循環と変化によって成り立つ「ひとつらなりのいのち」

木の花ファミリーでは、月に一度、誕生日会が開催されます。誕生日会では、みんなでその月に生まれた人達を祝い、ケーキを食べて、歌や踊りなどを楽しみます。

赤ちゃんはどこから生まれてきたの 神様の光の響きから来たの
宇宙の命の奥から来たの 天と地が結ばれて生まれて来たの

今月2歳になる結宇光くんです。
これは誕生日会の時にいつも歌う「おたんじょうびのうた」の歌詞です。僕たちはみんな太陽の光から生命力をいただいています。そして、いのちはお互いの存在を必要とし合い、なくなることはありません。例えば、シマウマに食べられた草は、シマウマへと変化し、シマウマはライオンに食べられライオンへと変化します。そして、シマウマやライオンの死骸や排泄物は微生物たちが土に返し、それを養分にして草が育っていくのです。生命は、いのちといのちの織物の中、他の生命へと変化し、受け継がれていきます。そして、魂は次元を超えた存在であり、個体が消滅する時、この世界の本質(宇宙の命の奥)に戻り微細になります。そして再び旅立つことで肉体を得て新たな人生を歩んでいくのです。この世界に死は存在しません。誕生とは、変化であり肉体を得ることであり、この世界への魂の再生と言えるでしょう。

循環と変化によって成り立つ「ひとつらなりのいのち」

日和がみんなに作ったケーキです。
誕生日会ではその尊さを祝い、みんなで楽しい時間過ごします。今月の誕生日会は、17日(土)の夜に行われました。今月は、31日(土)に開催される富士浅間木の花祭りに向けて、いさどんみかちゃんから子どもたちへ木の花祭りのプレゼンテーションが行われました。そして、花の舞(矢剣・やち)、三つ舞(扇)、湯囃子(ゆばやし)などの舞が披露されました。以下、その様子を写真でご覧ください。




花の舞(矢剣)を舞う、はるとあっくん、なり(左から)です。


三ツ舞(扇)を踊るゆうゆ(右)ときよ(左)

同じく三つ舞(扇)を踊るみのり

湯囃子(ゆばやし)の舞です。

白光真宏会の方々が久しぶりに訪れてくれていました。


富士浅間木の花祭りについては、みかちゃんが「いさどんと鬼の面」でとても詳しく書いてくれています。ここで書かれている内容は僕たちにとってとても大切な内容であり、これからの人間社会に必要とされるメッセージがたくさん含まれています。ここで少し内容を引用しますが、是非、原文を読んでいただけたらと思います。

富士浅間木の花祭りでは、鬼が主役となります。その鬼についてカタカムナの単音で調べると以下のような意味となります。

「オ」 6方(前後左右上下)へ限りなく拡散、または凝縮する思念
    大きい 重い 奥の方・潜象の場  ※潜象界とはカタカムナでは「ない世界」のこと
「二」 定着する

この意味を発展させて「いさどんと鬼の面」では鬼について以下のように説明しています。

「オニ」とはマクロにもミクロにも限りなく広がる現象界、および現象界の元になる潜象界をも含む、両方の世界の働き(仕組み)を定着させるものである。そして、「鬼が云う」と書いて「魂」となる。魂とはこの世界の仕組みのもとにある心で、鬼は人間に、この世界の道理を伝えるものなのである。

怖い顔をして怒っている鬼。その怒りは人間への愛であり、今の人間がそれだけ道理から外れているということです。それは世界で起きている様々な出来事を見れば明らかでしょう。

フランスで起きた出版社襲撃事件は、更なる争いをもたらそうとしています。シャルリー・エブドは再びムハンマドの風刺画を掲載し、パキスタンではデモが暴徒化しました(「シャルリー・エブド」の漫画家を「すぐに絞首刑に」パキスタンでデモが暴徒化)。

ナイジェリアでは、イスラム武装組織ボコ・ハラムとナイジェリア政府軍、双方に住民は苦しめられています(ボコ・ハラム:日本メディアが報じない「ナイジェリア政府軍」の蛮行)。

そして、気候変動も深刻で、昨年11月に公表されたIPCC第5次報告書では、厳しい温暖化対策が必要なことが提示され、それを裏付けるように、2014年の世界の平均気温は1880年以降で最も高い数字となりました(朝日新聞より)。そんな中、日本人の多くは経済成長を求めているのです(3人に1人は「GDP成長のジレンマ」(必要だが不可能)を感じているー経済成長についての世論調査よりー)。

この世界で起きている争いや不条理はまだまだ上げればきりがありません。鬼はそんな人間に対して、やさしさを秘めながら怒ってくれているのです。やさしくあたたかい存在です。

木の花祭りはそんな鬼たちを主役にして開催されます。その鬼たちの中でも特に重要なのが榊鬼(さかきおに)で、鬼の総大将になっています。僕たちは榊鬼を地球神である「国常立大神(くにのとこたちのおおがみ)」・「艮(うしとら)の金神」と捉えています。国常立大神は、地獄では閻魔(えんま)様となり人々に喝を入れますが、弥勒菩薩となり幸福な未来へと人々を導く存在でもあります。

榊鬼は、木の花祭りの中で、斧を振るって、「反閇(へんべい)」と呼ばれる大地を力強く踏みしめる所作を繰り返し、大地を祓い(はらい)清め、真冬になって地中に沈み込んだ精霊たちを、呼び覚まし復活させます。新しい生命が次々と鼓舞されて出てくるのです。

榊鬼の面に手を入れているいさどんとりょうちん
今年、この榊鬼の面を新しく購入しました。ですが、その面は威厳に掛けていました。そこで怒っている表情を出すために、いさどんの想いを受けて、りょうちんが手を入れました。怒った表情になった面は削って真っ白になっていました。新しく色を決めることになり、みんなで「金色」に決めました。

榊鬼の面の色が金色になった時、ひろっちの中に、「金神」様という言葉が浮かびました。
榊鬼である「艮の金神」は、厳しいことを言う神様だったので、それを疎ましく思う八百万の神に艮の方角(北東)に封印されました。今、道理が通らず乱れた世の中になっているのはそのためと言われています。ですが、世の乱れを正すために艮の金神の封印は解かれる時が来るのです(『大本神諭(おおもとしんゆ』を参照)。


三千世界一度に開く梅の花、
艮(うしとら)の金神(こんじん)の世に成りたぞよ。
梅で開いて松で治める、
神国の世になりたぞよ。・・・・
今日(いま)は獣類(けもの)の世、
強いもの勝ちの、
悪魔ばかりの世であるぞよ。・・・
是(これ)では、世は立ちていかれんから、
神が表に現れて、
三千世界の立替え立直しを致すぞよ。
用意をなされよ。
この世はさっぱり、
新(さら)つの世に替えて了(しま)ふぞよ。
三千世界の大洗濯(おおせんたく)、大掃除を致して
天下泰平(てんかたいへい)に世を治めて、
万古(ばんこ)末代(まつだい)続く神国の世に致すぞよ。・・・
天理、金光(こんこう)、黒住(くろずみ)、妙霊(みょうれい)、 先走り、
とどめに艮(うしとら)の金神が現れて、

世の立替えを致すぞよ。
                   (天下泰平「日月神示と艮の金神」より引用)


この「艮の金神」の復活を、木の花祭りの演目に入れることにしたのです。木の花祭りはこれにより、さらに広がりを持つようになりました。そして、これは木の花ファミリーの生き方そのものです。

1月17日、国会議事堂前を、戦争に反対する人々が取り囲んだようです(女たちが国会包囲「子どもを戦争に行かせない」)。彼女たちは平和のための活動をしています。ですが記事を読む限り、その動機は自分や自分の家族の安全を守るためのようです。それぞれの人が、他人の立場や全体性を考慮せず、自分の都合を推し進めることによって争いや戦争は生まれています。そこを見詰めずに行う反戦デモは、それ自体が争いの種になってしまうのではないでしょうか?

