自己主張としての絶望感にメスを入れる

今年の夏至の意味と僕の体調


4日前に37度8分あった体温は、一時、38度3分まで上がりましたが、
昨日から36度9分まで下がっています。
その間、日中に寝込むということはなく、ほぼ通常通りに過ごしていました。

もうすぐ夏至です。

先住民族の伝承によると、今年の夏至は特別なようで、
銀河の冬至でもあった2012年の冬至から今年の夏至までは「夜明けの晩」にあたるようです。
 ※「よあけて であえて」第1話『宇宙時間』参照

2016年6月20日の満月、そして6月21日の夏至を間近に控えた今は、
鶴と亀がすべる(統べる)夜明けの晩の最後の仕上げの時です。

分離の時代が終わり、統合の時代が本格的にスタートすると言われる今、
熱をいただいたのは、最後の禊ぎであり、そぎ落としという意味があったのだと思います。

自己主張としての絶望感にメスを入れる。


ここ数日で僕の体重は4kg減り、49.5kgとなりました。(身長は172cmです)。
そして昨日、最近では全く感じることがなかった古傷のような感情が疼きました。

それは、どんなに一生懸命になっても、なにをやっても理解して貰えないという絶望感。
それが急に疼いて心がかき乱されました。

かき乱される中で、僕は自分自身の思考に突っ込みを入れていきました。

どんなに一生懸命になっても・・・と言うけれども、
その一生懸命さは本当に的を射たものだったのだろうか?
それが本当に純粋なものだったならば、
理解をいう見返りを求める必要はないはずだ。

そもそもなぜ理解を求める必要があるのだろうか?
今、僕がここに存在しているのは、
生きとし生けるものの存在の中で生かされているからであり、大いなる恵みの中にある。
その中で、理解してもらう必要がある「自分の考えや気持ち」なんてあるのだろうか?
「理解されない」ということは、その考えや気持ちは必要ないということではないのか?

絶望感というけれども、その絶望感は、結局は自己主張に過ぎない。
自我が自分の存在を主張するためにしている自己主張で極めて不合理なものだ。

要するに、自己主張によって勝手に絶望し自ら可能性を閉ざしていくのだ。
それは変化に対する恐怖から来ている。

理解して貰いたいと言いながら、理解されない状況を生み出し絶望感に甘んじる。
そして辛さを訴え自己主張する。

自分では変化するつもりになっている。
だから気持ちが落ち着いたら、一生懸命になる。

でも、その一生懸命は見返りを求めるもので、的外れ。
無理を重ね負担が生じ、そしてまたいつか絶望し、辛いと訴え自己主張する。

その後、気持ちが落ち着いたら・・・・

くだらないループ。

それが僕を長年苦しめていたものの答え。

最近は、ふっと意識をフリーにして、天に心を向けるようにしているから、
こんなループに嵌まることはほとんどなかったのですが、急に疼いてびっくりしました。

ですが今、疼いてくれたお蔭で、あらためて見つめる機会となり、超える機会となりました。

夏至を前に、余分なループのそぎ落としです。

宇宙の本質のままに生きる


まわりてめくる

宇宙の星々は円ではなく螺旋を描いて移動しています。
ぐるっと回って同じ位置に戻るように見えても、
少しずつ位置(トキ軸とトコロ軸)がずれているのです。
春は毎年新しい春としてやってきます。

瞬間瞬間新しい出会い。

それが宇宙や自然の姿です。

同じことを繰り返すループ。

それは自然や宇宙の本質から外れたものであり、本来の姿とは言えません。

余分なループをそぎ落とした僕は、これから毎日を新しい出会いとして受け取っていきます。



富士山と朝日です。(ほぼ1ヶ月前のものですが・・・)








人類の可能性を切り拓く

昨晩、頭が痛く、身体も節々が痛いので、熱を測ってみたら、37度8分ありました。
本来ならゆっくり休むところですが、
「今日の大人ミーティングは出なければならない!」と感じて参加しました。
そうしたらとても面白い時間となりました。

