天然循環経済学への系譜/二宮尊徳と大原幽学

ゲゼル研究会を主催している森野栄一さんにこのBLOGを読んでいただいたことがあります。
農事組合法人木の花ファミリーと6次産業化」など農事組合法人について記載した文章に興味を持っていただき、江戸時代後期に大原幽学が設立した先祖株組合の存在を教えていただきました。

この先祖株組合は天保9年(1838年)に設立されたもので、世界で初めての農業協同組合です。
大原幽学は、先祖株組合の設立以外にも、農業技術の指導や耕地整理、質素倹約の奨励などを通して農民を指導し、長部村(※現在の千葉県旭市)の農村復興に貢献したといいます。

同時代には、二宮尊徳もいます。二宮尊徳は報徳思想を広め、農村復興に貢献していきます。報徳思想は、経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく、社会の貢献に努めることがいずれ自らの幸せに繋がるという思想です。この思想は、神道、仏教、儒教の教えと農業の実践から生み出されました。二宮尊徳の功績は大きく、大飢饉で疲弊した600以上の農村を復興させています。また世界で初めての信用組合である五常講を作りました。

この2人が活躍したのは、幕府の財政が逼迫していた江戸時代後期。人口も減少していたといいます。現代と共通する特徴があります。この時代に活躍していた2人からは学ぶ点が多いのではないかと思っています。

まずは協同組合や信用組合の設立精神から学ぶことがあるかと思います。
収益を上げながら社会問題を解決していく社会的企業
協同組合や信用組合はそれを支える組織形態として特にヨーロッパで取り組みが進んでいます。
日本でも2013年2月に放送されたNHKのクローズアップ現代『働くみんなが経営者~雇用難の社会を変えられるか~』で、協同労働が紹介されていましたが、それは協同組合に繋がります。
大原幽学や二宮尊徳の取り組みは、この社会的企業の始まりと考えらえます。
その設立の精神はこれからの社会に生かされていくことでしょう。

木の花ファミリーも、農事組合法人として、この協同労働の仕組みを採用し、一人一人が独立した経営者として働いています。これは人々が助け合って働く組織形態としてこれからの社会でより必要になってくると思っています。そして、それをさらに進めたものが生活も協同で創り上げる木の花ファミリーの暮らしです。それは生活することがそのまま社会のためになるシンプルで自然な暮らしです。

次に2人の思想からも学ぶ点は多いかと思います。
大原幽学も二宮尊徳も農業の実践からの学びを生き方に繋げていきます。
土を基盤とする農を大切にすること。それは自然への感謝。環境への配慮にも繋がります。
経済も人や自然への配慮、道徳と融合していきます。

道徳を忘れた経済は、罪悪である。

経済を忘れた道徳は、寝言である。

上記の二宮尊徳の言葉は今の社会に対しても大切なメッセージとなっています。

生姜畑で休憩中
木の花ファミリーも、農法である天然循環法を生活、そして生き方へと繋げています。そして経済もその生活を基盤としています。

いのちがいのちを支え循環していく。

そんな農法であり生活であり経済が天然循環法であり、天然循環経済学です。
この循環には「ない世界」から「見えない世界・ある世界」への循環も含まれます。
一つ一つバラバラに見える現象世界の物事も潜象界(ない世界)へ行くとすべて一つです。
いのちの源に還り、そこから存在や事象を読み解き、味わい、過去から未来へと繋げていく。それは宇宙の始まりから続く循環の流れに想いを馳せることであり、今この瞬間にそれを表現していくことです。

二宮尊徳や大原幽学の精神もこの流れの中で生かすことで、未来に繋がっていく。
そんなことを今、思っています。


※ちなみにゲゼル研究会のゲゼルとは、シルビオ・ゲゼルという20世紀初めに活躍した経済学者です。ゲゼルについては、機会をあらためてこのBLOGで取り上げようと思っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

天然循環法に興味を持たれた方は、11月30日千葉県千葉市で開催される出張木の花塾『すべては響き~宇宙視点の農』にご参加下さい。きっと刺激的で充実した時間になるかと思います。



前回の出張木の花塾の参加者です。

衆議院解散と木の花ファミリーの暮らし

ある日の大人ミーティングの様子です。
木の花ファミリーでは毎晩、大人メンバー全員が集う「大人ミーティング」を行っています。大人ミーティングでは、日々の連絡事項から一人一人の心のこと、この宇宙の神秘に及ぶまで様々なことをみんなで話し合い学びあいます。みんなで共に暮らすためには、心を合わせることが重要で、この大人ミーティングはそのための核としてずっと機能しています。昨晩、ひとみちゃんから、その大人ミーティングで衆議院解散について話そうという提案があり、みんなで話し合いました。そして話し合いのきっかけとして、まず僕から以下のような説明をしました。