多くの人が平和を求めています。でも、それは実現していません。それは人々が自分の都合を手放すことがないからではないでしょうか?自分の都合を手放した時、人と人とは繋がりあい、平和が実現します。そのために必要なのが心磨きであり、艮の金神をはじめとする鬼が示してくれる道理に従うことなのです。

11月、いさどんはインド最大のコミュニティ「オーロビル」で「シュリ・オーロビンド(1950年没)」の魂に出会い、艮の金神だと感じたようです。その特徴は以下の通りです。(いさどんブログ「天教山から地教山に向かって」より)

植物があり、その葉っぱがあるとか、大理石の柱があるとか、壁のペンキの傷だとか、それを僕が指差すと、「そこに私はいる」、「そこにも私はいる」、「どこにでも私はいる」と言葉が降りてくる。それで、その存在はすべてに遍満している存在なのだと直感したら、「すべてに遍満しているということは無である」と降りてきた。つまり、すべてに遍満しているということは、その存在は特定の位置に立たないから、すべてが自らであり、自ら(自我の特定)はないことになる。

無という境地は深いものであり、仏教で伝えられている奥にある存在なのだ。そして、もしかしてこの魂は地球の魂なのではないかと直感した。

 (※いさどんブログ「チベット人女性、カルサンとの対話」にもこのエピソードは出てきます。)

艮の金神、国常立大神は地球神であり、その存在は世界に遍満しています。そして、それは「ひとつらなりのいのち」として続いてきたものです。その封印が解かれることはエネルギーの解放であり、新たな誕生を意味します。僕たちは木の花祭りでそれを表現し、その精神を生きていくのです。

木の花祭りは愛知県奥三河の天竜水系にある東栄町の「花祭」に由来しています。東栄町でいさどんはある太鼓集団と一緒に活動をしていました。そして、そこから派生したグループは今、世界で多くの人々を魅了しています。そのグループの映像を観ていさどんは以下のように語りました。


この映像は、人間は極めるとここまで出来るということを示しています。
その技術で世界中の多くの人々を魅了しています。
僕たちも木の花祭りを極めることでこれから多くの人々を魅了していくことでしょう。
でも私たちが極めるのは技術ではなく「心」です。
日々の暮らしの中で自分に真剣に向き合い、自分を手放していくこと。
その姿勢が舞に顕れます。そして、それが多くの人々に感動をもたらすでしょう。

この生き方はこれからますます大切になります。
みんな覚悟を持って生きていきましょう。


僕たちはこんな気持ちで富士浅間木の花祭りに向けて準備をしています。
祭り当日、多くの方と感動を共有出来たらと思っています。
心が動いた方は是非、富士浅間木の花祭りにご参加下さい。お待ちしています。
(参加申し込み及び詳細はこちらまで → 第3回「富士浅間木の花祭り




個人の幸せは人類の幸せであり地球の幸せであり宇宙の幸せである。

フランスの出版社襲撃事件から1週間後の14日、「シャルリー・エブド」の最新号が発売されました。表紙には、「私はシャルリー」と書かれた紙を持ち涙を流すイスラム教開祖ムハンマドが描かれ、「なんでも許される」と記載されています。この雑誌の発行数は普段6万部なのですが、300万部発行され、多くの人が買い求めているようです。11日には、フランス全土でテロに反対する行進や集会が行われ、フランスのオランド大統領やイスラエルのネタニヤフ首相、パレスティナのアッバス議長をはじめ各国首脳が参加し、370万人の規模に達したといいます。テロとの対決姿勢はより鮮明となり、フランスは「イスラム国」への空爆作戦に、主力空母を参加させる意向を表明しました(Yahooニュース参照)。今、とても大きなうねりが起きようとしています。

この事件についてはいろいろな論調の記事がありますが、まず大切なのは、テロリストとイスラム教徒を同一視しないことでしょう。その点に関して、パリ在住のアシフ・アリフさんが書いた記事「我々イスラム教徒は「シャルリー・エブド」を支持する」はとても示唆に富んだ内容となっています。
この記事によると、ムハンマドは、「一人の殺人は全人類を殺すに相当する」と説いていて、コーランには「宗教に暴力はない」と記されているそうです。そして、以下のように述べています。

ジャーナリストを冷徹に虐殺することで、彼らは全人類を傷付け、深い傷を残し、そして激怒させた。イスラム教徒として、私は風刺を容認しないし、彼らのユーモアが面白いとは思わないが、「一人の殺人は全人類を殺すに相当する」というイスラム教の教えから、「シャルリー・エブド」を支持する。ご遺族のもとに、祈りが届きますように。

イスラム教は今、あまりにも誤解されていると思います。こういう記事からその誤解が少しでも解けることを願います。そして、テロリストに対してです。彼らの行動が許されないものであることは確かです。そこには毅然とした態度が必要です。ですが、同時に、テロリストを生み出す背景について思いを馳せる必要もあるのではないでしょうか?その点に関しては、稲葉剛さんの記事「共生が憎しみ合いに転じるのを許さないために立ち上げる~フランスからの報告」が参考になるかと思います。そこでは、失業や貧困に直面する人々が増加している現状と、彼らが差別によりさらに困難に陥っている現状が報告されています。そして、将来に希望の持てない彼らは宗教に救いを求め、無知なため原理主義者に利用されていくのです。ならば、テロリズムは社会が生み出しているとも言えるのではないでしょうか?


日本に目を移します。13日、NHKクローズアップ現代にて「ヘイトスピーチを問う ~戦後70年 いま何が~」という番組が放映されていました。特定の人種や宗教、性別に対して偏見や差別に基づいて嫌悪(ヘイト)の感情を表現するヘイトスピーチですが、日本では在日朝鮮人や在日韓国人に対して、過剰なヘイトスピーチが目立つようになっています。彼らは事実や根拠のないことで批判していて、意味があまりない乱暴な言葉を使い続けているようです。これらの言葉が暴力や殺人に繋がる可能性があり、ナチスドイツによるホロコーストや関東大震災後の朝鮮人虐殺はその例となっています。(時論公論「ヘイトスピーチ」にどう向き合うかのページも参考になります)

その一方で、韓国でも反日デモが起こっています。

韓国では昨年の12月29日、日韓外務次官級の協議のため韓国外交部に入ろうとした外務省の斉木昭隆外務次官らが乗った車両に、反日的な市民団体約25名がこれを阻止しようと立ちふさがる騒動が起きたようです(JCASTニュース参照)。その他、韓国から出国禁止措置を受けている前産経新聞ソウル支局長の加藤達也さんを巡る反日デモも昨年起きています(livedoorニュース参照)。加藤達也さんは、昨年8月、韓国フェリー転覆事故が起きた当日の朴槿恵(パク・クネ)大統領の行動について、男にあっていたという噂を報道したのです。(「産経新聞・前ソウル支局長在宅起訴を考える」にはその経緯と背景についてバランスよく書かれています。)

日本と韓国で起きているヘイトスピーチ。これもテロリズムと同様、社会が生み出しているのではないでしょうか?失業や貧困に直面し、将来に希望を持てない人の数は日本や韓国でも増加していると思われます。僕たちはなぜこのような社会を生み出しているのでしょうか?

