木の花ファミリーは、一人一人独立した個人が集まり一つの経済を生み出しています。その暮らしは、とてもユニークで優しく本質的な平等が実現しています。天然循環法による恵みをいただき宇宙を語る木の花ファミリー。お金を通して心を表現していきます。

真の信頼(神頼)関係を生み出していく

農事組合法人やNPO法人、そして一人ひとりのメンバーと様々な存在によって構成されている木の花ファミリー。それぞれが独自にお金を管理していますが、意識の上ではみんなのお金と見なしています。どこにお金があっても一つの目的のために使われていくのです。「所有」という概念から自由となり世のため人のためにお金を循環させています。そのあり方を説明する時、「信託」という言葉が当てはまるのではないかと思いました。僕らはお金を信じて託されているのであって、所有しているわけではないのです。

僕は最近、信託という言葉をたまたま目にしたのですが、この言葉は面白いなと思いました。僕らの人生は神からの神託(信託)に基づいています。

神は人間を信じ、人間に自由を与え自らの計画を人間に託しました。

神託は信託。神は自らの計画を手放し人間に委ねているのです。そこに大きな愛を感じます。

そして、同時にパンドラの箱の神話についてもよく考えるようになっています。

「神々からのすべての贈り物」を意味するパンドラは、神々から「開けてはいけない」と言われた箱を持って人間界に現れます。そして、好奇心から箱を開けてしまいます。すると箱からは疫病や悲嘆、欠乏、妬み、憎しみなどあらゆる災いが飛び出しました。こうして世界には災厄が満ち、人々は苦しむことになるのですが、絶望に沈むパンドラに語りかける存在がありました。それが希望です。あらゆる災いが飛び出した後、箱の底には希望が残っていたのです。

パンドラの箱はこんな話ですが、好奇心から箱を開ける行為は、神の言いつけに背く行為です。それは神が人間に与えた自由から生まれる行為で、自我(エゴ)に基づくものです。自我(エゴ)に基づいて行動する時、人は人間の醜さに向き合うことになります。それは人間を知ることに繋がり、プロセスとしては大切なものかもしれませんが、いつか行き詰まりを迎えます。

最終的にトランプ氏が勝利したアメリカ大統領選挙では候補者はお互いに罵り合っていました。それが世界の最高峰のリーダー候補者の姿です。

イラクのモスルではISが民間人を人間の盾とし、多数の犠牲者を出しています。

そして、総人口2100万人の半数以上が難民となり、21世紀最大の人道危機と言われるシリア内線は未だに続いています。

今、世界では様々なニュースが流れていますが、それぞれ人間の醜さや悲惨さ、残酷さを表していて、人間社会の行き詰まりを表しています。まさに絶望的な状況と言えますが、絶望から希望が生まれるのです。絶望、自らの望みを絶つ時、人間の自我(エゴ)の動きが止まります。そこに出来事を受け入れる余地が生まれ、思いがけない出来事に出会うのです。それは神からの働きかけであり、希望へと繋がるものなのです。

希望、まれな望み。

それは自我(エゴ)を手放し、自らの思惑から離れた時、生まれます。

戦争、紛争、経済格差や飢餓、気候変動や環境破壊など。山積する問題に対して、様々な対策が練られていますが、多くが自我(エゴ)の思惑から生まれた自分都合のものなのではないでしょうか?自我(エゴ)からの行動は人間の醜さと出会います。このような対策が思うように進まないのはある意味当然と言えるのです。

神は人間を信じ、自らの計画を手放し人間に託されました。同じように人間も自らの思いを手放し、神に人生を託す必要があるのではないでしょうか?その時、真の信頼(神頼)関係が生まれます。そして、それが思いがけない出来事を生み出し、今ある様々な問題はすべて解決されることでしょう。

そんな未来に向けて、僕たちは神託(信託)関係を深めています。その具体的実践の説明として、「自分ごと」から全体性へと至る道 の文章を紹介します。すべての人の「自分ごと」が全体性(神)へと至った時、この世界の出来事はすべてみんなのものとなります。そこではすべての存在の個性が生かされ真の平和が実現していることでしょう。


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宇宙の法の下では、自他の区別を超えてすべてが繋がり生かしあっています。
それから外れた「想い」や「行動」はすべて「自分ごと」なのです。
世界のことを考えていても、社会貢献をしていても、
「自分が」という想いに基づいていたら、それはやはり「自分ごと」となります。

そして、「自分ごと」の想いや行動は、たとえそれが実現したとしても、
この世界に偏りを生み出し、いずれ対立や格差、喪失などの滞りとなって現れるのです。

だから「自分ごと」を超えていくことが大切です。

自我が与えられた人間は、当然のように「自分ごと」の願いや想いを持ちます。
そして、それは意欲にも繋がるものです。
だから、それらを追い求めることは大切なことではあるのです。
ただ、その際、宇宙の法を意識する必要があるのです。

宇宙の法とは天の流れあり、それは時代が生み出しています。

自らの希望を追い求めながらも、天の流れを感じ、結果をいただき学んでいく。

そんな姿勢でいると、自分が高まり、自然と全体性へと至るのです。

それは自分と向き合う旅であり、その旅は果てしない冒険であり、新しい発見は尽きません。
新しい発見により自分がどこまでも果てしなく広がっていくのです。

ということでまたここでいさどんの言葉を紹介しますね。

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常に意識を全体性に持っていく必要があります。
あなたは今、個人的願望を抱えているわけだけれども、それをどう超えていくのか?
それが重要です。
個人的願望が全体性と共通していればいいのです。
例えば、個人的願望が宇宙の法に基づいていたら、それは理に適っていきます。
個人を高めるためというならば、それは全体性を持つことが個人を高めることであり、
全体性と個人は本来、共通していることなのです。
ですが、個人が抜きん出てしまうと、天が「それは違う」と滞りを与えてくれるのです。

