正しい自己認識が世界を変え、世界に平和をもたらす。

ここ12ヶ月、僕は特定の人に対して「理解してもらいたい」、「関心を示してもらいたい」という気持ちを持っていました。そして、その気持ちは、相手に取り入ろうという不自然な心に繋がり、その不自然な心、芯のない態度は相手をイラつかせ、それに対して自分は不満を持ち、攻撃的になるという状態に陥ってしまいました。

僕の中には上記のような自己認識はあって、自分なりにその状況を改善しようと取り組んでいました。そのため「なかのんは、自分のことが見えていない」と言われると、「分かってもらえない」という気持ちが生じて、自己主張を始めることになりました。

ですが、僕の取り組みは功を奏していませんでした。そのため「出来ていない」「見えていない」と言われるのは当然のことなのです。

そもそも僕の心は過度に人の理解を求める不調和な状態でした。

「自己主張をし、それを跳ね除けられる」のは心の状態をそのまま表していて、相応しい現象なのだと思えました。

そして、こんな心が個人個人の不調和を生み出していて、それが今、世界で起きている戦争に繋がっていくのだなと思いました。

僕はこんな自分を超えるために意識を高いところに持っていき、それを維持しようと試みました。
そのためにブログを書くという行為を選びました。
世界に起きていることに関心を持ち、高い精神性を表現することで、自分をその方向に持っていこうとしました。

ところが、それが逆に自分を観ないことに繋がってしまいました。
例えば、人から「感情的になっていない?」というフィードバックを貰った際、
強がり?のような感情が影響し、「そんなことはない」と否定していました。

そもそも人からの言葉は自分のコントロールを超えたものです。
それは自分を広げてくれるものです。
それよりも自分の考えを優先してしまっていたのです。
これでは自分を超えることは出来ず、ずっとそのまま変わることはないでしょう。

僕はこのブログで自分を観ることの大切を訴えていながら、この状態です。

これもまた自分の現状で、それが争いの多発している世界の現状に繋がっているのです。このことをしっかり認識し超えていこうと思いました。

 広い世界観を持ち、個々の自我を超越すること

地球談話に書かれているように、その取り組みが真の平和を地球にもたらします。
自我を超えるためには、超える対象の自分をしっかりと認識する必要があります。

その際、「良い自分でありたい」という気持ちが邪魔をし、時に認識を歪めますが、
「自分」はあくまで超えていく対象です。
ならば、どんな自分でも良く、評価を気にする必要はないのです。


自分の嫌なところ、見たくないと思えるところもしっかり見つめ、超えて行こうと思いました。

正しい自己認識が世界を変え、世界に平和をもたらすのです。



話しは変わって9月3日。中国で抗日戦勝70周年記念軍事パレードが行われました。

それを観たいさどんは、「あのニュースは大きなものだよね。中国を一人の人間に例えたら、その人格はとんでもないものだよ」と話していました。

国を一人に人格に例える。

時々いさどんから話される発想ですが、あらためて面白い発想だよなと思いました。
そこでその発想で少し中国について書いてみようと思います。

沢山の問題や矛盾を抱えながら、それをないことにして、表面と取り繕い、とにかく強がり自分の主張を通していく。

今回の中国の行動はそんなふうに表現できると思いました。

いさどんは、「70年前の出来事を引っ張り出して、こんなことをしている。安倍談話も完全無視だよ。」と言っていました。

ニュースで観る限り、今、中国は大変な状態にあります。

経済成長は鈍化し、貧富の格差は拡大しています。その影響で株価は8月に暴落しました。
環境汚染はとてもひどい状況にあり、政治は腐敗し習近平国家主席は反腐敗を徹底しています。
加えて子どもの誘拐も横行し、年間20万人の子どもが行方不明となっています。
(「”わが子はどこに・・・”~中国・横行する子どもの誘拐~」を参照して下さい)。
そして8月12日に起きた天津の危険物倉庫で発生した爆発事故は、天津港を一時麻痺させ、中国経済に打撃を与えると共に、危険物質が流出し、健康被害や土壌汚染の恐れも指摘され、それに対して言論統制が行われている現状にあります。

そんな中、国威高揚のために行われたパレードと言っていいでしょう。

これは空虚な強がりとも言えて、海外からの参加した首脳は、ロシアのプーチン大統領や韓国の朴(パク)大統領や国連の潘(パン)事務総長など僅かな数でした。南沙諸島での埋め立てなど周りを気にせず自分の利益を追求している結果です。

これが僕から見える中国の現状で、一人の人格に例えると・・・という答えでは、先ほどのような表現をしました。

では他の国々は立派かというと、今回のパレードへの参加、不参加もそれぞれの国の国益からの判断で、自分視点を超えていないのが現状です。そして、それはそのまま一人一人の国民の意識の現れと言えるのでしょう。

さて、このパレードを中国国民はどう見ているのでしょうか?
一つ面白い記事を見つけました。以下、中国の国語の授業のワンシーンです。


☆彡 ☆彡 ☆彡               

(中国の)国語の授業で、先生は『なんと!』という副詞を使って作文を作るように生徒に言った。
明君はクラスでも成績優秀な生徒、早速次のような文を作った。
「1949年に建国したある国は『なんと!』、建国よりも早く、1945年に戦勝国になった」

勢いにのって、更に一文を作った。
「この国は建国66周年を祝う時、『なんと!』、軍事パレードで戦勝70周年を祝うことになっている」
しかし、発表を聞いた先生は激怒し、明君を教室から追い出してしまったとか・・・。


☆彡 ☆彡 ☆彡

第二次世界大戦当時、日本軍と主に戦っていたのは蒋介石率いる国民党軍で、今の中国を支配している共産党は補助的な役割をしただけなのです。明君の言葉はそのことを皮肉った言葉と言えるでしょう。