これらのニュースに触れて一人一人が自らの心を振り返ることが大切なのだと思います。



郷子ちゃんの誕生日をみんなで祝っています。
ところで同じ頃、木の花ファミリーでは大人サミット(1月10日~12日)が開催され、みんなで地球の未来について語り合い、誕生日を迎えた郷子ちゃんのお祝いをしました(1月13日)。大人サミットの最終日には、木の花ファミリーで生まれ育った子どもたちが参加し、将来の夢を語り、今悔いなく生きていることを自分の言葉でしっかりと語りました。自給自足の暮らしをしている木の花ファミリーの生活費は年間一人30万円以下ですが、その暮らしぶりはとても豊かです。そして、そこで育った子どもたちが未来に希望を持っています。それは人々が助け合い共に暮らす安心感の中で育まれるものです。心を共有し助け合うことで少ない費用でも豊かな暮らしを実現することは可能です。そして、その安心感の中で人々は幸せを感じることが出来るのです。



大人サミットに参加したファミリーの子どもたちとえいこばーちゃん
大人ミーティングの時間には、1月31日(土)に開催される第三回富士浅間木の花祭りに向けて、一人一人が自分の役割をしっかりと果たしていく大切さ、みんなが「自分ごと」を超えて、天と共に生きていくことを再確認しました。

富士浅間木の花祭りは、愛知県奥三河地方の東栄町で700年以上の歴史を持つ国の重要無形民俗文化財「花祭り」に」由来し、その最大の特色は、人と神仏との共演による「生まれ清まり」にあります。花祭りでは、観客は歌ぐらを歌い、掛け声を掛け舞手と共に舞い踊ります。神仏は舞手たちに降臨し、舞手と共に舞うことで、人々の穢れは清め祓われ、新たな生命力を授かるのです。花祭りの奥深くに流れる精神を理解し、引き継いでいくこと。そのために日常生活から自分自身を整えていくのです。



昨年の富士浅間木の花祭りでの鬼の舞
ちなみに富士浅間木の花祭りで僕は「伴鬼(ともおに)」という役をいただいています。昨年からこの役をいただいているのですが、昨年の映像を観たら、自分の動作がとてもぎこちなかったです。リズム感がないのですよね。その自覚はずっとあって、音楽を聴く時、身体に入って来ないのです。自分の身体が音楽を跳ね返している。そんな感覚になる時があります。身体に音楽を入れる。そして音楽と一体になる。まずはそれが大切なのだろうなと思っています。そして、これは心の顕れでもあり、僕の中に人と溶け込まずに跳ね返す「硬さ」があるのです。だから、そこを見詰め、柔らかくしていくことも同時に行っていくのです。日々、心を開き、変化していくことを意識しています。

そして、1月14日の大人ミーティングでは、中国の雑誌『世界建築』への原稿として陽子ちゃんが書いた文章が読まれました。中国でも、2012年に日本が尖閣諸島を国有化した後に各都市でデモが行われ、参加者が暴徒化し大規模な破壊・略奪行為に発展している様子が報道されました(2012年尖閣諸島抗議デモ)。昨年の11月、2年半ぶりに日中首脳会談が実現し、関係改善に向けて動き出しているとはいえ、まだまだ難しい状況にあります(日テレNEWS参照)。そんな中、昨年の12月には、中国でグリーンビルディングに取り組んでいる25名の人々が木の花ファミリーを訪れ交流の機会を持ちました(この様子はみかちゃんBLOG「中国グリーンビルディング視察団の方々との交流」を参照して下さい)。そして、雑誌『世界建築』への執筆です。木の花ファミリーの暮らしが今、中国に伝わろうとしています。

雑誌『世界建築』の原稿にはこんなことが書かれています。

私たちは宇宙を旅する地球という星の上に生きています。そして、私たちは一つの太陽・一つの大地・一つの水・一つの空気・一つの風のもとに生きています。なによりも私たちは時代を共有して生きています。つまり、私たちは一つのいのちの兄弟であり、天然循環の中で地球という一つのいのちの一部を担っているのです。このように、私たちは人智をはるかに超えた大いなる宇宙の仕組みの元に生かされています。

みんな宇宙という大きな物語の中で生きています。それは本来、みんなで共有している物語です。ですが、「個」という幻想に惑わされている現代人は、自分だけの物語を生きようとします。他人と自分を別々の存在と捉え区別し比較しています。そして、優越感や劣等感、嫉妬や自惚れの感情を育てています。そのような感情は自分自身を苦しめることになります。差別や偏見、ヘイトスピーチはそんな苦しみから人々が目を反らすことで生まれているのではないでしょうか?悪者を生み出し、それを責めることで、自分から目を背ける。そんな心が抑圧される人々を生み出し、それがテロリズムに繋がっていくのではないでしょうか?個人の幸せの追求は、現代社会では当然の権利とされています。ですが、個々人がバラバラの幸せを追求することにより、争いが生じ、結果、みんなが苦しみを味わうことになっているのではないでしょうか?

雑誌『世界建築』の原稿にはこんなことも書かれています。

真の意味で、個人の幸せは家族の幸せ、国家の幸せ、人類の幸せ、そして地球の幸せと一致すべきなのです。

これが達成される時、個々人の幸せの間に矛盾はなくなり、争いもなくなります。そのために必要なことがエゴを手放すことであり、広い世界観を持つことです。僕たちは日々の暮らしの中から心を見つめ、自らの思いを手放し、視野を広げることを心掛けています。それを支えにして、血縁を超えた100名近い人々が助け合いながら共に暮らしているのです。

「自分」という意識がなくなると、他人と比べることで苦しむことがなくなります。生きることが楽になり、大いなる存在への感謝の気持ちが深まります。加えて、宇宙が描き出す物語はとても壮大で、自分が描く物語よりはるかにわくわくするのです。これは6年間、木の花ファミリーで暮らしてきた僕の実感で、今、幸せな毎日を送っています。

今の社会は一人一人の心が創っています。心が変われば世界は変わります。みんながエゴを手放すことの大切さに気づき実践するならば、この世界はすぐにでも幸福に包まれるでしょう。


こんな幸せな世界を一緒に創っていきたいと思ったあなた。
2月15日(日)から3月14日(土)まで開催される木の花塾『1ヶ月間の真学校』に是非、ご参加下さい。前人未踏の”ありえへん”プログラムになっています。
詳細はこちらをご覧ください。 → 木の花塾『1ヶ月間の真学校』





生活を通して心を学ぶ

1月10日~12日まで。木の花ファミリーでは大人サミットが開催されています。

大人サミットの「大人」とは、年齢に関係なく、「大きな精神」を持つ人を意味します。
 自らの意識が世界を創造している、という自覚と責任を持ち、個人の枠を超えて、他者のため、地球全体のために生きる人 ─── それが真の「大人」です。

