矛盾を超えて生きていく。

ここ最近、「人の気持ちを理解していない」ということを痛感する出来事が続きました。
木の花ファミリーの暮らしは計画や段取りを立てるのではなく、天の流れをいただくことで成り立っています。そんな暮らしをしていると、この宇宙の大きな流れに気持ちを向けやすくなります。

ですが、大きな流れが見えたとしても、そこに関わる人の気持ちを大切にしていなかったり、自分の感情に囚われていたりすると滞りに繋がってしまいます。

自分の主観から離れる。

この基本となる姿勢が出来ていないからこそ、人の気持ちを理解出来ていないのだと思います。
あらためて自分の心をしっかり育てる必要性を感じました。

日常生活での失敗が続いて大人ミーティングが停滞している時、スカイプで参加していたいさどんから「これもプロセス」という言葉がありました。その時はその一言しか聞こえなかったのですが、あとであわちゃんから「死の向こうまで伴える価値を積み上げていく」という話が同時にあったことを聴きました。

死の向こうまで続く価値とは何か?

いさどんブログ「いつか死を迎えるときに」には以下の記述があります。

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人が生きて、終末を迎えたときに問われるのは、「濁り」なのです。人生の内容のことは何も問われません。そこでは心の濁りだけが浮き彫りになり、自らの生きた結果として問われることになるのです。

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自分の持つ濁りに応じて、この世界では様々な現象に出会います。思いもよらないことに出会うこともありますが、それは今の自分を超えるチャンスともなります。一つ一つの現象に逃げずに向き合うことで自らの価値を積み上げていく。その視点を持つことでどんな出来事も尊い学びとなるのでしょう。

陰と陽。ない世界とある世界。精神と物質など。

この世界は相反するものの存在から生み出されています。
濁りがあるから物語が生まれ、濁りを取ることでこの世界と一つになっていくのです。
濁りは肯定されるものであると同時に否定されるものでもあります。

先の紹介した「いつか死を迎えるときに」には以下の記述もあります。

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矛盾とは、真実に目覚めるためのものでもあります。この世界の全ては相似形でできているのですから、探求すればするほどその解釈はどんどん深くなっていき、そしてその究極の矛盾の解釈は、相反する存在の理解につながるのです。そこでは、物事の一方から離れて解釈できるところまで行くことが大切なのです。それは、物理的世界を超越してしまうことであり、私たちは今ここにいながらにして、宇宙が理解できるところにいるのです。

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自分の都合のままに生きる時、それは一つの立場からの言動となり、知らず知らずに矛盾を生み出していくのではないでしょうか?例えば、戦争反対という言葉が主張の違いを生み出し、対立に繋がっていくように。

自分を離れた時、相反する物事が同時に存在する世界が見えてきます。
その時、矛盾は矛盾でなくなります。

願いから自由になるために生まれてきた」に書いたように、

山を登り続けて川を流れ続ける。

そこに矛盾がないのがこの世界です。



安全保障関連法案、原子力発電、沖縄基地問題などなど。

この社会には様々な矛盾に満ちた問題があります。
もし一人一人が自分の立場に留まっているならば、その矛盾はさらに増幅していくことでしょう。

ですが、一人一人が自分を離れることができた時、矛盾を超えて、矛盾のない世界が展開していくのだと思います。その時、すべての存在は調和の中で暮らしていくことが出来るでしょう。そんな未来に向けて、一つ一つの現象を通して自分の心を創っていきます。


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