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希望は思考の奥から湧いてくる

希望は思考の奥から湧いてくる

どんなに希望を見出そうとしても思考からは希望は生まれない。希望は思考の奥から湧いてくる。それは自分を生かしているこの世界の法則であり大いなる意思の力。そこから希望は湧いてくる。その力なしでは思考は空虚な空想となっていく。だから、思考は、大いなる意思に沿って展開するといい。そうするときっと、思考は希望の顕れとなり、人生は、人智を超えて無限の可能性に開かれていく。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 上記の言葉が僕に湧いてきたのは、ある日の大人ミーティングでジイジの話を聴いてから。その話はこんな感じの話でした。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 第二次世界大戦。当時の日本人は、全然違う情報を貰って、多少足並みの乱れはあったものの、国中が一丸となって、正しいと信じて、国策として戦争に突入し、その結果、日本中が焼け野原となりました。そしていよいよアメリカ軍が上陸してくるという時、人々はみんな竹やりを作って戦う準備をしていましたが、終戦を迎えて日本は負けました。その後、だんだん分かってきたのは、自分たちが聞いていた情報はまったく嘘だったということです。勝利どころか惨敗で、初めから勝てるわけがなかったのです。それで負けたのだと意気消沈していたところに米兵が上陸してきますが、そうすると日本人は、「男は全部、強制的に去勢される、日本人の種を無くすために。女は、米兵を見たら振り返ってはいけない。振り返ったらOKですよと言っているようなもの。笑うなんて絶対に駄目。もしも米兵が来て自分に近づいてきたら、自分は生理だと言いなさい。」ということがまことしやかに広がったといいます。 実際に米兵が来たらそんなことはなかったのですが、ではその発想はどこから湧いたのかと言ったら、日本人がそういう発想をしていたということです。何も情報がないのにそういう発想が出るということは、自分たちが、米兵が憎くて、「あいつらが来たらこうしてやろう、ああしてやろう」と思っていたからです。自分たちの心がそのような発想を生み出したのです。だから自分が発したことは自分の中にあることです。それを「ああだったから、こうだったから」と理由を話しだしたら、自分と向き合うことにはなりません。 そして、満州からは日本人の引き上げがありましたが、関東軍はソ連兵が満州に侵攻すると、何も言わずに逃げてしまって、残された満蒙開拓団の民間人は、なんか変だと思っていたら、ソ連兵による攻撃を受けて逃げ惑い、中国人は自分たちの田畑を奪いに来るのです。もともと日本人が中国人の田畑を取り上げて開拓に入っていたのだから、奪いに来るのは当然です。それでも中国人は意外に穏やかだったといいますが、ソ連兵は残虐でした。ソ連の精鋭部隊はヨーロッパ戦線に使われていました。そのためシベリアなど東方に向ける軍人が不足し、囚人を使うようになりました。囚人だから秩序が全くありません。もともと犯罪者なのだから、略奪や破壊、殺人、強姦を繰り広げます。満州の日本人はその中を逃げてきました。 人の生き方、死に方にはいろいろありますが、そういうふうに民族全体が狂っていた頃がありました。でもそれは団結することで正義になってきたのです。だから本当に真面目に振り返らなければなりません。戦争で、人類は正義を旗印にどれだけ残虐なことをしてきたか、そういうことを本当の学びとしていくにはどう分析しどう解釈したらいいのか、そういうことをしっかりとやっていかないと、命を懸けて狂った過去の犠牲を蔑ろにすることになります。 中国が建国70周年の式典で、その豊かさと繁栄を祝いましたが、それを誇るのが兵器、軍事力となっています。軍事力をもって何を誇り、祝うというのでしょうか。ですが、それが今の人間の実態です。日本では憲法9条改正の議論がされています。攻撃は最大の防御と言いますが、その奇妙な恐怖から人間が人間を信頼できなくなり、兵器を持って平和が保たれています。これは本当におかしな状態と言えます。 それで最近気づいたことがあるのです。あることに思考を巡らしている時に、思考と思考の隙間に出会います。あることに思考を巡らして一段落した時、次の思考に行く前に思考の隙間があるのです。その時にぱっと湧いてくるものがあります。それは思考ではありません。思考ではないもの。「だからもう一回、一からやり直そう」という想いです。生きていればいろいろなことに出会います。ドジをすることもあります。だからそれを良く振り返ってしっかり腹に落として次に生かすのだと。そういう想いが湧いてくるようになっています。それが生きているという証です。...