中国国内にこのような子どもが育っていることに希望を感じます。
彼らは情報統制の中でも真実を知り、そして向き合っていくのではないでしょうか?
こういう一人一人の動きが大きなうねりとなり中国に変化が生まれるのではないかと思いました。

そう、正しい自己認識が世界を変え、世界に平和をもたらすのです。

時代のうねりを感じる

8月が終わろうとしています。

終戦記念日(8月15日)のある8月。今年は戦後70周年です。
安倍首相による談話があり、テレビでも様々な特集番組が放送されていました。

木の花ファミリーでもこの8月、戦争の映像をいくつか観ました。
僕たちはそれを通して人間を知り、自分自身の心を見詰めていきました。
 ※「世界が僕を変える(2)」や「歴史が本当の変化を起こす転換期」を参照して下さい。

そして今、安全保障関連法案が参議院で審議され、国会前には法案に反対する人々が数多く集まっているようです。そんな中、昨日は坂本龍一さんがスピーチをしたようです。(全文はこちら

スピーチの中で坂本さんは「憲法の精神を取り戻すこの運動は『マグナ・カルタ』『フランス革命』に匹敵する」と述べています。そして、その言葉にみんな盛り上がります。

確かにそうなのかもしれません。ですが、イギリスが『マグナ・カルタ』を持ち、フランスが『フランス革命』を経験したヨーロッパにおいて第一次世界大戦、そして第二次世界大戦が起きているのです。

その事実をどう考えるのでしょうか?

僕は平和への願いはみんな共通していると思っています。安全保障関連法案は戦争法案と揶揄されることもありますが、安倍首相が戦争を願っているということはないと思います。

一人一人が平和を願いながら、それが実現しない。

そんな矛盾した状態を人間は生み出しているのではないでしょうか?

国会前に多くの人々が集まる熱気。一人一人がこの国について真剣に考えようとする姿勢。
そこに時代にうねりを感じます。
ですが、それだけでは真の平和が生まれることはないと思うのです。

一人一人、自分自身の心や日常生活を振り返ってみて下さい。
平和を願うあなたの心はいつも穏やかでしょうか?
他者の幸せを願っているでしょうか?
みんなと仲良く暮らしているでしょうか?

一人一人の心が集まり大きなうねりとなって社会を生み出しているのです。

毎年3万人近くの自殺者を生み出し、子どもや女性、老人を中心に貧困率が上昇している日本社会。精神疾患の患者も320万人と言われています。それが日本社会の実態です。

加えて、人類が大量のエネルギーを消費してきたことで、地球環境は疲弊し、気候変動により、スーパー台風、大干ばつ、集中豪雨など異常気象、そして大地震や火山の噴火などの天変地異が世界各地で起きています。

戦争だけではありません。

世界には今、たくさんの問題があり、それらは一人一人の心が生み出しているのです。

追究すべき対象は安倍首相でもSEADLsでもアメリカでも中国でも北朝鮮でもありません。
みんな自分自身を心を追求するべきなのです。

安全保障関連法案に反対し多くの人が国会前に集まりました。
それは大きなエネルギーです。

そのエネルギーが自分と向き合う方向に動いた時、この世界に真の平和が訪れる。

僕はそう確信しています。

広い世界観を持ち、個々の自我を超越すること。

この地球に真の平和をもたらすために出来ることはそれしかないと思っています。

8月最後になるこの投稿。地球談話を紹介することで締めくくりたいと思います。






「地球談話~真の平和を地球にもたらすには~」
2015.8.15

真の平和を地球にもたらすために、今わたしたちにできることは何でしょうか。それは広い世界観を持ち、個々の自我を超越することです。人間が自我の狭い枠に囚われている時、他者との違いによって他者に違和感を持つようになります。それが対立や争いの始まりです。しかし、わたしたちが存在しているこの世界は無限に広大な世界であり、そこは多様ないのちのネットワークで成り立っています。その調和のネットワークは、個を存在させるために全体があり、全体を存在させるために個がある相似形の仕組みによって成り立っているのです。
この世界の真実は、全てが一つということです。ですから、全てのものと自分自身との区別はないのです。このように人々の世界観が広がれば、平和な世界を創り上げようとしなくても、地球上に平和は自ずと訪れるものです。
日本の漢字に「働く」という文字があります。これは「労働」を意味します。しかし、真の意味は「傍(はた・他者)を楽(らく)」にすることです。働くことはある意味生きることですから、生きるとは自分を超えたネットワークの中で役割を果たし、他者のため、世の中のために生きることなのです。ですから、生きることは世界に平和をもたらすことになります。
ところが、今の世界は国なら国益、個人なら自身の利益を優先しているため、国家レベルの大きな戦争から個人レベルの小さな争いに至るまで、平和が保たれない状態になっているのです。それは人間の世界観が狭いことが原因です。対立や争いは、自我が優先された人間の姿勢から生まれてくるのです。
地球上の生命進化の歴史を観ると、過去6億年の間に6回大量絶滅が起きています。そしてその統計からすると、近い将来生命が絶滅する可能性があると言われています。過去から現在に至る地球生命の中で最も高い能力と大きな影響力を持つのが人間です。地球生命の頂点に立つ人間は、暴走することによって次の絶滅をもたらす可能性もあれば、絶滅の危機を超えてさらに進化した世界をもたらす可能性もあるのです。
21世紀に入り、わたしたちはいくつもの大いなる転換点を迎えています。太陽は天の川銀河を22600万年かけて1周し、その間に約9000回の螺旋を描きます。その1螺旋は25800年です。20121221日、25800年ぶりの銀河の冬至を迎え、宇宙的には闇と争いの時代から光と調和の時代に入りました。さらに、冥王星は太陽のまわりを248年かけて1周します。2008年、冥王星の1周期を経て、ヨーロッパ産業革命以降250年間続いた西洋物質文明は終焉を迎えました。そして今、東洋精神文明が開花していく時代が始まったのです。
宇宙的には、すでに一人ひとりが目覚める段階に入っています。それゆえ、多くの人々は今までの価値観に疑問を感じ始めるようになり、新たな時代に向けての価値観が求められているのです。人類一人ひとりの精神革命が国を変え、そして世界を変えます。あなた自身が変わることが世界を変えることの始まりです。それは宇宙の意志であり、時代のサイクルの表れです。したがって、個人レベル・国家レベルそして地球規模で起きる全ての出来事も宇宙の意志であり、時代の流れの中にあるのです。そのように時代を読む捉え方は、わたしたちの個人的エゴからの解放と広い世界観を持つことによって可能となるのです。人類は肉体という物理的には小さな器の中にいたとしても、最終的には宇宙全てが自分自身であるという意識に到達することもできるのです。
21世紀中に人類はその意識レベルに到達することでしょう。それはこれからの1000年間で、物質的豊かさを追求する時代から、わたしたちの内面にある未開発の能力を開花させる時代へ移行していくということです。それを司るのがまだ使われていない人間の脳の90%です。わたしたちの内面に眠る未開発の能力が開花すれば、宇宙の意志・時代の流れを感受する直観が働き、地球にいながらにして宇宙を理解することが可能になるのです。そこでは宇宙を探査するテクノロジーの可能性は大いに広がることでしょう。新たな時代を生きるわたしたちは、近代的テクノロジーと物質的豊かさに加え、高い精神性とともに進化していくことができるのです。

