ドキドキからワクワクへ

瞬間瞬間の選択の連続によって「道」ができる人生ですが、その選択が「愛(ワクワク)の選択」「怖れ(ドキドキ)の選択」によって、進む方向性、待ち受ける結果は180度変わってきます。

何事に対してもできない理由を考えるよりも先にできる方法を考える人は、人生の選択においても愛の選択をする人。

自分はもちろん、誰かや全体もすべてが調和する選択であり、その根底には「自己愛」が満たされており、自分のことよりも全体をバランス良く見れる視点があります。

逆にできる方法を考えるよりも先にできない理由を考える人は、どちらかといえば怖れの選択をする人。

常に「うまくいくはずがない」「失敗するのではないか?」という不安や恐怖の感情にとらわれており、自分自身にも自信がなく、深い部分で自己愛にも欠けている部分があったりもします。

自分に方向性が向いている限りは、自分以外との調和を図ろうにも、潜在意識は常に自分の欲、不足している愛を満たそうと動き、やることなすことすべてが自分のため、エゴの選択へと進むこともあります。


☆彡 ☆彡 ☆彡

これは今年の3月に読んだ記事からの引用ですが、「愛の選択=ワクワク」「恐れの選択=ドキドキ」という言葉がとても印象に残っていました。僕は新しい行動をする時、ドキドキすることの方が多かったのですそのドキドキが恐れの選択と表現されているのを見て、自分自身の振り返りをしていました。それで確かに僕の中には「恐れ」の感情があったのですただそれは「うまくいかない」とか「失敗する」とかそういう思考から来る恐れではなく、変化を促されることに対する抵抗のようなものでした。そして、それがどこから来ていたかと言ったら、立脚点の違いから来ていたのだと気づきました。

新しいことを始めようとする時には想いが湧いてくるのですが、その想いの側に立つと「湧く湧く(ワクワク)」した気持ちとなります。そうではなく、思考(今の自分)の位置に立つとその想いは自分の変化を促すものとなり、自分は変化を促される対象、受け身となっていくのです。そんな時、僕はドキドキし、その奥には確かに変化に対する恐怖があったのです。僕は恐怖をコントロールしてきたので、そんな時も行動し結果を楽しんできたのですが、エネルギー的には自分に大きな負担を掛けてきました。そして、「今を生きる」で紹介した状態へと至ったわけです。

自分自身の立ち位置によって湧いてくる想いがワクワクにもなりドキドキにもなるのです。ということは、ワクワク、ドキドキをきっかけに自分自身の立ち位置のチェックが出来ます。そんなふうに自分を見ていきます。そして、僕は今、ドキドキからワクワクへとどんどん移行しているのです。それは新しい体験に常に開かれていくということですね。

そして大切なのは、想いを実現させることではなく想いに心を開くことです。湧いてくる想いから行動する時、いつも思い通りになるわけではありません。予期せぬ出来事に出会うこともあります。そのような時、出会う出来事に心を開いていれば、当初の想いは変化していくものです。当初の想いが自分をどこに導くかは先に行ってみなければ分からないものです。湧いてくる想いの奥には天からのメッセージがあります。それを探り感じることが人生に奥行を与え豊かにしてくれるのです。そんな生き方についていさどんはこんなふうに語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

3次元世界に暮らしながらも人間は物事を2元的に観ている。それは、出会うこととそれに対する自分の反応で物事を見ているから。それで平面的になっていく。だけれども、その奥にはこの世界を動かしている意志がある。出会うこととそれに対する自分の反応、そしてその奥にある意志。それらすべてを意識した時、この世界を立体的に観ることが出来る。

出会うことに反応することで人は一喜一憂する。それが人間で一喜一憂しなければ生きている意味がない。一喜一憂しながらも、出来事の奥にある意志を感じて、一喜一憂している自分を離れて観る。そして流れをいただいていく。それが生きていることの醍醐味で、人生に翻弄されずに楽しむことが出来るようになる。
☆彡 ☆彡 ☆彡

現象の奥に流れている意味を感じ探ること。それが人生を立体的にし、この世界の本質探求にも繋がります。そして、それはそのまま自分自身に対する理解ともなっていきます。ここでまたいさどんの言葉を紹介しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

みんな自分が世直しを託されているとは思っていません。
だけれども、みんな間違えなくこの宇宙の法則の中で生きていて、
人類の70億分の1、この世界を託されているのです。

