自分を知り、その自分を超えていく

プロセスを楽しむ」でも書きましたが、いさどんは僕に以下のように語ってくれたことがあります。

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自分を見て、自分を分かれば分かるほど、精度高く見るようになっていく。
分からない人間は出来ていると思いがち。
分かれば分かるほど、人は「まだまだ」と思う。
そしてその「まだまだ」という心が人を創っていくんだよ。
分からない人はもう出来たと思うから、全然心を磨かず失敗を繰り返しドツボにはまっていく。

「まだまだ」と思いながら高いプライドを持つ。それを同時進行していくことが大切なんだよ。

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高いプライドはどこから来るかと言ったら、自分を超えていく意思から来るのだと思います。

知れば知るほど、至らない自分が見えてきます。

「世の為人の為」という理想を掲げながらも自分の都合で動いている自分。
周りからの評価を気にする自分。
失敗を恐れる自分。
そして、ちょっとの失敗で落ち込む自分。

などなど。

誤魔化さずに真っ直ぐに自分を見ると至らないところがたくさん見えてきます。
ですが、自分を知ることで自分を対象として眺めることが出来ます。
そして、いつもその位置にいることが出来たならば、
人は自分を超えて、自分から自由になれるのだと思います。

自分を知り、その自分を超えていく。

きっとそこは「みんながひとつ」の世界で、そこに究極の喜びがあるのだと思います。
そしてそこを目指す意思が高いプライドとなっていくのでしょう。

矛盾を超えて生きていく。」にも書きましたが、ここ最近「人の気持ちを理解していない」ことを痛感する出来事が続きました。あらためてその時のことを振り返ると、自分が自分の感情のままに行動し、そして感情に振り回されていることに気づきます。ここ数週間でいさどんから貰った言葉を書いてみます。

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1、自分の衝動のままに(文章を)書いている。そのため相手がどう感じているかが見えていない。

2、相手の意向ばかり気にしていてこちらの立場をしっかり示せていない。そのおどおどした態度が相手に「何かあるのではないか?」という印象を与え、相手の中に余計な心を育てていく。

3、なかのんは分かっていることを分かっている立場で語っている。客観的な位置に立つことが出来ていない。

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2の「相手の意向ばかりを気にする」ということは、一見、相手の立場を考えているように思えるかもしれませんが、それは違うのです。僕の中には思惑があって、その思惑に沿って欲しいという気持ちがありました。そして相手に余計な気遣いをしたり、余計なことを伝えたりしたのです。その結果、会話がスムーズにいかなくなりました。結局、相手の状態(心)を冷静に見ることが出来ていないのです。

願いから自由になるために生まれてきた。」を書いた頃、僕の心は澄んでいました。生きているのが楽で楽しく、滞りもほとんど起こりませんでした。その後、僕の中に「願い」が生じ、感情が乱れ、滞りも起きるようになりました。

これは僕が退化したのかと言ったらそんなことはないのです。

より広く深く世界を見ることが出来るように。もっともっともっと成長するように。
そのために僕の中に「願い」が生じ、感情が乱れ、僕は今、そこと向き合っているのだと思っています。

それは自分をさらに深く広く知るための旅路です。

僕は今、滞りの中で自分に対する認識を深めています。
そして、僕は、認識を深める中で知った自分を超えていくのです。

きっと人生はこの繰り返し。

次から次へと湧き上がる感情を通して、自分を知っていく。
そして、その自分を超えることで、自分の「濁り」を取っていく。
そして、また感情が生じる。

その繰り返しの中で自分に対する認識が深まり、世界が広がり、
宇宙をより感じるようになっていくのでしょう。
その中で積み上げていく価値は、時代や社会を超えて普遍的なもの。
そうやって死の向こうまで伴える価値を積み上げていくのです。
そして、その結果、出会う現実も豊かに変化していくのでしょう。

僕はまだまだ未熟ですが、それでも出会う現実は確かに変化しています。

心を磨いた結果出会うこと。

人生はただただそれをいただいていくだけなのです。






矛盾を超えて生きていく。

ここ最近、「人の気持ちを理解していない」ということを痛感する出来事が続きました。
木の花ファミリーの暮らしは計画や段取りを立てるのではなく、天の流れをいただくことで成り立っています。そんな暮らしをしていると、この宇宙の大きな流れに気持ちを向けやすくなります。

ですが、大きな流れが見えたとしても、そこに関わる人の気持ちを大切にしていなかったり、自分の感情に囚われていたりすると滞りに繋がってしまいます。

自分の主観から離れる。

この基本となる姿勢が出来ていないからこそ、人の気持ちを理解出来ていないのだと思います。
あらためて自分の心をしっかり育てる必要性を感じました。

日常生活での失敗が続いて大人ミーティングが停滞している時、スカイプで参加していたいさどんから「これもプロセス」という言葉がありました。その時はその一言しか聞こえなかったのですが、あとであわちゃんから「死の向こうまで伴える価値を積み上げていく」という話が同時にあったことを聴きました。

死の向こうまで続く価値とは何か?