21世紀はわたしたちが地球人として、さらに宇宙人としての意識を持ち、この世界に貢献していく時代の始まりです。今わたしたちは、次の地球生命の絶滅のきっかけをもたらすものになるのか、それとも新たな時代をもたらす存在となるのかの転換点を迎えています。そして、人類が次の時代が示す精神性を地球上に表現した時に、平和はもたらされることでしょう。

恵みいただきます/囚われからの解放

8月13日放送のクレージージャーニー「奇妙な現実を巡るオカルトの旅」を観ました。

番組の中ではまず縁切り神社として門田稲荷神社が紹介されます。そこには、人の死を願う絵馬や釘が打たれた絵馬などが飾られていて、人々の怨念がこんなにもあからさまに表現されている場所があることに驚きました。

次に即身仏が紹介されます。即身仏とは、苛酷な修行により自ら死に向かう修行僧のことを言い、日本には17体あるようです。具体的にどのような手順を踏むかと言うと、まず木喰行(木の実や薬草だけを食べる生活)を数十年続けます。それにより身体なら油や水分を取り出し、腐敗しにくい身体を創り上げるのです。そして、土中入定(生きたまま棺に入る修行)をします。その後、1000日後に掘り起こされ即身仏となり人々に崇められるのです。

番組を観ていて即身仏に何の意味があるのだろうか?と疑問になりました。
崇められることが修行の目的ならば、それは修行僧の欲と言え、カルマ(業)の上積みに過ぎないのではないでしょうか?そんなことを思いました。

最後に人形婚が紹介されます。人形婚とは亡くなった子のために、人形の花嫁や花婿と結婚をさせる風習で、地蔵尊が祀られている河倉賽の河原にて奉納されています。それは親の子どもに対する想いから成り立っているのでしょうが、それが社会にもたらすものは?と疑問を持ちました。

仏陀は人間の苦しみとして生老病死を掲げ、そこからの解放の道を示しました。それは囚われからの解放です。ですが、上記の縁切り神社や即身仏、人形婚は人間の囚われを強化しているように思えます。

個人的な願い、望みが人を幸せにすることがあるのでしょうか?
それが幸せに繋がるのは、時代や社会、集団の大きな流れに即している時のみなのではないでしょうか?
多くの場合、人は個人的な感情に囚われ、それに翻弄されているように思えます。
そして、翻弄されている状態にいつの間にか慣れ親しんでしまい、人は自らを苦しめ続けます。
そして、それは自らを苦しめるだけでなく、世界に不調和をもたらし、今の様々な社会問題を生み出しているのではないでしょうか?
この番組で紹介されている縁切り神社や即身成仏は、それを強化しているように思えました。
本来、人や社会を救う立場にある神社仏閣がこの状態にあり、強い願いを持つ人々はそれを利用します。こうして世界の歪みが強化されていくのだろうなと思いました。

昨日、木の花ファミリーでは、月に一度の食事会、「恵みいただきます」が開催されました。以前、「不可能を可能にする暮らし」に書いたように、もし労働者の最低賃金を守る必要があったら、この食事会は成立しません。一人一人が経営者である協同労働、そしてみんなで共に暮らす生活の上に成り立っています。その生活は個人的な想いよりもみんなと共にあること、分かち合う喜びを大切にしています。

今回はメインメニューがカレーだったのですが、先日カレーを作った愛ちゃんはその時の気持ちを以下のように述べています。

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ただ、相手が食べたいだろうなというものを作ろうと思ってやっただけなの。自分の思いを入れないで。相手を思い、そのまま表そうとしたの。正解か不正解かはどうでもいいのよ。心がこもっていたらそれでいいんだと思うよ。

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それを聴いたみほちゃんは以下のように感じたと言います。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分の思いをつけてしまうと、あれやこれや余計なことをやってしまうけど、自分がクリアーだと相手の思いをそのまま表現できる。相手が本当に何を伝えたいのかを見ようとしないと、物事の表面だけを見て右往左往してしまう。

カレーだったら
  「すっぱいんだったら、すっぱくなくしよう」
  「辛いんだったら、辛くなくしよう」
  「あれもこれも入れてみよう」 
といった風に。


相手の思いに焦点を合わせれば、そこには正解不正解はなくて、ただ気持ちが通じ合っていくだけなんだな〜と思ったのでした。

☆彡 ☆彡 ☆彡

細かい味などよりもお客様のことを思い、心を通わせることを大切にしている恵みいただきます。
毎回、お客様に多くの感動を提供しています。
 ※「恵みいただきます/経済的効率よりも大切なもの」を参照して下さい。
それは個人的な想いを超えた全体の空気が生み出しているのです。

