相応しいものになっていく。

9月23日の秋分から9月28日の満月(スーパームーン)まで。
天体の動きに大きなイベントがありました。それは一つの節目と言える出来事です。

9月28日夜の満月です。(ちなっぴー撮影)


そして世界に目を向けると、ニューヨークで70回目の国連総会が開催されています。
9月25日から27日には「持続可能な開発に関するサミット」が開催され、
「持続可能な開発のためのアジェンダ 2030」が採択されました。
このアジェンダ2030には、「17個の持続可能な開発目標」が含まれています。

この17の目標は、格差や貧困、気候変動、そして生産や消費の在り方にまで及びます。
”誰も置き去りにしない”というスローガンの元、世界が一丸となって取り組むことが求められます。
 ※以下のリンクを参照して下さい。

【プレスリリース】国連総会「持続可能な開発サミット」に日本のNGO/NPOが参加
国連70年② ”誰に置き去りにしない”世界を目指して
持続可能な開発目標(SDGs)について

ですが、今一番支援を必要としているシリアに関しても、米国とロシアは対立しており、
そして、日本についても、安倍首相は難民支援にお金を出すことは表明しましたが、
受け入れには否定的です。
(「安倍首相「難民受け入れは?」と問われ「女性の活躍、高齢者の活躍が先」参照

様々な国の代表が一般討論で演説していますが、自国の利益や平和のみを訴えており、
対立への解消へは向かいません。

理想に実態が追い付かない状態となっているのです。


天体が節目を迎え、世界の指導者がニューヨークに集まり話し合いが行われる中、
木の花ファミリーでもいさどんから連日深い話がなされました。

木の花記 ~金神様の巻~』に描かれているように、
いさどん、そして木の花の暮らしは自分の意図を超えたものに導かれてきました。
それは僕たち一人一人のメンバーの人生についても言えます。
その奇跡のような出会い、この暮らしの大切さを確認する時間となりました。

僕自身は?と言うと、自分の中の大きな衝動に翻弄されて停滞していました。
この衝動、昔は全くコントロールすることが出来ず、
自分の人生を台無しにし、多くの人に迷惑を掛けてきた衝動です。
僕を圧倒し翻弄し続けてきた衝動です。

2007年8月、「このままではもう生きていくことは出来ない」と決心し、
9日間の集中内観(5日間の断食含む)をしました。以下の文章はその後に書いたものです。

☆彡 ☆彡 ☆彡 (2007年8月22日に書いた文章) 

過去の起きたすべての出来事はその時その時の自分のベスト。
そして周りの人の行動もその人達のベスト。
みんな色々な動機とか思いとか悩みとか迷いとか抱えながら生きていて、
そういう中で自分の行動を描き出していく。
だから全部がその時その時のベストなんだ。

ならば僕は起きたことすべてにYesを言いたい。
すべてを肯定する。

自分自身の醜さ、汚らしさ、恥ずかしさ、みっともなさ。
それらすべてを含めてYesを言いたい。

周りの人の気に食わない行動。イラつかせる言動。納得の出来ない行動。
それらすべてにYesを言いたい。

なぜならその背後には必ず「愛」が隠れているから。
その「愛」を感じ続けられる自分でいたい。

嘘や罪や自分自身にNoを言うことから始まるのだと思う。
「こんなのは自分ではない」という気持ちから見栄が生まれ、
誤魔化しが生まれ、偽りの自分を演じる。
嘘に嘘を重ねる。
心を損ね続ける。
そして自分を見失う。

だから僕はどんな時も自分にYesを言い続けたい。
もっともっと自分自身を掘り下げ続け、
もっともっと深いところから自分自身にYesを言い続けたい。


そして他者には「愛」を。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この文章を見て、僕は昔から同じようなことを書いていたのだなと思いました。
ですが、実践は言葉に追いついていませんでした。
そのため僕は再びこの衝動に出会い、苦しむことになります。
木の花ファミリーに移住して2年目。2010年はそんな年でした。
そして、その年の12月、僕は以下の文章を書いています。


☆彡 ☆彡 ☆彡 (2010年12月7日に書いた言葉)