☆彡 以下、説明のための用意しておいたメモからの転記です ☆彡

今後の日程
  • 衆議院解散 1121
  • 衆議院選挙 122日告知 1214日投開票


衆議院解散とは?
  • 司法(裁判所)、立法(国会)、行政(内閣)の三権分立を踏まえて、内閣が国会に対して持つ権利。※国会は内閣に対して不信任決議案の権利を持つ。


なぜ解散するか? (安倍首相の言葉)
  • 7月~9月期GDP速報値が実質年1.6%減という数字。2四期連続のマイナス。
  • それを受けて消費税率の引き上げ時期を、201510月から20174月に先伸ばしをする。
  • それは大きな決断なので、国民の信を問う必要がある。加えて、アベノミクスについての判断も国民に仰ぎたい。


この理由がおかしい理由
  • 消費税の増税についてはもともと景気を見て判断すると明記されている。増税の見送りは、それほど大きな政策の変更とは言えない。


問題点
  • 本来、1130日まで続く予定だった臨時国会が21日で終了してしまう。→審議できない法案(女性活躍推進法案など)が生じる。
  • 選挙費用が700億円掛かる。


想定される本当の目的
  • 衆議院の任期はあと2年だが、今、再選されたら、今後の任期は4年になる。国民の信を得る形で長期政権となることが出来る。
  • お金に関する不祥事があったが、それほど傷口は大きくない。だが現状は、景気の低迷などのマイナス要因がある。それが広がる前に、国民の70%が反対している消費税の増税を延期した上で解散をする。そうすることで自民党に有利になる。
    ※野党は選挙の準備ができていないと言われている。

☆彡 メモはここまで ☆彡


僕からの説明を受けて、田んぼ隊のまこっちゃんがさらに詳しい話をしてくれました。まこっちゃんは3年間の引きこもり経験があり、その間に政治について沢山調べていました。その知識を余すところなく披露し、その知識の広さにみんなを感動していました。

話しの中で、以下のことを確認し合いました。
  • 日本のトップの立場にある人が自分の都合で動いている。
  • そして、そういう人を選び、生み出しているのは国民一人一人であるということ。
  • 国民一人一人の意識レベルが今の政治を創り出し、それは機能していない。
  • それだからこそ、木の花ファミリーで一人一人が自分の視点を超えて、みんなで共に生きていくことに意味があり、その実践が世界へ向けたメッセージになる。

そんな流れの中で、みかちゃんがホワイトボードを使って話し始めました。
そして話は、「クニツクリ」「マツリゴト」へと発展していきます。

みかちゃんが描いたホワイトボードです。


政治とは「国づくり」で、「クニ」をカタカムナの単音思念で見ていくと、
「ク」は自由、潜象界の意志を表し、「二」は定着することを表します。
そうすると「クニ」とは、「潜象界の自由な意志が定着したところ」となります。
潜象界とは「ない世界」であり、この世の現象を生み出す元で、神さまの世界です。
神さまの中でも、宇宙の創造を司り、宇宙そのものと言えるのがアメノミナカヌシさまです。そのアメノミナカヌシさまの意志を通し、現象世界に顕すことで1本の芯が通るのです。ですが、今の政治には、そのような観点はなく、バラバラの状態になっています。
アメノミナカヌシさまの存在を感じ通すこと。それがとても重要なのです。
そして、政治とは「マツリゴト」です。世界観を顕す「お祭り(お祀り)」でも書いた通り、「マツリ」は豊穣への祈り、感謝を起源とし、宗教的でもあり、政治的でもあり、経済的でもあり、社会的でもある総合的な取り組みです。「マツリ」の「マ」には、この世界の真実「真(マ)」を入れて芯を通す必要がありますが、現在は個人個人の欲望である「魔(マ)」が入ってしまっています。そのためお祭りにも政治(マツリゴト)にも人々を束ねる力がないのです。

木の花ファミリーの暮らしは、現象世界にアメノミナカヌシさまの意志を通し、「マツリ」の「マ」を「真」にするための実践です。木の花ファミリーも一つのクニと言えます。世界の縮図が日本という説がありますが、僕たちはその説を踏まえ、木の花ファミリーをさらにその日本の縮図と捉え、日々を営んでいます。

僕たちの心が一つに揃わないこと。それがバラバラな世界を顕しています。
心を揃え、調和の心の元にみんなで暮らすこと。
それが出来る時、その心は波動となって世界に広がっていきます。

このようになった時、宗教(信仰心)や政治、経済、これらすべては社会に組み込まれ、みんなが繋がり一つの暮らしを生み出します。その暮らしは安心安全な暮らしで一人一人の個性が輝く暮らしです。