そんな大人として生きていくのはどういうことか?
サミット初日、いさどんは、語りました。
(以下の文章は、いさどんブログ『大人として生きていく』の要約です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今、日本の財政は自己破産状態にありますが、政治家や企業の経営者たちは、子どものように分別がなく、社会を一方的に物・金の価値観に誘導しようとしています。そして、人々の心は、物やお金に依存するようになっています。世界観が狭く未熟で、他の生命のことを考えない、ひとりよがりの生活をしている状態です。
本来、人間の優れた能力は、この世界の中で自分たちのポジションを悟り、世界に貢献していくためにありました。ですが、今の人間は、傲慢になり、自然を思うようにコントロールしようとし、このままでは宇宙にさえも、愚かな行為をもたらしかねない状態です。今、人類はタイムリミットを迎えようとしています。それは天盤の巡りや文明周期説からも見えることで、今の文明の成り立ちは終末を迎える段階に至っているのです。ここにおいて、人類が、現状を客観的に捉え、自らの中から変革を生み出し、新しい時代を迎えるのか?それとも、この世界によって人類が淘汰され、次の世界へ移行していくのか?今はそのターニングポイントにあります。
今、太陽の黒点の活動が変化してきています。それを受けて、地球のマグマが活動期に入り、地震や火山の噴火などの自然災害が起きようとしています。そこに人為による気候変動もプラスされるのです。生命すべての元は太陽の光にあります。黒点の活動の変化は、太陽の意志の顕れであり、人間の活動にNOを示していると取ることも出来ます。このような捉え方で地球上に起きていることを判断することが、天の声を聴くことになるのです。
大人の「オ」をカタカムナでひも解くと、上下前後左右の6方向に拡大・縮小するという意味になり、大人の視点から天を捉えると、天とはこの世界すべてとなります。この構造を理解し、生命のプラスとマイナスのエネルギーのバランスを秩序良く保つこと。それが健全な大人が生み出す社会です。このサミットをきっかけにし、大人としての意識に目覚め、天とは何か?地とは何か?生命とは何か?自分とは何か?生きるとは何か?ということを理解し、生きていきましょう。

☆彡 ☆彡 ☆彡

大人サミットでは、天の声を聴くこと。そのための柱を一人一人が立てることがテーマとなっています。

11日の午前中。大人サミットの参加者も交えて、どんと焼きが行われました。書初めや門松を燃やすことで、無病息災、世界平和などの願いを天・潜象界(ない世界)に還しました。以下、その様子を写真で紹介しますね。




点火前に集合写真を撮りました。



お神酒で乾杯です。

火を点ける前にみかちゃんが「おいわいえ」を歌っています。
着火されました。富士山を背景に煙が浮かび上がります。





みんなで歌を歌いました。






お餅を焼いています。
お食事前のお祈りです。







みんなでカタカムナ63首を歌っています。

木の花祭りの舞「四つ舞」です。

参加者の中には「みくさのみたから」を学ばれている方がいました。そして、その方がリードし、みんなで「みくさのみたから」を踊る時間も持ちました。






そして、この日の大人ミーティング。どんと焼の際、踊りをリードした方から「みくさのみたから」を木の花で取り入れては?という提案を受けました。僕はそれに対して、自分たちが心を大切にしていること。手法を重視していないことなどを伝えましたが、伝えたいことを充分には伝えることが出来ませんでした。どうしたらよいのか?思案しているところ、いさどんが語りだしました。

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あなたは「みくさのみたから」に出会ったばかりで新鮮に感じているように見えます。そして、まだ理解は浅く本質までには至っていないのではないでしょうか?そういう状態で、「みくさのみたから」を所有しているのです。人は本質を理解した時、そのものを手放し、流れに委ねることが出来るのです。あなたは今、新鮮な気持ちから伝えたい、広げたいという気持ちが強くなっています。それはニュートラルな状態ではありません。その気持ちから伝えようとする時、きっと抵抗に出会うこともあるでしょう。それはあなたにとって自分を知る機会となります。

主催者の飯田茂実さんがやっていることを聴きましたが、時代の寵児になっていることを感じました。「みくさのみたから」はとても速いスピードで広がっています。そこから浅く広がっていることが推察されます。このまま広がっていくと、飯田さんは大変になるのではないでしょうか?

私たちは、生活を通して心を学ぶことを基本としています。手法は大切にしていないのです。例えば、健康についてですが、私たちは「健康になる」ことを大切にしていません。健康は結果いただくものです。不健康は自分自身の状態を教えてくれる有難いものなのです。それを手法で直してしまうと、その問題をいただいたことを生かしていくことが出来ません。常に心を学ぶこと、緻密に見ることがベースにあるのです。それを基本として出会いや縁を大切に取り入れるものもあります。例えば、カタカムナ地球暦がそれに当たります。そして、一度取り入れたならば、僕たちはそれを深く追求していきます。

「みくさのみたから」については今のところ分からないというのが正直なところです。どちらにしても、今のあなたが持っている「広げたい!」という気持ちに私たちが乗ることはありません。もっと奥に大切にしているものがあると思うのです。そこは共有することが出来たらいいと思っています。

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天とはこの世界のすべて。この世界に起きるすべての出来事は天からのメッセージです。そこから心を見詰めることは、自分を知る機会となります。いさどんはそのことを上手に伝えてくれました。もし、いさどんの話がなかったら、この方には「自分の提案が断れた、気持ちが伝わらなかった」という残念な気持ちだけが残ったことでしょう。自分の力量不足を感じましたが、良い学びの機会ともなりました。人に大切な心が伝えられるように今回の経験を生かしていきます。

他の参加者の中にもいろいろな心の動きが起きています。大人サミットは今日の昼までです。どんな変化が生まれるか?それがこの世界になにをもたらすか?とても楽しみです。



人生の意味をひも解いていく

1月7日、フランスの風刺週刊誌「シャルリエブド」本社にて、3名の男が銃を乱射し、12名の犠牲者が出る事件が起きました。その追悼集会が各地で行われ、この事件を「表現の自由に対する挑戦」とし怒りを露わにしているようです。「私はシャルリー」怒る10万人 仏新聞社襲撃、各地で追悼集会


表現の自由は当然守られるべきもので、暴力やテロは絶対に許されません。それはその通りなのですが、表現する側も、表現の目的を吟味する必要があるのではないでしょうか?シャルリエブドの風刺画は何のためになされているのでしょうか?

シャルリエブドは、過去にもイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載しており、イスラム団体に非難されてきていました。そして、2011年には火炎瓶が投げ込まれ事務所が全焼しています。その行為は許されないものですが、相手をそれだけ怒らせているのも事実です。風刺画は相手の嫌悪感を押してまで表現しなければならないものなのでしょうか?

表現の自由を守らなければならない

それは確かでしょう。ですが、それだけが大儀名文になり意地の張り合いになってはいないでしょうか?この状態で、この先、解決の見通しはあるのでしょうか?