メッキがはがれたのだと思う。困難からは逃げて、自分の都合の良いように解釈し、
嘘をつき、びくびくして、いつも自分をみんなが忘れてほしいと願う。
自分は生きる資格のない人間で、本来なら死ななければならないけれど、
死ぬことも許されない。だからもがき続けるだけ。そんなふうに思って生きてきた自分。
でも、ここ数年そんな思いは忘れていた。でも時々「しくしく泣いちゃう感じ」として出てきた。
絶望感と無力感。僕はやり過ごしていた。
自分に別の人格を作り上げることで、最低人間の自分を超えようとしてきた。
そして、超えたと思っていた。でも、今、自分が噴き出してくる。
結局、僕が今までしてきたことはメッキを塗っていただけ。
剥がれてくれば、最低の自分が噴き上がる。
あの苦しみはもう味わいたくない。もうこのままぼーとして無気力に生きていたい。
そんな気持ちが湧き上がる。そうしたい。
でもそれはできない。僕はもうあまりにも木の花のみんなと関わりすぎた。
僕の心はもうすでに僕だけのものではない。
はじめからそうか。世界と僕は一つなんだから。
ここでの暮らしはその事実を分かりやすくみせてくれているだけ。


僕はこの地球に対して自分ひとり分の責任を負っている。だから投げ出さない。

☆彡 ☆彡 ☆彡

そして、今、再びその衝動に出会いました。
集中内観を受けてから8年、
僕がこの衝動に苦しむようになってから10年の月日が流れています。
実践が言葉に追いついていない証ですね。
そして僕は疲れて投げやりになっていました。

そんな僕のことがミーティングで話題となり、僕はコメントを求められましたが、それを断りました。
そんな僕に対して、いさどんをはじめとしたみんなから言葉を貰いました。
この時のいさどんからの言葉を少し紹介しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

話すことがないというのはあなたの都合であって、
そのあなたの都合が全体にどんなものをもたらすのか?
そういうことを自分で感じてコントロールする段階に行かないといけません。
今、自分にはまっているからそういうことを言っているわけだけれども、
全体性というものを大事に考えていたら、そういうことは言わないはずです。
今のあなたの状態は定期的に起きてくるもの。
定期的に起きてくるならば、今はそこのポイントのところに向う良いチャンスだと思うが、
それをやらないといつまでも超えることは出来ません。
今、何をやれという具体的なことは何も言いません。
ですが、あなたのその姿勢では問題です。
きちんと向き合い超えていく。
それが覚悟というものです。
一人一人が自分と向き合ってみんなで場を創っていくのです。
そういうことをしないと次のビジョンは実現出来ないのです。

日頃、自分が安定している時に極めていこうという志と、
一度何か滞って、自分から見て自分自身の印象が悪い時の開き直り、
そして、やる気のなさがあなたの場合、極端になっています。
ですが、それは本当は逆なのです。
日頃の時ももちろん大事ですが、自分がやる気がなくなった時に自分と向き合う。
そこが一番のポイントです。

日頃、一生懸命に積み上げていたものが、
その状態だとある瞬間に全部ぶち壊してしまいます。

このあなたの本質が変わっていないのは、
覚悟を決めてそこに向き合っていないからです。

☆彡 ☆彡 ☆彡


こんな話がされている時、みちよちゃんは以下のオーロビルのマザーの言葉を
訳していたそうです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

The Mantras of Bliss and Transformation !

Are you ready to change yourself completely?
You will have to throw off your ideas,ideals,values,interests,and opinions.
Everything will have to be learnt anew.
If you are ready for all this,then take aplunge;
otherwise don't try to step in.


至福と変容のマントラ

完全にあなたを変化させる準備ができていますか?
あなたは自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨てるでしょう。
全ては新しいものとして学ぶべきことです。
もしあなたがこうした全てに準備ができていたら、飛び込んで。
さもなければ、それには踏み込もうとしないことです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

その言葉はまさに僕に向けられた言葉で、
この言葉を受けて、いさどんは以下のように語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

僕があなたに伝えていることは、決してあなたに不愉快を与えるものではありません。
どれ程の想いを込めて、そして願って、あなたの追い風になろうとしているか。
そういうことが分かったら、今の状態でいる自分が、
いかに恥ずかしいことで申し訳ないことであるかに気づくでしょう。

あなたは自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨てるでしょう。」というマザーの言葉。
それは自我を捨てて、天のままに生きるということです。