個人的な想いを超えてみんなで一つになっていく空間。
その空間が人々に与える感動は、人々を個人的な願いや望みから解放していきます。
みんなで一つになる喜びの中で、人は自分の囚われを忘れることが出来るのです。

囚われからの解放。

それは人々を本当の幸せに導く道です。

日常生活に戻れば、また様々な個人的な感情が湧き上がるものです。
ですが、一度味わった開放感は人の道しるべとなります。

僕ら木の花ファミリーの生活は、こんなふうに世界を少しずつ幸せにしていける。
そう思っています。

だからこそ、日々心を磨くことを忘れてはいけません。
あらためてそう思いました。

以下、恵みいただきます当日の様子を写真で少しお伝えしますね。


昨日(8月29日)の恵みいただきますのメニューです。



お手伝いをしてくれた子どもたち

会場の様子です。
厨房の中の様子です。
ナンを直火で焼いています。


スタッフみんなで撮影しました。

歴史が本当の変化を起こす転換期

僕は最近、中沢新一さんの『僕の叔父さん 網野善彦』を読み始めています。この本の中で中沢さんと網野さんは、アボリジニのドリームタイムという天地創造の神話の話から「時間を超えた聖なるもの」、「時間の呪縛から人間を解き放つ新しい歴史学の創造」という話をし、新しい視点から「歴史が本当の変化を起こす転換期」を捉えるという話をしています。

ここで言う時間とは唯物史観のものであり、生産活動や生活様式など目に見える物理現象だけにすべての物事を閉じ込め、それが発展していく姿を言っています。

宇宙の中に太陽が生まれ、地球が生まれ、人類が生まれ、人類の社会が発展する。

この様子は確かに目に見える物理現象として捉えることが出来ますが、歴史はそれだけで動いているわけではない。

中沢さんや網野さんはそういうことを言いたいのだと思います。

昨晩、いさどんとみちよちゃんは時代の流れや星の意志について話しをしています。
 ※いさどんのいただきます人生「星の意志や時代の流れを受け取るものとして♪」参照

僕たちは歴史の奥に、時代の流れ、時代の意志を感じて生活をしているのです。

時代の使命を受けて、それを現象世界に示していく。
惑星の動きがそれを後押しし、世の中は開かれていく。
そのために自分を超えて高い意識を持ち天と繋がっていく。

そう心掛ける僕たちの暮らしは、天地創造の神話を語り継ぎ、歴史を人間の旅と捉え、そこにエネルギーやスピリットを残していくアボリジニの人たちと共通するものがあるでしょう。

物理現象を超えた宇宙の意志を含めた視座。そこから見える歴史の転換期。それが今なのです。

時代の転換期について、地球談話には以下のように書かれています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

21世紀に入り、わたしたちはいくつもの大いなる転換点を迎えています。太陽は天の川銀河を22600万年かけて1周し、その間に約9000回の螺旋を描きます。その1螺旋は25800年です。
20121221日、25800年ぶりの銀河の冬至を迎え、宇宙的には闇と争いの時代から光と調和の時代に入りました。さらに、冥王星は太陽のまわりを248年かけて1周します。2008年、冥王星の1周期を経て、ヨーロッパ産業革命以降250年間続いた西洋物質文明は終焉を迎えました。そして今、東洋精神文明が開花していく時代が始まったのです。


宇宙的には、すでに一人ひとりが目覚める段階に入っています。それゆえ、多くの人々は今までの価値観に疑問を感じ始めるようになり、新たな時代に向けての価値観が求められているのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

2012年12月21日の銀河の冬至は、闇のピークを表します。これから徐々に光が差してくるのです。それは今まで闇に埋もれていた暗部(汚れ)が明らかにされることを意味します。それを通して、一人一人が人間というものをより深く知ることになります。それが目覚めに繋がり、新たな価値観を生み出していくのでしょう。そんなふうに歴史は刻まれていきます。

昨晩、木の花ファミリーでは「カティンの森」という映画を観ました。これはソ連によりポートランド将校などが虐殺されて事件を描いた映画です。この映画の後、いさどんは以下のように語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人はとかく被害者、加害者という視点から加害者が悪いという発想になりがちですが、その視点を超える必要があります。その出来事に出会うということはそれに相応しい魂を持っているということです。出来事はそれに出会うすべての人間が創り出しているのです。

ヒトラーは極悪人と捉えられますが、それはヨーロッパやユダヤの歴史の中に位置づけられ、その流れの中で起きたこととも言えます。カティンの森事件を観たら、ソ連はひどいとなりますが、原爆投下を観たら、アメリカがひどいとなり、南京大虐殺を観たら、日本がひどいとなります。歴史を観たら、様々な国が加害者となり、被害者となります。

それを生み出しているのは誰かと言えば、人間です。人間の魂がそれを生み出しているのです。

「カティンの森」のような映画は人間の暗部を暴き出すものです。それは時代の流れ、銀河の冬至を受けたものと言えます。人間はそれとしっかり向き合う必要があるのです。

人間というものにしっかりと向き合う。

この暮らしはずっとそれをして来ました。それが今、時代の後押しを受けて、社会に希望の光を提供するのです。そのような自覚を持って、日々を送りましょう。

☆彡 ☆彡 ☆彡

僕らの暮らしは、時代の流れを受け取り、それを歴史に刻んでいきます。
それは冒頭で中沢さんや網野さんが語っている歴史学への新たな視点の提供にもなるでしょう。

そう思うと、この暮らしは本当に喜びであり誇りでもあります(^-^)

7月26日宮ノ下広場で行われたマヤ新年の祭典の様子。木の花ファミリーは、「トキ」を司るマヤとも出会っています。

カタカムナ文明はどこにあったのか?