人は育っていく過程で欲求し、欲求を満たしながら成長していきます。
健全な秩序の中で欲求を満たしていく人もいれば、
秩序なく際限なく欲求を満たし求め続ける人もいます。
そういう経験の中で自分という人間性が出来てきます。

その中で、それぞれが自分の成り立ちを振り返って見ると、
それが宇宙の歴史や地球の成り立ちと一緒だということが見えてきます。
この世界は全部相似形なのです。

小さなところの集合が大きなところを創りだし、
大きなところの法則が小さなところに指針を与えています。

13,000年前のカタカムナの時代。
厳しい自然の中、人類は天然の法則を感知してすり抜けてきました。
ですが、その感覚は時代と共に失われてきました。
その叡智が天とつながることで現代に蘇るのです。

カタカムナの生き方を現代に表現していく。
それは、科学が発展したところに天然の精神を加えることです。
これはまさに新しい時代の生き方で、
木の花ファミリーはそれを表現していくのです。

2012年12月21日。太陽系は銀河の冬至を迎えました。
これからは少しずつ明るくなっていきます。
宇宙的には明るくなる現象が起きて、人間を後押しするのです。

健康に生きることは素晴らしいことです。
ですが、ただ健康になりたいだけで終わってしまったら
人生は深まりません。
生きている過程でいただく病気や滞り。
その奥にあるメッセージを理解していくことが大切です。
そこを理解した時に現代人も天然の意識で生きていくことが出来ます。

この世界は心と肉体(物質)で出来ています。
まずは心、魂を磨くことが大切です。
物質のことは考えなくてもいいのです。
今の世の中はまだ物質的豊かさを求めていますが、
そういう世の中はひっくり返ります。

そのようなターニングポイントを今、迎えているのです。

人間の欲が戦争を生み出し、第二次世界大戦で大きな犠牲を出しました。
これは世の中の欲の心が壊れて一度リセットされた状態です。
ですが、戦後の復興は、もう一度、欲の心でなされました
そして、現代の混乱に至っています。

自分の健全、健康を求める心の奥にメッセージがあり、
それを通して自分がどう生きるべきかが見えてきます。
大切なのは、自分が健康に生きることだけではないのです。
自分のことばかり考えることで人間は不健康になっていったのです。
そのからくりを見通すこと。その先に世の中作りがあるのです。

世の中を良くするとみんなが良くなっていくのです。
自分が・・・と考えると住みにくい世の中になっていきます。
自分が・・・という心を超えていく。
それが天と共に生きることです。

 ~ 中略 ~

ここで健全な場を創り出すことが時代の流れをあらわすことになります。
世界のことを思い、自分を超えていく。
そのことが宇宙の中に光をさすことになるのです。

それを本当に信じて取り組むことです。

時代も神も目には見えません。人間の理解を超えています。
ですが、この世界にはそういう秩序が確実にあるのです。
そこに一人一人の人間が理解を示すことが大切です。

宗教はご利益を求める人により発展しましたが、
本来はそういうものではありません。

信仰とは宇宙の法則性の理解です。

法則性を理解し、自分が・・・という心を超えていく。

そのような本当の信仰心の下、天と共に生きていくのです。
それが世直しであり、この世界に平和をもたらします。


☆彡 ☆彡 ☆彡

現象の奥に流れているメッセージから自分がどう生きるべきかが見えてきます。そして、そのような心で生きることがそのまま世直しへと繋がります。そんな世直しに向けて。今、僕はワクワクしています(^-^)

木の花ファミリーの子どもたち(なんとなくこの写真を使いたくなりました)





世界のみんなと悟りを共有する

宇宙創成のプロセスは、「ヒ・フ・ミ・ヨ・イ・ム・ナ・ヤ・コ・ト」という数理で表すことができる。その始まりである「ヒ」から最終の「ト」までのプロセスを理解し、それらを統合して成り立つ存在が、ヒトだ。それが時代人(じだいびと)であり、時代主義(Eraism=エライズム)を生きる存在だよ。

~ 中略 ~


ヒトというのは、人間という地球上で物理的に進化してきたもののことではないんだよ。それは、物理的に進化してきたものが最終的に到達する目的地点であり、宇宙にはもともとヒトという意識レベルの存在があったはずだ。なぜなら、ヒトとは宇宙の仕組みをマスターした存在を言うのだから。
ついつい人間たちは、ヒトのことを人間と勘違いする。人間とヒトでは、定義が違う。ヒトは形ではない。宇宙の法を理解し、マスターした存在をヒトと言うのであり、それは目覚めということでもある。