いさどんブログ「いつか死を迎えるときに」には以下の記述があります。

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人が生きて、終末を迎えたときに問われるのは、「濁り」なのです。人生の内容のことは何も問われません。そこでは心の濁りだけが浮き彫りになり、自らの生きた結果として問われることになるのです。

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自分の持つ濁りに応じて、この世界では様々な現象に出会います。思いもよらないことに出会うこともありますが、それは今の自分を超えるチャンスともなります。一つ一つの現象に逃げずに向き合うことで自らの価値を積み上げていく。その視点を持つことでどんな出来事も尊い学びとなるのでしょう。

陰と陽。ない世界とある世界。精神と物質など。

この世界は相反するものの存在から生み出されています。
濁りがあるから物語が生まれ、濁りを取ることでこの世界と一つになっていくのです。
濁りは肯定されるものであると同時に否定されるものでもあります。

先の紹介した「いつか死を迎えるときに」には以下の記述もあります。

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矛盾とは、真実に目覚めるためのものでもあります。この世界の全ては相似形でできているのですから、探求すればするほどその解釈はどんどん深くなっていき、そしてその究極の矛盾の解釈は、相反する存在の理解につながるのです。そこでは、物事の一方から離れて解釈できるところまで行くことが大切なのです。それは、物理的世界を超越してしまうことであり、私たちは今ここにいながらにして、宇宙が理解できるところにいるのです。

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自分の都合のままに生きる時、それは一つの立場からの言動となり、知らず知らずに矛盾を生み出していくのではないでしょうか?例えば、戦争反対という言葉が主張の違いを生み出し、対立に繋がっていくように。

自分を離れた時、相反する物事が同時に存在する世界が見えてきます。
その時、矛盾は矛盾でなくなります。

願いから自由になるために生まれてきた」に書いたように、

山を登り続けて川を流れ続ける。

そこに矛盾がないのがこの世界です。



安全保障関連法案、原子力発電、沖縄基地問題などなど。

この社会には様々な矛盾に満ちた問題があります。
もし一人一人が自分の立場に留まっているならば、その矛盾はさらに増幅していくことでしょう。

ですが、一人一人が自分を離れることができた時、矛盾を超えて、矛盾のない世界が展開していくのだと思います。その時、すべての存在は調和の中で暮らしていくことが出来るでしょう。そんな未来に向けて、一つ一つの現象を通して自分の心を創っていきます。


平和は調和の心から生まれる。

7月23日、24日と木の花ファミリーではカタカムナ研究会が開かれました。
 ※その様子はあわちゃんのウルルン木の花滞在記に掲載されています。
僕は研究会には参加していないのですが、23日の昼食を講師の芳賀さんと一緒にしました。

その時、地球暦が話題になり、芳賀さんは地球暦について以下のように語りました。

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あれも数霊(かずだま)の一つだね。
時(トキ)の流れは一定のように思われているけれども、一人一人、その時その時違うんだよね。
楽しい時間が早く流れたり、退屈な時間はすごく長く感じたりするけれども、トキの流れが違うんだよね。「トキ」をカタカムナの単音で見ると、「ト」は統合で「キ」は発生。統合して発生することで「トキ」として動きだすのだけれども、そのためには満(ミツル)必要があるんだよね。ミツルことなく、動き出さない「トキ」もあって、それが流れに違いを生み出しています。

 カチカチカチカチカチカチ・・・・・
 カチ カチ カチ カチ ・ ・ ・ ・
 カッチ カッチ カッチ カッチ カッチ ・ ・ ・

こんなふうに「トキ」の流れが違ってくるのです。

地球暦は太陽を中心とした惑星の動きで客観的と言えますが、見る人の心で動きが変わります。そして、惑星自体、時々刻々と質量は変化し、動きは一定ではないのです。

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そして今日、7月26日はマヤの新年、11MENです。
木の花ファミリーでは太陽マヤ族の活動に共鳴し、祈りの祭典を行いました(詳細はこちら)。
この祭典の中で、いさどんが挨拶をしたのですが、いさどんは「トキ」ということについて語っていました。以下、いさどんの言葉(あまり正確な記憶ではありませんが)を紹介しますね。