雨に地球の心を感じる」で紹介した網野善彦さんの話をもう少ししたいと思います。毎日新聞の書評では網野さんの研究について以下の3点の特徴を挙げています。

(1)日本列島社会論

国号日本が出来たのは七世紀末頃から。縄文弥生の時代には、日本も日本人もいませんでした。日本列島には列島人がいるだけで、アイヌ、琉球、西国、東国、畿内など地域によって多様な社会を形成していました。近代の日本国の概念で日本史を観ることは出来ません。

(2)水田農業中心史観への批判

列島人の生業(なりわい)は稲作だけではありません。海山では漁業商業・採集があり、関東では大半が畑作でした。水田農耕が進んだ畿内が先進地で、東北、関東、九州など周縁は後進地と言うことは出来ない。

(3)海民の日本論。

日本には海山の民がいる。江戸時代の鎖国の影響により、日本列島は海で守られた孤立した完結社会との固定観念が生まれていますが、海で大陸など外界と活発に交流していました。日本国の境界を曖昧にし、地域が直接に列島外と繋がっていました。北海道産の多い昆布が沖縄で最も食べられているそうです。

網野さんは上記の問題提起により日本認識そのものを世に問うていました。日本国という国家の枠からではなく、もっと広い人類の視点から物事を見ていたのです。

これを読んだ時、カタカムナ文明のことを思い出しました。そして、それがどこにあったのか疑問になりました。地域により多様な列島社会。それらすべてにカタカムナは浸透していたのでしょうか?

8月24日、25日と木の花ファミリーではカタカムナ研究会が開催されていました。丁度良い機会だったので、僕は上記の質問を講師の芳賀さんにしてみました。芳賀さんは以下のように話してくれました。

カタカムナ講師の芳賀さん


☆彡 ☆彡 ☆彡

カタカムナ文明はアシヤ族と言われています。アシヤ(芦屋)市は、兵庫県にあります。もしくは、アシヤ(芦屋)町というのが九州の福岡県にあります。カタカムナ文明があった場所は、そのどちらかでしょうが、楢崎皐月が平十字に出会い、巻物を写し取ったのは兵庫県六甲山です。それを思うと兵庫の可能性が高いとも言えます。この地域でカタカムナ文明は発展しました。ただ、これはこの場所で8鏡文字が生み出されたということであり、カタカムナの精神、波動は広く伝わっていったと思われます。網野さんが言う通り、この時代、国家という概念はありませんでした。国家など関係なく地域毎に交易し、それによりカタカムナの精神も広がっていきます。カタカムナは中国にも伝わり、レベルダウンし老荘思想となっているのです。列島内にも当然伝わっていたのです。※ちなみに木の花ファミリーの近くにも大鹿窪遺跡という当時の遺跡があります。

余談ですが、この時代、勾玉というものがありましたが、勾玉があのような形をしているのは、重なることにより交易が成立することを示すことにありました。勾玉は最初丸い形をしていたのですが、交易の発展の中であのような形になったのです。地域と地域が国家という枠組みを超えて繋がっていたのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

カタカムナは宇宙物理学です。それはこの世界の発生と消滅のプロセスを表現している普遍的な法則です。カタカムナを生きる時、群れとなる(人と人が協力し調和する)必要があり、それは一つの地域での実践となります。ですが、カタカムナが実践される時、その精神は地域を超えて宇宙に広がるものなのです。

一昨年の11月、楢崎皐月さんが復活させたカタカムナに木の花ファミリーは出会いました。カタカムナを学ぶ人は増えていますが、実際に群れで暮らしているのは今のところ木の花ファミリーだけなのではないでしょうか?

カタカムナの実践は波動となり世界中に広がり宇宙へ達します。それは一人一人のエゴのより歪んだ流れを元に戻すことであり、時代の流れを促進するのです。その精神は普遍的なものであり、それを通して人は今持っている枠組みを超えていくことが出来ます。当然、国家という枠組みも超えていきます。

今の思考の枠組み、常識を超えていく。

それがカタカムナを生きるということであり、網野さんの研究の姿勢でもありました。
木の花ファミリーで暮らすことにより僕はその実践をし続けようと思っています。
その先にある未来はきっと僕の想像ははるかに超えたものです。
それがどんなものか? とっても楽しみです(^-^)

8月24日、25日に開催されたカタカムナ研究会の様子(詳細はこちら


雨に地球の心を感じる

昨日の朝、散歩に行こうとしたら、ひみちゃんが走り寄って来ました。


ひみちゃん@大町ビレッジ


 「どこいくの?」

 「散歩」

と会話を交わし、そのまま2人で30分ぐらい歩きました。

夢の話などいろいろな話しをしましたが、その中に、太陽の国のお話もありました。

「太陽の国の王様は怖いけれどもとっても優しい。悪い人には怖いの。でも太陽の国には刑務所とかはなくて、王様はただ怒るだけなんだ。」

ひみちゃんはそんなふうに語っていました。
そんな話をしながら歩いていると、雨が降ってきて、雨脚は次第に強くなってきました。

「北朝鮮と韓国が戦争をするって言っているから、地球が怒っているの。
だから雨が降ってきた。怒っているから強く降っているんだよ。」

ひみちゃんはそんなふうに語りました。
傘を持たずに出かけたため、2人でしばらく地球さんの怒りの雨を浴びることになりました。

「ちゃんと地球さんのメッセージを受け止めないといけないね。」

二人で確認し合いながら歩き、最後は走って「おひさまハウスひまわり」まで戻りました。
そして、タオルで拭いて、その後もしばらく二人で遊んでラジオ体操をしてバイバイしました。
朝からとても豊かな時間を過ごしました(^-^)