シャルリエブドは来週号を100万部発行する予定のようです(銃撃事件の仏週刊紙が来週号発行へ、部数は30倍の100万部)。編集長が命を落とす中、発行を続ける努力は素晴らしいと思います。ですが、そこに今回の犯行に対する対抗意識があるとしたら、それは更なる悲劇へと繋がる可能性を持ちます。憎しみや悲しみの連鎖となって現れるでしょう。

今回のことで容疑者をしっかり断罪するのは当然です。
ですがそれと共に、シャルリエブドの方も他者の気持ちを逆なでる風刺を控えることを明言する必要があるのではないでしょうか?それがバランスの取れた姿勢だと思います。

表現の自由を守ることは正義です。ですが、正義も振りかざすことになれば、暴力となります。追悼集会で怒りを表明する10万人の群衆。それは未熟な群集心理の現れなのではないでしょうか。群衆心理は(1)感染する (2)過激に走りやすい (3)衝動的である という特徴を持ちます(群衆心理については、「コミュニティの仏陀 ~個性豊かな人々の集まり~」も参照して下さい)。多くの場合、群集心理は思考停止をもたらし、世の中を混乱させます。実際に今、事件への報復と見られる襲撃が相次いでいるようです(焦点:仏銃撃事件で炎上か、イスラムめぐる欧州「文化戦争」)。憎しみの連鎖を断ち切るように。一人一人が群衆心理を超え、客観的な位置からこの出来事を見詰め、そこから学べるようになることが大切です。

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ところで、1月8日の大人ミーティングで、僕たちは群衆心理について話し合う時間を持ちました。
いろいろな人がそれぞれ思うことを言う中、みほちゃんから「動物の群れ」と「群衆」の違いという話題が出ました。それを聞いたいさどんは面白い着眼点だねと言い、みんなに意見を求めました。
そして、出てきた意見としては以下のような感じでした。

【野生動物の群れの特徴】
自然の摂理で動いている。思惑を持たない。個が全体のために動き、全体が個のために動く。
種の保存のためにエネルギーを使っている。お互いに生かし合う役割から逸脱することはない。
危険などに対してセンサーが正確に働いている。

【群衆の特徴】
思惑を持つ。個体の保存のためにエネルギーを使っている。選択の幅が多く、役割から逸脱する。
危険などに対してセンサーが働かない。

出てきた意見はどれもそれなりの両者の特徴を掴めているものです。ですが、それぞれが意見を言っているだけという状態で場は纏まりませんでした。そんな状態で話題が、「ミーティングでの学びを日常に生かす」というものに変化し、そして、また動物の群れと群衆に戻って・・・というようにし締まりのない場となっていきました。そして、そのままその日にあった出来事へと話題が移っていったのです。

黙ってしばらく様子を見ていたいさどんは、この状態について以下のように言いました。


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発言していくことがテーマの人がいて、その人たちが発言していくことは良いことだと思います。だけれども、場を収める役割の人たち、そこまで成長している人たちもいるはずです。そんな人たちがこの場で機能していません。野生動物の群れと群衆の違いですが、動物は本能でいのちを繋いでいます。自然から外れることはありません。その一方、人間は思惑で動いています。自然界から外れることで、群集心理の特徴が出てくるのです。その人間が再び、自らの意志で天と共に進んでいく。そこにこれからの人間の姿があり、その点を確認することが大切なのです。ですが、先ほどの場は、このポイントを共有することなく、ダラダラと意見を述べている状態でした。それでは良い場になりません。

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この時の自分の心境を振り返ると、2点反省するべきところがありました。最近BLOGに大人ミーティングの様子を紹介することが多くなり、「記録に残す」ことを意識するようになっていました。この時も意識がそちらに行き「場を創る」意識が疎かになっていました。これがまず1点目の反省点です。そして、僕の中には余計な思い込みもありました。この話題について、いさどんが深遠な答えを用意しているという思い込みです。みんなからある程度意見が出た後、深く長く語り出すだろうと思っていたのです。そのため、それを待つ姿勢になり、自分で場を創っていく姿勢が欠けるものになってしまったのです。これは自分の中の依存心の顕れで、こういう心が群衆心理に繋がり、場を停滞させ、つまらないものにするのだと思いました。これが2点目の反省点です。

この後、いさどんの話は、様々なことに及びましたが、その一つに「人生の意味をひも解く」というものがありました。


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この近くには、大鹿窪遺跡がありますが、これは13,000年前のものです。13,000年前はカタカムナの時代であり、現在になり、この場にカタカムナがやって来ています。その意味するところはなにか?りょうちんは今、鬼の面に魂を入れていますが、それは花祭りをここに定着させるためのもので、とても重要なことです。花祭りの自分たちの企みでやっているわけでなく、天意により、この場にもたらされたのです。そして、上条千居にも遺跡(4000年前)があり、僕らはそこで蜂を飼っています。不二阿祖山太神宮にも一昨年の11月に出会いました。これらすべては繋がっていて、出来事や出会いを通して、僕たちは天意のひも解きをしているのです。

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この話を聴き、僕は今の自分をあらためて大いなる物語の中に位置づけることが出来ました。

学びを知識だけのもので終わらせず、実践の中でそれを確かめる。それが僕たちの暮らしの醍醐味であり、僕は上記の反省を生かし、具体的な行動に繋げていきます。1月9日の大人ミーティングでは、ともちゃんが「昨日の学びをみんなは生かしているのか?」と投げ掛けることで、場がシーンとなるということがありました。こういう時は、身体が固くなるものです。そうなると全く発想が降りて来なくなるので、とにかく身体をリラックスさせようと腕を振り回したりしながら、その場に臨みました。他の人も場を創ろうと努力をしています。今、木の花祭りの鬼の面を創り、そこに魂を入れているりょうちんや大人サミットの準備をしているみかちゃんが、昼間にいさどんと話したことをシェアすることで場を創っていってくれました。そして、それに「乗っかる」形で他の人も場創りに協力していきます。そんな中、僕も以下のように自分の気持ちをシェアしました。

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昨日、動物に群れと群衆心理が話題になった時、僕は、その場を収める努力をしませんでした。こんなことではBLOGを書いてはいけないなと思いました。なぜなら、BLOGで書いていることが言葉だけになり、実態が伴わないものになるからです。だから書けるように自分を創っていく必要があります。

昨日のいさどんの言葉で印象に残っているものがあります。それは「人生のひもを解いていく」というものです。僕たちは木の花ファミリーで暮らし様々な出来事に出会ってきました。それらの出来事は天意の顕れであり、それを通して天意をひも解いて来ました。そして、それはここに集まる一人一人についても言えて、ここで出会う出来事を通してそれぞれの人生の意味を知っていくのです。人生の意味を知ること、それが生きる醍醐味であり、僕たちはそれを通して宇宙の神秘に触れることが出来るのです。

1月7日、フランスの風刺週刊紙「シャルリエブド」本社が襲撃される事件がありました。それに対して、フランスの人々は「表現の自由を守る」ために戦おうとしています。これは人間が考えた正義のための戦いであり、お決まりの物語の一つです。熱狂することでお決まりの反応パターンの中に組み込まれていきます。一方、テロリストたちにも正義があり、それは例えば虐げられた歴史に対する反抗であり、彼らも自由のために戦っています。そして、これもお決まりの反応パターンと言えるでしょう。このお互いに相容れない反応パターンに基づき世界は混迷を極めています。

これら反応パターンの奥に天意があり、お互いに対する理解があります。自分が今この瞬間この場所にいることの意味があります。それは自分を手放し出来事をいただく姿勢になった時に観えてくるものです。これこそ人類の未来に必要な生き方であり、僕たちはその実践をしているのです。