太陽の光(式典の最中)です。


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昔太平洋に存在したと言われているムー大陸。その高度に発達した文明は、言霊としてヤマトの国(日本)にカタカムナとして伝わりました。そして、「トキ」の秘密はマヤに伝わりました。マヤ暦は宇宙の流れを察知していて、その証として、2012年12月21日、銀河の冬至と同時に終了しています。冬至は最も暗い地点です。そこを通過した今、時代は光へ向かっています。
2012年12月21日 銀河の冬至に向けて、木の花ファミリーではカルマ読みなどを通して心を磨き、それを迎える準備をしていました。そして、2011年3月、東北大震災が起きた月に地球暦に出会い、昨年マヤにも出会いました。ヤマトとマヤの出会い。これは我々が意図していることではなく、時代に流れによるものです。

産業革命以降、人々は自我(エゴ)により社会を発展させてきました。これは人間が自らの可能性を発揮するという意味で必要なプロセスでした。ですが、自我(エゴ)による社会は様々な矛盾をもたらし行き詰まりを見せています。

「トキ」は今、大きなターニングポイントを迎えています。

平和は調和の中から生まれます。調和のない中で平和を求めても、それが一つの主張になり、新たなる争いを生み出すのです。調和を生み出すことが何よりも大切なのです。

一人一人が自我(エゴ)を超えて、みんなで調和に満ちた暮らし、阿吽(あうん)の暮らしを生み出していきましょう。そんな我々の暮らしが時代の先駆けとなります。

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芳賀さんの言うとおり、「トキ」の流れはそこに関わる人々によって変化するのかもしれません。銀河の冬至という大いなる流れも、それをどう捉えるかで「トキ」が満ちないこともあるのでしょう。だけれども、それはきっと変化に至るスピードの問題で時代の流れは確実に光の方へ向っているのでしょう。その流れを掴むことで主体的に楽しんでいきたいです。

今、時代は人間に自我(エゴ)を超えることを求めています。

SEALDsによる国会前での抗議デモをはじめとして、今、安全保障関連法案に対する反対運動が活発になっています。行動を起こすということは大切なことかもしれませんが、いさどんの言う通り、調和のない中で平和を求めても、それは一つの主張になってしまい、新たな争いを生み出すのではないでしょうか?

調和は一人一人が自我(エゴ)を超えた時に実現出来ます。一人一人が自我(エゴ)を超えた視点から判断出来ているかが重要になるのです。

安全保障関連法案に関しては、「安保法制について考える前に、絶対に知っておきたい8つのこと-伊勢崎賢治『戦場からの集団的自衛権入門』から」も興味深い記事でした。ここで述べられている8つのことを紹介しますね。


1、集団的自衛権の集団は「同盟国」のみを差し、同盟国はそれぞれの国益を行使している。

2、国際貢献の際、「お金だけでは駄目」というのは勘違い

3、イラク戦争の際、「Show the flag」という言葉が自衛隊インド洋派遣の原動力になったが、
  これは派兵を求めた言葉ではなく「旗幟を鮮明にしろ」と言っただけ。

4、安部内閣は集団的自衛権を行使しないとアメリカが助けてくれないと思っているが、
  それは勘違い。


5、アメリカは日本に自衛隊派遣を求めていない。

6、集団的自衛権の行使によりイスラム圏が持っている日本の良いイメージが壊れる。

7、今現在も自衛隊は命を失う危険がある活動をしている。

8、非武装の自衛隊による真の世界貢献をしていくことが大切。
  例えばアフガニスタンの国連軍事監視団を設け、その任務に日本が名乗りを挙げる。



戦場をリアルに知っているという伊勢崎氏による意見は説得力があり、安倍政権がいかにバカな選択をしているかが描かれています。安全保障関連法案に反対の人は、冷静な視点としてこの意見を積極的に取り入れるでしょう。ですが、僕はここに書かれていることも一つの可能性に過ぎないと思っています。いろいろな人の思惑の中で現実世界は動いていて、そんなに単純にことは運ばないと思うのです。この意見に賛同する時、どんな心から賛同しているのかを見てみるといいのではないかと思いました。

いさどんは安全保障関連法案について「すべての軍備を放棄して、日本の財政再建や世界各国の貧困をなくすことに繋げたい。仮に隣国が攻めてきたら、その国が日本を支配すればいい」と語ります(「いさどんのいただきます人生」参照)。大切なのは調和の心でその心を育む覚悟なのです。僕たち木の花ファミリーのメンバーはいさどんの言葉にみんな共鳴しています。それは自分を守ろうとする心の放棄であり、自我(エゴ)を超えていく試みだからです。そこに未来に必要な姿勢を感じているのです。