ミーティング後、熱があるから寝ようと思って布団に入ったのですが、
なかなか眠ることが出来ませんでした。

書きたいことがある。

だからきっと眠れない。

そのため、それを書いてから寝ることにして、今、パソコンに向かっています。

ということで、これから書きたいことをつらつらと書いていきます。

バッシングサイトとキジの卵


いさどんブログ「真実を発信していく」で紹介されている8個のキジの卵のうち、3個が孵りました。「真実を発信していく」には以下のように書かれています。



☆彡 ☆彡 ☆彡

今、インターネット上に、真実を歪めて木の花ファミリーをバッシングしているサイトが横行している。ものすごいエネルギーを使ってここを貶め、封印しようとする力が働いていることに対して、そのエネルギーを逆に、真実を発信していくためのエネルギーに転化できると気付いた。
多くの人が興味を持っているからこそ、ああいったサイトを見る。そこで、彼らが見ているバッシングサイトの情報に対して、その情報の出所の元にある心がどのようなものであり、そこに表現されている現場の実態は実際にはどうだったのかということを提示してあげれば、彼らはバッシングサイトを見ていたのと同じエネルギーで、真実は何なのかということを感じ取ることになる。それは、バッシングサイトが描いて訴えようとしているイメージと実際は違うということや、それを見る自分自身の視点の偏りに気付くチャンスになる。
バッシングが始まって3年目となり、ある程度それが社会に浸透した今だからこそ、トキが来て、そこに表現されたエネルギーは一気に逆転する。うたた寝から目を覚ました僕は、養蜂の一段落と、バッシングが逆転へ転じるトキが同じタイミングで来たことを感じた。

そのタイミングを感じた時に、台所に8個のキジの卵が置いてあるのを見た。それは日中に草刈りをしていた畑隊が見つけて持ち帰って来たもので、ステンレスのボールに入れて流し台の上に置いてあった。巣の周りの草を刈るだけでも、人間の匂いが付いて親鳥は寄り付かなくなる。そこで畑隊が持ち帰って来たのだが、僕はそれを見た瞬間に、そこから生気が湧き出ているのを感じた。あんなにも生きようとするエネルギーがあふれ出しているものを、ステンレスのボールに入れて置いておくということがあるだろうか。


懐中電灯で卵を透かして見ると、幸いなことにまだ分裂を始めていなかった。今から温めてやればまだ間に合う。これは食べるものではなく、命として孵してやらなければいけないものだ。そういうことを感じられることが大切なのだ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

木の花ファミリーへのバッシングサイトとステンレスのボールに入れてあるキジの卵。
一見関係ないように見えるこの2つには大きな類似点があります。

それは両方とも可能性を潰そうとしているということです。

木の花ファミリーの暮らしは一人一人が自らの自我を乗り越え、
全体と一つになって生きていく暮らしです。

それはある意味、未知なる取り組みであり、
7年間暮らしてきた僕自身、この暮らしの価値がどこまで分かっているかは疑問です。

知れば知れほど奥深く、自分が知らないことを痛感します。
ですが、この暮らしが人類の未来を切り拓くことは確信しています。

今、多くの人が個人の願いを叶えることが大切だと信じています。
その結果、今の世の中があるのですが、
それでも程度の問題と考えている人が多いのだと思います。

そんな中、自らの意思で自我を乗り越えていこうとする木の花の暮らしは、
多くの人の理解を超えているのだと思います。

理解を超えたものに接した時、人はそれを自らの理解の枠組みに収めようとします。
そこで、強制やマインドコントロールという物語が生み出されるのでしょう。

ですが、これはその人の心の反映であり、決して、木の花ファミリーの実態ではありません。
実態はインターネット上ではなく、現場にあり、僕たちの日々の暮らしの中にあります。

日々の暮らしの中で人類の未来の可能性を示していく。

それが木の花ファミリーの暮らしであり、それをバッシングすることは、
人類の可能性を潰すことに繋がります。

それはちょうど、生きようとしているキジの卵を食べようとするようなものなのです。

大人ミーティングの言葉から


昨晩の大人ミーティングでは、いさどんは医療について以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

医者は特定の研修を受けて、診療報酬の中で治療をしています。
医療は現代医療の枠組みの中で行われるものです。
それは対処療法で真の解決には至りません。
そして、そこに製薬会社の利害なども絡み、
病気という不幸が経済を支えるようにもなっています。