※天気の話や太陽の国の話は「木の花ファミリーで起きたこと~太陽の国のお話編~」に詳しく書いてあるので、是非読んでみて下さいね。


ところで、一昨日(8月23日)の毎日新聞はとても面白かったです。「世界が僕を変える(2)」で紹介している2つの記事の他、『ウクライナ日記』の書評もとても興味深かったし、「IoTって何のこと」や『幹細胞と再生医療』の書評も面白い内容でした。そして、特に面白かったのが『網野善彦対談集 全5冊』の書評です。

僕は網野さんの著作は読んだことはありませんでしたが、網野さんの甥にあたる中沢新一さんの著作は沢山読んでいます。その中で網野さんが話題になっていて、その存在には注目をしていました。今回、この書評を読んであらためて網野さんの研究に魅力を感じました。

日本の中世を研究テーマにしていた網野さんは、国家の概念が、近代の産物であることを明らかにします。そして、日本国という国家の枠からではなく、もっと広い人類の視点から物事を観ていました。

書評ではそんな網野さんの知のあり方を紹介しつつ、最後は以下の文章で締めくくられています。

☆彡 ☆彡 ☆

近代は国民国家単位で大量殺戮(さつりく)をやり、現代も同じくその単位でもめている。たかだか近年にできた国家単位で人間がいがみ合い、原爆投下・植民地化・虐殺など、人間が人間にしてはならない行為を行い、その謝罪問題でさらに国家単位で関係が悪化し、命が危険にさらされ、政府機能が、貴重な資源が、人類世界の欠乏の解消ではなく、戦う制度や殺傷兵器につかわれることに向かおうとする平成二十七年の日本をみて、果たして、網野ありせば、何を言うであろうか。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今の世界が国家という枠に囚われて、その元に争いが生じています。冒頭のひみちゃんの言葉に出てくる北朝鮮と韓国も元は一つなのに、別々の国家となり、いがみ合っています。

自分で考えず、すでにある型にあてはめて、世の中を理解するな。

上記の言葉が網野さんの芯となる言葉のようです。

国家もいつの間にか人間が創り上げた型であり枠と言えます。
それを当たり前のものとせずに、そこから自由になり、自分で考えることが大切なのです。

世界が僕を変える(2)」の中でいさどんが語っているように、枠があるもの同士の平和はありえません。仮に争いがない状態が生まれていたとしても、心の中には、嫉妬や不満、対抗心や疑いなどが芽生えているのではないでしょうか?

この状態は真の平和とは言えません。

国家の枠を超えて、人類の視点からお互いを理解し合う時、初めて平和が訪れるのでしょう。
そのためにはまず、個人個人が自らの枠を超えていくことが求められます。

僕たちは太陽の光や恵みの雨、そして緑豊かな大地に育まれ生きています。
みんな元を辿ると同じところから生まれているのです。
そこには大いなる意思が存在しています。
僕らの存在も、宇宙の運行も、雲の動きも。鳥の囀りも。
すべての現象がその意思の元に生み出されていて、そこには心が存在しています。

だからひみちゃんの言うように、雨には地球の心が現わされているのです。
そしてそれは僕ら一人一人の心と繋がっています。

僕らは個人として一人で完結した存在ではなくすべての存在と繋がっているのです。

だから今、自分の中に枠を感じていたとしたら、
それは元からあったものではなく、自分自身が創り出しているものです。

その枠を強固に感じるかもしれません。

だけれども、例えば、雨に地球の心を感じる時、僕らは枠を超えて一つになれます。
太陽の光や気温の変化に宇宙に運行を感じる時、僕らは宇宙と一体です。
そんなふうに人々が大いなる流れの中で繋がり合う世界。
そんな未来をみんなと共に創っていこうと思っています(^-^)



世界が僕を変える(2)

今日(8月23日)の毎日新聞には、アメリカ軍帰還兵の話題を扱った記事が2つありました。一つは「世界に見方 帰還兵の苦悩 国に責任」というもの。そして、もう一つは一時帰還(フィル・クレイ著)』の書評です。

アメリカではイラクやアフガニスタンからの帰還兵がホームレスになる問題が深刻化していて、オバマ政権は2015年末までにホームレスをゼロにする計画を発表しているようです。(「退役軍人のホームレス」)。帰還兵たちは心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱えており、日常生活に馴染むことが出来ず、働くことも出来なくなっていくようです。そんな彼らの心を知らずに、人々は自分の都合で帰還兵に近づきます。それは地獄を経験した男の話を聴き、慰めることを望む女性だったり、トラウマを聴き出し反戦を訴えたいグループだったりします。近づいてくる人々が持つステレオタイプのイメージに帰還兵たちは苛立ちようです。

これらの記事は、戦争は、戦闘が終わった後も続いていることを教えてくれています。

今年は第二次世界大戦終戦後70周年です。それに合わせていろいろな戦争番組が放映されています。昨日(8月22日)の大人ミーティングでは、アメリカ軍による実録映像の番組が話題になり、後日みんなで見ることになりました。その時、いさどんは以下のような話をしました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

2012年12月21日、銀河の冬至を迎え、今、闇のピークから少しずつ光が増していく時代です。そして、冥王星も産業革命の頃から一巡りし、今、物質的な時代から精神的な時代に転換していくことを表しています。

徐々に明るくなり、心が大切になっていく時代です。

これからいろいろなもの、社会の暗部に渦巻いていたものが明るみに出て来るでしょう。
アメリカ軍による実録映像もその一つと言えます。日本では、8月1日、玉音放送の原板や「聖断」の場が公開されました。

その他、株価の低迷や爆発事故などで揺れる中国の実態もこれから徐々に明らかにされていくでしょう。

安倍首相は70年談話で日本は平和になったといいます。
ですが、これはアメリカ軍、核の傘下の元での平和です。
国々は強固な枠を築き上げ、お互いに牽制しあっています。

枠があるもの同士の平和などあり得るのでしょうか?
心の中には、対立や疑心暗鬼が渦巻いている状態なのではないでしょうか?