~ 中略 ~


宇宙は奇跡の連続だ。なぜなら、もともと人間の思考のキャパを超えたところで成り立っているのだから。だから宇宙を生きるという意識レベルを考えるのならば、科学や理屈を超えたところでものごとを受け取る器を持つことが必要だ。そうでなければ、真実は観えてこない。それには、人間壊しをすることだ。人間を壊して、ヒトとして存在する。それがヒトイズムだ。




☆彡 ☆彡 ☆彡

上記のように語るいさどんですが、人間については、「ヒト」の間(アイダ)の存在とも語ります。「ヒ」から「ト」へと至っていないということです。そして人間は、紙と文字の発明によって二元的思考(平面的思考)をするようになったと語り、平面的思考についてはこんなふうに説明しています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

3次元世界に暮らしながらも人間は物事を2元的に観ている。それは、出会うこととそれに対する自分の反応で物事を見ているから。それで平面的になっていく。だけれども、その奥にはこの世界を動かしている意志がある。出会うこととそれに対する自分の反応、そしてその奥にある意志。それらすべてを意識した時、この世界を立体的に観ることが出来る。

出会うことに反応することで人は一喜一憂する。それが人間で一喜一憂しなければ生きている意味がない。一喜一憂しながらも、出来事の奥にある意志を感じて、一喜一憂している自分を離れて観る。そして流れをいただいていく。それが生きていることの醍醐味で、人生に翻弄されずに楽しむことが出来るようになる。
☆彡 ☆彡 ☆彡

出会う出来事に平面的に反応する人間。そんな人間の特徴を受けて、今年の1月、僕は以下のように書きました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

出会うことに反応する人間。その時、人は出会う出来事を固定して捉えています。

紙や文字が発明されることにより人は記録を取ることが出来るようになりました。一つの形にして残しておく。書かれた言葉は変化せずに残り続けます。それは変化を本質とするこの宇宙の法則からしたら異質なことなのだと思います。

固定された記録。それが人に囚われをもたらし、一喜一憂することになります。ですが、この世界で出会うことはすべてプロセスの中にあり、本来、固定はされずに流れ続けていくのです。出来事の奥にある意志を感じた時、その流れが見え、自分を固定から解放することが出来ます。

出会う出来事の奥を探求する」より


☆彡 ☆彡 ☆彡

物事の表面だけを見ていると、出来事は現在だけに固定され、そして違いが際立ちます。例えば、「ヒト」と人間についてのいさどんの言葉ですが、「定義が違う」と語ったり、「ヒトの間が人間」と語ったりしています。表面だけ見ているとそこに違いを感じるかもしれませんが、その奥を見ていくと、同じこと、共通した想い、「ヒト」へと至る大切さを語っていることが見えてきます。

今、この瞬間の出来事の奥には、過去から未来へと続く宇宙の流れが存在しています。「ヒト」となり宇宙の法を理解し、物事を立体的に捉えるようになった時、すべての出来事が一つの流れに集約されていくのです。そこでは善悪の違いや他者との対立はすべて解消されていきます。

善の中に悪があり、悪の中に善があります。善悪は自我(エゴ)の生み出す偏りであり、行き過ぎたエゴが善と悪という一対を生み出し対立していくことになります。

ミサイル発射、核実験などで国際的に非難されている北朝鮮ですが、北朝鮮からすれば、それは自衛の手段であり、アメリカをはじめとする核保有国の脅威を感じていることでしょう。テロリストであるISは様々な残虐行為を行っていますが、それを生み出したのはアメリカによるイラク進攻であり、もっと遡ればイギリスによる中東への侵略へと至ります。

各国のエゴが自国の利益を追求し、それが善悪という一対を生み出し争いへと発展しているのが現代社会であり、物事の奥を見れば、すべての人間に共通するエゴが見えてくるのです。だからこそ、今大切なのは、人間一人ひとりがエゴを超え、「ヒト」へと目覚めていくことなのです。それが宇宙の流れが示すメッセージであり、僕は心を磨き、木の花ファミリーのみんなとそんな暮らしを生み出していきます。