ですが、例えばガン。ガンとは本来、精神病で心から生まれています。
病気になることは、その症状に自らを誘導した精神状態を振り返り、理解する機会となります。
それをしながら、症状に対して対処療法をしていくのです。
姿勢から病気という結果が生まれます。
姿勢を改めると、病気を生み出す元がなくなり、
新陳代謝により病気の箇所が新しいものに変わっていきます。
心にメスを入れることが出来れば、治療はいらなくなるのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

これは医療における新しい可能性へ向けての言葉です。
そして、いさどんは今、実際にそんな実践をしています。

先に紹介した「真実を発信していく」にはこんな文章も掲載されています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今、僕ときょうこちゃんは、新たなプロジェクトに取り組んでいる。それは、新しいきょうこちゃんをつくること。僕は彼女にこう伝えた。「それはきょうこを壊すこと。自分を壊すことだぞ」と。自分を壊さなければ、奥に眠っているものは出てこない。
これまでのきょうこちゃんは自分のことばかり考えて生きてきて、その姿勢の結果ガンになった。彼女は命がかかっている。それは自分がつくってきたことであり、それをつくった自分自身を壊さなければ、命は取り戻せない。とても真剣なことだが、人間はその段階へ行く時が来たのだと僕は感じている。
このプロジェクトが始まって、最初は僕がきょうこちゃんにヒーリングをしていた。きょうこちゃんは毎日まじめにやって来るが、僕はだんだんきょうこちゃんにヒーリングをする気が起きなくなった。そうすると、逆にきょうこちゃんに、僕に対して何かしたいという気持ちが湧いてきた。きょうこちゃんが僕に癒しを提供することで、きょうこちゃんが癒されている。
僕は最初自分がやってあげるつもりでいたのにだんだんやる気が起きなくなって、この意識の変化は何だろうと思っていたが、そこで答えが出た。そうだ、人のためになるという心をきょうこちゃんに目覚めさせるということだ、と。自分のことばかり考えてガンを作った者が、人のために生きたら、ガンは消える。(「癌」は、品物を山のように抱えてなる欲深な病気と書く。)
何日か続けているうちに、お腹にあったしこりがやわらかくなって、確認できなくなってきた。病院での検査結果がどう出るかはわからないが、今、きょうこちゃんのお腹の中から、悪いものを発している波動を感じられなくなってきた。


僕がきょうこちゃんにやっていることは、単なる病気治しではない。人間の能力を引き出す実践をやっている。それはキジを孵すことと同じだ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

こんなふうに日々の実践で未来の可能性を切り拓いているのが木の花ファミリーです。

そのために大切なのが、現象に囚われず、その奥を観ていく姿勢であり、
自らの思考の枠組みを超えていくことです。
そして奥を観たら、すべての出来事が一つであり、
大いなる流れの中で生み出されていることが観えてきます。

その大いなる流れが人類を新たな可能性へと導いていくのです。





真剣さとは真実を追究する姿勢。

いさどんと僕を比べた時、この世界に対する真剣さが圧倒的に違います。
僕はいさどんに遠く及びません。
日々、違いを見せつけられています。

とはいえ、それで落ち込んでも仕方がありません。
ただ事実を淡々と受け止めるだけです。

数日前、いさどんは、「真剣さとは真実を追求する姿勢」だと話していました。

「真剣」

言葉通りに取れば、本物の剣となります。
そして剣とは武士にとっての魂であり、
本物の魂に触れることで、真実を知っていくのです。

ようこちゃんは昨晩、「地球が危機感を訴えて振るえている」ヴィジョンを見たと言いました。
そして、そこにいさどんの姿が重なったそうです。

危機感を訴えて震える地球。

そんな真実を知るからこそ危機を感じ、より真剣になっていくのです。

真実を追求することにより、より多くのことを知るようになります。
そして、知れば知るほど、さらなる真実を求めて真剣になっていくのです。

だから僕に出来ることはただ真実を追求することだけです。

実は今、僕はとても嬉しい気持ちでいっぱいなのです。

圧倒的な違いを見せつけてくれる存在。

それはこの先にある可能性を示してくれているのです。

僕といさどんは違うから、いさどんと同じようになるということではありません。
未来がどうなるかなんて分からないし、分かる必要もありません。
僕には僕の道があり、それはみんなの中で変化する予測不能の一本道です。
そこを歩んでいることに変わりはありません。