心を磨いた結果出会うことがあります。願いが叶わない状態も自分を高める要素です。
「はい!分かりました」と叶うようなことなら、その願いは本当に自分を高めません。

だから何より心を磨き続けることです。

そして、自分を高める努力をしていると、その努力したことでエネルギーが消費され、他のものはいらなくなります。いらなくなった状態をさらに超えた世界。共通の世界で極めていく世界がその次にあるのです。個人で高める努力から「みんなで」とか「一つになる」というところで極める世界があるのです。

それは前人未踏の世界。我々は前人未踏の世界を創らなければならないのです。



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いらなくなった状態をさらに超えた世界。
「みんなで」「ひとつになる」ことを極めた世界。

それはきっと「自分ごと」を超えて宇宙の法の下に生きる人々が、
自らの個性を最大限に発揮した豊かな世界。

バラバラな特徴を持つものが一つのハーモニーを表現する世界。

真の平和が実現しすべての存在が生かされ調和した世界。

言葉にすればこんな感じでしょう。

そんな世界へ向けて、日々の暮らしを大切にし、この道を極めていきます(^-^)




木の花ファミリーのみんな@日本平動物園



克服すべきは自分自身

キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が死亡しました。キューバ革命を成し遂げ、アメリカという大国の側で、独自の立場を貫いたカストロ氏は英雄と見なされる一方、100万人以上のキューバ人を難民にした無慈悲の独裁者としても見られています。

教育費や医療費の無料化を成し遂げ、99.8%(2011年)という高い識字率をキューバにもたらしたカストロ氏は、核の悲惨さや環境保護の大切さも語ってきました。カストロ氏が平等や平和を目指し、共産主義国家を樹立したことは間違えないのでしょうが、自由の弾圧という負の遺産も抱えているのです。

旧ソビエトでも中国でも共産主義の下に弾圧が行われました。これは共産主義の持つ負の側面ですが、その萌芽はマルクス思想の中に初めからありました。マルクスは歴史を階級闘争と見なし、資本家から権力や財産を奪取する必要性を訴えていました。権力や財産を奪取した後、社会全体のものに変えていこうとしたのですが、その奥には対立の心があり、それが原動力となっていたのです。

共産主義は、資本主義を悪とし、それに対抗することで自分たちが正義となり、それを誇りとしてきました。その誇りが時に暴走し、横暴な態度に繋がり弾圧を生み出してきたのです。出発点が対抗(対立)の心であるため、それはいつまで経っても真の平和に至ることがないのです。

同じようにアメリカの存在はキューバを脅かしましたが、それに対抗することがカストロ氏の原動力となっていたのだと思います。そのため平等や平和という高い志が実現することはなかったのです。カストロ氏の人生は対立の中にあるように見えます。

これはカストロ氏がどうこうという問題ではなく、時代がそういう時代だったということです。一つの時代を築き大きな影響力をもったカストロ氏の死亡は、時代の変化を表しています。それはトランプ氏が大統領選に勝利し、国の威信を低下させているアメリカの姿にも表れています。

今、時代は大きく変化しようとしています。

今までの時代は、外に悪を見出し、それを克服しようとすることを原動力とし、エネルギーを使ってきました。貧困、飢餓、環境破壊、気候変動など。これらは確かに大きな問題ですが、それらを悪とし克服しようとしても解決することはないでしょう。なぜなら、その奥には都合の悪いものを排除する心があり、その不寛容な心が人々の対立を生み出し続けているからです。

克服すべき対象は外にあるのではありません。克服すべきは自分自身です。一人ひとりが自分の中にある不調和な心を見出し克服し続けること。それだけがこの世界を真の平和へと導けるのです。

今、木の花ファミリーでは来年の1月28日(土)に行われる富士浅間木の花祭りへ向けての練習が始まっています。この祭りでは新しい時代の到来が表現されています。それが一番端的に表れている金神様と翁の問答を紹介します。自分を克服し、掃除洗濯を済ますことで、金神さまと共に尊き天意転換(たてなおし)を実現しましょう(^-^)

金神さまです。


金神様と翁の問答              

 
  
伊勢天照皇大神 熊野権現 富士浅間 ところは当初の氏大神。木の花の佐久夜の御庭におわします、金色(こんじき)の尊き姿の御身は、どなた様にてござりましょう。

金神  

この方(ほう)は、艮の金神と申す。
時いよいよ来たれり。この度は、地球(くに)最後の天意転換(たてなおし)。一度に清める神幽顕の三千世界(みちよかい)。 汝らの宇宙(うつ)、光一つ上ぐる仕組み。今の世は「我よし、力よし」の獣の世、蛇の「あやま知」支配する、穢れ(けがれ)逆巻く魔釣りの世。

      

艮の金神とはいかなるお方にてござりましょう

金神
  
この方(ほう)は、宇宙(うつ)を創りた元つ神。こ度の宇宙(うつ)の天意転換(たてなおし)、始原(はじまり)の、時より決まりてありた事。この方隠れている間、「我よし」「あやま知」逆巻いて、神が息の出来ぬほど、穢れ(けがれ)汚れたこの世界、最後の最後の大仕上げ。この方再び現れたなら、光に穢れ(けがれ)混じること、適わぬ(かなわぬ)世となるべきなり。古き仕組みに変わりたる、新たな仕組み始まれり。
縁ある御魂引き寄せて、掃除洗濯 済みしものより、神の使える器となりて、こ度の尊き天意転換(たてなおし)、汝らご用に使うてやる。


一度はお隠れなされた御身が、再び現れ出る(いでる)と申されるか

金神  

いかにも。この世は逆さまじゃ。どうにもならぬ者どもを、今から改心させるため、世の中ひっくりかえすぞよ。これからは、神人(かみびと)、天地が一体の「弥勒の世」が始まるぞ。
故に皆々様、御魂磨いて下されよ。御魂磨かずおられては、使えるものにはならぬぞよ。
神多くの人民の、御魂目覚めて欲しいのぞ。汝ら皆々大切な、地球(くに)の日月の神々じゃ。
一なる花を二の花へ、二なる花を三なる花へ、大和の御魂を呼び覚まし、腹にまことを据えるのじゃ。
この心、天教山より日の本の、隅々にまで広げるぞ。汝らその役、引き受けられい。