平和は調和の心から生まれます。

その視点からみんなが自分の心や行動を振り返ってみるといいのかなと思います。
そうすることで、「トキ」はきっとよりスムーズに流れます。

カッチ    カッチ    カッ

という状態から

カチ カチ カチ カチ ・ ・ ・ ・

という状態へ。


式典後みんなで撮った写真です。






見えないところに究極の真理がある

7月19日、木の花ファミリーでは月に一度の食事会「恵みいただきます」が開催され多くのお客さまを迎え豊かな時間を過ごしました(当日の様子はこちら)。

今回の「恵みいただきます」のメニュー。テーマは『こころ♡つながるアジアンごはん』でした。

そして7月18日~20日、「宇宙おじさんの人生講座2 人生地図を読む」も同時開催されていました。参加者のアンケートを見るとみんな充実した時間を過ごし、自分に対する認識を深めたようでした。

人生講座の初日、社会情勢のプレゼンがあり、大人ミーティングでは安全保障関連法案に対するいさどんの見解「あなたにも問われる」が読まれました。そして、いさどんは、今、宇宙に訪れている「トキ」について語りました(「あなたにも問われる 後編」参照)。
                                 
宇宙の「トキ」を感じる際、探査機「ニューホライズンズ」が撮影した冥王星の写真が送られてきているという事実はとても示唆に富んでいます(「冥王星の地表に氷の山脈」など参照)。

究極の真理(天)には心がある」にも書いているように、占星術や地球暦では、冥王星は、死と再生(破壊と創造)、究極の真理などを表します。そして、冥王星は肉眼では見えない星です。

見えないところに究極の真理があり、破壊と創造を司っているのです。

この冥王星は1930年に発見されました。その前年の1929年には世界恐慌が起き、その影響でファシズムが台頭し、世界は第2次世界大戦へ向けて進み始めていきます。究極の真理に向けて、まずは破壊が起きた。そんなふうに捉えることが出来るのではないかと思います。

そして、物理学は量子力学の時代に入っていきます。量子力学は、分子や原子、あるいはそれを構成する電子など力学を記述していきます。それはまさに見えない世界への探究と言えるでしょう。

そして今、探査機「ホライズンズ」によって冥王星の地表について新たな発見がもたらされています。それにより見えない世界への探求がそれだけ深まることが示唆されているのです。

今、この世界には様々な現象が起きていますが、それらはすべてプロセスであり、過去から未来へと続いていきます。そして、それを生み出しているのは、見えない世界、一人一人の心なのです。

例えば、安全保障関連法案ですが、先日、世論が反対する中、衆議院を通過しました。
これはとてもおかしな現象ですが、この現象は、2012年の衆議院選挙、そして昨年12月の衆議院解散総選挙での国民の選択が生み出しているのです。そして、その種は一人一人の心の中にあります。

経済成長という目先の利益を求める国民の心が安部政権を選びました。理由はそれだけかもしれません。ですが安倍首相は憲法改正を目指していて、安全保障に関して自衛隊の活動範囲を広げ、武器使用基準を緩和することは目に見えていました。つまり今の安全保障関連法案に反対ならば安部首相を選んではいけないのです。それなのに国民は安部首相を選んでおいて、今、批判をしています。とても自分勝手な国民の姿がそこにはあります。その利己心が現在の安全保障関連法案を巡る状況の種になっていて、それはその他、様々な社会問題にも言えることだと思います。

例えば、IS(イスラミックステート)について言えば、それはアメリカによるイラク戦争に遡りますが、イラク戦争の口実となった大量破壊兵器は見つかりませんでした。その奥には経済的理由が想定されていて、やはり利己心がもたらした戦争と言えるのです。

その他、東芝によって行われた不適切会計、ギリシアの財政危機を巡るEU内の対立、イランと6カ国により核協議の合意などもすべてプロセスであり、それに関わる一人一人の心がその現実を生み出しているのです。

なので、現象から宇宙の意志を知り、自分を知ることが大切になります。

 天と対話していく。

そのことにより見えないところにある究極の真理に近づいていくのでしょう。

冥王星はゴールではありません。
真理は太陽系の外にも開かれています。
より広い世界、銀河系、そして宇宙の果てへと広がっていくのです。

それは無限に続く旅。そこに心を開けば、その旅が僕らの心を育ててくれます。
そして、その育った心が豊な未来を生み出していくのです。

冒頭の「恵みいただきます」の料理はそんな豊かさの一つになっているかなと思っています。
来月は29日(土)に開催されますので、是非遊びに来て下さいね。


「恵みいただきます」終了後にみんなで撮った写真です。

そして、7月26日(土)はマヤ暦の新年11MENです。
太陽マヤ族の尊母ナー・キン氏は、イタリアのドロミティにて祈りの祭典を行います。
木の花ファミリーでは、同日午前10時より祈りを捧げる祭典を行います。
世界中のそれぞれの地で午前10時に祈りが捧げられる時、地球上に祈りのウェーブが巻き起こります。この祈りのウェーブに参加し、共に新しい時代の扉を開きませんか?
宇宙と共に生きていきましょう。 ※祭典の詳細はこちらをご覧ください。