だから圧倒的な違いがあることを認識しつつ、
遠く及ばない存在であることを認識しつつ、
僕は敢えて宣言するのです。

いさどんに負けない!と。

いさどんの中に全宇宙があるように、僕の中にも全宇宙があります。

あなたはわたし、わたしはあなた。

全宇宙の中にすべての存在があり、すべての存在の中に全宇宙があります。
その地点に立った時、すべての存在は対等となります。

今、どんなに未熟だろうと、
今、どれだけ足りない存在だとしても、
心の道を極める決意だけは絶対です。

だから僕は、すべての人と対等であり、
全宇宙と対等であり、誰にも負けることはないのです。

みんなの中で、宇宙の中で、この道を極め、本物の魂に触れ、知っていきます。

いさどんと金神さま(国之常立神)です。





揺らぎの中で未来を新しい出来事として受け取っていく

2015年9月28日満月(スーパームーン)


完全にあなたを変化させる準備ができていますか?
あなたは自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨てるでしょう。
全ては新しいものとして学ぶべきことです。
もしあなたがこうした全てに準備ができていたら、飛び込んで。
さもなければ、それには踏み込もうとしないことです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

上記は2015年10月2日の大人ミーティングで読まれたオーロビルのマザーの言葉です。
この言葉を受けていさどんは以下のように僕に語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡


僕があなたに伝えていることは、決してあなたに不愉快を与えるものではありません。
どれ程の想いを込めて、そして願って、あなたの追い風になろうとしているか。
そういうことが分かったら、今の状態でいる自分が、
いかに恥ずかしいことで申し訳ないことであるかに気づくでしょう。

あなたは自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨てるでしょう。」というマザーの言葉。
それは自我を捨てて、天のままに生きるということです。

僕は昔、それを天のマリオネットと表現しました。
でも、その考えは今は変わっています。

昔、夜、外に出て上を見て、月が出ていれば月、星が出ていれば星、
曇っていたら、その上に星や月を想像して語っていました。

「神さま、私はあなたの意志に沿うものです。」

そうすると、そういうことを語っていた時、その間違いに気付きました。
「あなたの意志に沿うものです」ということは、
あなたという意志があって、そして、それを受けている自分がいるということです。
でもよく考えてみたら、あなたという意志はわたしに表れています。
だから、本当のそれが通じた時に、私の意志はあなたそのものなのです。

あなたはわたし、わたしはあなた。

その時、「神さま」とそこに気持ちを向けたり、
「あなたの意志」というようにそこに特定を持った時に、
すでに自分、自我を成立させているのだと気づいたのです。

まわりてめくる。

すべては新しい出来事として学ぶべきことです。
常に新鮮で新しい毎日が来るわけですから。


より詳しくは「相応しいものになっていく」をお読みください。

☆彡 ☆彡 ☆彡

そして、いさどんブログ「真実を発信していく」の中には、こんな語りがあります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

何か現象に出会うということは、自分自身を知ることであり、
自分との出会いだということが、人間はわかっていない。
出会うとは、自分という現実に出会うこと。
自分がない人は自由自在に変化していく。
しかしいつまでも古い自分がとれないと、痛い目をして学ぶことになる。
ひどいのは、痛い目をしてもわからずに同じことを繰り返す。
それが今、人類に問われている。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自我はたいてい未来を予測することを求めています。
どうなるか分からないことに出会うと様々な想像が浮かびますが、
それは自我が未来を自分の予想の中に収めようとする努力です。

よい想像をして浮かれたり、悪い想像をして不安になったり・・・
どちらもまだ現実になっていないことであり、無駄なエネルギーと言えます。

そして、想像に基づいて行動することで人は未来を狭い枠に閉じ込めてしまいます。

環境問題や紛争や戦争、経済格差。人類の未来は今、狭い枠の中で行き詰まっています。
どうなるか分からない。そんな揺らぎの中で未来を新しい出来事として受け取り学んでいく。
日々の生活の中でそんな姿勢を育むことが大切です。
そうすることで未来が無限の可能性へと開かれ、様々な問題が解決されていくのでしょう。

だから僕は、自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨て、世界と一つになっていきます。

現象に出会う時、それは世界の顕れであると同時に自分自身の顕れです。
自分という現実に出会い、そこと向き合うことで自分と世界を変えていけるのです。

2015年10月2日から今日まで僕は自分という現実に向き合い変化して来ました。
だから今、未来は無限の可能性に開かれています(^-^)