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その後、ともちゃんが再びみんなに「学びを活かせているか」を問い掛け、最後にいさどんが話を纏めてくれてこの日のミーティングは終わりました。コミュニティの仏陀は、一人一人が天と繋がり、直観を生かして主体的に行動し、お互いを生かし合う中で生まれます。コミュニティの仏陀を目指して日々、楽しみながら心磨きを続けているのです(^ー^)


こんな未来の暮らしについて共に学びたいと思った方。
是非、前人未到の“ありえへん”プログラム・木の花塾『一ヵ月間の真学校』にご参加下さい。

みかちゃんが描いたイラストです。


以下、1ヶ月間の真学校の案内です。


【日程】
2015年2月15日(日)〜3月14日(土) 28日間
 
【場所】
木の花ファミリー
静岡県富士宮市猫沢238−1
 
【対象】
■ 自分を変えたい人
■ 世界を変えたい人
■ 今の世の中をどこかおかしいと感じながら、どうすればよいかわからずにいる人
■ 自分は何のために生まれてきたのかを知り、真に人生を謳歌したい人
■ この星に生きる人 すべて

 
【内容】
すべての出来事は、目には見えない大いなる時代の流れから生まれています。
目の前で起きている現象だけを捉えれば問題ごとに思えることも、その背後にある、この世界を生み出す側の視点に立った時、それはまったく違った意味を持って見えてきます。そして、壮大な時代の流れに沿い、人として生まれてきた役割を果たすための叡智が湧いてくるのです。
古い時代の知識が、その叡智が湧くことを邪魔しています。
「1ヶ月間の真学校」では、固定概念を打ち破り、宇宙全体を俯瞰するマクロの視点と、日々の出来事を丁寧に分析していくミクロの視点の両面から、自分という存在を紐解き、人がこの世界で生きることの本当の意味を知る旅をします。
そして、木の花ファミリーメンバーと実際に生活を共にしながら、一人ひとりは不揃いな人たちがなぜ調和して共に幸せに生きることができているのか、その秘訣を実体験を通して身に付けていきます。それは、間違いなく、様々な困難が待ち受けるこれからの時代を生き抜くために大切なことだからです。
講座は「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」と多岐に渡り、下記にその一例を記載していますが、プログラム内容は固定されていません。受講生の皆さんと木の花ファミリーの双方向の掛け合いにより、その時、その場で、もっともふさわしいものが提供されていく、誰にも予測不可能なプログラムです。
あなた自身が創りあげるオリジナルの、世界に二つとない学びです。
  
【1日の流れ】
140307-121701
7:30  朝食
8:30  午前の講座(途中休憩あり)
12:00 昼食・昼休み
15:00 午後の講座(途中おやつ休憩あり)
17:30 入浴
18:30 夕食
20:30 大人ミーティング(自由参加)
*時間は日によって変更があります。
*毎週日曜日は休講日となります。
*講座は座学と実習を織り交ぜ、農作業やキッチン、子育てなどを自由に体験する「生活体験」の時間もあります。
  
【講座例】
140228-144326
天然循環法の畑作・稲作/ファシリテーション/世界観を広げる/菩薩の里の経済/カルマ読みと地球暦/自然療法プログラム/食養生/有用微生物群の培養/天然醸造味噌作り/創造性と芸術/カタカムナ/性と宇宙/自然再生と災害復興/持続可能な心の持ち方
*その他、お誕生日会や子どもたちの卒業パーティー、地域の方に向けた食事会など、イベントも盛りだくさん!豊かなコミュニティの暮らしをリアルに体感してください。
  
【サポーター指名制】
受講生には当初、木の花ファミリーが選抜したメンバーが日々の暮らしをサポートする“サポーター”として一人ずつつきますが、滞在に慣れてきたら、直感で「ピン」とくる別のメンバーをサポーターに指名することもできます。メンバーとの相部屋も可能です。
20代から70代まで、多彩なメンバーたちがあなたの学びを全力でバックアップします!
  
140322-162058
【4つの特徴】
■ 実践的な学び
多彩な講座を、創立から20年間ひたすら実践の道を歩み続けてきた木の花ファミリーという現場で学ぶことで、机上の論理では終わらない、実践的な学びをリアルに体験できます。
■ 生涯の仲間
これまで知らずにいた本当の自分自身と出会う日々の中で、喜びも悲しみも分かちあい、真に互いを想いやることを共に学んだ塾生たちは、強い絆で結ばれた生涯の仲間となります。
■ 継続的なサポート
講座終了後も、より良い未来を共に築いていくパートナーとして、木の花ファミリーは継続的に塾生たちをサポートしていきます。
■ 共に進化する場
「1ヶ月間の真学校」は、常に進化し続ける学びの場です。その進化の過程に参加し、塾生自信も進化しながら共に場を創り上げていけるところが、このプログラムの最大の醍醐味です。
  
【講師】
■ 古田偉佐美(宇宙おじさん/NPO法人ぐりーんぐらす代表理事)
■ 嵯峨美雅子(宇宙講義プレゼンテーター/木の花楽団ボーカル)
■ 北尾晃一(天然循環百姓)
その他ファミリーメンバーが講師を務める他、下記の方々をゲスト講師としてお迎えする予定です。
■ 芳賀俊一(カタカムナ研究家)
■ 平井健之(ヒプノセラピスト)
  
140315-172723
【定員】
15名
*定員になり次第締め切りとさせていただきます。
お申込みはお早めにどうぞ!
  
【参加費】
収入に応じたスライド制になっています。
(自己申告制)
① 年収400万円以上 22万円
② 年収200万円以上 20万円
③ 年収200万円未満 18万円
*参加費には、受講料、宿泊費、食費、保険料等一切を含みます。
*分割払いをご希望の方はご相談ください。
 分割の場合にも、講座開始までに全額を納入いただく必要がございます。
  
【お申込み】
下記のお申し込みフォームよりお申し込みください。
→ 「1ヶ月間の真学校」へのお申し込み
  
【お問合せ】
ご不明な点は、下記までお気軽にお問い合わせください。
電話:0544-66-0250(担当:池谷)
メール:konohana-jyuku★konohana-family.org

コミュニティの仏陀 ~個性豊かな人々の集まり~

今年は戦後70年ということで安倍首相は終戦記念日に談話を発表する予定です。その談話について、伊勢神宮を参拝した安倍首相は、年頭の記者会見で、「(戦後50年の)村山談話を含め歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいく」と表明しました。(Yahooニュース参照)

村山談話は、戦後50周年(1995年)の終戦記念日に出されたもので、日本の戦争責任を認め、それを反省し謝意を表明しています。そして、独善的なナショナリズムを排し、唯一の被爆国として世界平和に貢献していくことを誓うものとなっています。

天皇陛下も新年の感想で、先の戦争が満州事変(日本陸軍による南満州鉄道の爆破)から始まっていることに触れ、歴史から学ぶことの重要性を伝えています。(「天皇陛下のご感想」平成27年

一人一人が、歴史から人間の闇を学び、平和な社会へと繋げていくことが大切なのです。

ところで、木の花ファミリーでは1月4日(日)、サンデーモーニングの特集「”群衆”と戦後70年」をみんなで観て、みんなで語り合いました。この時話し合った内容については、みかちゃんBLOGに上手に書かれているので、そちらをお読みください。

