道理に基づくうれしたのしの世の到来

株価が上がって喜ぶ人は一部の人で、汗水流して働く人々はその恩恵は受けません。でも、こんなニュースが流れると、株で儲けたいと思う人が多くなります。すると、汗水流して働く人が減っていきます。それは健全な社会の姿でしょうか?汗水流すことで得る僅かな収入で暮らし大人は、子どもには勉強をさせて将来、楽をさせたいと願います。そして、そんな子どもたちの中には、貧しい人たちを助けたいと医者を志すもので出てきます。ですが、医者は病人がいて初めて成り立つ仕事です。病に依存しています。加えて、生活を成り立たせるために収入におわれ、最初の理想も失っていく可能性が大きくなります。現実の中で何かが狂っていくのです。

加えて、そんな子どもたちが医者になれる可能性はとても低い現状があります。東大生の親の年収ですが、57%は950万円以上というデータがあります(年収ガイド参照)。子どもが東大に入るためには莫大な投資を必要とするのです。教育基本法3条では教育の機会均等が謳われていますが、現実は経済格差が教育格差に繋がっているのです。結果、東大には今、受験勉強が出来る、記憶力が優秀な人ばかりが入学しています。それは本当の意味で「頭が良い」とは言えません。「頭が良い」人とは直観力が働く人です。そんな本当の力を持つ人たちが出て来れない世の中になっているです。

そして、スポーツの世界に目を向けても、そこには歪みが見えます。トップを夢見ること。そこへ向けて人間の可能性を追求することは素晴らしいことですが、反面多くの落ちこぼれを生んでいます。プラス思考ばかりを追求すると、これも歪みに繋がります。例えば、フィギュアスケートのジュニアたち。彼らが表舞台に立つために親はどれだけ多くのお金を投資しているのでしょうか?その背後に親の涙ぐましい努力があります。それは子どもへの欲の心から生まれているのではないでしょうか?その姿は美しいものでしょうか?


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上記は2014年の年末、東京株式市場大納会のニュースを見て語ったいさどんの言葉です。今年の年末終値は6年年続で上昇し、26年ぶりの高値となりました。それはここで語られている状況がさらに悪化しているということです。

今の世の中は評判や評価を得る人が得をするようになって、お金や評価を得ることが生きる手段となっています。スポーツにしても、スポーツを純粋に楽しむことよりも、それにより評価やお金を得ることが目的となっていきます。選挙に勝つ人は、優れた政策を立案し実行する人というわけではなく上手にアピールし人気を得た人となります。

本来、はたらくことは生きることそのものであり、生きることを通して傍(はた)を楽(らく)にすることであり、自分を超えた大いなるネットワークの中で役割を果たしていくことです。自分が大いなる存在の一部であり、その中で役割をこなしていること。そのことが人に安心感やゆとりをもたらし、生きることを楽しむことに繋がります。

ですが今の世の中は、はたらくことがお金や評価を得る手段となり、自分のために自分をアピールする手段となってしまっています。自らを分けて際立たせた結果、自他の区別が大きくなり、他者に対して自分をアピールする必要が生まれていますが、それは健全な姿とは言えません。この姿勢が過剰になると、評価を得ることが目的となり、本来の自分の姿を見失うことになります。

人は自らに都合の良い世界を創ろうとしてきましたが、その時、切り捨てられるものも本来は自分であり、都合の良い世界を求めれば求めるほど本来の自分を失っていきます。人々の心が混乱し社会が混乱するのはそのためです。

先日、「光と影のやさしいお話 - この世のすべての悪を担った大天使ルシエル それはいまひとつの神の姿であった」という本の紹介を目にしました。そこにはこんなふうに書かれています。

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私達が悪魔と呼ぶサタン、ベルゼブルこそが、身の毛もよだつような分の悪い役割を自ら担い、人間の心に生ずるありとあらゆる悪の部分は、すべて彼のものとして位置づけし、彼の仕業であるということで、人々は自分自身を救ってきたのです。

 ~ 中略 ~ 

「ねえお母さん、天国の扉の鍵はルシエルが持ってるんだって。私たち人間が、この世にはびこる悪というものを本当によくわかるようになるまで天の国の扉は開かずに、みんなその前でウロウロしているらしいよ」