      

引き受けましょう。我らこれより「弥勒の世」、創らんがためありましょう。

金神  

一度は渡したその榊。天の元に供えられい

(金神は後ろを向く。翁が榊の枝を金神の腰に差して退場する。
金神、根付きの榊に持ち替えて、四方でへんべいを踏んだ後、神座に戻る)

皆々様、いよいよ金神動くぞよ。さすればこの世、嬉し嬉し、愉し愉しの世となりて、真(まこと)の世が花開く。皆々笑え、愛し合え。真(まこと)次々現れくるぞ。
あっぱれ、あっぱれ、富士は晴れたり、日本晴れ。
オー、オー、ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト オー。
真(まこと)の神が現れる。神人(かみびと)共に現れる。弥勒の世の幕開けじゃ。
真(まこと)の真釣り(まつり)始まるぞ。新たな時代へ、船出の時じゃ。幕開け祝い踊ろうぞ。




天との約束と人との約束

今年も終わりが近づいてきて、経理の仕事も大詰めになってきました。
来年の2月から3月に掛けて農事組合法人の決算や個人の確定申告が控えているのですが、
今からその準備に取り掛かる必要があります。
そう思い憂鬱になる自分がいました。
今の自分にとって、どうしてもこれらの仕事はプレッシャーがついてまわります。
そこで今年の3月に書いた目標達成♪(^-^)♪をあらためて読み直しました。
以下、そのまま引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

農事組合法人木の花ファミリーの法人税申告、そして、個人としての確定申告。
2月から3月に掛けてはこの2つの仕事を抱えて、

毎年大きなプレッシャーを感じることになります。
昨年と一昨年は、足がむくんでゾウさんの足のようになり、

その前の年は肺炎になりかけました。
こんなふうにこの時期は身体に異変が生じみんなに心配を掛けてきたのです。

それはなぜか?

甘えたい気持ちがアピールしたい気持ちに発展し滞りを生み出す。

僕は今、当時の自分をそんなふうに分析しています。

大変な状況にある時、心と身体にストレスが掛かり甘えたくなります。
ですが、僕は普段から甘えるのは下手なので、

その気持ちを素直に外に出すことはありません。
その時、その大変な状況に没頭していくことで

周りにアピールをするようになるのです(無自覚に)。
そして、没頭することにより負荷が余計にかかり、

いっぱいいっぱいになっていきます。
それが体調不良などの滞りに繋がっていったのです。

今年はみっちゃんが全面的にサポートに入ってくれて、

大分助けられたのですが、
それでも法人税申告&確定申告は大変な仕事です。
そこに他の仕事が重なったことで大きなプレッシャーを感じることになりました。
そして恐怖からなんども自分の仕事に没頭したい気持ちに襲われました。
ですが、恐怖は自分が創り出しています。
恐怖心は大変な状況をアピールしたい気持ちには好都合なのです。

今年は恐怖心と向き合いコントロールすることが出来ました。
そして日々を淡々と過ごしました(^-^)

昨年の2月、法人決算でいっぱいいっぱいになっている僕にいさどんはこう言いました。

もしあんたが一生懸命にやって法人税の申告が間に合わなかったとしても、
それはここ全体の実力として受け入れるだけ。

そして、その言葉にみんなも同意しました。

「こうでなければならない」というように縛られることはないのです。
とはいえ、「出来なくても気にしない」というわけでもないのですが。

一生懸命にやりつつも結果は求めずすべてを受け入れる。
すべてを受け入れつつも、結果を大切にする。

矛盾するような「ゆらぎ」。

今年はこんな姿勢で、子どもと一緒に散歩を楽しんだり、誕生日会お餅つきなど、
日々のイベントを楽しんだりと、出来るだけみんなと過ごすことを大切にしました。

特に甘えずアピールもせず。

ただ淡々とみんなと過ごすことでみんなからエネルギーを貰っていました。

みんなの真ん中で生きていく」に書いたように僕はみんなの中に溶けて生きていくのです。

真ん中で際立つのではなく溶けていくのです。

目立つ必要はないのです。

目立たないこと。

それを目標にし仕事を淡々とこなしていました。

そして今日これから。とうとう仕事を終わらせ確定申告に行ってきます。

今年は身体に何の異変も起きていません。


とりあえず目標達成です(^-^)

☆彡 ☆彡 ☆彡

ということでこれからどんなにプレッシャーを感じても自分の仕事に没頭はしません。
淡々と日常を送るだけなのです。

それで21日、木の花ファミリーブログ「サツマイモ畑から阿吽の世界を」にある通り、
みんなと一緒にサツマイモ収穫をしました。

当日はみんなで心を一つにして作業に集中することで、
とても気持ちのよい空気が流れました。
そんな空気の中ではプレッシャーやら恐怖は飛んでいくのです。

大いなる流れは自分ごとを溶かしていきます。
みんなの中で溶けていく。
そこには心地よい風が吹いていきます。

僕は普段、経理や管理事務の仕事をしているのですが、
それらは法律に基づいて行われています。
法律は人間社会が発展する中で育まれたもので、
それは人との約束と言えます。

一方、サツマイモなどの作物は、
自然の中で天気(天の気)などに左右されて育まれるもので、
それらの収穫は天との約束と言えます。

人との約束はどうしても自分たちの都合の寄せ集めとなりがちです。
例えば今、TPPが話題となっていますが、
これを推進するのも自分たちの都合であり、
そこから脱退しようとするのも自分たちの都合です。
憲法改正の議論もそうです。
それぞれの都合から語っている側面があるのではないでしょうか?