昨年の僕は、「一つの結果」に囚われることで自分を見失っていきました。

この世界では常の心の姿勢を試されています。

生きていれば、何か素晴らしいものに出会ったり、
望ましい結果の出会ったりすることがあります。
その時、そのものに囚われてしまうと自分を狭い枠に閉じ込め、
その結果、世界に軋轢や対立などを生み出してしまうのです。

例えば、世界平和は素晴らしい理念ですが、
人々がそれに囚われることで争いが続いてきました。

どうなるか分からない。
そんな揺らぎの中で未来を新しい出来事として受け取り学んでいく。

大切なのは、その姿勢を育むことで、すべての人々がその姿勢になった時、
平和に調和した暮らしがこの世界にもたらされることでしょう。




2016年6月4日の朝日と富士山です。




それが道の途上にあるものならば必ず実現する

なかのんはブログで立派なことを書いています。
今の状態でそれを書くことは、偽物を書いて罪を犯しているような話で、
それは自分の価値をどんどん落としているのです。
でも、だからブログを書くなということではないのです。
ブログに相応しいものになるとしたら、そんな状態でいるはずはないのです。

そこは僕のためではなく、あなたの価値を上げるということと、
世の中の為にあなたに目覚めて欲しいと僕は願っています。

そして価値あるものとしてあなたのいろいろな思いが
表現されていく世界を実現しなければなりません。
愚かしいところで、目覚めない状態で自分の願いを叶えるということは、
自分にとっても世界にとっても何もいいことはありません。
そこを分かるということだと思います。


☆彡 ☆彡 ☆彡

これは2015年10月2日の大人ミーティングでいさどんが僕に対して語った言葉です。

結果を追い求めるのではなく結果から自分を知る」をみんなにシェアして以来、
僕の中では「願い」というものがテーマになっています。
そして、昨年のことを思い出しています。

昨年、2~3ヶ月間、感情に翻弄され続けた僕にとって、
10月2日の大人ミーティングは大きなターニングポイントになっています。

あれから8ヵ月。僕はずっとブログを書き続けています。
それはブログに相応しいものであり続けているということです。

僕は15年ぐらい前に、数十人の暴走族が走っているところに、
一人で立ち向かおうとして失敗する夢を観ました。
その頃の僕は、自らの衝動に翻弄されて、
自分で自分の人生を台無しにしていました。

僕にとって自らの衝動をコントロールすることは、暴走族に向き合うぐらいに難しい。

当時そんなことを感じると共に無気力になっていきました。

それ以来何度も出会っている人生を台無しにする衝動。
積み上げてきたものを一瞬で壊してしまう衝動。

それは僕の中の駄々っ子。
自己主張と依存心と甘えの現れ。

その衝動を今は超えているということですy(^^)yピース!

僕は子どもの頃、誘拐される夢を沢山見ました。
それらの夢はとっても怖かったです(-_-;)。

ある日の夢では、僕は両親と妹と自動車に乗っていました。
その時、かぼちゃの顔をした「かぼちゃマン」が走って僕らの車を追いかけてきたのです。
かぼちゃマンはとっても早くて僕らの車に逃げ切ることが出来ません。
そして、かぼちゃマンは高らかに笑っています。
かぼちゃは当時の僕が最も嫌いだった食べ物。
そのかぼちゃが迫ってくるのが本当に怖かったのです。

プロセスワークでは、子どもの頃の夢を「人生の神話」として捉えています。
それは人の人生を貫く大きなテーマとなるのです。

僕は子どもの頃の夢での中で何度も何度も誘拐されました。
それは、血縁の家族や個人的な繋がりではなく、
もっと大いなるものに導かれて生きていくということです。

大いなるものとはこの世界のすべて。
世界は僕で、僕は世界。
この世界が僕を生み出し、僕がこの世界を生み出している。

だからこの世界に起きることすべてに僕は一人分の責任を持ちます。

それで再び「願い」について思います。
そして、以下のような結論に達しました。

それが道の途上にあるものならば必ず実現する。
なぜなら僕は心の道を極めるから。

それは手に入れようとするものではなく、自然となるもの。

これから価値あるものとして僕のいろいろな思いが表現されていきます。

それが天との約束だから。

ちなみにかぼちゃは今、僕の最も好きな食べ物となっています。
かぼちゃはきっと僕にとって天からの使者なのです(^-^)