文字は世界に固定を生み出し、そして平面的思考へと誘います。それでも書き続けるのは、文字には広がっていく力もあるからです。そして、人は文字という固定したものをきっかけに、その奥を感じることも出来ます。行間に心を込め、そしてそれを感じあって、また新たな言葉を生み出していく。すべてをプロセスの中で立体的に捕らえていけば、文字だって「ヒト」へと至るにきっかけとなるのです。

世界のみんなと悟りを共有する。

そんなことを夢見て、僕は書き続けていこうと思っています(^-^)

富士浅間木の花祭りに登場する榊鬼、心磨きの象徴とも言えます。


ただただすべてを委ねるだけです。

今を生きる」に書いている滞りは「嫌な予感に囚われて反応出来なくなる」というものでした。そんなことは今までにも何回もありましたが、今回は「許されないことをした」という感覚を強くもっています。こんなことは初めてです。なぜかな?と考えてみました。

それは何かをしてはいけないとか具体的な行動がどうこうではなくて、自分の感情に捕まらないということ。自分の感情に捕まること、囚われることを許してはいけない。そういうことなのだと気づきました。

なぜなら、僕は今までそれだけのことを話し書いてきているからです。これだけ悟ったようなことを書いていて、感情に捕まることを許すわけにはいかないのです。ということは書けば書くほどそれが許されなくなっていきます。だからこそ。だからこそ僕は文章を書いていきます。なぜなら、それが僕の進む道だからです。

今年の7月、僕はこんな文章を書きました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この道は言ってみれば、自己否定の旅だと思っています。それはもっと大きな自分、世界と一つになるための自己否定です。常に否定し続け、それが即、肯定へと変容し続けます。それは自分を手放すことが出来ることへの誇りであり、大いなるものへと自分を委ねる覚悟となります。

この道は山登りに例えられます。山のすそ野は広くどこからも登ることが出来ますが、頂上は一つ。登れば登る程、道は限られていきます。同じように、この道は究めれば究める程、道は狭くなり、今まで良かったことも駄目となり、自らの選択はどんどん限られていきます。

不自由の自由。

一見、不自由に見える心の道ですが、それを進むことが本当の自由への道です。

なんでもいいけど道は一つ。

そんな感じです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

その行きつく先は天。僕はそこまで昇っていきます。

・・・・とここまで書いて。

「許されないことをした」という感覚も感情のようなものだから、それにも当然囚われるわけにはいかないわけで、結局なんでもいいんですけれどもね(^-^)

ただただすべてを委ねるだけです。

11月3日文化の日の朝日です。

未来は常に自分の手の中にある

無駄遣いが出来るということは、感謝の気持ちを忘れているからであり、日常生活では、どこか意識がぼけていて、安直に物事を進めてしまうことに繋がります。そんな時は人に対する態度も繊細さや優しさが欠けたものになりがちです。

今はそんな自分たちを振り返る機会となっています。その際、落ち込むのではなく、無駄を生かしていくことを心掛けるようにしています。先のことは誰にも分かりません。今の無駄が後になって生きることもあり得るのです。大いなる流れに心を委ねること。出来事の背後にある意思を感じること。そういう姿勢も大切になります。

地球は人類が生きていくのに十分な恵みを与えてくれています。ですが現状は、格差が広がり、貧困や飢餓が生じてしまっています。分かち合う心により、現状を変えて社会的共通資本を育むことが可能となります。そして、それは人々に安心感を与えてくれるでしょう。

その安心感は土台となり、人々を更なる成長へと導きます。安心に浸り感謝の気持ちを忘れてしまってはいけません。安心出来る暮らしを土台にして、日々の中で自分の振り返り心を磨いていくこと。それがみんなで出来るようになった時、理想の世界が実現していくのだと思います。僕たち木の花ファミリーはそんな世界を目指しています。



☆彡 ☆彡 ☆彡

上記は3年前の11月に書いた文章です。無駄をなくすことについて書いているのですが、それはただの節約貯金とは異なります。大切なのは、物事を有効に生かしていくことであり、この世界には貯めることで生かされないお金もたくさんあります。今年の秋分頃にいさどんはこんなふうに語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

お金があるからと言ってお金を貯めていくと、それは拡大傾向の守りの姿なんだよ。縮小ではなく拡大傾向の結果、そうなる。持たない、手放すという意味からいったら、お金をどんどん使うと景気が良くなる。でも必要なものだけを購入するという意味では縮小になる。それが織り混ざっている。そこを仕分けていくということだろう。

