものを拒絶したくなります。さらに、その自分に執着すると、変化は苦痛になります。それは、地上にいて地獄を生きることとなるです。しかし、それが喜びとなった時、尊いものへと向かう目覚めが始まるのです。 火山が噴火する、地震が起きる、台風もたくさん来る。そういう日本にいて、それが喜びになる。大変なことがあるから、大調和になるのです。それが大和という国であり、その証として、令和という時代がいよいよ始まったのです。 令和は、平成よりも物理的にはさらに厳しい時代となるでしょう。それを、大調和を持って乗り越えなさいということです。その厳しさは、ただ乗り越えるためではなく、大調和することを呼び覚ますためにあるのです。これから、今までに人類が積み上げてきたものがどんどん壊れていく時代が始まります。それを乗り越えるために必要なことは、力を合わせること。そして、壊れた先には、これまでに出会ったことのない新しい世界が待っているのです。そのことを、令和という時代は、私たちに示してくれているのです。 「大正直」から「大調和」へ ~新時代「令和」を読み解く2~より ☆彡 ☆彡...

軌道修正 ~糊(のり)を使って目覚めていく~

軌道修正 ~糊(のり)を使って目覚めていく~

ただそこにはええかっこしいのみがあった。 人々は理想を語る。そして平和を目指し人のためになろうとする。 だけれども、その動機はええかっこしいだけだったから、 行動に魂が入ることは滅多にありませんでした。 そして思うように進まないことで、落ち込んだり怒ったり不貞腐れたり。 そんな心が、対立や争い、混乱を生み出していきました。 そうやって人々は嘘つきになっていくのです。 けれども、人々には嘘をついている自覚がありません。 ええかっこしたいという気持ちは本当だから、 自分は人のためになろうとしていると信じ込んでいるのです。 思うように物事が進まないのは、周りが悪いから。 自分は全く悪くない。自分はよい人間。 そう信じ込んでいるから、全く嘘をついている自覚がないのです。...