トキ・トコロを得る

トキ・トコロを得る

富士山(2019年9月23日秋分・ちなっぴ撮影) 2019年9月23日秋分の日、このブログを立ち上げて丸5年となりました。「5」はカタカムナでは「い」・位置。電気、磁気、力がトキ・トコロを得て現象界に粒子となって顕れる思念です。 トキ・トコロを得る。 それをヒトの姿勢で言うと、この時代、この場所(トキ・トコロ)に自分が生かされている使命に気づくことだと思っています。それを忘れた人間は、自らの自我に翻弄され混沌としていきます。ということで、このブログの位置・トキ・トコロを得て生み出された意味を再確認しようと思いました。まずは昨年の秋分の日に書いた言葉です。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 変化変容が本質であるこの世界では、未来は常に未知なるものです。そして、それは自分自身にも言えることです。現象を追い求める「欲」の心は、そのような未来や自分を思い通りにしようとします。その結果、未来や自分の現実が見えなくなり、混沌が深まっていくのです。「欲」の心は、混沌のままに動きまわることで、混沌を深めていきます。 気候変動や自然災害、紛争や戦争、貧困や餓死。今の世界には様々な問題がありますが、ただそれを解決しようとしても、それは現象を追い求める「欲」の心であり、混沌を深めるだけとなります。それらの問題を生み出している元の心、人間一人ひとりの姿勢を明らかにし、それを正していくトキ、今ある問題は自ずと消えていくのです。 赤米が実っています。 今日は秋分の日、秋の真ん中です。収穫の秋は、種まきの結果をいただくトキであり、明らかになることで諦めるトキです。自我という「余地」が与えられたことで人間には自ずから「欲」の心が生まれます。それは絶えず続く心の動きです。だから人は、絶えずその心の動きを諦めることで明らかにし、自分と世界の現実と向き合い正していく必要があるのです。その動きが世界に彩りを生み出すと共に調和というバランスをもたらします。 国連総会が開幕しています。国連総会が毎年秋に行われるのは、「欲」の心を明らかにし諦めることの大切さを表しているようにも思えます。 そして、このブログを立ち上げたのも秋分の日、今日で丸4年となりました。秋分の日に立ち上げたのはたまたまですが、今思うと、このブログを通して表現し、自ら実践することも、「欲」の心を明らかにし諦めることにあります。...

叶わない願いがある、だからこそ人生には意味と価値がある。

叶わない願いがある、だからこそ人生には意味と価値がある。

木の花ファミリーのみんなです。 常に意識を全体性に持っていく必要があります。あなたは今、個人的願望を抱えているわけだけれども、それをどう超えていくのか?それが重要です。個人的願望が全体性と共通していればいいのです。例えば、個人的願望が宇宙の法に基づいていたら、それは理に適っていきます。個人を高めるためというならば、それは全体性を持つことが個人を高めることであり、全体性と個人は本来、共通していることなのです。ですが、個人が抜きん出てしまうと、天が「それは違う」と滞りを与えてくれるのです。 心を磨いた結果出会うことがあります。願いが叶わない状態も自分を高める要素です。「はい!分かりました」と叶うようなことなら、その願いは本当に自分を高めません。 だから何より心を磨き続けることです。 そして、自分を高める努力をしていると、その努力したことでエネルギーが消費され、他のものはいらなくなります。いらなくなった状態をさらに超えた世界。共通の世界で極めていく世界がその次にあるのです。個人で高める努力から「みんなで」とか「一つになる」というところで極める世界があるのです。 それは前人未踏の世界。我々は前人未踏の世界を創らなければならないのです。 「心を磨いた結果出会うこと」より ☆彡 ☆彡 ☆彡 上記は2015年の七夕にジイジから語って貰った言葉で、僕にとって大切な言葉の一つとなっていますが、僕はこの言葉を少し違うふうに捉えていたことに気づきました。 願いが叶わない状況が自分を高めるのは確かなのですが、願いが叶わない=心磨きが足りない、だから、心を磨いて願いを叶えなければならないとなると変な話になっていきます。ここで昨年の秋分の日に僕が書いた文章を紹介します。 ☆彡...