☆彡 ☆彡 ☆彡

お金を使う場合も貯める場合も自らの欲得からその行動を行っていたら、お金の流れに影響し格差や貧困など様々な矛盾を生み出していきます。そうではなくニュートラルな姿勢でたんたんと必要なお金を使っていけば、それは世界へと循環していきます。大切なのは一つ一つの選択や行動に心を込めることです。心を込めることで、本当に必要なものが仕分けされていきます。そして、お金の循環に心が入り、それは豊かな繋がりの表現となっていくのです。

それはお金の流れだけではなく、日々の行動にも言えることです。ニュートラルな心で日々を送り自分を表現していくと、それは人との繋がりの中で生かされていきます。ですが、そこに「自分が・・・」という「我」が入ると、何らかの滞りや軋轢となって表れるものです。とはいえ、滞りも無駄と同様で、自らの学びとした時に生かされていくものです。出会う出来事から学び自らをきれいにしていく。それこそ人間が生きる目的で、いさどんは以下のように表現しています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

皆さんは地球で肉体を持って生き、自分が生きた結果、どういう行いをしたら、どういう人生が得られるかを学習する力を持っています。つまり生きることは学習なのです。そして、生きることの目的は、学習して自分が高い意識のものとなり、自我の汚れを取って、美しくなって、この世界がよい世界になることに貢献することです。それが、人生が終わった時に、よい人生だったなぁと気持ちよく旅立っていける、人生の完全燃焼です。



☆彡 ☆彡 ☆彡

生きることは学習です。そしてそれは常に過去から未来へと続くプロセスの中にあります。「今を生きる」に書いた咳ですが、今も続いています。それが「恐怖」という僕が抱えてきた汚れが生み出したものならば、咳を通して行っている浄化が未来を生み出していきます。今の状態に囚われず先を見て自分の判断や状態を確認していこうと思っています。

過去の積み重ねが今の自分を創っていて、そして今の自分が未来を生み出していきます。過去から学び、過去から自由となれば、今までとは違う未来を生み出していけます。だから常に未来は自分の手の中にあるのです。

今、世界の至るところに無駄や軋轢が溢れていますが、それは今までの人類の姿勢が生み出したものです。ですが、未来を生み出すのは今の姿勢です。自分一人分きれいにして美しい未来を生み出していこうと思っています。

木の花ファミリー10月お誕生日会の様子です。


「命には囚われない」という悟り(2)

昨晩は「クラウドアトラス」という映画を観ました。この映画は公式ホームページでは以下のように紹介されています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

主人公は、6つの時代と場所で、6つの人生を生きる男。その人生は悪人で始まるが、様々な数奇な経験を経て、ついには世界を救うまでに魂が成長していく男の物語だ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

そして、この映画を少し前に観たいさどんは以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

あれは「猿の惑星」のようなストーリーで、人類が地球にとって、いわば悪の存在だ。最終的には人類を破滅させるようなストーリーで、だから他の星へ行って暮らしているという結末だった。あの映画ではそのような人類の悪説が語られていて、実際に今、アメリカの姿勢にしても、日本の姿勢にしても、北朝鮮の姿勢にしても、中国の姿勢にしても、ロシアの姿勢にしても、どこをとっても、地球にとって悪だ。それぞれが自己主張していて、地球に優しい波動を出すことがない。結局、アフリカでも自然が破壊され、自然に還ることを忘れている。

そこで今、必要なことは、地球に優しい生き方だ。エコビレッジなどといったものは、結局人間にとって都合のよい生き方だ。だから最終的に、人間には「命には囚われない」という悟りが必要だ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

映画の中の未来。地球は汚染され住むことが出来なくなって主人公は宇宙に救難信号を発します。その結果、他の惑星で暮らしているのですが、公式ページでは、それを「世界を救う」と表現し、いさどんは「人類が地球にとって、悪の存在」と表現しています。立つ位置によって見える景色は異なっていきます。

この映画で印象に残った言葉として、「際限のない欲望が文明を滅ぼした」というニュアンスの言葉がありました。人類は自らの欲望を超えていく必要がある。そういうメッセージとして受け取りました。ですが、公式ホームページで、「世界を救うまでに魂が成長した男」と紹介されている主人公は、肉親を奪ったものへの憎しみという私情に負けてお告げを破りました。主人公は欲望を超えていません。だからこそ地球を救うことが出来ず他の星に行くことになったのではないかと思えます。同じ心が残っていたら、きっとその星でも同じことが繰り返されてしまいます。