そんな社会へ向けて、日々の出来事から自分を振り返り、みんなで共有していく。
木の花ファミリーの暮らしはそんなふうに営まれています。

ちなみにみかちゃんも「宇宙の秘密みかこのブログ」の中でこの日の大人ミーティングについて触れています。良かったら読んでみて下さいね。

木の花茶会と7月~9月期GDP速報値

11月15日、木の花ファミリーでは、自家製紅茶とパン・スイーツを楽しむ「木の花茶会」が開催されました。

会場中央のテーブルの飾りつけです。
当日は合計38名のお客さんが来店し、ゆったりとした時間を過ごしていかれました。当日、僕は物販を担当しましたが、今回は、恵みいただきますとは違い、会場内に販売スペースを設けていたため、お客さんの様子や会場の雰囲気を感じることが出来ました。
お客さんの数を限定し、会場設営にゆとりをもたせ、その中でBGMが流れ、時々、和子ちゃんがピアノの生演奏をしました。洗濯物を畳んだり、食事をしたり、パソコンをしたり、ミーティングをしたり・・・といつも雑多な使われ方をしているひまわりホールが上品な空間に生まれ変わりました。


会場中央のテーブル飾りつけ
その空間の中で、料理はコースで提供されました。内容は、以下のとおりです。

1、紅茶のミード
2、スイートコーンのポタージュ
3、こんにゃくの燻製とくるみのグリーンサラダ
4、自家製小麦とオーガニック野菜のサンドイッチ
5、コノハナコスコーン 
  ※木の花ファミリーの小麦粉を使ったスコーン
6、洋ナシのソルベ
7、季節のデザートプレート
  ※シフォンケーキやフロランタンなど


アンケート結果からもお客さまに満足していただけたことが伺えて、木の花茶会は成功したと言えるでしょう。良い時間と空間を創ることが出来て良かったです。

木の花茶会で提供されたお料理です。

さて、この木の花茶会ですが、食事代として56,556円の売上がありました。
そして、物販合計は43,598円、すべて合わせて100,154円の売上です。

子どもたちもホールでお客さんを出迎えました。
それに対し支出は、ハニーディスペンサーの購入などで、38,287円でした。ここには、人件費や木の花で生産された材料費は含まれていません。

ここで静岡県の最低賃金に合わせた当日の人件費をざっくり計算してみます。
8時から準備を開始し、会場の片づけは18時過ぎまで行われていました。
これは、労働基準法では休憩が義務づけられる労働時間なので、みんなが1時間休憩したとします。すると労働時間は9時間となります。
メインのスタッフだけでなく、いろいろな人が大なり小なりこのお茶会の準備には関わっていますが、計算の単純にするために15名のスタッフがフルで働いたとします。静岡県の最低賃金は、765円です。
これで計算すると、15名×9時間=135時間。 765円×135時間=103,275円。
103,275円が人権費となります。当日の人件費だけで赤字となる計算です。

当日販売したはちみつです。
ですが、「不可能を可能にする暮らし」で恵みいただきますについて書いた通り、
僕たちは法人との間に雇用契約を結んでいないので、最低賃金を守る義務はないのです。
そして、原材料費のコストも自分たちで生産しているため、それほど大きな数字にはなりません。
なので、このイベントの収支も赤字にはならないです。

準備の段階から試作を重ね、沢山のエネルギーを掛けて創り上げた木の花茶会。
関わっている人の数もお客様の数も決して少ない数字ではありません。
ですが、お金の動きはそれほど大きな数字にはなっていません。
お金では測れない豊かさがあり、それがこの暮らしの魅力となっています。

みんなで集合写真

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ところで、11月17日に、7月~9月期四半期別GDP速報が出ました。
実質年率1.6%減と予想よりはるかに低い数字になっています。
それによりアベノミクスの失敗と阿倍政権を批判する声が高まっています。
経済成長を目標に掲げていたわけなので、確かに今回の出来事は失敗と言えるのかもしれません。ですが、そもそも経済成長を目標に掲げること自体が間違えていると言えるのではないでしょうか?経済成長を目標に掲げる限り、どんな人が政権を担当しても、それは失敗し、批判されることになるのではないかと思うのです。それは「持続可能な福祉社会」で書いた社会状況から伺えることです。

経済成長とはGDP(国内総生産)の成長であり、それは経済の規模を表す数字です。
内容は問いません。病院に通う金額も、壊れたものを修理する金額も含まれます。
そうすると、大きければ良いというわけではありません。
今回の実質成長率減には、企業が抱える在庫の減少(在庫調整)が影響しているという記事もありました。在庫の調整が進むことは好ましいことなのではないでしょうか?
そもそも、環境資源の有限性を考えるとGDPは小さい方が望ましいのではないのでしょうか?

経済の規模を小さくし、多くの人々を幸せにする。

それがこれから求められる暮らしだと思うのです。
木の花茶会はそんな暮らしから生まれたイベントです。

「人間は小さいものである。だからこそ、小さいものはすばらしいのである」

これは『スモール イズ ビューティフル』の中でのE・F・シューマッハーの言葉。

その言葉を実践し、こんなイベントが出来るこの暮らし。
豊かだと思いませんか?