群集心理の時代から個々の目覚めの時代へ -宇宙の秘密みかこのブログ

ここでは少し違う視点を提供出来たらと思います。

l  在日コリアンに対するヘイトスピーチ(日本)
l  イラクやシリアで勢力を拡大するイスラム国(80ヶ国 15,000人以上が参加)
l  民主的選挙を求めてデモを続けた香港の学生(最大10万人以上集まる)
l  スコットランドの独立運動(イギリス)
l  カタルーニャ地方の独立運動(スペイン)
l  極右勢力による移民排斥デモ(ドイツ)
l  白人警官による黒人射殺をきっかけにした黒人デモ(アメリカ)


今、世界各地で群衆の動きが頻発しています。この番組では、群衆の動きから、現代の世界や日本で起きている様々な問題~環境問題、貧富の格差、地域紛争など~について考えていました。

群衆については『群衆心理』(著者:ル・ボン)を参照し、以下の9つの特徴を掲げています。

(1)感染する (2)過激に走りやすい (3)衝動的である (4)暗示に弱い
(5)時に高い徳性を示す (6)国民も群衆化する (7)反復・断言に弱い
(8)群衆は同一化する (9)群衆は服従する

市民革命を経て、民主主義が浸透していく中で、群衆が歴史を動かす時代となっていきます。ですが、その心理はいまだ未熟であり、同調の心理が働き、指導者に服従する状態となっています。それは今の社会の混迷を生み出している要因の一つでしょう。

群衆は群衆心理を超えた集団になる必要があるのです。


デカルトのこの言葉により、人(精神)は、身体(物質)を自分から切り離し、分析対象とするようになります。そして近代科学が生まれ、物質生活を豊かにしましたが、精神は荒廃していきます。身体との繋がりを失った精神は世界との繋がりを失ってしまったのです。そして世界とは神そのものだから、神の存在も見失うことになります。ニーチェは『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で「神は死んだ。私たちが殺した」と語ります。そして、その後時代が下り、虚無や人間疎外などの言葉も生まれるようになります。この状態が群衆の心理にも影響しているのだと思います。世界との繋がりを失った人々は、不安定なため同調し服従する必要があるのです。

自らの身体感覚を取り戻し、天に心を向ける。

それにより世界との繋がりを取り戻し人は安定します。安定した人と人との繋がりが、新しい集団を生み出すのです。コミュニティの仏陀を目指す木の花ファミリーは、日々そうなることを心掛けていますが、まだまだ足りない状態にあります。日々の暮らしの中で、考えずに他人と同調すること、誰も意見を言わずに場が固まってしまうこともあります。

では、どうすればよいのでしょうか?

一度、木の花ファミリーを離れ戻ってきたかとけんは、以前と比べて、重たい場でも自由に発言が出来るようになっています。何が変わってきたのか?かとけんは以下のように話してくれました。

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かとけん(大町ビレッジにて)
自分はもう固まるだけ固まった。もうこれ以上それをする必要はない。一昨年の10月、木の花ファミリーを離れた時は、自分はもう終わったと思った。どん底の体験をした。あの頃は、意識が全部、自分に行っていた。なんとかしようとしてもどうすることも出来なかった。でも今は違う。場が固まっている時でも、この場を面白く展開するためのシナリオが自然と湧いてくる。気持ちが内にこもらずに、とてもフリーな状態。自分に囚われなくなっている。

☆彡 ☆彡 ☆彡

かとけんはどん底を知ることで余計なプライドを手放したのだと思いました。そして、自分に対する囚われが弱まり自由になっているのでしょう。デカルトの「コギト(我思う)」は人間を世界から切り離すだけでなく、自意識過剰な状態ももたらしたのかもしれません。それを克服することも大切な要素なのだと思いました。

※かとけんはファミリー通信Vol.79に登場しています。是非、こちらもお読みください。


さて、1月4日は帰省していて木の花ファミリーにいないメンバーも多くいました。そこで、昨晩あらためて「”群衆”と戦後70年」をみんなで観ました。以下はその後のいさどんの話です。

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今の時代になぜ群衆心理について考える必要があるのでしょうか?例えば、コマーシャルを観て下さい。それは完全にマインドコントロールの手段となっています。コマーシャルにはメッセージが巧妙に入っているのです。美しい映像、例えば、幸せな家庭の映像が流れます。そこではみんなが笑顔で楽しそうにしています。それを観ていると、家を買いましょうということが言われます。ローンを組みましょうと勧誘が始まります。ローンは一生の話。一生、お金に縛られるようになります。お金を使いましょう。お金を使って幸せになりましょう。次から次へとそのようなメッセージが流れてきます。テレビを観ていて思考が停止している状態では、誘導されてしまいます。そこに何の罪も感じないでしょう。僕たちはここにいて、今の経済や環境問題について理解しています。テレビで魅力的な商品が紹介されていたとしても、それが世界に与える影響を知っています。だから、自分の心をコントロールしています。今日、花祭りの練習を観ていて、あらためてここの暮らしの豊かさを感じました。この生活は世の中の流れに翻弄されていません。独自の歩みを続けています。他にこのような場所はないのではないでしょうか?

安倍総理は年頭所感で、「輝かしい日本を取り戻す」と述べています。まだ経済成長を夢見ているのです。今は厳しい時代です。環境破壊は深刻で、生活を根本的に変えなければならない時が来ています。文明周期説で見ても今は大きな変化の時です。それは一人一人が自分で考え、人間の尊厳を考えて生きて行く時代で、価値観は完全に変わります。その時、木の花ファミリーの暮らしはデータとなって新しいモデルとなっていることでしょう。

それを思う時、胸を張って生きていけます。これから先この暮らしはもっと大事となるでしょう。その自覚を持って日々を過ごしていくことです。自分の価値を自分で創っていきましょう。

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それを聴いたともちゃんは以下のように言いました。

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ともちゃん@出航祈念祭(2014年11月)

今の人たちは、自分の頭で思考して変になっています。頭の使う位置が違うのだと思います。直観が大切です。そして謙虚であることが大切なのだと思います。今朝、いさどんは「僕には、他人や世界を変えることは出来ない。自分は無力なもの。無力だからこそ、天意を顕していける」と話してくれました。無力であることを誰よりも知っているから謙虚で深く学んでいくのだなと思いました。過去に悟りを啓いた人たちは個人で悟りを啓きました。個人で悟ることはその人の枠の中で出来ることであり、個人の努力の問題です。私は個人では悟ることは出来ないと思ったのです。でも、コミュニティの仏陀を目指すならば、みんなと一緒に悟るのならば出来ると思いました。足りないところを助け合って、一つを表現していく。そういうことをこれからやっていくのです。

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戦後70周年。冒頭の安倍首相や天皇陛下の言葉は、一人一人が謙虚に振り返ることの大切さを伝えています。ですが、安部首相は同時に「経済を最優先にする」と述べ、「輝かしい日本を取り戻す」とも述べています。そして、先の衆議院選挙でも多くの政党が経済成長について触れていました。政治家たちの意識転換はまだまだ遠い状態にあるようです。僕たちは先に時代の流れにのり変化していきます。

群衆は同一化し一人一人の個性が生かされません。これからの集団は、お互いに助け合い、一人一人の個性が充分に活かされるものとなるでしょう。一人一人が正直に自分の気持ちを出し、素直に相手の言葉を受け取ります。そして、すべては善きことのためにあると信じます。出来事を謙虚にいただき、その意味するところを考えていきます。その実践に積み重ねる中で、自分への関心を弱め、他人や世界に気持ちを向けていけるようになるでしょう。その先にきっとコミュニティの仏陀が立ち顕れます。そんな未来が楽しみです(^-^)




正しく世界を見る。それが人間関係を豊かにしていく。

いさどんとひとみちゃん(2014年8月7日川遊びにて)
いさどんひとみちゃんは毎日、昼間に散歩をすることにしたそうです。散歩をする時、いさどんは、先に行ってしまったり、「あっちに行くから」と言って違う方向に歩くそうです。いさどんはそんなふうにして散歩を楽しんでいるのです。ひとみちゃんはそんないさどんにへっちゃらな顔でついてくるそうです。いさどんはゼイゼイ言っているのに・・・。

ひとみちゃんを疲れさせたい! アップアップさせたい!