天と対話していく。

心を磨いた結果出会うこと」に書いているように、僕には願いごとがあります。
その願いごとは個人の想いで叶えることではなくて、天の流れの中で叶っていくことなのだと思っています。なので、どうすれば叶うのかを想像することがまったく出来ません。

僕はとりあえず願いを置いておきます。そして、日々の生活を大切にしています。

天とは宇宙のこと。そして自分も宇宙の一部です。
ということは、自分の願望も、元を辿れば、天から与えられたものなのでしょう。
ではなぜ天は僕にその願望を与えているのでしょうか?
きっとそれを通して学び、心を育てることが求められているのだと思います。

なので、「叶わないから願いを捨てる」というのは違うと思います。
とはいえ、その願いに執着するのも違うと思います。

すべての出来事は自分に相応しく与えられています。
だから、願いを置いておいて、ただただ心を磨いていくことが大切なのでしょう。

それは天との対話なのだと思いました。
天から与えられた自分の願いごとや想いを通して、現実と向き合い、
その奥にある天に意思に気持ちを向けるのです。

結果を求めるのではなく、一つ一つのプロセスを楽しみ、
そこに天に意思を読み解いていくのです。
それがどんな未来を切り拓いていくのか?
それが自分の想像を超える出来事であることは間違えないでしょう。

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ところで、先日、安全保障関連法案が衆議院を通過しました。

安全保障関連法案に反対する学者の会SEALDsなどそれに反対する団体が活発に活動し、世論も反対が多数となっています(「《本社世論調査》内閣支持率急落35% 不支持51%」参照)。

多くの人が反対しているのに法案は成立していく。

そんなおかしな現象が起きているのです。

この法案については違憲という判断もあり手続き上の問題は多々あると思っています。
その問題を置いておけば、僕はこの法案について賛成でもなく反対でもありません。

大切なのは、真の平和を生み出すことであり、それは法案に対する賛成か反対かという2者択一の判断によるのではなく、その奥にある心がもたらすものなのではないでしょうか?

例えば、「戦争にNOを言う」ということが反対に理由に掲げられていますが、奥にある心が「外国のことはいいから自分の安全だけを守りたい」というものなら、それは新たな争いの火種になるのではないでしょうか?その利己的な姿勢は他者(外国)からの非難を生み出す可能性があるのです。

ならば、賛成すればよいかと言ったらそんなこともありません。今の世界には貧富の格差など構造的な問題が多々あり、その不満から戦闘が生まれています。それを武力で解決することは出来ないでしょう。法案に賛成すれば、そんな戦闘を支援することになり、それは不毛なものになりかねません。自分の利益を守る。そんな気持ちから戦闘が生まれているのです。

賛成、反対に注目するのは結果を求める心です。
そうではなく、今のプロセスを見極め、その奥にある天の心を感じることが大切だと思います。

僕は安全保障関連法案を巡る動きに時代のうねりを感じています。
天は僕らに大きな変化を求めています。

法案を進める人たちは、世論の反対に目を向けて、その現実から学ぶべきだと思います。
そして、反対運動をしている人たちは、反対しても法案が進んでいく現実から学んでいく必要があるのではないでしょうか?

どちらも天からのメッセージです。

一人一人の心の持ち方が違うからこのような現実が生まれているのではないでしょうか?

いさどんのいただきます人生「あなたにも問われる」の中で、いさ総理(いさどん)は「自分を守ろうとすることを放棄する」ように勧めています。

自分を守ろうとする心。

それは法案に賛成する人に中にも反対する人の中にもあるのではないでしょうか?
それが思い通りにならない現実を生み出し、時には争いに発展するのではないでしょうか?

自分を守ろうとする心を手放すこと。

僕は今の法案を巡るプロセスからそんな天のメッセージを感じています。

人間の力で意図的な現実を生み出す時、それに抵抗する力を生み出します。
人類はそんなふうに争いを生み出してきたのだと思います。

違う流れを生み出してみませんか?