世界観を顕す「お祭り(お祀り)」

10年から15年ぐらい前、僕は河合隼雄さん、中村雄二郎さん、山口昌男さん、中沢新一さんなどの本をよく読んでいました。それぞれの専門分野から、人や社会、文化について探究している著作はとても面白く、刺激的でした。その頃得た知識の多くは忘れてしまっているのですが、その問題意識は心に残っていますし、断片的に残っている知識もあります。

そういう知識の中に 「祭り(祀り)」についてのものがあります。

「祭り(祀り)」は豊穣への感謝、祈りから生まれたと考えられます。
それは、宗教的であると同時に、政治的でもあり、経済的でもあります。
その社会の世界観が現れ、実現される場であり、非日常の空間を創り上げます。

そんな「祭り(祀り)」は、昔から社会のエネルギーの流れを健全に保ってきました。

王様がいた頃の西洋社会は、身分が固定されていて、上下関係がはっきりしていました。
ですが、「祭り(祀り)」の際は、その上下関係がひっくり返ります。
無礼講となり王様はバカにされる対象となります。
この「祭り(祀り)」は社会にとってとても重要な機能を果たしていて、
硬直してしまう日常生活の枠を解体し、人々は心を解き放ちます。
それにより、新たなエネルギーを得て、日常に戻っていくのです。
「祭り(祀り)」のこの機能が、制度化された日常生活を支えていました。

古代社会においては、権力者は自ら集めた富を、
「祭り(祀り)」の時、人々に振る舞っていました。
富の再分配し、富というエネルギーの流れを健全に保っていたのです。

この背後には、日常の権力構造とは別の秩序(神の前での平等など)があり、
「祭り(祀り)」により、その世界観が現わされ、社会は保たれてきました。

先週末、僕は2つの祭りに参加して来ました。
愛知県東栄町小林の花祭り白光真宏会の五井先生感謝祭です。

花祭りは国の重要無形民俗文化財に指定されていて、伝統的なお祭りです。


花の舞を舞う子どもたち


その始まりは、鎌倉時代末期から室町時代に掛けて、奥三河へやってきた熊野の修験者たちが「人間は修業によって生まれ変わった新しい人格へと自らを再生することができる」という修験道の教義を、歌や舞を通して村人たちにわかりやすく演じてみせたことと言われています。

花祭りの舞庭(まいど)は、中央のかまどと周囲の柱、陰陽五行説に基づく五色の神道や湯葢(ゆぶた)からなります。祭りの主役である鬼(榊鬼や山見鬼など)たちは、ここで地面を踏みしめます。これは「反閇(へんべ)」と呼ばれる陰陽道の歩行呪符であり、真冬に大地に沈み込んだ精霊たちの復活を意味します。
榊鬼

それは人々の「生まれ清まり」への願いに繋がります。花祭りでは、参加者みんなが歌ぐらを歌い、掛け声をかけ、舞手を囲んで共に舞い踊ります。舞手たちには神仏が降臨し降臨し神座となり、人々は舞手と共に舞うことで神仏から穢れを清め祓われ、新たな生命力を授かるのです。

現代の花祭りは、五穀豊穣、無病息災などの立願の祭りとなっていますが、
その背後には上記のような世界観があり、脈々と受け継がれているのです。

木の花ファミリーの創立メンバーは、創立前から東栄町の方と繋がりがあったのですが、
2011年、花祭りについて東栄町の方から直接ご指導いただく機会をいただきました。

四つ舞

その指導の元、舞手や囃子方(笛と太鼓)となったメンバーは練習を重ね、
他のメンバーみんなでそれをサポートしました。

そして2013年2月、みんなの努力が実り富士浅間木の花祭りを木の花ファミリーで開催することが出来たのです。今年の2月にも開催し、今後毎年、立春前に開催し続けることになっています。

花祭りは僕たちにとって、自分たちの世界観を顕す場としてとても大切なものとなっています。その歴史の流れを感じるために、東栄町小林の花祭りに7名のメンバーと共に参加して来ました。それはとても良い機会になりました。
自分自身が人類の歴史の繋がりの中に位置すること。それをみんなで表現することで、濃密で深い世界を生み出せる。そんなことをあらためて感じました。来年の2月に木の花ファミリーのみんなとそれを表現するのが楽しみです。

花祭りのクライマックス湯ばやしの様子です。




獅子舞です。


白光真宏会の五井先生感謝祭は、祈りによる世界平和を提唱した白光真宏会の開祖、五井昌久さんに感謝を捧げる日です。木の花ファミリーは毎年、このお祭りに出店させていただいています。
五平餅
はちみつクッキーあられ小麦粉野菜などの農産物や五平餅やぜんざいなどの食事を提供します。今年は米粉商品に力を入れていて、あんかけ米粉うどんを初めて提供しましたが、お客さんに好評でした。販売金額は合計で約85万円。雨のため例年よりは低い数字となりましたが、たくさんのお客さんにうちの商品を提供する機会となりました。