希望は思考の奥から湧いてくる

希望は思考の奥から湧いてくる

どんなに希望を見出そうとしても思考からは希望は生まれない。希望は思考の奥から湧いてくる。それは自分を生かしているこの世界の法則であり大いなる意思の力。そこから希望は湧いてくる。その力なしでは思考は空虚な空想となっていく。だから、思考は、大いなる意思に沿って展開するといい。そうするときっと、思考は希望の顕れとなり、人生は、人智を超えて無限の可能性に開かれていく。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 上記の言葉が僕に湧いてきたのは、ある日の大人ミーティングでジイジの話を聴いてから。その話はこんな感じの話でした。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 第二次世界大戦。当時の日本人は、全然違う情報を貰って、多少足並みの乱れはあったものの、国中が一丸となって、正しいと信じて、国策として戦争に突入し、その結果、日本中が焼け野原となりました。そしていよいよアメリカ軍が上陸してくるという時、人々はみんな竹やりを作って戦う準備をしていましたが、終戦を迎えて日本は負けました。その後、だんだん分かってきたのは、自分たちが聞いていた情報はまったく嘘だったということです。勝利どころか惨敗で、初めから勝てるわけがなかったのです。それで負けたのだと意気消沈していたところに米兵が上陸してきますが、そうすると日本人は、「男は全部、強制的に去勢される、日本人の種を無くすために。女は、米兵を見たら振り返ってはいけない。振り返ったらOKですよと言っているようなもの。笑うなんて絶対に駄目。もしも米兵が来て自分に近づいてきたら、自分は生理だと言いなさい。」ということがまことしやかに広がったといいます。 実際に米兵が来たらそんなことはなかったのですが、ではその発想はどこから湧いたのかと言ったら、日本人がそういう発想をしていたということです。何も情報がないのにそういう発想が出るということは、自分たちが、米兵が憎くて、「あいつらが来たらこうしてやろう、ああしてやろう」と思っていたからです。自分たちの心がそのような発想を生み出したのです。だから自分が発したことは自分の中にあることです。それを「ああだったから、こうだったから」と理由を話しだしたら、自分と向き合うことにはなりません。 そして、満州からは日本人の引き上げがありましたが、関東軍はソ連兵が満州に侵攻すると、何も言わずに逃げてしまって、残された満蒙開拓団の民間人は、なんか変だと思っていたら、ソ連兵による攻撃を受けて逃げ惑い、中国人は自分たちの田畑を奪いに来るのです。もともと日本人が中国人の田畑を取り上げて開拓に入っていたのだから、奪いに来るのは当然です。それでも中国人は意外に穏やかだったといいますが、ソ連兵は残虐でした。ソ連の精鋭部隊はヨーロッパ戦線に使われていました。そのためシベリアなど東方に向ける軍人が不足し、囚人を使うようになりました。囚人だから秩序が全くありません。もともと犯罪者なのだから、略奪や破壊、殺人、強姦を繰り広げます。満州の日本人はその中を逃げてきました。 人の生き方、死に方にはいろいろありますが、そういうふうに民族全体が狂っていた頃がありました。でもそれは団結することで正義になってきたのです。だから本当に真面目に振り返らなければなりません。戦争で、人類は正義を旗印にどれだけ残虐なことをしてきたか、そういうことを本当の学びとしていくにはどう分析しどう解釈したらいいのか、そういうことをしっかりとやっていかないと、命を懸けて狂った過去の犠牲を蔑ろにすることになります。 中国が建国70周年の式典で、その豊かさと繁栄を祝いましたが、それを誇るのが兵器、軍事力となっています。軍事力をもって何を誇り、祝うというのでしょうか。ですが、それが今の人間の実態です。日本では憲法9条改正の議論がされています。攻撃は最大の防御と言いますが、その奇妙な恐怖から人間が人間を信頼できなくなり、兵器を持って平和が保たれています。これは本当におかしな状態と言えます。 それで最近気づいたことがあるのです。あることに思考を巡らしている時に、思考と思考の隙間に出会います。あることに思考を巡らして一段落した時、次の思考に行く前に思考の隙間があるのです。その時にぱっと湧いてくるものがあります。それは思考ではありません。思考ではないもの。「だからもう一回、一からやり直そう」という想いです。生きていればいろいろなことに出会います。ドジをすることもあります。だからそれを良く振り返ってしっかり腹に落として次に生かすのだと。そういう想いが湧いてくるようになっています。それが生きているという証です。...

トキ・トコロを得る

トキ・トコロを得る

富士山(2019年9月23日秋分・ちなっぴ撮影) 2019年9月23日秋分の日、このブログを立ち上げて丸5年となりました。「5」はカタカムナでは「い」・位置。電気、磁気、力がトキ・トコロを得て現象界に粒子となって顕れる思念です。 トキ・トコロを得る。 それをヒトの姿勢で言うと、この時代、この場所(トキ・トコロ)に自分が生かされている使命に気づくことだと思っています。それを忘れた人間は、自らの自我に翻弄され混沌としていきます。ということで、このブログの位置・トキ・トコロを得て生み出された意味を再確認しようと思いました。まずは昨年の秋分の日に書いた言葉です。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 変化変容が本質であるこの世界では、未来は常に未知なるものです。そして、それは自分自身にも言えることです。現象を追い求める「欲」の心は、そのような未来や自分を思い通りにしようとします。その結果、未来や自分の現実が見えなくなり、混沌が深まっていくのです。「欲」の心は、混沌のままに動きまわることで、混沌を深めていきます。 気候変動や自然災害、紛争や戦争、貧困や餓死。今の世界には様々な問題がありますが、ただそれを解決しようとしても、それは現象を追い求める「欲」の心であり、混沌を深めるだけとなります。それらの問題を生み出している元の心、人間一人ひとりの姿勢を明らかにし、それを正していくトキ、今ある問題は自ずと消えていくのです。 赤米が実っています。 今日は秋分の日、秋の真ん中です。収穫の秋は、種まきの結果をいただくトキであり、明らかになることで諦めるトキです。自我という「余地」が与えられたことで人間には自ずから「欲」の心が生まれます。それは絶えず続く心の動きです。だから人は、絶えずその心の動きを諦めることで明らかにし、自分と世界の現実と向き合い正していく必要があるのです。その動きが世界に彩りを生み出すと共に調和というバランスをもたらします。 国連総会が開幕しています。国連総会が毎年秋に行われるのは、「欲」の心を明らかにし諦めることの大切さを表しているようにも思えます。 そして、このブログを立ち上げたのも秋分の日、今日で丸4年となりました。秋分の日に立ち上げたのはたまたまですが、今思うと、このブログを通して表現し、自ら実践することも、「欲」の心を明らかにし諦めることにあります。...

