空気を感じて空気のように

昔、その不可思議な異次元空間が当たり前に身近にあるけれど、
あまりにも身近にありすぎて、
あることが気付かないようなところにあった。
そこに現れるその異次元空間が、新たな時代を創っていく。
それは潜象界のようだ。

「難しいことを与えておるゆえ、心してゆけ。」
ここまでそれがわかってくると、難しいことの意味がまったく違ってくる。
それは難しいだろう、それはわからないだろう、という話にもなる。
それは、「難しいからやっていくぞ!」というものではない。
ともこのように気合を入れて宣言してやるようなものではない。


僕はただ、
「ここは何だろう・・・あれ?!・・・ここはどこ?・・・」
という場を創りたいのだが、皆は何もわかっていない。

※潜象界とはカタカムナの用語です。


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この言葉は昨年の7月にいさどんが語った言葉ですが、「空気のように」というタイトルが付けられていました。

空気のように

この言葉からは僕はいさどんがまりちゃんに伝えた以下の言葉を思い出しました。

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「空気のような存在にならなければいけない。そこに居るのかいないのか分からないが、なしでは生きていけないものだ」。つまり、自己主張するのでもなく、でしゃばりもせず、しかしそこにいて、この道には欠かせない者になれ、ということ。


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そして、もう一つ、昨年の10月にいさどんが語った言葉も思い出しました。

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なぜ、今、空気はこの状態なのか。それは生命の歴史と連動していて、空気の成分は変化してきている。そうすると、そこにいる生命の存在も変わってきていて、空気も汚染されてきた結果、人間の歴史も変わってきている。つまり、我々は空気だ。
空気は絶対なくてはならないものだが、空気の存在によっては生命は対応できず、絶滅もする。だから、空気の存在は時代が動いていく中で、とても大きな役割を果たしている。空気は何でもなくあるようで、ものすごく大きな存在。気付けば気付くほど、その存在は大きく、あまりにも身近にありすぎて解釈できない。この空気と対話したり、空気の存在を解明したら、何か新しい世界が観えてくるのではないか。


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木の花ファミリーの名前は富士山の主神である木花咲久夜姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)から頂いていますが、僕は以前、いさどんからコノハナサクヤヒメについて、以下のような話を聴いています。

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コノハナサクヤヒメは命の儚さ、美しさ、潔さを司る神様です。天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が地上に降りて来た時、コノハナサクヤヒメの美しさに惹かれ、サクヤヒメの父親、大山津見神(オオヤマツミガミ)のところにサクヤヒメを貰いに行きます。この時、オオヤマツミガミはサクヤヒメと一緒に姉の岩永姫(イワナガヒメ)も一緒に貰ってくれと頼みます。イワナガヒメは命の永続性を司る神様ですが、岩のようにごつごつした顔をしていました。そして面食いだったニニギノミコトはイワナガヒメを断ってしまいます。ニニギノミコトは人類の祖先です。命の永続性を司るイワナガヒメを断ることにより人類には寿命が与えられたのです。

これは神話ですが、実は地球上の大気に変化にも対応しているのです。地球の原始大気の多くは二酸化炭素が占めていて永らく変化はありませんでした。それは神々の時代、命の永続性を表しています。そこに生命が生まれ、光合成を行う生物により酸素が誕生し、二酸化炭素は減少していきます。酸素は物質の変化を促します。そこに命の儚さ、美しさが表現されるようになっていきます。

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空気の変化により生命は今の形を取り、循環の中で変化変容を繰り返しています。儚く、潔く己の命を全うすることで、美しさが表現され、それが次の時代へと繋がっていきます。循環と繋がりの中で美しさを表現していく。それが今の空気が生命に示している生き方です。

自己主張するでもなく、でしゃばりもせず。だけれどもこの宇宙の歴史にとって欠かせないものとなる。

空気を感じて空気のように生きる。

空気は当たりまえのように身近にあるけれども、時代を表現しあらゆるものと溶け合って不可思議な異次元空間を生み出していくのです。

それに気づけば・・・ですね。




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