販売している様子です。

この白光のお祭りには木の花ファミリーの子どもたちも遊びに来ています。そして、ちょうど滞在中だったブラジル人映像作家のマルコスとジョアンナも同行しました。マルコスとジョアンナは、『自然の子ども』というプロジェクトで世界中の子どもたちを撮影しているのですが、日本の子どもとして木の花の子どもたちを撮影対象に選んだのでした。


祭典に参加する木の花ファミリーの子どもたち


白光のお祭りに来ることで、彼らは多くの子どもたちが世界平和について祈っているシーンを撮影することも出来ました。白光のお祭りとマルコスたちの滞在。とても大切な出来事が重なるとシンクロニシティを感じます。マルコスも「自分でどうにかしようと思わなくても、常に宇宙が導いてくれる」と話しています。
マルコスとジョアンナは、「カタカムナと子どもたち」というテーマで約1週間共に暮らし、木の花の子どもたちを撮影しました。その彼らの作品がどんなものになるかとても楽しみです。




世界平和を祈る祭典に参加している多くの子どもたち



人々を元気づけ、お金の流れも生み出し、社会を活性化させるお祭り(お祀り)。お祭り(お祀り)にはいろいろな要素がありますが、一番大切になるのはやはり世界観なのだと思います。豊穣への感謝や祈りを出発点とするお祭り(お祀り)の世界観は、畏敬の念や謙虚な気持ち、感謝の気持ちから成り立っています。それは表面的ではない深い世界を顕し、人々を一つにまとめる力を持ちます。お祭り(お祀り)の持つ世界観を知り、感じることを大切にし、未来に継承していきたいですね。




シンクロニシティとカタカムナ

10年ぐらい前、僕は、F・D・ピートの『シンクロニシティ』という本を読みました。
シンクロニシティは共時性と訳されますが、
虫の知らせや偶然の一致などの現象を現わす言葉です。
シンクロニシティが生じる時、直感的な意識と行動が調和し、
物事の流れがスムーズになります。
分析心理学者のユングは、この現象の背後に法則性を感じ、
普遍的無意識元型などの概念を生み出していきます。

F・D・ピートは、この本で、シンクロニシティを題材に精神と物質の本質に迫ります。
※記憶が曖昧な部分がありますが・・・

精神の本質は「動き」、流動性にある。
そして、物質の本質は「固まり」、固定性にある。
この本ではまずこんなふうに精神と物質の本質を定義します。

ですが、ことはそんなに単純ではありません。
流動性を本質としている精神ですが、
トラウマや心のしこりなど固定した要素を合わせもっています。
そして、固定しているように見える物体の中では、素粒子が常に動き続けています。
つまり物質は、流動的な特徴を持ち合わせているのです。

こんなふうに観ていくと、精神と物質の境界が曖昧になり、
この2つは分かることが出来なくなります。
精神と物質とが重なる領域、その領域からすべては生まれていて、
この領域と意識が調和する時、シンクロニシティは生じるというのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

ところで、11月10日、11日と、木の花ファミリーでは、カタカムナ勉強会が開催されました。

カタカムナ勉強会(講師の芳賀さん)
「カタカムナから観た経済システム」でも触れましたが、カタカムナ文字は八鏡文字(はっきょうもじ)と呼ばれ、イロハ48音を表しています。
一つ一つの文字には魂が込められていて、
それは「言霊(ことだま)・音霊(おとだま)・数霊(かずたま)」となり、宇宙を創り上げています。

カタカムナの図象は、「ない世界」から「見えない世界」、
「ある世界」へと物質が生まれてくる過程が現わされています。

この世界には、トキ軸とトコロ軸があります。
ある存在が生まれる時、まずはトキ軸を、自転と公転により旋回します。
この時点ではまだ物体にはなりません。
この動きに螺旋と循環が加わることにより、トコロ軸が伸びていき、
質量を帯び、質的転換をし、物体となっていきます。

その姿は太陽系の運行を描いたVORTEXの映像が見事に表現してくれています。
星の運行は物質生成の姿を見事に表してくれていて、それは僕らの身体にも共通します。

膨張と収縮、精神と物質、相反する二面性を帯びた運動により渦が生まれます。
相反する運動を続ける二つの渦が生まれ、支えないながら共に育っていきます。
一つの渦に固執し、動きをなくすと両方の渦の力が弱まります。
物質偏重で来た現代社会は、そのために渦の力を弱めていると言えます。
渦と渦とを「うずうずしながら」ダイナミックに動いていくことにより、安定し発展します。

この講義を聴いている時、僕は上記の本の存在を思い出しました。
相反する存在の境界を曖昧にし、自由に移動すること。
カタカムナが示す生き方が、そのままシンクロニシティを生み出す土台となるのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

経済を英語で言うと、エコノミーです。
その語源はオイコス(家・人々の結びつき)のノモス(規則)です。
その土台にはエコロジー(オイコスのロゴス=人々の結びつきの真理)があります。
人々の結びつき(=社会)の運営を司るのが経済です。

そうすると、大切なのはエネルギーが循環し、すべての人々へ行き渡ることです。
天然循環経済学はその実践方法を示すと共に、その実践を記述していきます。
直観を磨いていくことで、相反する存在の境界を越えていくこと。
それは、すべての存在の元となる「ない世界」=潜象界へ意識を向けていくことです。
そうすることにより、この世界のすべての出来事、存在が繋がっていき、シンクロしていきます。
この時、すべての存在は潜象界からの無限のエネルギーに満たされているのでしょう。

そんな未来を思い描いて。
心を磨き直観を磨いていきます。


カタカムナ勉強会の様子です。





天然循環経済学の誕生!!!