世の中を俯瞰して何が大切かを見極める。
そういう視点が抜けてしまっているのです。

そんな中、作物を通して、自然の移り変わり、天気の変化を感じられるのは有難いことです。
それらは自分たちの都合で進むことはありません。
主体が作物となり、いただく心、自分を離れた視点を育んでくれるのです。

それは今の世の中が忘れてしまっている心や視点であり、
社会の混乱の多くはそのために起こっていると言えるのです。

経理や管理事務を担当している僕は普段、人との約束ごとの世界に生きています。
それらはともすると自分たちの都合の追求に繋がります。

ですが、人も本来は天との約束の下、自然の法則の中で生み出された存在です。
自分たちの暮らしの土台は天との約束にあるのです。

法律という人との約束の世界。
そこに天の意志を吹き込んでいく。
それが僕にとっての事務です。

そしてそれはやろうとして出来ることではなく、
ただ流れに沿うことで自然となっていくことなのです。
僕が天意に沿っていれば・・・ですが。

なんにせよそれが目指す境地です。

僕にとっては生きることが事務なのです。

※農事組合法人決算などの仕事について興味がある方は、
世界のお金がみんなのお金になるように」をお読みください。

サツマイモ一斉収穫の写真です。





出会うことをいただいていく。

私たちが「生きている状態」とは、肉体と魂が一体となって生命世界において循環している状態です。それに対して、「死ぬ」ということは、肉体と魂が分かれ、肉体は生態系の構成要素として3次元宇宙の中に、魂はそれぞれに相応しい異次元宇宙に還っていくことです。

このように捉えると、肉体は死を境に消滅してしまうわけではありません。人間や動物、植物といった、ひとつの生命としての一時的な姿が終わるに過ぎないのです。常に変わり続けるもの、それが3次元生命の姿です。

これに対して、3次元生命を生命として束ねているものが魂・霊性です。私たちは魂と肉体の分離を死と呼びますが、それは終わりであると同時に始まりでもあるのです。死によって肉体は生命としての循環の仕組みから解き放たれ、原子の単位となってこの世界へ散らばっていきます。一方、魂は新たな次元において次の旅の準備を始めるのです。


「死生観」という表現は、死を生の側からの視点だけで捉えた言葉であると言えます。しかし、生死を超えた視点から死を捉えると、死生観というように、生の奥に生を支える魂の世界が連綿と続いていることになります。つまり私たちの本来の姿は魂、霊性であり、いわゆる「死後の世界」こそが本来の居場所であることになるのです。つまり、私たちは生死を繰り返すことによって学び、本来のあるべき立ち位置に目覚めていくのです。ですから死とは、その学びの大切な節目なのです。



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魂は生まれてきて自分に相応しい肉体と出会います。そして、両親に出会い、身内に出会い、友や仲間と出会って行きます。その中で感情が育まれていきます。すべては相応しく与えられる出会いであり、その出会いを通して魂は自分を知っていきます。

僕たちの本来の姿は魂です。肉体や感情は相応しく与えられるものであり、それを通して自分を知る材料であり、だからこそコントロールすることが出来、その変化を通して魂も変化していくのです。

この視点に気づいた時、魂はすべての出来事から離れ、自由となり∞(無限)の可能性へと開かれていきます。∞(無限)の世界の中で魂を成長させていく。それが心磨きです。

この視点は完全にニュートラル(中立・中庸)なものです。なぜなら魂の世界は人間社会の善悪や価値観を完全に超えた世界だからです。それらを超えた価値、あらゆる価値観を超えたニュートラルな価値があり、それを積み上げていく。それが魂の成長であり、心磨きです。

僕は今、こんなふうに感じています。

魂の成長。それはこの世界に本質に気付き、自由になっていくことであり、自らの思惑から解放されていくことです。それは今まで自分が身に着けてきた反応パターンのそぎ落としです。一つのパターンがそぎ落とされた時、自分自身の感情、そして出会う現実が変わっていきます。どんなふうに変わるかは変わってみなければ分かりません。だから、これは思惑を超えた世界であり、変化は自ずから起きるもの、変化を起こすのではなく、変化をいただく生き方なのです。

ところで、今年の7月、参議院選挙が行われましたが、その結果を受けていさどんは以下のように語っています。

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今回の参院選では、投票者数を上げるために、18歳以上の若者たちにも選挙権が与えられた。投票前はそれが希望ある話のように捉えられていたが、結果として、まだそこまでの社会的意識が育っていない者たちに何を持って投票意欲を起こさせたのかと言ったら、損得勘定だ。

人間は損得勘定を持つと、意欲が生まれる。本来、意欲というのは、生命力から生まれてこなければならない。それは損得勘定とは違い、自らがこの世界に生まれてきて役割を果たすことの意味が見つかった時に湧き出してくるものだ。
最終的には、自らの生命を完全燃焼させ魂の成長が成された時に、本来の生命としての目的が達成されたかどうかという意味での損得勘定はあるが、生きている間の学びの材料である一つひとつの出来事に囚われて損得勘定をしているようなことでは、人間の創る社会が本来の目的を現せないのは当たり前のことだ。
しかし、欲望の漬物のようになってしまっている今の社会では、損得勘定ですべてが進んでいくのも仕方がない。そうすると、損得勘定が人々の意識の元にあり、その上に社会ができるという非常に貧しい世界ができる。

これは極めて重要なところを突いているのだが、さて、損得勘定が巨大に膨らんでしまった今の世の中で、人々はどこまでその損得勘定の魔の手から離れて目覚めることができるだろうか。現代の人々は、ものの本質を観ようとするのではなく、損得勘定だけで結論を出そうとしている。国民は経済成長を支持したと言うが、そもそも経済とは何であるのかという実態がわかっていない。支持をされる側も、これを言ったら支持されるだろうということが当たっただけのことで、やはり実態がわかっていない。


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損得勘定から生まれる意欲。それは例えば、評価や結果を求める心となって現れますが、何かを目的にし、それに向って努力をする時、その分、自分の中に偏りが生まれます。目指すものの価値が大きくなり、ニュートラルではなくなります。そして、思惑が育っていきます。例えば、世界平和など崇高な目標であったとしても、それが損得勘定から生まれていたら、偏りが生じ思惑が育っていきます。その結果が今の社会です。