移ろいゆくものに心奪われることなく

移ろいゆくものに心奪われることなく

2019年3月7日、魚座新月の日は朝から雨で、この季節には珍しく雷も鳴りました。そしてその夕方、雨はあがり、空には美しい虹が掛かりました。その虹はまるですべてを洗い流した空を祝福しているかのようでした。(「人類共通の学びを紹介していく」より) 9月14日13時33分、魚座満月です。3月7日、魚座新月の日に浄化され、そこから芽生えた「想い」が何らかの結果を示すと共に洗い流され、これからはどんどん手放していく流れとなります。そんなトキの流れに意識を向けながら、いくつか文章を紹介したいと思っています。 魚座満月(2019年9月14日0時30分頃撮影)です。 まずはこんな文章からです。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 目の前の出来事に右往左往せずにプロセスとして見ていく。こんなふうに思っていても、大きな衝撃に出会うと目の前の出来事に右往左往するようになる。大切なことを忘れてしまう。だから大切な姿勢を思い出そう。こんなふうに思考が展開したトキ、それは違うなと思いました。 出会う出来事はすべて自分に相応しく与えられています。大きな衝撃も今までの生の結果として出会うことで、目の前の出来事に右往左往するのは、自分の中の本質が育っていなかった証です。 プロセスとして見ていく。そんなことを語っていても、本質を育むことを怠り、物事に表面的に対応していると、そのうちそういう自分を教えてくれる現象と出会い苦しむことになるのです。その苦しみは天からの恵みとも言えるのですが、苦しみを超えてただ出会う出来事を楽しんでいく。そのようになるためには、それだけ自分の本質を磨く必要があります。 移ろいゆくものに心奪られることなく これはお釈迦様が語った言葉と言われていますが、こういう聖人聖者が語った言葉を正解とすることは、結局、表面的な対応をしているに過ぎません。正解だと思うことに自分を合わせようとしているだけなので。偉大な言葉は道しるべに過ぎません。この世界に前もって分かる正解はなく、すべては今までの生の結果であり、人の本質はあくまで出会う出来事を通して磨かれていきます。磨いた結果、自ずから悟り(差取り)に至るのが本当です。 ☆彡...

生かされている。ただその事実だけを誇りとして生きている。

生かされている。ただその事実だけを誇りとして生きている。

このまま消えてしまいたいと思ったトキ、それでも生かされている自分に気づく。 自分を生かしているものは、大いなる存在であり、この世界のすべて。 それは尊く美しい命のはたらき。 ならば、生かされているという事実を誇りとすることが出来る。 消えてしまいたいと思うのは、自分が汚れているから。 自分の混沌が自分を汚し自分一人分世界を汚してきた。 そして自分の汚れが自分から誇りを奪ってきた。 自分と世界を汚してきたものは、自分の自我(エゴ)。 そんなものは本当に消してしまえばいい。 大いなるものに生かされている。 ただその事実だけを誇りとすればいい。 そしてその誇りに見合うものであるようにベストを尽くす。 生かされている。 ただその事実だけを誇りとして生きている。...

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