木の花ファミリーのみんな@5月29日恵みいただきます

これは昨年の誕生日プレート。大好きなかぼちゃ丸ごと1個にチャーハンが詰まっています(^-^)


願いを通して自分を知っていく

大人ミーティングで「結果を追い求めるのではなく結果から自分を知る」をシェアした時、
「願い」ということが話題になりました。

そこで話したのはこんな感じです。

願いから自由になることは願いがなくなることではありません。
その願いに囚われないということです。
願いが良いか悪いか現象が教えてくれるので、そこから学べばいいだけです。
なんにせよ、自分の願いではなく、大きな流れに沿って生きていくだけなのです。

そして今、願いについてこんなことを思っています。

願いに良し悪しがあるとしても、それは固定したものではなく、
心の成長や状態によって日々刻々と変化していくものだと思います。

願いと似たものとして食欲を例に取り上げます。

食欲自体は誰にでもあるもので、そこには良いも悪いもありません。
食欲の良し悪しを決めるのは心の状態なのです。

節度を持って食事をすれば、食欲は人にエネルギーを与えてくれます。
そして、食事を通して人との交流も生まれます。
すると、食欲は良いものとなっていくでしょう。

ですが、なんらかの理由で暴飲暴食をし、身体を壊してしまったとします。
こうなると食欲は悪いものとなっていきます。

食欲の良し悪しを決めるのは、その人の人格であり心の状態なのです。

生きていれば様々な願いや望みは自然と湧き上がるでしょう。
そして、その願いや望みを通して様々な現象に出会います。
その現象を通して、自分の心の状態を知り、自己認識を深めていく。
大切なのはただそれだけなのだと思います。

大人ミーティングでは、オバマ大統領の広島訪問に合わせて、
2009年4月5日に行われたプラハ演説をみんなで読みました。

オバマ大統領はこの演説で「核兵器のない世界」を目指すことを宣言したのですが、
アメリカは未だに包括的核実験禁止条約に批准していません。
そして、オバマ政権の核弾頭削減率は13%(2015年会計年度時点)で、
冷戦後の歴代政権の中で最も低い数字となっています。