願いや想いを置いておいて、ただただ心を磨いて、天と対話し流れを委ねる。

みんながそんな生き方をした時、この世界には人間の想像をはるかに超えた喜びが広がっていく。

僕は今、そんなふうに感じています。



究極の真理(天)には心がある

日本時間7月14日夜、アメリカ航空宇宙局(NASA)の探査機「ニューホライズンズ」が冥王星に1万2000kmの距離まで最接近したそうです。その直前、6万8000km離れた地点から冥王星を撮影した写真が発表されていますが、そこにはハートマークがくっきり見えているのです(「冥王星、ハートマークがくっきり『ニューホライズンズ』が最接近(画像)」参照)。



占星術や地球暦では、冥王星は、死と再生、究極の真理を意味します。

究極の真理には心(ハート)がある。

そんなふうに取れてとても面白く思いました。

究極の真理。それは天の法則とも言えます。天には心があるのです。

ところで、他者の心を理解した時、それを自分の心のように感じるものではないでしょうか?
他者の喜びが自分の喜びとなり、他者の痛みが自分の痛みとなります。
ということは、天の心を理解した時、それは自分の心となっていくのでしょう。
その時、自分の心の質が大いなるものに変化していく。そんなふうに感じています。

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農事組合法人木の花ファミリーは、僕が住んでいる静岡県富士宮市だけでなく、長野県大町市にも事業所があり、大町ビレッジとして営農活動を行っています。

最近の大町ビレッジの様子です。


大町ビレッジでは、昨年の5月から農業倉庫を良心的な価格で借りていました。この倉庫については自分たちで動力工事を実施し、穀物乾燥機を導入し、今では大町で営農活動を行う際に欠かせない存在になっています。

この倉庫について突然、「他の人に売る」という連絡を大家さんから受けました。この話を聴いた時、大町ビレッジの人たちは倉庫を返すことを考えたようです。

ですが、それは現実的ではなく、倉庫を借りる際に交わした契約書には、売買の第一交渉権が僕たちにあることが書かれているのです。そのことを大町ビレッジの人たちに伝え、大家さんに購入の意思を伝えました。

すると当初聞いていた額より値上がりした額が提示されたのです。

なぜ値上がりしているのか?

みんなそのことに疑問を持ちました。

 ???(゚д゚)ハァ? ???

ですが、必要なものなので購入しようとみんなで決めました。
そして僕は契約を結ぶためいさどんと大町に向いました。
 ※この時いさどんと交わした会話は、以下のブログとなっています。
  「天に想いを返す」 「そこにある違いを知る」 「プロセスを楽しむ

この時、「どれだけ値下げして当初の金額に近づけるか?」と考えているメンバーもいました。

大町に到着し待ち合わせの場所に行くと、宅建の資格を持っている方が来ていました。
そして以下のように言うのです。

この倉庫の価値から考えると今回提示した額はとても安すぎるのです。今回、是非とも契約を結んでいただきたいのですが、出来たら売買金額を上げていただきたいのです。検討していただけないでしょうか?

この話を元にまたみんなで話し合いましたが、購入金額については様々な意見が出ました。

この物件に価値があり、購入する必要があるのでは事実です。
とはいえ、急にお金が集められるわけではありません。
相手の意向に応える必要はありますが、現実的に対応できる数字を出す必要があります。
その数字をみんなで考えて出しました。

こんなふうにして倉庫を購入したのですが、その過程で僕たちの心が試されました。

大家さんより「他の人へ売る」という話を聞いて、倉庫を返そうと思うこと。
当初の額より値上がりした時、値引き交渉をしようと思うこと。
そして、大家さんより値上げの要望を聞いた時にそれぞれの人が考えた数字。

これらには、その時その時、それぞれの人たちの心が現れています。
それは自分を知るよい機会となっているのです。

自分の立場だけでなく相手の立場も考える。そして筋道を通していくことが大切です。

この倉庫購入の話は自分たちが意図したことではありません。
そこに何か流れ、天の心を感じました。

天の心とは道理であり、客観性なのだと思います。
この視点に立った時、自分の都合を通すのでもなく、相手に媚びるのでもなく、
交渉の中で天の心を表現していけるのだと思うのです。

実際、僕たちにとってこの倉庫購入は一つの物語であり、学びの機会となりました。

すぐに結論を出さずに一つ一つのプロセスを大切にしていく。
そして、その時その時の自分の心に向き合い、相手の心に想いを馳せる。
そして、天の心に想いを馳せそれを表現していくのです。

こんなふうに自分の心を創っていこうと思っています。(^-^)。









心を磨いた結果出会うこと。

宇宙の秘密みかこのブログ「ミノナライ」が大人ミーティングで読まれた時、

いさどんが来る時に限って失敗する」

という発言がありました。その原因について僕は「評価を求めて硬くなってしまうからそういうことが起こるのかな?」といさどんに尋ねました。そんな僕に対していさどんは以下のように話してくれました。

