やっぱり天の物語を生きる~新年(2016年)の挨拶として~

2015年12月31日の夜@ひまわりホール
明けましておめでとうございます(^-^)

今年の年越しはひまわりホールにて、子どもたちと一緒に昨年を振り返りながら迎えました。
昨年の8月に行われたKidsキャンプについて振り返ったり、子どもたちの絵をみんなで観たり、
血縁の家族について語り合って過ごしていました。

血縁の家族については昨年の初め、
やっぱり天の物語を生きる~新年(2015年)の挨拶として~」に書いています。
ここでそれを引用しようと思います。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人間が個人として生きる時、様々な特別な関係を持ちます。親子関係や夫婦、兄弟姉妹、恋人や友達など。人は、これらの関係を通して感情を育み、成長していきます。これらは、個人としての自分を育ててくれるとても大切なものです。僕にとっても両親や妹は自分を育んでくれたとても大切な存在です。その恩を忘れることはありません。ですが、これは僕個人の感情であり、大きな視点で見るとそれ以上に大切なことがあるのです。

血縁のお蔭で今、僕は生きている。それも事実ですが、それ以前に、世界が僕を生かしてくれています。宇宙や地球、太陽や雨、動物や植物、微生物など、この世界を構成するすべての要素が今この瞬間も僕を育んでくれています。僕は空であり、木々であり、山であり、土であり、水なのです。僕の中にすべての存在が息づいているのです。


天とは宇宙であり、この世界そのもの。その意思を僕は感じます。だから僕は、木の花ファミリーのみんなと天の物語を生きるのです。それはとてもわくわくする物語なのです(^-^)


☆彡 ☆彡 ☆彡

僕は昨年同様、今年の正月も帰省はせずに木の花ファミリーで過ごしています。
それは両親を避けているわけでもなく、自分に何かを禁止しているわけでもありません。
ただ「流れ」を感じていないのです。

天の物語を生きると宣言してスタートした2015年ですが、
自分の感情に翻弄されることが多々ありました。
自分の願望を叶えようとする気持ちが世界を狭くし、停滞する日々を送ることもありました。
 ※以下の投稿を参照して下さい。

 正しい自己認識が世界を変え、世界に平和をもたらす
 相応しいものになっていく
 空っぽへのあこがれ

こんなふうになったのは自分の中に「自分の物語」を追い求める種があったからです。
この種は自己主張や自己正当化を求め、人や自分の幸せ、客観性などを二の次にします。
昨年の滞りは、この種に対する認識を深める機会となりました。
種を認識すれば、取り除くことが出来ます。
種を取り除き、天の物語を生きていくのです。

天の物語とは、時代の流れであり、それを感じることが必要となります。
この時、自分の想いは脇に置いておくのです。
冷静に客観的に現状を眺め、その奥にある天の想い、時代の流れに想いを馳せます。
そして、「流れ」を感じて生きていくのです。

自分の想いは置いておく。そして「流れ」に従う。

この生き方は不自由なように聴こえるかもしれません。

 「思い通りに生きたい」

そう願った場合は特のそう感じることでしょう。

ですが、天の想い、そして、時代の流れは常に自分の想像を超える存在です。
そこに想いを馳せることは、「思いもよらない」無限の現実へと繋がっていきます。
そうすると、僕らは常にわくわくした気持ちで生きていけるのです。
 ※「望みを捨てて無限の可能性を生きていく」参照。

木の花ファミリーの暮らしはそんな出来事で溢れています(^-^)

話しを帰省に戻すと、こんな姿勢で生きる時、そこに「流れ」を感じていないというわけです。
「正月だから・・・」というのはあまり意味がないように思えます。
なので、僕は木の花ファミリーで過ごしています。
当然ですが、それはずっと帰らないことを意味するわけではありません。

天は僕らにどんな再会を演出するのか?

僕はそれを楽しみにしているのです(^-^)

ということで今年も「やっぱり天の物語を生きる」と宣言します。
天とはこの世界そのもの。皆さまと共にある世界です。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。



木の花ファミリーのみんな





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