この状態を平和とは言えません。

今、安全保障関連法案が参議院で審議されていますが、これに賛成する立場の人も反対する立場の人も、多くは枠の中で、自らの都合で考えているのではないでしょうか?

今は自らの闇が表に出て来る機会なのです。
社会の暗部だけでなく、一人一人の心の暗部もこれから明るみに出てくるのです。
そことしっかり向き合うことがこれからの人々に求められることです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

戦争や紛争、環境破壊や飢餓、貧困、経済格差、ニート、引きこもり、精神疾患。

様々な問題に溢れる現代社会です。

今、多くの人が変化の必要性を感じていると思います。
そして変化を起こそうと様々な活動が人々によって行われています。
ですが、きっと変化は人間の意図を超えたところからやってくるのだと思います。

ここ最近、僕はずっと変化について考えていました。
そして、今はこんなふうに思っています。

人は世界の中で、世界と交流して生きています。
その世界に対して、自分を表明すればするほど自分が浮き彫りになります。
その浮き彫りになった自分を通して、自分を知り、その自分を超えていく。
生きることはその連続で、その中で人は自然に変わっていくのだと思います。

宇宙や自然は常に変化しています。
その一部である人間も当然、常に変化していくはずなのです。

ではなぜ人や社会は停滞するのでしょうか?

人間には隠す心があります。
隠し事をすることにより必要な交流が生まれず、場が停滞し、変化を阻害します。

そして、人間には自分のイメージの中で暮らす自由が与えられています。
自己イメージを自分で生み出し、そこに固執していることも出来るのです。
その現実を無視した自己イメージが変化を阻害していきます。

こんなふうに人間は停滞を生み出すことが出来ます。
そして、人間が集まり出来上がる社会も同じように停滞していくのです。

心を世界に解放し、表現していけば、世界が人を変えてくれるのです。
そして、人の変化は社会の変化に繋がっていきます。

そう、僕が世界を変えるのではなく、世界が僕を変えるのです。

これから僕や世界がどんなふうに変化していくかは分かりません。
ただ明るい方向に動いていくことは間違いありません。
だから僕らは変化を天に委ねていればいいのです。

これから社会や人間の暗部が徐々に明らかになっていきます。
僕らは表面的な出来事だけでなく、その奥を見詰めていくのです。
例えば、それは冒頭の帰還兵の苦しみとそれを取り巻く人々だったりします。
そして、それらを通して浮き彫りになる人間というものを僕らは知ることになります。
それは変化への道筋であり、希望なのです。

僕らは人間というものを知り、それを超えていくことで新しく変化していきます。
その変化が次の時代を生み出していくのでしょう。

僕らに必要なのは、どんなふうに変えていくかというビジョンよりむしろ、
ただただ自分と向き合い続ける覚悟なのではないでしょうか?

その覚悟さえあれば、時代が自ずから人や世界を変えていきます。
それがどんな世界なのか、ただただ楽しみたいと思います(^-^)

そう、僕は変化と共に世界そのものになっていくのです。



今朝の散歩道で出会ったカエルくんです。

今朝の太陽さんです。







相手のことを観る

「相手のことを観る」ということが課題になっています。
それが出来ていないことを痛感することがあります。

「相手のことを観る」とはどういうことか?

例えば、「相手が何を感じているか」を想像すること。
それが「相手のことを観る」ことになるのでしょうか?

多分、そうではないと思います。

相手が何を感じているかを想像する時、そこに自分の主観が入る恐れがあります。
人それぞれ物事の感じ方は違います。
相手は自分が思っていることと全く違うことを感じていることもあるのです。

では、「相手が感じていること」を正確に捉えることが出来たとします。
この時、「相手のことを観る」ことが出来ているのでしょうか?
この場合も不十分だと思います。

「相手が感じていること」に意識が行き過ぎると、
こちらの対応はそれに対する反応になりがちです。

共感や同情、反感や不信感、恐れなど。

その時その時に湧いてくる感情に基づいて対応することになるのではでしょうか?
この状態は相手の感情だけを観ていて、相手の全体像は観ていないのです。

感情に加えて、相手の性質や状況を客観的に理解すること。
そして、それに基づいて相応しい対応をすること。

それが「相手を観る」ことになるのです。

そして、ここから本当に相手のためになる思いやりや温かさが生まれるのでしょう。
日々の暮らしの中でそれを生み出していこうと思っています。


僕が一緒に暮らす木の花ファミリーのみんなです。

ところで今、世界中には、国や宗教、人種など様々な関係性があります。
今、それらの関係性は、お互いの利害による感情に染まり、様々な対立が生まれています。
それは一人一人の人間の日々の暮らしの反映だと思うのです。

より多くの人がお互いを理解し合い、それに基づいて行動する時、国同士、人種間の関係も同じように変化していくのではないでしょうか?

広い世界観を持ち、個々の自我を超越していくこと。

真の平和を地球にもたらすために僕たちに出来ることはこれだけなのではないでしょうか?