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僕が行くことで緊張するとかそういうことではなくて、多くの人は自分のやっていることが見えていないのです。そこに僕が行くことによって、見えていなかったことが明らかになるのです。つまり、それまではOKにしていたことが、よく見ることによってOKではなくなるのです。こういう人は普段から失敗をしているのです。

多くの人は自らの欲望のままにそれに翻弄されて生きています。
これは意識が自分にばかり向いている状態です。
この状態では心からの気づきは生まれず、失敗も見えないのです。

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いつも様々な気づきを得ているいさどん。
いさどんは普段から宇宙を意識して生きています。

☆彡 ☆彡 ☆彡



好むと好まざるとに関わらず明日は必ず来ます。
好むと好まざるとに関わらず人は老いて死を迎えます。
これはものすごく大きな法則で、天体の動きがそのまま表現されています。

僕にはこの世界に星々の運行が見えます。初夏が来て緑が濃くなっているのも地球の自転と公転の動きの現れです。地球に時代が巡ってくるのも太陽系の中の冥王星と太陽との対話によって出来ています。そして、我々が還暦を迎えるのは、土星と木星との対話で成り立っています。我々は全部、星回りで生きているのです。(地球暦を参照して下さい)

こういうことを常日頃考え語っていたら、自らの欲望に心奪われることはなくなり、気づきが生まれ物事がスムーズに流れていくのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

つい最近、僕は自らの望みを増幅させていました。そしてその望みに捕らわれていました。意識を向ける方向を間違えその結果気力が落ちていました。そんな僕に対していさどんが言葉を掛けてくれました。

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常に意識を全体性に持っていく必要があります。あなたは今、個人的願望を抱えているわけだけれども、それをどう超えていくのか?それが重要です。個人的願望が全体性と共通していればいいのです。例えば、個人的願望が宇宙の法に基づいていたら、それは理に適っていきます。個人を高めるためというならば、それは全体性を持つことが個人を高めることであり、全体性と個人は本来、共通していることなのです。ですが、個人が抜きん出てしまうと、天が「それは違う」と滞りを与えてくれるのです。

心を磨いた結果出会うことがあります。願いが叶わない状態も自分を高める要素です。「はい!分かりました」と叶うようなことなら、その願いは本当に自分を高めません。

だから何より心を磨き続けることです。

そして、自分を高める努力をしていると、その努力したことでエネルギーが消費され、他のものはいらなくなります。いらなくなった状態をさらに超えた世界。共通の世界で極めていく世界がその次にあるのです。個人で高める努力から「みんなで」とか「一つになる」というところで極める世界があるのです。

それは前人未踏の世界。我々は前人未踏の世界を創らなければならないのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

僕はいさどんの言葉を理解しました。そんないさどんの言葉を「言ってもらった」と思って聴いていたら、なかなか活かすことは出来ません。僕はいさどんの言葉で真理を思い出したのです。数日前の大人ミーティングでいさどんは以下のように語っています。


☆彡 ☆彡 ☆彡

理解できるということは思い出したということです。
もし僕の話が理解出来ているならば、それは自分の中から湧いてきているのです。
「言われた」という意識でいたらそれは受け身の態度です。
その状態では、その後の実践になかなか繋がりません。
僕の言葉を自らの中から湧いてきたものとして実践していくことが大切なのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

いさどんの言葉は僕の中から湧いてきたものなのです。

そう、だから僕はもう自分の望みに捕らわれません。
そう、だから僕は常に全体性を意識していきます。
そう、だから僕は前人未踏の世界を目指します(^-^)

世界のお金がみんなのお金になるように。PART.5

ギリシャの金融危機が話題になっています。IMFやEUは金融支援の条件として緊縮財政をギリシャに求めていますが、先日、国民投票が行われ、民意は緊縮財政を拒否しました。

そんなEUやギリシャについていさどんは以下のように語りました。

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今、EUは中途半端な体制でやっているんだよな。どうせならEU政府を作って、そこで財務省を作ってやればいいのに。通貨は統一しているが、国ごとの経済力が違うから通貨の価値に歪みが生じてしまっているんだよ。

ギリシャの債務にしても、ギリシャ1国でどうするかを考えているから大変なことになっているけれども、EU全体で債務をならせば大してことはないはずだよ。ギリシャの経済規模はそんなに大きくないので。EUは、通貨を統一し経済圏を作りながら、結局、それぞれの国は、自国の国益は守るというようなことをしている状態だよね。そしてギリシャはプライドが高いから、EUからの提案を拒否している。このまま破たんが起きたらいろいろなしわ寄せが発生するんだろうね。だから、みんな、ギリシャに「お前のところはだらしない」と注文を付けている。