昨晩も映画を観たいさどんは以下のようなことを語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人が健全を求める時、みんな自分の位置から健全を求めます。でも、その健全は他の位置から求める健全とは異なるものです。それぞれが自分の位置から健全を求める結果、分かり合えず対立や分断に繋がっていきます。自分を離れた時、すべてを理解する視点に立つことが出来ます。今、人類に求められていることはその位置に立つことです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

映画の中では、6つの時代、どの時代でも戦っていて、観ていて痛々しかったです。主人公は、真実、真理を求めて行動しているのですが、争いの延長に平和が実現するとは思えません。人はヒーローを求めるものですが、ヒーローが生まれるためには必ず悪が必要となります。自分がいい側に立って世の中を良くしようとする。その心がそのまま世の中に悪を生み出していきます。ヒーローと悪は一対となり、争いを生み出していくのです。だから、自分の中にあるヒーローを求める心を超えていく必要があります。ヒーローも悪もなく、そのままでみんなが主役になる、そんな世界を生み出していくこと、それが平和への道だと思うのです。

僕ら木の花ファミリーは自然界をモデルにした暮らし心掛けています。自然界にはヒーローも悪もありません。個性豊かな生き物たちがそれぞれ生かし合いながら豊かな世界を表現しています。「個」としての感情や欲望、命に囚われず、「宇宙」としての自分に目覚め、繋がりの中で自分を生かしていく。みんながそんなふうに暮らした時、きっとこの世界に菩薩の里、ロータスランドが実現します。僕らはみんなでそんな世界を目指しているのです。




時の遊牧民から時代人へ


「時代の遊牧民」

遊牧民が季節の移り変わりによって適切な場所に移動していくように、
僕らは時代の流れを読んで、それを楽しんでいくのです。

すべては時代が生み出しています。

例えば、先に紹介したデカルトは、
自然から魂を抜き機械にように見なす冷たい思考を生み出しました。

この冷たい思考、実は熱い情熱から生まれています。

デカルトは夢で新しい学問を打ち立てる啓示をうけます。
その夢の内容は圧倒的で強烈な印象をデカルトに与えます。
そして、新しい学問の構築に情熱を捧げ、「我思う」の思想が生まれたのです。

時代がデカルトを通して近代科学の基礎を生み出した。
そんなふうに思えませんか?

そして今、時代は変化の時を迎えています。
それは星の動きや歴史の周期が教えてくれています。




☆彡 ☆彡 ☆彡

時の遊牧民、これは2年前の10月、モンゴルから来たムルンくんと交流する中でいさどんの中から湧いてきた言葉です。そして、僕はその言葉を聴いて上記の文章を書きました。この言葉はその1年後、時代人、時代主義という言葉に発展していきます。以下、いさどんブログ「わたしたちは時代人(じだいびと)です」からの言葉です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

わたしたちは、「時代人」です。つまり、時間という共通した乗り物に乗って旅する旅人です。この時間という乗り物には地球も乗っています。この世界に存在するものはすべて、時間に乗って旅しています。そして物理的にも、地球は宇宙を旅しているのです。

なぜ、時間は進んでいくのでしょうか。それは、一秒、一分、一時間、一日、一年と人間が時間の基準をつくり、時間を認識しているからです。それは人間社会だけの話のようですが、実はこの世界はサイクルのもとに成り立っています。そのサイクルは、一秒、一分、一時間、一日、一年と人間が便宜上区切っただけではありません。一日は地球の一自転であり、一年は地球の一公転です。春・夏・秋・冬の四季のサイクルの中で植物は芽吹き、栄え、種を残し、しばらく冬眠した後、また春に芽吹いてきます。その繰り返しによって時間が刻まれていくのです。ですから、これは人間がつくったものではありません。そして、人間以外のそういった仕組みを認識しないものもすべて、そのサイクルの中にあるのです。

その大いなるサイクルの中で今、わたしたちは歴史的な転換期を迎えています。皆さんもそのような時代の移り変わりに気付き始めているからこそ、今、このメッセージに出会っているのでしょう。地球環境や世界情勢は今、混乱の極みを迎えています。しかし、時代は常に未来へ向かって進み続けていますから、この混乱もいずれ収まり、この延長線上に世界が進み続けていくことはないでしょう。それは、目先のことや自らの欲望におぼれず、ひとつの物語として時代を読み解いていくことができれば、今の延長にある流れがいずれ行き詰まることは明らかなことが観えてきます。その証として、今、世界中では人類史上稀に見る危機を迎え、わたしたちが自らの姿勢を転換する必要があることを時代が教えてくれています。

