諦めることで明らかにする



9月9日は重陽の節句で、重陽の節句は、菊理姫(ククリヒメ)と縁があるとも言われています。この菊理姫(ククリヒメ)についてWikipediaには以下のように書かれています。

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神産みで伊弉冉尊(いざなみ)に逢いに黄泉を訪問した伊奘諾尊(いざなぎ)は、イザナミの変わり果てた姿を見て逃げ出した。しかし泉津平坂(黄泉比良坂)で追いつかれ、イザナミと口論になる。 そこに泉守道者が現れ、イザナミの言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」と言った。 つづいてあらわれた菊理媛神が何かを言うと、イザナギはそれ(泉守道者と菊理媛神が申し上げた事)を褒め、帰って行った、とある。 菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていない。

この説話から、菊理媛神はイザナギとイザナミを仲直りさせたとして、縁結びの神とされている。 夜見国でイザナミに仕える女神とも、 イザナギとイザナミの娘、イザナミが「故、還らむと欲ふを、且く黄泉神と相論はむ」(古事記)と言及した黄泉神(よもつかみ)(イザナミ以前の黄泉津大神)、 イザナミの荒魂(あらみたま)もしくは和魂(にぎみたま)、あるいはイザナミの別名という説もある。 いずれにせよ菊理媛神(泉守道者)は、イザナギおよびイザナミと深い関係を持つ。 また、死者(イザナミ)と生者(イザナギ)の間を取り持ったことからシャーマン(巫女)の女神ではないかとも言われている。 ケガレを払う神格ともされる。

神名の「ククリ」は「括り」の意で、イザナギとイザナミの仲を取り持ったことからの神名と考えられる。菊花の古名を久々(くく)としたことから「括る」に菊の漢字をあてたとも、また菊花の形状からという説もある。菊の古い発音から「ココロ」をあてて「ココロヒメ」とする説もある。 他に、糸を紡ぐ(括る)ことに関係があるとする説、「潜(くく)り/潜(くぐ)る」の意で水神であるとする説、「聞き入れる」が転じたものとする説などがある。 白山神社(石川県鳳珠郡能都町柳田村)では、『久久理姫命(久々利姫命)』と表記している。

なお、神代文字で記されているとされる『秀真伝(ホツマツタヱ)』には、菊理媛神が、天照大御神の伯母であるとともにその養育係であり、また万事をくくる(まとめる)神だと記されている。

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9月9日は括りの日、何かを締め括る日でした。そんなことを意識したのは今年が初めてです。そして、9月10日は新月、新しい始まりの日となって、何かが終わり何かが始まるタイミングなのだと思いました。

黄泉の国にイザナミに会いにいったイザナギは、菊理姫(ククリヒメ)の言葉を褒めて地上に戻っていきました。ずっと一緒に神生みをしていたイザナミが恋しくて黄泉の国を訪れたイザナギはイザナミを諦め単身で地上に戻ります。そしてその後、イザナギは神話の表舞台からは姿を消し、主役の座はアマテラスやスサオノへと移っていきます。それは自分の想いを諦め、トキの流れを受け入れ、変化を受け入れる姿勢と言えます。菊理姫(ククリヒメ)がもたらす締め括り。それは変化を受け入れ、それぞれが相応しい役割を引き受けるということなのでしょう。


諦める(あきらめる)とは明らか(あきらか)にすることでもあります。そしてそれは実りを結果としていただく秋(あき)に相応しい心の動きです。

「アキラメル」をカタカムナで読み解くと、「高次元の始まりが生まれるトコロにわずかに出ている芽」となり、諦めるという行為は物事を明らかにすることであり、そこから新しい動きが生まれるのです。9月9日は、諦めることで新しい動きを生み出す締め括りの日と言えます。

そして9月9日は北朝鮮の建国記念日でもあります。今年は70周年でしたが、軍事パレードは抑制的な内容だったようです。それは北朝鮮が何かを諦めた証なのかもしれません。なんにせよ、核問題などで世界を騒がせている北朝鮮の建国記念日が括りの日である9月9日なのは興味深いことです。その存在は、人類の実態を明らかにすることで、何かを諦めるように訴えているようにも思えます。

ソナイビレからのお客様です。
そんな9月9日、木の花ファミリーでは、韓国から樹仙齋(ソナエビレ)の人々が訪れ交流を深め、その場で「世界の側から自分を見る」が共有されました。それはきっと「高次元の始まりが生まれるトコロにわずかに出ている芽」であり、これから世界は国境を超えて一つになっていきます。

今まで、一人ひとりが自分の側から世界を見て世界をどうにかしようとして世界は混乱していきました。これからは、一人ひとりが世界の側から自分を見て、自分を正していく時代であり、その姿勢が人々を一つにしていきます。

世界の側から自分を見る

それは天の流れに沿って物事を見ていくことであり、目の前の出来事を自分自身の表れとして受け入れると同時に、変遷として見ていくことで一喜一憂しない姿勢を育むことです。自分の視点から自由になるために、一人ひとりが自らの想いを「話す」ことで手放し、物事を明らかにすることで諦めていきます。そうすることでトキの流れは「高次元の始まりが生まれるトコロ」から新しい芽を生み出し続けることでしょう。

自分視点が生み出す世界を締め括り、トキの流れが生み出す世界へ心を開いていく。

今というトキはそんなタイミング、それを感じて実践します。


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