多くの人が世界平和を求めながらも、そこにはそれぞれの思惑があります。そのためそれは自分都合の平和となり、相容れない意見とは対立することとなります。対立は時に争いや格差に発展し、戦争や紛争、抑圧やそれに対するテロとなって顕れています。

安全保障関連法案に基づき、南スーダンでの自衛隊による駆け付け警護が閣議決定しましたが、そこにも政府の思惑が働いています。そのため相容れない意見との対立が生まれているのです。

多くの人が平和な世界を築こうと努力した結果が今の社会です。どんなに崇高な想いを持っていても、思惑や損得勘定に染まってしまうと偏りが生じ対立に繋がります。思惑や損得勘定を超えること。それが今、人々に求められることであり、これは精神革命です。それは何かを生み出す努力から、すべてをいただく姿勢への変化であり、その結果、世界平和、すべてが調和した社会が訪れます。

いさどんの言う通り、今の社会は損得勘定に染まっています。ニュースを見ても、日本の利益は?私たちの暮らしへの影響は?という感じでその奥には損得勘定があります。国と国との関係も損得勘定により繋がり、決別します。そんな中、上記のような視点で語ってもなかなか理解されないこともあります。そしてお互いの話が平行線となっていきます。そのような時に必要な心構えは?最後にその答えとなるいさどんの言葉を紹介します。

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ある価値観が広まるということは、その時代を生きる多くの人々が、その意識にならなければいけません。たとえその価値観が、大局から捉えれば重要なものであったとしても、それが世の中の主流になるかどうかはまた別の話なのです。
世界を大局で捉えず人智で捉えている人々にとっては、その人智で進めようとしていることが主流になるためには、革命や社会変革運動のように努力して勝ち取らなければならないかのように思えることでしょう。しかし大局で捉えている者にとっては、社会変革は時代の変遷であり、流れなのです。ですから、ただただ今行き着いた精神を日々の中で実践しながら、時が来るのを待つのが、大局で世界を捉えている者の姿勢なのです。

そういった大局的な視点で世界を捉える者たちが現れたということは、次の時代が訪れる予告でもあります。なぜなら社会の動きは時代によって生み出されているからです。ですからあなたの存在が時代の流れと共にあるならば、自らの存在に自信を持ち、信念に基づいた行動をやり続けていけば、息が切れるほど長い時を待たなくとも、現実化することでしょう。それが天意であるならば、何も焦る必要はないのです。

そして天と共にあるかどうかは、行動の結果もたらされる現象が教えてくれます。だからこそ、日常の中で出会う出来事を通して、自らの立ち位置を認識することが求められます。


時の流れを感じ、時代の大局と共にある人々の勇気を讃え、エールを送ります。



今朝の朝日です。太陽も地球も常に宇宙の中を新しいところを進み続けています。

すべてを生かしていく

パリ同時多発テロから1年が経ちました。当時、僕はこの事件からは大きな衝撃を受けました。そして、以下、3つのブログを書いています。

 客観性に基づく大いなる循環の中で祈りを捧げる

 永遠の相の下にプロセスとして見ていく

 みんな神さまでみんな好き

それぞれざっと読み返した時に、いさどんブログ21世紀のいのちの捉え方」から引用した以下の言葉が心に残りました。

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死を迎えることは、人生の区切りをつけ、次のステージに行くことでもあるのですから、亡くなった人を見送る人たちは、死者に対して、「こうだったらよかった」「ああだったらよかった」と考えるだけでも、その人が次のステージに行くための後ろ髪を引くことになるのです。
生死の流れからすると、亡くなった人たちは必ず次へ行かなければいけないのです。ですから、そこでは未練を持つのではなく、その人との出会いから感情を入れずに学ぶことが大切なのです。学ぶことがその人の死を生かすことになるのです。

生きている者からすると、その人の生き様を見せてもらったのですから、「あの人はこう生きてこのような結果を迎えたのだから、自分はこのように生きていこう」と自らの生き方につなげ、学ぶことが、人の死を生かすことになるのです。どんな人の生き様であっても、それが殺人者であろうが、自殺した人でも、一つ一つの事例として残された人に見せてくれているのです。

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この文章は原文ではさらに以下のように続きます。

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よくある話として、余命3ヶ月と宣告されると、「どのようにその期間を過ごしたらいいのでしょうか?」という質問をご家族から受けることがあります。その時に僕が答えるのは、その人が亡くなっても、その人の生き様(人生経験)は残った人たちの中に生かせるということです。ですから、生きている間にその人を観察し、なぜ今のような状態になっているのかを理解した時に、その人の人生を自分も生きたと捉えることができるのです。
わたしたちは自分ひとり分の人生を歩んでいますが、縁の近い人の生き様は身近で赤裸々に見せてもらっているのですから、それを自分も経験したと同じように捉えることができるのです。ですから、そこから学び、自分のこれからの人生に生かすと、死は世代を超えて生き続けることになるのです。
さらに、亡くなった本人自身の学びが不十分だったとしても、残った人たちがその人の生き様から学び、生かしてくれたということになると、本人から悔やみがなくなって次への旅立ちの手助けにもなるのです。
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縁の近い人と言えば、僕は父からは沢山の影響を受けています。「父の課題=僕の課題」と思って受け継いだ性質と向き合っていた時期もあります。(そのことについては「あなた未熟もみんなに役立つ」をお読みください)。父はまだ亡くなってはいませんが、身近な人として赤裸々にその人間性を見せてくれたとても大切な存在であり、父の人生は僕の人生であり、そこからの学びは今の僕に生きています。

僕に強い執着を持っていた父にとって僕が愛を持って離れた場所で暮らすことは父の業(カルマ)の解消に繋がります。事実、僕への執着から自由となった父は穏やかに暮らしています。それは母にとっても同様で、僕がこの場で心を磨くことは親族の業(カルマ)の解消にも繋がっていくのです。だからこそ、僕は父から受け継いだ特徴から自由であり続ける必要があります。