自然農法 → 天然農法 → 天然循環農法 → 天然循環法

この1年で僕たちは農法の呼び名をこれだけ変えてきました。
それは自分たちの実践の変化を踏まえて、より適した名前を求めてのことでした。

10月中旬、畑隊の晃ちゃんから天然循環農法(当時の呼び名)のプレゼンテーションがありました。


晃ちゃん@人参畑
実際の畑の写真を観ながら、現在、木の花ファミリーが行っている農法の説明をしてくれました。

団粒構造の土の様子やキャベツや人参、大根、苺、パパイヤなど、美しい作物の写真を通して、それを生み出している日々の営みが説明されました。

このプレゼンテーションを受けて、「これは農業の枠に留まることではないね」という話になり、天然循環法と名前を変えました。新しく発行された木の花ファミリー通信Vol.80には、この時の晃ちゃんの話が記載されています。以下、その一部を転記しますね。

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気付いたのは、肥料って本当にいらないんだ、ということです。今まではボカシをあげていたけど、ボカシは米ぬかなどの有機物を一度微生物の力によって分解し終えたもの。それよりも、命そのものである生きた作物を次の命へとつなげていくことが、より命を豊かにしていくということに気付いたんです。今年は実験的に、キャベツなどの畝間に大豆を蒔いています。大豆の根には根粒菌がいて、作物の養分となる窒素を固定するので、最初キャベツは余分な栄養が吸えません。
キャベツ畝間の大豆
だけど結球期に入る前のあるタイミングで大豆を切ってやると、今度は大豆が微生物やキャベツの養分となっていく。それには直感で「今だ!」と感じるタイミングがあるんです。こうして育てたキャベツは、本当にやさしい味をしています。人参ももうずっと無肥料ですが、とても清楚で、美しい姿をしています。
 潜象界から現象世界へと命が現れる時、最も小さなものから現象化する(形になる)といいます。そしてだんだん大きなものへとバトンタッチされていく。微生物を増やすといいということは、これまでの自然農法でも言われてきました。しかし天然循環法では、目に見える微生物たちのさらに奥にある世界を観ています。そこは響きだけの世界。現代の科学では捉えることのできない、神の世界です。

 僕は微生物を増やす行為をしている時も、カタカムナのうたいを上げる時も、意識は常にそこを向いています。全てがそこへの働きかけです。そしてそこに遍満する宇宙根源の響きがあるところに達した時、命となってこの現象世界にぽっと現れる。命とは「みこと」、つまり神そのものなんです。そこにたくさんの命があればあるほど、それによって支えられる作物の命は豊かなものになります。その豊かな命によって、僕たちの命もまた支えられていくんです。
全ての生命は、それぞれの響きを持っています。僕たちの発する響きが、そのまま命として表現されていく。天然循環法とは、完成形を作ろうとすることではなく、元の響きを響かせ、その命が本来の生命力のままに自ら完成形となっていく場を整えることなんです。

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 メール版の木の花ファミリー通信をご覧になっていただくことが出来ます。
 是非、ご登録下さい。

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命とは「みこと」。神の御言(みこと)から生まれた御事で神そのもの。
その命が命を支えていく。
天然循環法はその場を整えていきます。

天然循環法には大きな可能性が秘められていると思います。

今、学問は細分化されていると言われていますが、
天然循環という視点で細分化された学問を統合していくことが出来ます。
そして、天然循環は実践から生まれた理論であり、目指すべき姿勢を示しています。
つまり理論と実践の統一を図ることも出来ます。

宇宙の始まりから現在に至るまで。
「ひとつらなりのいのち」としての流れがあります。
この流れは未来に渡って続いていきます。
そんな大いなる視点の元に人間の営みを位置づけることが出来るのです。

もちろん経済も人の営みとして、この流れの中に位置づいています。

それは、天然循環経済学と言えます。

天然循環経済学は、「仕組みに頼るのではなく」で書いた、
仕組みを生み出す心を表現するものであり、流れを表現し人々に感じてもらう経済学です。

それは既存の学問から観たら科学とは言えないものかもしれませんが、
きっと人々に多くの希望と可能性をもたらすものになることでしょう。

そんな経済についてこれから少しずつ書いていきます。


☆彡 ☆彡 ☆彡


ところで11月30日に千葉県千葉市で「出張木の花塾」が開催されます。
テーマは「すべては響き~宇宙視点の農」です。
天然循環法について詳しく知ることが出来る絶好の機会です。
是非、ご参加下さい。