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堕天使ルシエルは地獄でサタンとなりますが、それは分断の時代における役割を演じていたのであり、統合の時代においてその役割を終えようとしているのだと思います。人々が自分の都合の良いもの(善)だけを求めることで世界に分断が広がっていきました。これから都合の悪いもの(悪)も見てそれも生きることで世界に統合が生まれていきます。

今、善と呼ばれているものは自分に都合の良いものであり、人々は自分の側から世界を見て善を求めて分断や対立を広げてきました。ですが、自分が生きているのは生かされているからであり、本来は世界の側から自分を見る必要があるのです。だから今、立脚点がひっくり返る必要があります。富士浅間木の花祭りで描く艮(うしとら)の金神の復活もそんな世界を描いています。

ルシエル、艮の金神、瀬織津姫 (セオリツヒメ)。今、封印された神々が蘇る神話が語られ始めていますが、それはこの世界の統合、道理に基づくうれしたのしの世の到来を表しています。

そこで今年最後の言葉として艮の金神と翁の問答を紹介したいと思います。もうすぐ2018年となりますが、新しい年が新たな時代の幕開けとなるよう、自分一人分心を磨き続けようと思っています。今年一年ブログを読んで下さりありがとうございます。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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艮の金神と翁の問答              

 
  
伊勢天照皇大神 熊野権現 富士浅間 ところは当初の氏大神。木の花の佐久夜の御庭におわします、金色(こんじき)の尊き姿の御身は、どなた様にてござりましょう。

金神  

この方(ほう)は、艮の金神と申す。
時いよいよ来たれり。この度は、地球(くに)最後の天意転換(たてなおし)。一度に清める神幽顕の三千世界(みちよかい)。 汝らの宇宙(うつ)、光一つ上ぐる仕組み。今の世は「我よし、力よし」の獣の世、蛇の「あやま知」支配する、穢れ(けがれ)逆巻く魔釣りの世。

      

艮の金神とはいかなるお方にてござりましょう

金神
この方(ほう)は、宇宙(うつ)を創りた元つ神。こ度の宇宙(うつ)の天意転換(たてなおし)、始原(はじまり)の、時より決まりてありた事。この方隠れている間、「我よし」「あやま知」逆巻いて、神が息の出来ぬほど、穢れ(けがれ)汚れたこの世界、最後の最後の大仕上げ。この方再び現れたなら、光に穢れ(けがれ)混じること、適わぬ(かなわぬ)世となるべきなり。古き仕組みに変わりたる、新たな仕組み始まれり。
縁ある御魂引き寄せて、掃除洗濯 済みしものより、神の使える器となりて、こ度の尊き天意転換(たてなおし)、汝らご用に使うてやる。


一度はお隠れなされた御身が、再び現れ出る(いでる)と申されるか

金神  

いかにも。この世は逆さまじゃ。どうにもならぬ者どもを、今から改心させるため、世の中ひっくりかえすぞよ。これからは、神人(かみびと)、天地が一体の「弥勒の世」が始まるぞ。
故に皆々様、御魂磨いて下されよ。御魂磨かずおられては、使えるものにはならぬぞよ。
神多くの人民の、御魂目覚めて欲しいのぞ。汝ら皆々大切な、地球(くに)の日月の神々じゃ。
一なる花を二の花へ、二なる花を三なる花へ、大和の御魂を呼び覚まし、腹にまことを据えるのじゃ。
この心、天教山より日の本の、隅々にまで広げるぞ。汝らその役、引き受けられい。

      

引き受けましょう。我らこれより「弥勒の世」、創らんがためありましょう。

金神  

一度は渡したその榊。天の元に供えられい

(金神は後ろを向く。翁が榊の枝を金神の腰に差して退場する。
金神、根付きの榊に持ち替えて、四方でへんべいを踏んだ後、神座に戻る)

皆々様、いよいよ金神動くぞよ。さすればこの世、嬉し嬉し、愉し愉しの世となりて、真(まこと)の世が花開く。皆々笑え、愛し合え。真(まこと)次々現れくるぞ。
あっぱれ、あっぱれ、富士は晴れたり、日本晴れ。
オー、オー、ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト オー。
真(まこと)の神が現れる。神人(かみびと)共に現れる。弥勒の世の幕開けじゃ。
真(まこと)の真釣り(まつり)始まるぞ。新たな時代へ、船出の時じゃ。幕開け祝い踊ろうぞ。


前回の富士浅間木の花祭りの様子です。

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