身近な人々がその生き方から人間というものを赤裸々に見せてくれるように、世界中で起きている出来事もその状況に応じた人間というものを見せてくれています。パリ同時多発テロ、そして、その後のフランスによるシリアへの攻撃、それらは人類の歴史の中で起きていて、人類全体の業(カルマ)となっています。それらは痛ましい出来事ですが、僕ら一人ひとりがそれをしっかり認識し、そこから人間というものを学ぶことで悲劇は生かされていきます。

何でも生かしていくことが大切で、そのためには繋がりを見出す必要があります。様々な出来事の奥にある繋がり、人と人、人と自然との繋がり。生と死との繋がり。そこを意識し行動した時、すべての出来事は生かされていくのです。

ですが今、世界は分断の極みにあります。それは人々が表面的な出来事や目先の損得に心を奪われているからであり、そのため立場が変われば意見が変わるバラバラの世の中となっているのです。テロや紛争はそんな人々の姿勢の延長で生まれています。

一人ひとりの人間はこの世界の中で様々な立場をとり暮らしています。そしてその立場からこの世界に関わり、善悪の判断をし、何かを求めます。ですが、それは一つの立場からの視点に過ぎず、他の視点を生かすことが出来ません。それを絶対視していると他者と分かり合えず対立や分断に発展していきます。

だからまず人は自らの価値判断を手放す必要があるのです。そして、「自分が・・・」という意識を超えて、すべての出来事をいただく心を育んでいきます。その先に人類の未来が開かれるはずなのです。

それは生命力が切り拓く未来です。生命力についていさどんは「この世界の仕組みに気付き自らの使命に目覚めた時、自然と湧き上がるもの」と表現しています。人はとかく評価を気にしたり、目先の損得を考えますが、その思考の奥には本当の自分がいて、それは世界に生かされ世界と一つなのです。世界と一つ。起きる出来事はすべて自分の顕れ。その心ですべての存在と繋がることですべての出来事は生かされていきます。

だから僕はそんなふうに生きていきます(^-^)


木の花の子どもたち。あっと言う間に集まりみんなで生かしあっています。


全幅の信頼をよせて出発(たびだって)いく。

最新の木の花ファミリーブログには出発(たびだち)プロジェクトのことが掲載されています。ここで言う「出発(たびだち)」とは「死」のことであり、みんなで死生観を深め、共通のものを育むためにアンケートを行っています。そのアンケート冒頭の文章をここでもシェアしておきます。

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私たちは「死」を人生の終わりではなく、新たな旅の始まりととらえています。それは今世の最終章としての卒業式であり、送る側と送られる側が生死の壁を超えた共通の認識を持つセレモニーなのです。

そのため、いわゆる葬式を「出発式(たびだちしき)」と捉え、葬送の儀は「出発人(たびだちびと)」との出会いを通して人生を振り返り、人生の最終章を迎えた者を祝福し見送るものと考えています。

私たちが「生きている状態」とは、肉体と魂が一体となって生命世界において循環している状態です。それに対して、「死ぬ」ということは、肉体と魂が分かれ、肉体は生態系の構成要素として3次元宇宙の中に、魂はそれぞれに相応しい異次元宇宙に還っていくことです。

このように捉えると、肉体は死を境に消滅してしまうわけではありません。人間や動物、植物といった、ひとつの生命としての一時的な姿が終わるに過ぎないのです。常に変わり続けるもの、それが3次元生命の姿です。

これに対して、3次元生命を生命として束ねているものが魂・霊性です。私たちは魂と肉体の分離を死と呼びますが、それは終わりであると同時に始まりでもあるのです。死によって肉体は生命としての循環の仕組みから解き放たれ、原子の単位となってこの世界へ散らばっていきます。一方、魂は新たな次元において次の旅の準備を始めるのです。

「死生観」という表現は、死を生の側からの視点だけで捉えた言葉であると言えます。しかし、生死を超えた視点から死を捉えると、死生観というように、生の奥に生を支える魂の世界が連綿と続いていることになります。つまり私たちの本来の姿は魂、霊性であり、いわゆる「死後の世界」こそが本来の居場所であることになるのです。つまり、私たちは生死を繰り返すことによって学び、本来のあるべき立ち位置に目覚めていくのです。ですから死とは、その学びの大切な節目なのです。

しかし今の社会において、死生観という概念は一人一人違うものです。人それぞれが持っているその人の価値観によって、生きることも死ぬこともその受け取り方が違ってくるわけですから、人の数ほどあることが当然なのです。


そこでアンケートによって個々の意識を確認し、私たちの死生観に対する認識を共通のものとし、ファミリーとしての出発式の様式に反映させたいと思っています。

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出発(たびだち)に関するアンケートは2013年に一度実施しているのですが、その時は個人の気持ちに焦点を当てたものとなっていました。一人ひとりの想いを尊重する。それは今の価値基準では当然に思えるかもしれませんが、それ以上の親しさや豊かさ、深みのある世界があるのです。昨年の12月、いさどんは「出発(たびだち)」について以下のように語っています。

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全幅の信頼があればいい。それはなんでこの生活しているかを突き詰めていけば、そこに行きつく。充分にそこまでいきついていないといろいろな意思表示がでてくる。でもそれが現状ならば、それを踏まえる必要がある。それを共通の目的と照らし合わせる、そしてそれと社会との整合性。ここには社会に対する責任もある。個人の意思木の花全体の目的。その3つを表現していく必要がある。
個人が自分だけのことを考えたら、私が死ぬときは・・・・という発想になる。でも逆に言うと、あなたが自分のことを考えるよりも僕はあなたのことを考えている。そして全体も。ならば、あなたはあなたのことを考える必要があるの?