前回の「出張木の花塾」に参加された皆さんです。



仕組みに頼るのではなく ~EUの事例から~

NHKクローズアップ現代「ベルリンの壁崩壊から25年①帰路に経つヨーロッパ統合」を観ました。

2つの大戦を経験したヨーロッパは、同じ過ちを繰り返さないために早くから統合へ向けた動きがありました。ですが、東西冷戦のため、その動きは西側諸国に限られていました。

ベルリンの壁崩壊
1989年11月9日にベルリンの壁崩壊によりそれが変化します。
翌年には、ドイツが再統一を果たし、その後、東ヨーロッパの国々の加盟が進んでいきます。
現在、欧州連合(EU)の加盟国は28か国にまで増えています。

2012年にはノーベル平和賞まで受賞したEUですが、加盟国間の経済格差が広がる中、
今年行われた欧州議会選挙では、「反ユーロ」「反緊縮」を掲げるEU懐疑派が躍進しています。

一つの欧州という理想は、経済格差という現実の前に、なかなか進まない状況です。

そして、今、ウクライナ情勢をきっかけにロシアとの関係も悪化し新たな冷戦を迎えつつあります。
ロシアとの関係悪化に関しては、欧州連合の拡大と共に、
軍事同盟であるNATO(北大西洋条約機構)も東側に拡大したことが影響しています。

番組を見ていてなんとなく思ったことは、一番大切なのは仕組みではないということです。

EUは統一通貨や市場統合、自由な人の移動など様々な仕組みを生み出していますが、
一つになれない現状があります。

頭で仕組みを考えだす。そしてそれを現実に適用していく。
そういう形では現実は動かないのだと感じました。

例えば、田中優さんは今の社会を変える仕組みをたくさん提案してくれています。
その仕組みは説得力があって、それを適用しさえすれば世の中は良くなる!と思えます。

でもそうではないのだろうなとあらためて思いました。
仕組みには心が伴っている必要があります。
ただ形だけ当て嵌めるのではなく、一人一人の心が成長し、その成長が仕組みを生み出す。
そうなった時、初めて仕組みは生きたものとなっていくのでしょう。

優さんの話にしても、その価値は、提案する仕組みの鮮やかさにあるのではなく、
その話から勇気を得て、行動する人が生まれ、日常に落とし込むことにあります。

大切なのは仕組みよりも勇気であり心。
当然と言えば、当然のことなのかもしれません。

そして、木の花ファミリーの経済を語る時も、本当に大切なのはその仕組みではなく心です。
優しくユニークなので、その仕組みでみんなが幸せになれると僕は考えていましたが、
その発想は間違えていました。

この仕組みを生み出している心が大切であり、それを語る経済学が求められているのです。

それは固定的な仕組みを語るものではなく、流れを表現し、人々に感じてもらうものでしょう。
そんな経済学について、今後このBLOGで語っていこうと思っています。

キーワードは「天然循環」です。





量的金融緩和の心と木の花ファミリーの暮らし

10月31日、日本銀行は追加の量的金融緩和を決定しました。
このことに関しては、肯定的な記事と否定的な記事、両方あるようです。
例えば、以下のような感じです。

肯定的な記事: Business journal

否定的な記事:東洋経済ONLINE

この金融緩和を受けて、日経平均株価は755円上昇し、
為替は1ドル112円まで円安が進みました。

円安が進むことで輸出産業は有利になり、
輸入原材料の値上がりにより中小企業は苦しくなる。

今まで言われてきていることです。

ここでは今回の金融緩和の是非はおいて、
それがどんな心から生まれてかを考えてみたいと思います。

デフレマインドを克服して消費が活発になることにより景気回復を図ること。
簡単に言ってしまえば、量的緩和(アベノミクス)の目的はここにあると言えます。
それは全体を考えての政策なのでしょうが、欠けている視点がいくつかあります。

まず1点目は、有限な自然環境への配慮がないこと。
次に人口が減少している現実を踏まえていないことです。
このあたりのことは、「持続可能な福祉社会」に書いているので、読んで見て下さいね。

それらに加えて、この政策には、人々の意識に対する視点が欠けています。
人々の消費を活発にすると言いますが、
その前提となっているのは「自分のために消費する人々」です。
人のため。みんなのため。そんな消費を促すような視点はありません。
一人一人がバラバラの自分のために消費していく。それは自己完結の消費です。
なので、人々の間に一体感は生まれず、
国家予算に対してもみんなのお金という感じが生まれません。

一人一人が自分の消費の先にあるものを意識すること。
それは繋がりの感覚をもたらし、人々の意識の転換を促します。
この意識の転換が今後もっとも重要になってくると思います。
量的金融緩和では決して育てることが出来ない心。
そんな心を木の花ファミリーでは、日々の生活を通して育てていっています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