僕は昔、それを天のマリオネットと表現しました。
でも、その考えは今は変わっています。

昔、夜、外に出て上を見て、月が出ていれば月、星が出ていれば星、
曇っていたら、その上に星や月を想像して語っていました。

「神さま、私はあなたの意志に沿うものです。」

そうすると、そういうことを語っていた時、その間違いに気付きました。
「あなたの意志に沿うものです」ということは、
あなたという意志があって、そして、それを受けている自分がいるということです。
でもよく考えてみたら、あなたという意志はわたしに表れています。
だから、本当のそれが通じた時に、私の意志はあなたそのものなのです。

あなたはわたし、わたしはあなた。

その時、「神さま」とそこに気持ちを向けたり、
「あなたの意志」というようにそこに特定を持った時に、
すでに自分、自我を成立させているのだと気づいたのです。

まわりてめくる。

すべては新しい出来事として学ぶべきことです。
常に新鮮で新しい毎日が来るわけですから。

これを世間の価値観で生きる人たちはなんだろう?と思うかもしれませんが、
すべての人が行きつく先はそこなのです。
まだ社会がそこまで熟していない時に、我々が先駆けとしてこれをやっています。
その構造が分かるならば、本当にそのことの貴重さ、尊さ、有難さを思って、
あっさり一目散にそこに向かうでしょう。

なかのんはブログで立派なことを書いています。
今の状態でそれを書くことは、偽物を書いて罪を犯しているような話で、
それは自分の価値をどんどん落としているのです。
でも、だからブログを書くなということではないのです。
ブログに相応しいものになるとしたら、そんな状態でいるはずはないのです。

そこは僕のためではなく、あなたの価値を上げるということと、
世の中の為にあなたに目覚めて欲しいと僕は願っています。

そして価値あるものとしてあなたのいろいろな思いが
表現されていく世界を実現しなければなりません。
愚かしいところで、目覚めない状態で自分の願いを叶えるということは、
自分にとっても世界にとっても何もいいことはありません。
そこを分かるということだと思います。

我々は何をするかというと、僕と同じような話をみんなにしろって言っているのではないのです。
「みんなで」という気持ちで暮らし、それを人々に見てもらいたいのです。
こんな素晴らしい世界がいっぱいに広がって欲しいから、人々に見て欲しいのですよ。
たったそれだけです。

それは日常、みんなが気持ちよく「さーと」心が通っていって、
「ああこれだったんだね。これがやりたかったんだね。」
そういうことを言葉ではなく空気を感じて、
「神さまの目的はこういう世界だったんだ」と理解することです。

これはとても身近にあって、アカデミックでもなんでもありません。
哲学とか立派な話でもなんでもありません。

「あぁ、いい空気だね。」
「こういうところに生涯身を置きたいね。」
「こういう生き方を自信を持って、安心の場所でやりたいね。」

そう感じたら誰だって出来るんですよ。

僕はこういう話をしばらく避けてきましたが、
みんなが僕の気持ちに共鳴するならば、
僕からどんどん発信されて、「そうだね、そうだったね。」となるんだったら、
いくらでも話す価値があるなと思うのです。

でも待ちの姿勢で話を聴いて、良い話だったねとなって後で忘れていくならば、
僕もジレンマを感じてしまいます。

みんなで良い響きを生み出していく。そんなふうでありたいです。

なので、お願いだから、人の心を調整するような時間をこの場に持ち込まないで下さい。
自分の心は自分で調整して下さい。もうそういう段階です。

それでも、残念ながら、充分に果たせなかった時に、
それを投げやりにならないで、表に出して、みんなにそれを正す方法を請うて下さい。
自分に実力がないのですから。

そして、みんなに助けてもらって、心から「ありがとうございます」と言って進んで下さい。
そうしたら、あなたの未熟も「良い場創りに役だったね。」ということになります。

みんなが他者のことを思い合う。
そういう心の表現に繋がるのですから。

だから未熟でもいいのです。
本当にみんなに託していく。そういう場創りが大切です。
そしてそういう場はいつでも表現出来るのです。
道を難しい道だと思わないでください。

☆彡 ☆彡 ☆彡

僕はみんなと歩んでいきます。
そして、その歩みの積み重ねで言葉に実践が追い付いた時、世界も変わる。
そう信じています。

きっと国連が掲げた大きな目標も実現するでしょう。

僕らの道は太陽(光)へと続いています。

9月28日、満月の日の朝日です。

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