出発(たびだつ)ときの位置。それを少しでも高くしたい。日頃から自分の発想の元の心を見ることでそのチェックをする。それが自分を高めることになる。

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木の花全体の目的とは、宇宙の意思をこの世界に顕すことです。それは「時代人」としての生き方です。それは個人的な願望や思惑を超え、流れをいただく生き方です。ですが、実際の個人がそこに至っていない場合、それを踏まえる必要があります。一人ひとり、自分の想いを正直に語ることで、それを手放していくのです。それが僕ら木の花ファミリーの日常です。

そして社会です。今の社会はまだ個人の願望や権利を尊重する中で成り立っています。その結果、表面的な違いが際立ち、分断や対立が生まれ混乱が極みに達しています。そんな社会のルールや現状を踏まえ、その中に宇宙に意思を顕していく必要があります。だから僕たちは社会との繋がりを大切に暮らしています。アメリカ大統領選や日印原子力協定、TPPなどの世界情勢を意識し、出会う人々との交流から今の社会を感じ、人間についての学びを深め、その奥にあるこの宇宙の本質を知っていくのです。

これが僕らの日常、そして出発(たびだち)はその延長にあります。「死」という現実に向き合うことで生じる個人的な想い。それを表現し手放すことで、常に変化し続ける生死の本質へと至り、目覚めていくのです。それをみんなで祝い、そこから学ぶことで、今の社会の中で生死の本質を示していく。出発(たびだち)式はそのような場となっていくのだと思います。それは「死」を恐れ「生」に執着することで混乱が生じている今の社会の中で希望の光となっていくことでしょう。

きっと僕らはそんなふうに生きて、そして出発(たびだって)いくのです。

そんな僕らの生き方が凝縮された祭りが富士浅間木の花祭り次回は2017年1月28日に開催されます。艮の金神の復活、生まれ清まり舞い踊る、うれしたのしの地球のお祭りです。是非、一緒に踊りましょう♪


木の花祭りの登場する金神さまです。



時代がトランプ大統領を生み出した



わたしたちは、「時代人」です。つまり、時間という共通した乗り物に乗って旅する旅人です。この時間という乗り物には地球も乗っています。この世界に存在するものはすべて、時間に乗って旅しています。そして物理的にも、地球は宇宙を旅しているのです。

なぜ、時間は進んでいくのでしょうか。それは、一秒、一分、一時間、一日、一年と人間が時間の基準をつくり、時間を認識しているからです。それは人間社会だけの話のようですが、実はこの世界はサイクルのもとに成り立っています。そのサイクルは、一秒、一分、一時間、一日、一年と人間が便宜上区切っただけではありません。一日は地球の一自転であり、一年は地球の一公転です。春・夏・秋・冬の四季のサイクルの中で植物は芽吹き、栄え、種を残し、しばらく冬眠した後、また春に芽吹いてきます。その繰り返しによって時間が刻まれていくのです。ですから、これは人間がつくったものではありません。そして、人間以外のそういった仕組みを認識しないものもすべて、そのサイクルの中にあるのです。

その大いなるサイクルの中で今、わたしたちは歴史的な転換期を迎えています。皆さんもそのような時代の移り変わりに気付き始めているからこそ、今、このメッセージに出会っているのでしょう。地球環境や世界情勢は今、混乱の極みを迎えています。しかし、時代は常に未来へ向かって進み続けていますから、この混乱もいずれ収まり、この延長線上に世界が進み続けていくことはないでしょう。それは、目先のことや自らの欲望におぼれず、ひとつの物語として時代を読み解いていくことができれば、今の延長にある流れがいずれ行き詰まることは明らかなことが観えてきます。その証として、今、世界中では人類史上稀に見る危機を迎え、わたしたちが自らの姿勢を転換する必要があることを時代が教えてくれています。

そこで、わたしたちはこれからの時代をどのように生きていくべきなのでしょうか。

「時代が生命であり、時代が意志を持って、時代を紡いでいる。」

21世紀は「時代主義」の始まりです。「時代主義」を生きる人々は、自らの願望に翻弄されることなく、世界を自由自在に生きることができる宇宙の旅人(時代人)です。

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上記の文章はいさどんブログ「わたしたちは時代人(じだいびと)です」からの転載です。そして、同じくいさどんブログ「この世界は時代によって動いている」には以下のような文章が掲載されています。

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この世界は、時代によって動いています。ですから、人間が現状に対して問題を感じ、それを改善しようとする必要は本来はないのです。それは人間も含めてすべて、宇宙が世界に現象を引き起こしているからです。

同時に、この世界の現象は人間も含めた物語として紡がれているのですから、本来、わたしたちはそこで何をするべきなのでしょうか。それは、時代の動きや意志を感じ取り、それと連携して生きていくべきなのです。

これまで人々には、「時代が意志を持って動いている」という視点はありませんでした。人々はどこかで、「自分たちが時代を創っている」と思い、画策してきたのです。しかし厳密に言えば、誰一人、時代を動かした者はいないのです。ナポレオンであろうがヒトラーであろうが、キリストであろうが釈迦であろうが、自らの思い通りに生きられた人は誰もいません。なぜならば、世界は常に時代の意志によって運営されているからです。

その意志は思惑を持っていません。常に変化・変容・変態を繰り返し、進化し続ける宇宙の実体が、淡々と世界を紡いでいるだけなのです。

ですから、わたしたちが過去を振り返り、「あの時代はひどい時代だった」と思う必要はありません。それはあくまでも時代のサイクルの中のどこにいたのか、というだけのことなのです。そして今、わたしたちが観ている混乱した時代も、これから真実が明かされていく光の時代からのメッセージでもあるのです。そこでわたしたちは、時代のサイクルにのっとった生き方をすることが求められているのです。そのためには、まずはそのサイクルが観えることが大切です。

そのカラクリが観えている者たちは、今の逆さまの時代を正していく役割も担っていくのですから、たいへんと言えばたいへんです。しかし、時代は自ずとそのように成っていくのですから、その流れに乗ってしまえばたいへんではないとも言えるのです。

そのように進んでいくことが時代の実体であるならば、それを理解し、その流れと共に時代の意志を現象化していくことが、わたしたち地上を生きる者の本来の役割なのです。今、時代はそういった目覚めを人々に求めています。