その木の花ファミリーでは今日、出航祈念祭という神事が行われました。


11月3日の朝の富士山です。
11月15日。木の花ファミリーメンバーのいさどん、ようこちゃん、まゆちゃんは、親しい友人のあわちゃん、じゅんぞうと共にインドに旅立ちます。
そして、GENOAの総会に出席するためにすでにインド入りしている道代ちゃんと合流し、
ハルトラビレッジやオーロビルを訪れます。
※道代ちゃんは今回を最後にGENOAの代表を降りる予定で最後の役割です。




この旅の安全、成功を祈って開催された祭りですが、それは精神的な意味では、この暮らしの意味・大切さを世界に広がるための船出を祝うものでもありました。
※天教山(富士山)より地教山(ヒマラヤ)への旅となっています。

神祭式の様子

暮らしの中で行われる神事は、カタカムナで言う潜象会(ない世界)へ意識を向けることであり、大いなる意思の流れを生活に呼び込むことになります。

僕たちはみんな大いなる意思の流れの元に生を受けています。
それを思い出すことはすべての存在との繋がりを回復することになります。
こんな意識を育むことで、すべてのお金はみんなのお金になって、ただ循環するだけになっていきます。
その時は、格差も貧困もきっとなくなっているでしょう。

そんな日が訪れることを信じて、僕らは淡々とカタカムナを取り入れた日々を送っています。
以下、お祭りの写真を何枚かお届けします。


花の舞


榊鬼


三つ舞


獅子舞


みろくの世


祈念祭後の空


みんなで記念撮影


みんなでお祈りです。


乾杯しています。



無駄から学んでいく。~社会的共通資本を土台に~

NHKクローズアップ現代「人間のための経済学 宇沢弘文  格差・貧困への処方箋」を観ました。

先月、86歳で亡くなられた経済学者、宇沢弘文さんの特集です。
効率追求の経済が人々の格差を拡大し、貧困を生み出すことを察知した宇沢さんは、
人を幸せにする経済を探求し、「社会的共通資本」を提唱しました。

社会的共通資本は、自然や道路、教育や医療など人が生きていく上で必要不可欠なものをいい、これらについては市場原理から切り離し、市民の手で運用していくことを提案しています。

そうすることで、「ゆたかな経済生活を営み,すぐれた文化を展開し,人間的に魅力ある社会を安定的に維持する」ことを可能にしていきます。

番組の中で宇沢さんも「大切なのは心」と仰っていましたが、
社会的共通資本とは、人間にとって必要不可欠な財産をみんなで共有していくことを意味します。
そこには分かち合いの心が当然求められます。

自分は優れているのだから人より多く欲しい

例えば、こんな心が人々に浮上してしまったら、上記の取り組みは成り立たないでしょう。
幸せな社会を築き上げるためには、一人一人が自らの心をしっかりと見つめ、
成長していく必要があるのだと思います。

ところで、木の花ファミリーでは最近、無駄について話し合っています。

モノを壊した時に掛かる修理費。
必要以上に贅沢な品物を購入すること。

そのような出費がここ最近続いてしまいました。
それは本来必要のない出費であり無駄遣いとなります。
日常の中に無駄があるということ。それはそのまま心の現れです。

木の花ファミリーの暮らしは汗水を垂らし自然の恵みをいただくことで成り立っています。
100円の背後には多くの労働や自然からの配慮があります。
そんなふうにして得ているお金ですから、感謝し大切に使っていきたいものです。

みんなで休憩しています。


エゴマ脱穀の様子です。


無駄遣いが出来るということは、感謝の気持ちを忘れているからであり、
日常生活では、どこか意識がぼけていて、安直に物事を進めてしまうことに繋がります。
そんな時は人に対する態度も繊細さや優しさが欠けたものになりがちです。

今はそんな自分たちを振り返る機会となっています。
その際、落ち込むのではなく、無駄を生かしていくことを心掛けるようにしています。
先のことは誰にも分かりません。今の無駄が後になって生きることもあり得るのです。
大いなる流れに心を委ねること。出来事の背後にある意思を感じること。
そういう姿勢も大切になります。

地球は人類が生きていくのに十分な恵みを与えてくれています。
ですが現状は、格差が広がり、貧困や飢餓が生じてしまっています。
分かち合う心により、現状を変えて社会的共通資本を育むことが可能となります。
そして、それは人々に安心感を与えてくれるでしょう。

その安心感は土台となり、人々を更なる成長へと導きます。
安心に浸り感謝の気持ちを忘れてしまってはいけません。
安心出来る暮らしを土台にして、日々の中で自分の振り返り心を磨いていくこと。
それがみんなで出来るようになった時、理想の世界が実現していくのだと思います。

僕たち木の花ファミリーはそんな世界を目指しています。


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