アメリカ、そしてオバマ大統領はこの現実を直視し、自らを知る必要があるでしょう。
それをしなければ、広島訪問もただのパフォーマンスに終わってしまいます。

平和への願いは言葉だけ聴けばよいものに思えます。
ですが、人類は平和を求めて対立してきた歴史があります。

例えば昨日まで開催されていたG7伊勢志摩サミットは、
世界の平和と繁栄のために集まったはずなのですが、
ロシアや中国はG7に対する反発を強めています。

これは各国が「自らの」平和を求めた結果であり、
そこから自分たちを知り正していく必要があるのです。

真の平和を実現するためには、一人一人が広い世界観を持ち、
個々の自我を超越していく必要があります。
最後にそれを端的に表現した文章、地球談話を紹介しますね。






「地球談話~真の平和を地球にもたらすには~」
2015.8.15

真の平和を地球にもたらすために、今わたしたちにできることは何でしょうか。それは広い世界観を持ち、個々の自我を超越することです。人間が自我の狭い枠に囚われている時、他者との違いによって他者に違和感を持つようになります。それが対立や争いの始まりです。しかし、わたしたちが存在しているこの世界は無限に広大な世界であり、そこは多様ないのちのネットワークで成り立っています。その調和のネットワークは、個を存在させるために全体があり、全体を存在させるために個がある相似形の仕組みによって成り立っているのです。
この世界の真実は、全てが一つということです。ですから、全てのものと自分自身との区別はないのです。このように人々の世界観が広がれば、平和な世界を創り上げようとしなくても、地球上に平和は自ずと訪れるものです。
日本の漢字に「働く」という文字があります。これは「労働」を意味します。しかし、真の意味は「傍(はた・他者)を楽(らく)」にすることです。働くことはある意味生きることですから、生きるとは自分を超えたネットワークの中で役割を果たし、他者のため、世の中のために生きることなのです。ですから、生きることは世界に平和をもたらすことになります。
ところが、今の世界は国なら国益、個人なら自身の利益を優先しているため、国家レベルの大きな戦争から個人レベルの小さな争いに至るまで、平和が保たれない状態になっているのです。それは人間の世界観が狭いことが原因です。対立や争いは、自我が優先された人間の姿勢から生まれてくるのです。
地球上の生命進化の歴史を観ると、過去6億年の間に6回大量絶滅が起きています。そしてその統計からすると、近い将来生命が絶滅する可能性があると言われています。過去から現在に至る地球生命の中で最も高い能力と大きな影響力を持つのが人間です。地球生命の頂点に立つ人間は、暴走することによって次の絶滅をもたらす可能性もあれば、絶滅の危機を超えてさらに進化した世界をもたらす可能性もあるのです。
21世紀に入り、わたしたちはいくつもの大いなる転換点を迎えています。太陽は天の川銀河を22600万年かけて1周し、その間に約9000回の螺旋を描きます。その1螺旋は25800年です。20121221日、25800年ぶりの銀河の冬至を迎え、宇宙的には闇と争いの時代から光と調和の時代に入りました。さらに、冥王星は太陽のまわりを248年かけて1周します。2008年、冥王星の1周期を経て、ヨーロッパ産業革命以降250年間続いた西洋物質文明は終焉を迎えました。そして今、東洋精神文明が開花していく時代が始まったのです。
宇宙的には、すでに一人ひとりが目覚める段階に入っています。それゆえ、多くの人々は今までの価値観に疑問を感じ始めるようになり、新たな時代に向けての価値観が求められているのです。人類一人ひとりの精神革命が国を変え、そして世界を変えます。あなた自身が変わることが世界を変えることの始まりです。それは宇宙の意志であり、時代のサイクルの表れです。したがって、個人レベル・国家レベルそして地球規模で起きる全ての出来事も宇宙の意志であり、時代の流れの中にあるのです。そのように時代を読む捉え方は、わたしたちの個人的エゴからの解放と広い世界観を持つことによって可能となるのです。人類は肉体という物理的には小さな器の中にいたとしても、最終的には宇宙全てが自分自身であるという意識に到達することもできるのです。
21世紀中に人類はその意識レベルに到達することでしょう。それはこれからの1000年間で、物質的豊かさを追求する時代から、わたしたちの内面にある未開発の能力を開花させる時代へ移行していくということです。それを司るのがまだ使われていない人間の脳の90%です。わたしたちの内面に眠る未開発の能力が開花すれば、宇宙の意志・時代の流れを感受する直観が働き、地球にいながらにして宇宙を理解することが可能になるのです。そこでは宇宙を探査するテクノロジーの可能性は大いに広がることでしょう。新たな時代を生きるわたしたちは、近代的テクノロジーと物質的豊かさに加え、高い精神性とともに進化していくことができるのです。

21世紀はわたしたちが地球人として、さらに宇宙人としての意識を持ち、この世界に貢献していく時代の始まりです。今わたしたちは、次の地球生命の絶滅のきっかけをもたらすものになるのか、それとも新たな時代をもたらす存在となるのかの転換点を迎えています。そして、人類が次の時代が示す精神性を地球上に表現した時に、平和はもたらされることでしょう。







結果を追い求めるのではなく結果から自分を知る

5月20日の富士山からの日の出です。

5月20日は24節気で「小満(しょうまん)」。
そして、僕が木の花ファミリーに移住して7周年の記念日でした。
僕は今、木の花での8年目の日々を過ごしています。

6周年を迎えた昨年は、「願いから自由になるために生まれてきた」というブログを書きました。

この頃の僕には強い願いが湧いてきていました。
そして、それを振り払おうとしてこのブログを書きました。

ですが、この後、僕は「願い」に翻弄されることになります。
 ※詳細は以下のブログをお読みください。

 心を磨いた結果出会うこと。

 正しい自己認識が世界を変え、世界に平和をもたらす。

 相応しいものになっていく。

 空っぽへのあこがれ

「願い」に翻弄されることで、自分自身を知り、そして、その「願い」の奥を知りました。
結果、僕は願いから自由になりました。

「7」はカタカムナでは質的転換を表す数字です。
木の花ファミリー7年目の1年間で僕は質的転換を果たしました。
それは個人の願いではなく天の意志に基づいて生きるということです。