そう意気込むいさどんは運動靴を買うことにしました。そんなふうに二人は散歩を楽しんでいます。表面的行動だけ取り上げたら、いさどんの行動はただの意地悪になってしまうのでしょうが、いさどんの心の奥には愛があり、ひとみちゃんとの間には信頼関係があります。だから、そのやり取りは微笑ましいものとなっているのです(^ー^)


ところで、日本の高齢者人口は3,000万人を突破し、そのうち600万人は一人暮らしをしているといいます(NHKスペシャル『老人漂流社会‟老後破産”の現実より)。貧しい人間関係の中で暮らすお年寄りが増えているのです。そんなお年寄りをいかにケアしていくかは今の社会が抱えている課題と言えるでしょう。

木の花ファミリーでは月に一度、「恵みいただきます」という食事会が開催されます。恵みいただきますには毎回、多くのお年寄りが参加しています。そして、食事や買い物、人との交流を楽しんでいかれます。地域にお年寄りを元気にする場となっているのです。
※当日の様子や詳しい情報は以下の記事をお読みいただけたらと思います。

「恵みいただきます」と、僕たちが目指す世界 - HIROッチDairy in 木の花ファミリーより

恵みいただきます/経済的効率より大切なもの - このBLOGの記事です。

みんなの中でよみがえり生きていく - このBLOGの記事です。

こんなふうに僕たちは、お年寄りのケアに貢献しています。それに加え、木の花ファミリーの協力団体、NPO法人ぐりーんぐらすでは、地域社会に繋がりを生み出す事業として便利屋を行っています。便利屋も、お年寄りの人間関係を豊かにすることが出来る事業であり、まっちゃんが主担当を務めています。


便利屋を担当しているまっちゃんです。
まっちゃんは最近、苦手な相手から便利屋の依頼を受けて悩んでいました。「またお願いします」と言われていましたが、その仕事に意味を感じることが出来ず、今度頼んできたら断ることを検討していました。というのは、家の中に牛糞の匂いがするため、シルバーシートを貼って防いで欲しいと言われていましたが、牛糞の匂いはしないし、仮に匂いがするとしてもシルバーシートで匂いを防ぐことは出来ないと判断していたのです。効果がないことをお願いして来ていて、しかも細かい要求もしてくるということでした。

結局、まっちゃんはこの依頼を断るのですが、その時の電話の対応に嫌悪感がにじみ出ていたようです。そんなまっちゃんに対して、いさどんは以下のように伝えました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今の社会では、人間関係が貧しい人たちが沢山います。そんな人たちの人間関係を豊かにするのが便利屋です。それは相手の意向に沿って進める仕事で、自分の好き嫌いでやる仕事ではないのです。様々な仕事を引き受ける便利屋は大きく広がる可能性を持っています。それは曖昧な仕事とも言えますが、曖昧なところを明確にすることで進めていくことが大切です。それはお客さんを緻密に見るということです。今回のお客さんのように人間関係が希薄になっている人は、その人自身にその原因があります。なので、要望にすべて付き合うのがよいというわけではありません。ですが、最初の印象が悪くとも、仕事を引き受けて、当たり前のことを当たり前にこなすことで信頼関係を築いていけます。そして親しくなった時にお客さんの状態について伝えていくことが可能かもしれません。その見極めを慎重に明確に進めていくのです。相手に対する理解は愛です。愛を持って緻密に見ていく。それは世の中の心の貧しさを埋めていく取り組みとなるのです。
ところが、まっちゃんの姿勢はパートタイマーの姿勢です。いやな仕事を引き受けている。そんな気持ちでいます。その心は相手に伝わり、相手は細かいことを気にするようになるのです。そうするとどんどんいやになる悪循環が生まれます。楽しくない状況は自分で生み出しているのです。発想の転換をし、本来の便利屋の使命に基づいて行動すれば、お客さんとの関係も豊かになり、どんどん楽しくなっていくのです。

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これを聴いたまっちゃんは心を切り替えてやる気になっています。まっちゃんの姿勢が気になったので、僕やオフィスチームの人たちもそのことを伝えていましたが、僕たちにはまっちゃんの心を開くことは出来ませんでした。その違いは愛の深さにあり、僕らにはそれが足りなかったです。

では愛とは何か?ティク・ナット・ハンは「愛とは理解に基づくもの。理解がなければ愛することは出来ない」と言っていますが、いさどんも同じことを言いました。そして、そこから深い世界観を展開しました。

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愛とは正しく見ることです。すべての現象は、この宇宙の法則に基づいて起きています。そこに対する信頼が愛です。この信頼があるからこそ、安心して心磨きをすることが出来るのです。愛はすべての場所に遍満しています。それはこの世界の実態、心の実態を忠実に表すもの、仕組みと言うことも出来ます。この仕組みの中に我を持つ自分がいます。陰と陽。相反するものが向かい合うことで新たなものを生み出すのがこの世界です。一つの世界(愛)から分かたれた自分(我)は、世界に向かうことで新たなもの、より大きな調和を生み出します。人間は、生きることで現象を貰い自分の位置を知ることが出来ます。滞りも痛みを持って導こうとして下さる愛の顕れです。すべては鏡(かがみ)であり、「我(が)」を取ると神となります。神とは愛です。心磨きをすることで「が」がなくなり神が顕れ神と一体となり愛そのものになります。みんな幸せになりたいと思っていて、自分に対する愛を持っています。ならば、自分が広がり世界と一体になれば、世界に対する愛を持ち愛そのものになっていきます。この世界に愛は遍満しているのです。

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思いやり、相手への愛、世界への愛が大切であり、それは自分と世界を知ることで深まっていくのでしょう。そして、愛とは神のことでもあります。続けていさどんは語ります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

神は世界に遍満しています。それを人間が知って喜びを表現することが大切です。神は最も謙虚な存在です。「神はいない」と人々が言っても、何も言わずに人々を見守り続けます。そして、宇宙の法則に基づいて愛を注ぎ続けています。分からないようにしているけれども、気が付くとどこにでもいるのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

宇宙に遍満している愛。どこにでもいる神。それに気づけば何でもないふつうの日常が特別なものとなります。冒頭のいさどんとひとみちゃんの話しはそんな特別な日常の一コマです。楽しそうですよね。この豊かな関係は、愛に基づき精密に見ていくことで生まれているのです。







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