そこで、わたしたちはこれからの時代をどのように生きていくべきなのでしょうか。

「時代が生命であり、時代が意志を持って、時代を紡いでいる。」

21世紀は「時代主義」の始まりです。「時代主義」を生きる人々は、自らの願望に翻弄されることなく、世界を自由自在に生きることができる宇宙の旅人(時代人)です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

地球や宇宙が常に変化変容し進化し続けるように、真理も常に進化し続けます。真理は固定したものではなく実践の中で集い語り合う中からその都度生み出されていくものです。昨晩いさどんは、以下のように言葉を語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今、世界は混乱の極みにありますが、それは人々の日常から生み出されたものです。だから何よりもまず自らの日常を正していくことが大切なのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

多くの人が現状に問題を感じています。それは自らの外に問題を見出している状態です。そして一部の人は、世界をなんとかしようと外に働きかけますが、それが有効な動きへと繋がることはなかなかありません。それは問題を生み出している大本、自らの日常の暮らしにメスが入っていないためなのだと思います。だからそのことを心掛けることが何よりも大切です。加えて、問題ごとの奥には現状に問題を感じながらも何もしない大勢の人々がいます。

☆彡 ☆彡 ☆彡

先日、衆議院選挙がありましたが、投票率は53.6%でした。約半数の人は投票していません。安倍政権の支持率は40%前後、そして自民党の支持率は30%台、単独で過半数を取るような数字ではありません。それでも自民党が過半数を大きく上回るのは、支持しない人々が選挙にいかないからです。それらの人々は現状に問題を感じています。ですが、自らの想いを託す政党が見つからず何もしないことを選んでいます。その結果、自らが望まない現状を肯定していくのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

いさどんはこんなふうに語りましたが、多くの人が肯定することが出来ない政治をそのまま許しています。そんな人々はきっと自らの日常も誇りを持って肯定することが出来ないのではないでしょうか。自らの日常、人生を誇りを持って肯定出来るものにしていくこと。その延長に政治に対する姿勢も生まれていきます。それは自分の欲得のままに動くことでは得ることのできない誇りです。自分を離れて客観的視点に立ってその時その場で相応しい行動を常に選ぶことによって初めて生まれる誇りです。まずは自分一人分、そんな誇りを持って日常を送っていこうと思っています。

真理は常に実践の中で進化し続けます。つまりそこから常に新しい真理が生まれるような日常を送ることが大切なのです。それは宇宙の流れ、時代と共に生きる生き方です。最後にまたいさどんブログ「わたしたちは時代人(じだいびと)です」からの言葉を引用して終わりますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この世界は一体です。すべてのものが時代と共に一体となって動いています。それが宇宙の実相です。そのような意識レベルを有した者が地球上に現れたならば、その響きがこの世界に放たれ、それに共鳴した者たちの行動が少しずつこの世界を変えていきます。そしてさらにそれに共鳴した者が行動することによって、その響きがこの世界に放たれていく――、その連鎖が時代を動かしていきます。その響きがこの世界の混乱を鎮め、人類の営みによって傷つけられてきた地球を包み込み、地球を本来の美しい星へといざなっていくのです。

一人ひとりの目覚めがウエーブとなって連鎖し、地球上を巡っていきます。そこには、音もなく、力もいりません。それは、時が刻まれていくときに、時の音がわたしたちの耳には聞こえないのと同じです。地球が自転し公転するときに、その音が聞こえないのと同じことなのです。ですから、時代が動くときに、その音はわたしたちには聞こえないのです。耳をすませてその音を感じてみてください。そのような人類の目覚めの動きが今、地球上に始まっているのです。

今こそ、わたしたちは自らを自我の枠から解き放ち、この無限なる宇宙の中で自由自在に生きる時が来たのです。わたしたちの中から願望や野心が消えた時、宇宙の真理が湧いてくるようになります。そして、人類が誕生した目的にのっとった最もふさわしいポジションにわたしたちは立てるのです。そういった真理に目覚め悟った者は、時代を読み、流れを感じ、今を生きる「時代人」となるのです。