世界は、まわりてめくる、想いも・・・

世界は、まわりてめくる、想いも・・・

1週間ぐらい前の大人ミーティングにて、僕は「あれから3年、今の僕の到達点(2)」をシェアしました。その時、ジイジはこんな話をしてくれました。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 今、木の花ファミリー憲章の改定作業を進めていますが、木の花ファミリー憲章は守るべき答えではありません。今まで、様々な宗教が経典を答えとしてきていますが、答えとすることで教えとして固定されます。そこには進化(深化)がありません。変化変容がこの世界の法則であり、本来すべてのものは進化(深化)していくものです。だから、どんなものでも教えとして固定してはいけません。 木の花ファミリー憲章で示しているのは、指針です。心構えと言ってもいいでしょう。大切な指針、心構えを現時点の視点から表現しています。表現は未来にいけば進化(深化)していくことでしょう。だけれども、大切な指針は変わりません。 今、読まれた文章にはみんなが適用できる大切な指針が多く含まれています。こういう文章を然るべきタイミングでシェアし、確認することが大切です。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 大切な指針、心構え。 例えば、「あれから3年、今の僕の到達点(2)」では、こんな文章を書いています。 ☆彡 ☆彡...

失った善意を取り戻していく

失った善意を取り戻していく

少し前に、木の花ファミリーのみんなと映画『君の名は』を観ました。この映画は2016年に大ヒットしましたが、僕はこの前初めて観ました。この映画、スピリチャルな世界では、イエス・キリストとマグダラのマリアの統合(陰陽・男女の統合)や瀬織津姫の復活など、大きな意味を持つものとして語れていますが、こういう言葉に出会った時、自分の都合よく捉えないように注意をする必要があります。神話的なものは宇宙の流れを表しているのであって、宇宙は人間の都合で動いているわけではありません。その流れは人智を超えたものであり、流れにそぐわなければ、滞りに出会うことにもなります。 話は変わって。 今年の8月以降、木の花ファミリー憲章の改定に向けて憲章の検証をしていますが、その中で善意という言葉がクローズアップされています。今の木の花ファミリー憲章、世界観概要の中には「善意」は以下のように表現されています。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 「想い」はあらゆる価値判断を超えた善意と愛、そして調和から成ります。これは自然界から教えてもらえる事実です。自然界では、お互いの存在が生かしあっています。これは利他の精神の顕れです。善意により繋がり、愛が生まれ、愛により絆が生まれ、調和をもたらしているのです。悪、醜、偽、欲、貧など、この世でマイナスの価値を与えられている事柄も、すべてはこの「想い」、善意と愛と調和から生まれています。「想い」に立ち返れば、すべてはひとつなのです。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 善意は愛や調和に先立っています。そして善意という言葉から、3年前の6月、ジイジ(当時はいさどん)が大人ミーティングで語った以下の言葉を思い出しました。 ☆彡 ☆彡 ☆彡...

探求を継続していく

探求を継続していく

ジイジ: 私たちの生にまつわる物理的現象の一から十までのプロセスをたどるとしたら、九のあとは十ではなく・・・0ということになる。一二三四五六七八九で、次は次元が変わって0に行く。そうすると、生が一になる。一二三四五六七八九でひとつのサイクルが終わり、0の段階に入って、一二三四五六七八九・・・と捉えられるのではないか。つまり、九に行って死を迎えると、0になる。そうすると、それはリセットで、また始まるという考え方がそこに秘められているのではないだろうか。 ようこ: 日本人の中には輪廻転生の捉え方が自然と組み込まれていて、西洋だと、たとえば近代キリスト教にはその捉え方はない。一回の人生で終わりと考えられている。 みちよちゃん: それに対して日本人の死生観は、死んだらそこがスタートで、そこから準備をして次の生につながっていく。 ジイジ: だから、0というのが準備期間と捉えれば、0一二三四五六七八九となる。 ようこ: 0は何もないみたいだけど、そこには大切な何かがある。 ジイジ: 0があるからこそ、一がある。いきなり、一にはならない。一になるまでの準備期間が本来ある。 ようこ: 0と一二三四五六七八九は、潜象界と現象界のような存在?...

あれから3年、今の僕の到達点(2)

あれから3年、今の僕の到達点(2)

ロータスランドの絵。雑多な日常(絵の前の棚)に仏が生まれ宇宙の光が降りてきます。 「あれから3年、今の僕の到達点」にも書いたように2015年10月2日は僕にとって大きな転機でした。大人ミーティングでは、僕の話題が多くを占めたのですが、そんな中、みちよちゃんは以下のオーロビルのマザーの言葉を訳していたそうです。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 The Mantras of Bliss and Transformation ! Are...

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