「どこいくの?」
「散歩」
と会話を交わし、そのまま2人で30分ぐらい歩きました。
夢の話などいろいろな話しをしましたが、その中に、太陽の国のお話もありました。
「太陽の国の王様は怖いけれどもとっても優しい。悪い人には怖いの。でも太陽の国には刑務所とかはなくて、王様はただ怒るだけなんだ。」
ひみちゃんはそんなふうに語っていました。
そんな話をしながら歩いていると、雨が降ってきて、雨脚は次第に強くなってきました。
「北朝鮮と韓国が戦争をするって言っているから、地球が怒っているの。
だから雨が降ってきた。怒っているから強く降っているんだよ。」
ひみちゃんはそんなふうに語りました。
傘を持たずに出かけたため、2人でしばらく地球さんの怒りの雨を浴びることになりました。
「ちゃんと地球さんのメッセージを受け止めないといけないね。」
二人で確認し合いながら歩き、最後は走って「おひさまハウスひまわり」まで戻りました。
そして、タオルで拭いて、その後もしばらく二人で遊んでラジオ体操をしてバイバイしました。
朝からとても豊かな時間を過ごしました(^-^)
そして、タオルで拭いて、その後もしばらく二人で遊んでラジオ体操をしてバイバイしました。
朝からとても豊かな時間を過ごしました(^-^)
※天気の話や太陽の国の話は「木の花ファミリーで起きたこと~太陽の国のお話編~」に詳しく書いてあるので、是非読んでみて下さいね。
ところで、一昨日(8月23日)の毎日新聞はとても面白かったです。「世界が僕を変える(2)」で紹介している2つの記事の他、『ウクライナ日記』の書評もとても興味深かったし、「IoTって何のこと」や『幹細胞と再生医療』の書評も面白い内容でした。そして、特に面白かったのが『網野善彦対談集 全5冊』の書評です。
僕は網野さんの著作は読んだことはありませんでしたが、網野さんの甥にあたる中沢新一さんの著作は沢山読んでいます。その中で網野さんが話題になっていて、その存在には注目をしていました。今回、この書評を読んであらためて網野さんの研究に魅力を感じました。
日本の中世を研究テーマにしていた網野さんは、国家の概念が、近代の産物であることを明らかにします。そして、日本国という国家の枠からではなく、もっと広い人類の視点から物事を観ていました。
書評ではそんな網野さんの知のあり方を紹介しつつ、最後は以下の文章で締めくくられています。
☆彡 ☆彡 ☆
近代は国民国家単位で大量殺戮(さつりく)をやり、現代も同じくその単位でもめている。たかだか近年にできた国家単位で人間がいがみ合い、原爆投下・植民地化・虐殺など、人間が人間にしてはならない行為を行い、その謝罪問題でさらに国家単位で関係が悪化し、命が危険にさらされ、政府機能が、貴重な資源が、人類世界の欠乏の解消ではなく、戦う制度や殺傷兵器につかわれることに向かおうとする平成二十七年の日本をみて、果たして、網野ありせば、何を言うであろうか。
☆彡 ☆彡 ☆彡
今の世界が国家という枠に囚われて、その元に争いが生じています。冒頭のひみちゃんの言葉に出てくる北朝鮮と韓国も元は一つなのに、別々の国家となり、いがみ合っています。
☆彡 ☆彡 ☆彡
今の世界が国家という枠に囚われて、その元に争いが生じています。冒頭のひみちゃんの言葉に出てくる北朝鮮と韓国も元は一つなのに、別々の国家となり、いがみ合っています。
自分で考えず、すでにある型にあてはめて、世の中を理解するな。
上記の言葉が網野さんの芯となる言葉のようです。
国家もいつの間にか人間が創り上げた型であり枠と言えます。
それを当たり前のものとせずに、そこから自由になり、自分で考えることが大切なのです。
「世界が僕を変える(2)」の中でいさどんが語っているように、枠があるもの同士の平和はありえません。仮に争いがない状態が生まれていたとしても、心の中には、嫉妬や不満、対抗心や疑いなどが芽生えているのではないでしょうか?
この状態は真の平和とは言えません。
国家の枠を超えて、人類の視点からお互いを理解し合う時、初めて平和が訪れるのでしょう。
そのためにはまず、個人個人が自らの枠を超えていくことが求められます。
僕たちは太陽の光や恵みの雨、そして緑豊かな大地に育まれ生きています。
みんな元を辿ると同じところから生まれているのです。
そこには大いなる意思が存在しています。
僕らの存在も、宇宙の運行も、雲の動きも。鳥の囀りも。
すべての現象がその意思の元に生み出されていて、そこには心が存在しています。
だからひみちゃんの言うように、雨には地球の心が現わされているのです。
そしてそれは僕ら一人一人の心と繋がっています。
僕らは個人として一人で完結した存在ではなくすべての存在と繋がっているのです。
だから今、自分の中に枠を感じていたとしたら、
それは元からあったものではなく、自分自身が創り出しているものです。
その枠を強固に感じるかもしれません。
だけれども、例えば、雨に地球の心を感じる時、僕らは枠を超えて一つになれます。
太陽の光や気温の変化に宇宙に運行を感じる時、僕らは宇宙と一体です。
そんなふうに人々が大いなる流れの中で繋がり合う世界。
そんな未来をみんなと共に創っていこうと思っています(^-^)
「世界が僕を変える(2)」の中でいさどんが語っているように、枠があるもの同士の平和はありえません。仮に争いがない状態が生まれていたとしても、心の中には、嫉妬や不満、対抗心や疑いなどが芽生えているのではないでしょうか?
この状態は真の平和とは言えません。
国家の枠を超えて、人類の視点からお互いを理解し合う時、初めて平和が訪れるのでしょう。
そのためにはまず、個人個人が自らの枠を超えていくことが求められます。
僕たちは太陽の光や恵みの雨、そして緑豊かな大地に育まれ生きています。
みんな元を辿ると同じところから生まれているのです。
そこには大いなる意思が存在しています。
僕らの存在も、宇宙の運行も、雲の動きも。鳥の囀りも。
すべての現象がその意思の元に生み出されていて、そこには心が存在しています。
だからひみちゃんの言うように、雨には地球の心が現わされているのです。
そしてそれは僕ら一人一人の心と繋がっています。
僕らは個人として一人で完結した存在ではなくすべての存在と繋がっているのです。
だから今、自分の中に枠を感じていたとしたら、
それは元からあったものではなく、自分自身が創り出しているものです。
その枠を強固に感じるかもしれません。
だけれども、例えば、雨に地球の心を感じる時、僕らは枠を超えて一つになれます。
太陽の光や気温の変化に宇宙に運行を感じる時、僕らは宇宙と一体です。
そんなふうに人々が大いなる流れの中で繋がり合う世界。
そんな未来をみんなと共に創っていこうと思っています(^-^)
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