そして「8」はカタカムナでは飽和安定。
僕はこれからの1年で天の意志に基づく生き方をより強固なものにしていきます。

今、僕は体調を壊し、咳が止まらない状態となっています。
この咳は僕が意図したものではありません。
天とは何かを尋ねると・・・」にも書きましたが、
自分が意図していないものはすべて「天」なのです。
だから、この咳は天が与えて下さっています。

なぜ、天は僕に咳を与えて下さるのか?
最近の自分に思いを馳せます。
すると結果を求めて無理をしていた自分自身の姿が見えてきます。
この咳は結果を求めて無理をしたことに対する答えです。

結果は求めるものではなくいただくものです。
過去から未来へと繋がるこの世界においてはすべての瞬間が今まで生の結果です。
人は常に結果をいただいているのです。
そして、その結果から自分を知ることが出来るのです。

とはいえ、今とは違う結果を求める時もあるものです。
ですが、それを無理に引き寄せる態度は世界に歪みを生み出します。
沢山の人々が今とは違う結果を求めて、
そして沢山の歪みが生じて今の世界は出来ています。
このような中、結果を無理に求めても世界に新たな歪みが生まれるだけです。

結果を求めるならば、その結果に相応しい自分になることです。
その時大切になるのは日常の地道な積み重ねであり、
プロスポーツ選手ならば普段から身体作りをし、コンディションを整えています。

僕たちは心の道を探求するスペシャリスト。
ならば、日々の心の動きを緻密にチェックし、常に客観的な位置に立ち続けることです。

大切なのはそれだけで、その姿勢からずれていたから咳を与えてもらいました。

それに気づいたらリセットしニュートラルになるだけです。

最近僕は、木の花ファミリーのみんなと塚本晋也監督の映画「野火」を観ました。

太平洋戦争末期のフィリピン戦線を舞台に極限状態に追い込まれていく主人公の姿。
人間の醜さと自然の美しさが対照的に描かれています。

こういう映画は戦争の悲惨さを再確認する機会となります。
そして、多くの人が二度と戦争を起こしてはいけないと思うのではないでしょうか?
ですが、なぜか世界から戦争がなくならない現状があります。

昨年の夏、日本では安全保障関連法案を巡り大きなうねりが生まれました。
賛成派も反対派も平和を求めているのに、結果、対立しているのです。
それはそれぞれの立場の人が求める結果に固執しているからではないでしょうか?

今週、アメリカのオバマ大統領が被爆地・広島を初めて訪問します。
それは歴史的な出来事で、大きな流れを感じます。
核廃絶、そして人類の平和へ向けての大きな一歩ともなりえます。

ですが、本当に大切なのはきっと出来事や形ではないのです。

共和党の大統領候補となることが確実なドナルド・トランプ氏は、
以前に日本の核武装を容認する発言をしています。
そして最近、北朝鮮の金正恩労働党委員長との会談に前向きな発言をしました。
それは北朝鮮に核開発を放棄させるためです。

相矛盾するようにも思える発言ですが、どちらも選挙を意識したパフォーマンスなのでしょう。
そんなトランプ氏の支持率が民主党のヒラリー・クリントン氏の支持率を上回りました。
トランプ氏が次期大統領になる可能性が大きくなったということです。

それがアメリカ国民の意識だとしたら、
オバマ大統領の広島訪問もパフォーマンス以上の意味を持たない可能性もあります。
それでは真の平和に繋がることはないでしょう。

表面の出来事や形に目を奪われ、それを求めても、人々は望みに翻弄され続けるだけです。

オバマ大統領がアメリカの大統領として初めて広島を訪問します。
その出来事を通して、人類が歴史を客観的に振り返り、人間についての学びを深めていく。
そして、全ての出来事に対する慈しみの心を育んでいくこと。
それが出来た時、この訪問が本当の意味で生かされていくのでしょう。

結果を追い求めるのではなく、結果から自分を知ること。
表面の出来事ではなく、その奥に流れている心に思いを馳せること。
そして、調和に向けて自分の人間性を高めていくこと。

真の平和が実現するために必要なのはそういうことなのです。

僕はそう確信しています(^-^)










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