それが、21世紀初頭にあたり、時代がわたしたち人類に伝えているメッセージです。

10月18日の富士山、こんな雲を見るとムルンくんを思い出します。




今を生きる

自分の中には恐怖がある。

恐怖がどこから生まれるかと言ったらまず第一に「欲」が挙げられます。「こうなって欲しい」という願望があるからこそ、そうならないことを恐れるのです。本人が自覚していようがいまいが、これは事実です。

未来がどうなるかは分かりません。だからただ委ねて、結果をいただいていけばいい。

僕は常日頃からそんなふうに考えているので、恐怖のコントロールをしています。「恐怖」を脇に置いておいて、そして起きる出来事を見ていくのです。そうすると思いもよらない出来事に出会い、日々を楽しんでいくことが出来ます。

北朝鮮の脅威。世界で多発するテロ。異常気象や地球温暖化。日本の財政問題や少子高齢化。

ニュースを耳にすると不安や恐怖が湧いてくるかもしれませんが、その感情のままに生きると、世界に不安や恐怖の響きを広げていきます。そしてその延長線で思考しても、明るい未来へとは繋がっていかないものです。今の政治や経済は、人々の不安や恐怖を代弁しています。そのため未来へと突破口を開くことが出来ないです。

まずは恐怖や不安をコントロールすることが大切です。

ですが、コントロールすればそれでいいかと言ったらそんなことはありません。恐怖をコントロールして生きてきた僕が、先日一つの滞りに出会いました。今思うと、その時、僕は「恐怖」に捕まり思考と身体が固まっていました。そして、そのことをあまり認識していませんでした。コントロールはあくまでコントロールです。「恐怖」がなくなったわけではありません。ちょっと油断をすれば気づかぬうちにそれに飲み込まれ思考や行動に影響していくのです。そんなことを実感した出来事でした。

「恐怖」は世界や天に対する不信であり、汚れと言えます。

過去から未来へと続く天の物語。僕はその中で役割をいただいているに過ぎません。そして、天の意向を果たすために必要な能力はすべて与えられているのです。だからただ今を生きていればいいのです。出来ないことも天の意向だから、どうしようなんて思い煩う必要もありません。ただ今を生きて結果をいただき、そこから学びを深めていくだけなのです。

今を生きる。そのことについてりゅうしろうくんはこんなふうに書いています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「今を生きる」、それは過去からのプロセス、未来への眺望を含んだ立体的な捉え方です。その人がやるべき役割、その人が取り組むべきテーマ、その人の今の実態、その人に宇宙が与えているもの、それら全ては目の前に現れている。だから、目の前にあることを積極的に次々こなしていくことが、宇宙の大輪に乗っていくこと、勢いよく生きていくことになります。



☆彡 ☆彡 ☆彡

今を生きる。そこに恐怖は必要ありません。

自分の中には恐怖がありました。それは僕の汚れです。ここ数日、咳が止まらず苦しいのですが、それは浄化のプロセスだと思っています。

咳が止まらなくとも、苦しくともなんでもいいのです。

これから物心共に厳しい時代が来る。

いさどんは先日、そんなことを言っていました。物資的な厳しさは大型台風をはじめとする異常気象にその兆候は表れています。そして、心。心に関して言えば、AI(人工知能)の開発を挙げていました。人は今まで便利になればなるほど能力が退化し心を貧しくさせてきました。例えば、マザーテレサは、1981年、豊かな国、日本に来て以下の言葉を残したそうです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

日本に来てその繁栄ぶりに驚きました。日本人は物質的に本当に豊かな国です。
しかし、町を歩いて気がついたのは、日本の多くの人は弱い人、貧しい人に無関心です。
物質的に貧しい人は他の貧しい人を助けます。精神的には大変豊かな人たちです。
物質的に豊かな多くの人は他人に無関心です。精神的に貧しい人たちです。
愛の反対は憎しみとおもうかもしれませんが、実は無関心なのです。

憎む対象にすらならない無関心なのです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

ですが、多くの人は未だに物質的豊かさ、便利さを求めています。それが人々の心にどんなものをもたらすのか?その行きつく先にみんな気づいていません。ですが、これも天の意向の顕れです。だから、ただただ見ていって、みんなでその先をいただいていけばいいのです。

それでも気づいたものとしての役割があると思っています。天からのメッセージは常に自分を手放すことだから、そしてその先に繋がり合う豊かさがあるのだから、だからただただそんなふうに生きていくだけなのです。

ロータスランドに飾られている絵です。


Your left Slidebar content. -->