でももっと大きな視点でなんでこうなったかを振り返るチャンスに出来たらいいのに・・・と思う。

ギリシャの付けはギリシャの付け。

その発想なら、今までと同じだよね。

EUの中の付けはみんなの付け。

そういう発想になった時に、EUの本当の価値が出て、EUは世界が一つになっていくきっかけとなれるんだよな。

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公務員の数が多かったり、贅沢をしていたり、プライドが高かったりとギリシャには問題が多々あるのだと思います。

それを外部から批判し指導するのではなく、EUもそれぞれの国々が自分たちのこととして捉え関わった時、ギリシャに人々にも変化が生じるのではないか?

そんなふうに思います。

『世界のお金がみんなのお金になるように』にも書いていますが、木の花ファミリーでは、みんなのお金がみんなのために使われます。なので、誰がお金を持っていても同じで、必要なところに必要だけ使われます。

自分だけで生きようとすると、将来の備えが必要になって余分なお金を蓄える必要が生じるのでしょうが、みんなで生きていけば、自分でお金を蓄える必要はなくなります。誰がお金を持っていようが、みんなにとって必要なことに使われていくだけなので。

今はそんな世界に向けての過渡期にあって、ギリシャのこともそんな流れで起きているのでしょう。みんなで今を乗り越え、わくわくする世界を創っていきましょう!

木の花ファミリーのみんな。


苦しみは神が人間に与えた唯一の救い

苦しみは、神が人間に与えた唯一の救いである。苦しみと対面し、苦しみを乗り越えることが、その苦しみから解放される唯一の方法。今あなたが与えられている苦しみは、今までのあなたの生に対する答え。他の誰にも与えられていない、神からの救いです。



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上記の言葉は、いさどんが神様からいただいた言葉です。

人が苦しむのはどんな時か?

それは自我(エゴ)が浮上してきている時なのではないかと思います。
エゴが湧き上がる時、囚われや執着、所有の心が生まれ、滞り、苦しむことになるのだと思います。ということは、苦しみにより人は自らのエゴを知り、それと向き合うことで、自らを解放していけるのです。

自分を知り、自分を超えていく。

苦しみに向き合う時、そんな生き方が可能となります。

今日の大人ミーティングでは、袴田事件を扱った『BOX 袴田事件 命とは』という映画を観ました。
冤罪事件として、司法や警察、検察にあり方の問題点を浮き彫りにしたこの事件からみんなで様々なことを話し合いました。

そのなかでいさどんは以下のように語りました。

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この事件は今、再審が決定し、冤罪というように見なされていますが、それは本当なのでしょうか?司法や警察のあり方に問題があったのは事実ですが、それがそのまま無罪の証明にはならないはずです。「疑わしきは罰せず」という原則に基づいて、再審が決定したのではないでしょうか?

そして、取り調べの中、楽になるために自白をしたと言いますが、それはその後の裁判に続くわけで本当の意味で楽にはなりません。本当の意味で楽になるために、「自分はやっていない」と信じ切るということもあるのではないでしょうか?

そんなふうに考えると必ずしも冤罪とは言えなくなります。

そしてもし警察や検察が証拠のでっち上げなどをせず、証拠不十分な状態でも事実を積み上げた捜査や取り調べをしたならば、そのまま罪が確定した可能性もあるのではないでしょうか?

もちろん冤罪の可能性もあるのですが、真実は天のみが知るというところでしょう。

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人が人を裁くことはとても難しいことです。そしてそのことの意味も考えさせられます。

もし一人一人が自分で自分のことを裁くことが出来れば、もっと違う社会が生まれます。
木の花ファミリーの暮らしはそんな未来の社会へ向けての取り組みで、その際、問われるのは具体的な行為よりもむしろ心のあり方です。

過去から現在、未来へと続くプロセスの中で、自分自身の心を見つめ、体験を積み上げ、成長していく。その際、不調和を生み出す心は裁き手放していく。

ここでそんな実践を重ねることで世界に平和をもたらすことが出来る。そう確信しています。

そしてその際、重要なのは苦しみと向き合う覚悟なのだと思っています。

 くるたのしい

これは「苦しい」と「楽しい」を合わせた造語で作家の遠藤周作さんが使った言葉です。

苦しみに向き合う時、それは楽しさに変化し、そして救いになります。
 ※遠藤周作さんが「くるたのしい」を使ったニュアンスはこれとは違いますが・・・

苦しみは神が人間に与えた唯一の救いである。

そのことを忘れずに日々を大切に生きていきます。



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