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アメリカ大統領選は事前の予想に反してトランプ氏の勝利となりました。そして今、そのことに抗議をするデモがアメリカで起きています。自分たちで選んだ大統領を自分たちで拒絶する。アメリカは今、大きな混乱の中にあります。この姿は、今年の6月、国民投票の結果EU離脱を決定した時のイギリスの姿と重なります。いさどんは当時、イギリスのEU離脱について以下のように述べています。

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イギリスがEU離脱を宣言した理由の一つに、雇用の問題がある。豊かな国イギリスにEUという国の垣根を外した制度が入ったことで、イギリスに雇用を求めて貧しい国々の人々が流入し、それによって移民と仕事の内容がバッティングする一部の人たちが職業を奪われたと訴えている。それに対して、EUを離脱すれば5億人の市場を失うことになり、世界の金融センターとしてのイギリスの立場を失うことになると訴えている人たちがいる。
そこで多数決を取った結果、移民によって職を奪われていると主張する労働者階級が人数として勝り、そちらの意見が採択された。どちらの側も、自らの利益のための主張の延長線上にある。そうやって主張していることが自らの心の貧しさを表していることに気付き、振り上げた拳を下ろすということがない。

それでも形だけは民主主義だと言って、多数決の理論で自らの主張に支持を集めようとする。では民主主義が、民衆に正しい世の中をもたらすかというと、そうではないことはこれまでの結果を観れば明らかだ。それは今回の日本の参議院選挙でも、イギリスのEU離脱を問う国民投票でも、同じことが言える。損得勘定がベースの民主主義によって得たものが、後にしこりを生み、損得勘定の議論の上にまた議論が積み重なっていくということを延々と繰り返している。


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ここで描かれているイギリス国内での対立はアメリカを初めとする先進諸国で起きている傾向と言えます。個人の自由や権利を尊重してきた民主主義ですが、人々は目先の利益や表面的な出来事に反応して来ました。そのため、立場が変われば意見が変わり分かり合えなくなっています。世界は様々な立場により分断され対立は激しくなっています。ISを初めとするテロ組織もそのような中から生まれてきたものと言えるでしょう。

目先の利益からの損得勘定。それが今の社会を創っています。多くの人が自ら望んでそのように行動しているのでしょうが、その結果として分断や対立、格差や紛争、テロとなって現れています。この結果を人々は望んでいたのでしょうか?

お釈迦さまやキリストを初めとする多くの聖者が「個」を乗り越えることの大切さを語ってきています。そのような中、現代社会は表面的な「個」の願望を尊重して来ました。その結果、浅いレベルでの「違い」が際立ち、分断が進んできたのです。これは当然の帰結とも言えますが、この流れを生み出したのは「時代」でもあるのです。

太陽系は2012年12月21日、銀河の冬至を迎えました。その前後7年間が銀河の夜明けであり、今、太陽系は光へと向かっています。ですが、冬至は闇のピークであり、それまで時代は闇へと向かっていたのです。世界中で起きている分断や対立はその流れの中にあった出来事です。今、時代は光へと向かっていますが、それはまだ僅かな動きです。今は闇へと向かう中で創り上げた歪みが明るみに出ているところなのです。

トランプ大統領はそのような時代の流れから誕生しました。政治経験や軍人経験のないトランプ氏はしがらみがない分、言いたいことを言って来ましたが、実際の政治の中では様々な立場から圧力を受けるでしょう。それを受け取り超えていく力があれば、アメリカ、そして世界はまとまっていくのでしょうが、それだけの人格と力がトランプ氏にあるようには思えません。様々な矛盾に行き当たり社会は混乱していくのではないかと思います。これは一見困った出来事のように思えますが、古い秩序が完全に壊れることで、新しいものが生まれる兆しと見れば、希望となっていきます。今、時代は光の方へと向かっているのです。

今は変革の時代です。そのような中、個人の浅はかな願望、目先の利益に囚われていたら、時代に翻弄され混乱の中で一喜一憂するようになります。ですが、人間の深みは∞(無限)です。掘り下げていけば、一人ひとりの存在は全宇宙と繋がっていくのです。この視点に立った時、宇宙や地球の動きから時代の流れが見えてきます。そこから「時代人」としての歩みが生まれ、「時代主義」
が始まるのです。

一人ひとりの人生は本来、時代という大きな流れと共にあります。そのことに目覚めた時、人は大きな流れの一部を担い現象化していくことが出来ます。それは個人の願いを超えた宇宙の願いの実現です。最後にそんな生き方についてのいさどんの言葉を紹介しますね。逆説的ですが、個人の願いを手放せば手放す程、人は世界に開かれ幸せになれるのだと思います。

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この世界は一体です。すべてのものが時代と共に一体となって動いています。それが宇宙の実相です。そのような意識レベルを有した者が地球上に現れたならば、その響きがこの世界に放たれ、それに共鳴した者たちの行動が少しずつこの世界を変えていきます。そしてさらにそれに共鳴した者が行動することによって、その響きがこの世界に放たれていく――、その連鎖が時代を動かしていきます。その響きがこの世界の混乱を鎮め、人類の営みによって傷つけられてきた地球を包み込み、地球を本来の美しい星へといざなっていくのです。

一人ひとりの目覚めがウエーブとなって連鎖し、地球上を巡っていきます。そこには、音もなく、力もいりません。それは、時が刻まれていくときに、時の音がわたしたちの耳には聞こえないのと同じです。地球が自転し公転するときに、その音が聞こえないのと同じことなのです。ですから、時代が動くときに、その音はわたしたちには聞こえないのです。耳をすませてその音を感じてみてください。そのような人類の目覚めの動きが今、地球上に始まっているのです。

今こそ、わたしたちは自らを自我の枠から解き放ち、この無限なる宇宙の中で自由自在に生きる時が来たのです。わたしたちの中から願望や野心が消えた時、宇宙の真理が湧いてくるようになります。そして、人類が誕生した目的にのっとった最もふさわしいポジションにわたしたちは立てるのです。そういった真理に目覚め悟った者は、時代を読み、流れを感じ、今を生きる「時代人」となるのです。

それが、21世紀初頭にあたり、時代がわたしたち人類に伝えているメッセージです。





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