これは地球談話に描かれている精神です。最後に地球談話を紹介しますね。




「地球談話~真の平和を地球にもたらすには~」
2015.8.15

真の平和を地球にもたらすために、今わたしたちにできることは何でしょうか。それは広い世界観を持ち、個々の自我を超越することです。人間が自我の狭い枠に囚われている時、他者との違いによって他者に違和感を持つようになります。それが対立や争いの始まりです。しかし、わたしたちが存在しているこの世界は無限に広大な世界であり、そこは多様ないのちのネットワークで成り立っています。その調和のネットワークは、個を存在させるために全体があり、全体を存在させるために個がある相似形の仕組みによって成り立っているのです。
この世界の真実は、全てが一つということです。ですから、全てのものと自分自身との区別はないのです。このように人々の世界観が広がれば、平和な世界を創り上げようとしなくても、地球上に平和は自ずと訪れるものです。
日本の漢字に「働く」という文字があります。これは「労働」を意味します。しかし、真の意味は「傍(はた・他者)を楽(らく)」にすることです。働くことはある意味生きることですから、生きるとは自分を超えたネットワークの中で役割を果たし、他者のため、世の中のために生きることなのです。ですから、生きることは世界に平和をもたらすことになります。
ところが、今の世界は国なら国益、個人なら自身の利益を優先しているため、国家レベルの大きな戦争から個人レベルの小さな争いに至るまで、平和が保たれない状態になっているのです。それは人間の世界観が狭いことが原因です。対立や争いは、自我が優先された人間の姿勢から生まれてくるのです。
地球上の生命進化の歴史を観ると、過去6億年の間に6回大量絶滅が起きています。そしてその統計からすると、近い将来生命が絶滅する可能性があると言われています。過去から現在に至る地球生命の中で最も高い能力と大きな影響力を持つのが人間です。地球生命の頂点に立つ人間は、暴走することによって次の絶滅をもたらす可能性もあれば、絶滅の危機を超えてさらに進化した世界をもたらす可能性もあるのです。
21世紀に入り、わたしたちはいくつもの大いなる転換点を迎えています。太陽は天の川銀河を22600万年かけて1周し、その間に約9000回の螺旋を描きます。その1螺旋は25800年です。20121221日、25800年ぶりの銀河の冬至を迎え、宇宙的には闇と争いの時代から光と調和の時代に入りました。さらに、冥王星は太陽のまわりを248年かけて1周します。2008年、冥王星の1周期を経て、ヨーロッパ産業革命以降250年間続いた西洋物質文明は終焉を迎えました。そして今、東洋精神文明が開花していく時代が始まったのです。
宇宙的には、すでに一人ひとりが目覚める段階に入っています。それゆえ、多くの人々は今までの価値観に疑問を感じ始めるようになり、新たな時代に向けての価値観が求められているのです。人類一人ひとりの精神革命が国を変え、そして世界を変えます。あなた自身が変わることが世界を変えることの始まりです。それは宇宙の意志であり、時代のサイクルの表れです。したがって、個人レベル・国家レベルそして地球規模で起きる全ての出来事も宇宙の意志であり、時代の流れの中にあるのです。そのように時代を読む捉え方は、わたしたちの個人的エゴからの解放と広い世界観を持つことによって可能となるのです。人類は肉体という物理的には小さな器の中にいたとしても、最終的には宇宙全てが自分自身であるという意識に到達することもできるのです。
21世紀中に人類はその意識レベルに到達することでしょう。それはこれからの1000年間で、物質的豊かさを追求する時代から、わたしたちの内面にある未開発の能力を開花させる時代へ移行していくということです。それを司るのがまだ使われていない人間の脳の90%です。わたしたちの内面に眠る未開発の能力が開花すれば、宇宙の意志・時代の流れを感受する直観が働き、地球にいながらにして宇宙を理解することが可能になるのです。そこでは宇宙を探査するテクノロジーの可能性は大いに広がることでしょう。新たな時代を生きるわたしたちは、近代的テクノロジーと物質的豊かさに加え、高い精神性とともに進化していくことができるのです。

21世紀はわたしたちが地球人として、さらに宇宙人としての意識を持ち、この世界に貢献していく時代の始まりです。今わたしたちは、次の地球生命の絶滅のきっかけをもたらすものになるのか、それとも新たな時代をもたらす存在となるのかの転換点を迎えています。そして、人類が次の時代が示す精神性を地球上に表現した時に、平和はもたらされることでしょう。



地球談話(지 구 담 화)を広げる ~韓国編~

今朝の毎日新聞に、韓国が日中両国に、日中韓首脳会談を打診しているという記事が掲載されていました。 槿惠(パク・クネ)大統領は竹島問題や慰安婦問題などを通して強硬な姿勢を取り続け、日本政府を批判してきたが、ここに来て態度を軟化させているようです。
韓国には、日中関係に改善の兆しを受けて、北東アジアの緊張緩和を主導する意図があるようです。

日中韓の3国の関係が改善していくことは望ましいことですが、現実はそう簡単ではありません。

中国は南シナ海全域で管轄権を主張し、南沙諸島に人工島の設立を進めました。そして、それを意識するかのように日本では安全保障関連法案が審議されています。

日本と韓国の間にも竹島問題や慰安婦問題は存在し続けています。

それぞれの国が自国の利益を踏まえながら、互いに緊張と緩和を繰り返しているのが現状で、たくさんの軍備などたくさんの無駄を生み出しています。

村上龍さんは経済合理性という言葉をよく使っています。何かを選択したり判断したりする時、経済の観点から一番合理的な行動をしていくとよいと提案しているのです。

今、経済は、世界中の多くの人々の関心毎になっています。そして多くの人が経済的豊かさを求めています。ですが、多くの場合、それぞれの国の政策、そして個人の行動は経済的に不合理です。なぜ、このような状況が生まれるのでしょうか?

それは自分や自分の家族、自分の国に囚われているからです。
それぞれの立場からは合理的に見えても、全体視点からは無駄が発生しているのです。
本当の意味で合理的な判断をする際には、それぞれが自分の立場を離れる必要があるのだと思います。

地球談話には、真の平和をもたらすために僕たちが出来ることとして、「広い世界観を持ち、個々の自我を超越すること」が挙げられています。人々がその精神状態になった時、平和は自然の訪れるといいます。そいて、この状態になった時、経済合理性も同時に達成していることでしょう。

日本語、中国語英語で紹介してきて「地球談話」ですが、韓国語版も存在します。北東アジアの緊張緩和を主導しようとする韓国の意図が実るよう、この言葉が韓国の多くの人々に届くことを願っています。

地球談話~韓国語~はこちら → 地球談話(韓国語)








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