ちょっと前の富士山と太陽です(^-^) |
【2019年12月のジイジの会話】
ジイジ 轟く(とどろく)とは、物理的にイメージすると、どのように表現できるか。雷の発生条件が整うと、その響きを天から地に向けて響かせること。いよいよ天の意思が地上を生きる人間たちに向かって、有無を言わさず轟く(地に響きわたる)。それは、災いをもたらすものではなく、意識の目覚めを促すもの。示す意志=天の轟き。
裕子 じゃあ人の意識がすごく変わるという事?
ジイジ 人の意識が変わるどころか、世の中の仕組みが変わる。時代の方向、流れが変わるのだから、この世界が存在する意味が変わる。人の意識は時代と共に変わるのだから、人の意識が変わるのではなく、時代が変わるから人の意識が変わる。
ゆうこ そうか、意識は変えようと思っても変えられないということは、ただ受け取ればいいという事?
ジイジ そんなことはない。自分の中にある強い自我の意識、その自我を自分の中で回すのではなく、自我を天に向ける段階で、自我は天との共有の意志となり、その自我に天の、つまり時代の意志が下りてくる。そうしたら、その者自体は時代の申し子であり、世の中のために生きることになる。しかし、どの方向に向かうかという意思は自分の中で決めなければいけない。
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この会話でジイジは、「いよいよ天の意思が地上を生きる人間たちに向かって、有無を言わさず轟く(地に響き渡る)」と言っていますが、今年に入り世界中で広がっている新型コロナウィルスはまさにそのような存在と言えます。だからこそジイジは今年の3月、コロナウィルスについて以下のように語っています。
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この会話でジイジは、「いよいよ天の意思が地上を生きる人間たちに向かって、有無を言わさず轟く(地に響き渡る)」と言っていますが、今年に入り世界中で広がっている新型コロナウィルスはまさにそのような存在と言えます。だからこそジイジは今年の3月、コロナウィルスについて以下のように語っています。
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新型コロナウィルスの登場は、劇に例えるなら、物語のクライマックスとなる役者の登場のように感じます。それは、その劇を観ている観客達や、劇を演じている登場人物達が待ち望んでいたものですが、皆それまで劇に浸りすぎていたので、それが待ち望んでいた人物の登場であることを忘れてしまっていたのです。
これは、新たな劇の進行の予言のようなものです。そこで私たちは、なぜそれが登場したのかを理解し、その登場したものに対して敬意を表すると同時に、今までその存在を忘れて敬意を表さずにいたことを振り返る必要があります。忘れていたことに対する振り返りをしなければ、敬意を表することはできないのです。
~ 中略 ~
本来、人類が存在すること、生命が生きることは、私たちの手の内にはありません。そのことを理解するために今回の出来事が起きていることに気付いたら、この出来事は、私たちが生きていることは、この世界を創造する大いなる存在との連携の元にあるのだという、生命としての本来の立ち位置へ、人間をいざなってくれることでしょう。 そのように捉えれば、私たち人間は今、このささやかな投げかけを厳粛に受け止めていく姿勢が必要なのです。
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僕たちが忘れていたことを思い出させるために新型コロナウィルスは広がっています。何を忘れていたかというと、「生命が生きることは、自らの手の内にはない」ということです。木の花ファミリー通信2020年夏至号「コロナウィルスはメッセージ~世界は人類の思い通りになるか」ではそのことを以下のように表現しています。
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私たちは、地上に光を注いだり、雨を降らせることができるでしょうか。毎日朝が来ることを、四季が巡ることを、地球が回ることをコントロールすることができるでしょうか。
産業革命以降、人間はまるで自分たちの力で世界を動かしているかのように振舞ってきました。しかしよく見てみれば、世界は人間の力で動いてはいません。毎日が来るのは私たちがカレンダーをめくりスケジュールをこなしていくからではなく、地球が回っているからです。地球も月も太陽も、他のあらゆる星々も、私たちの日常をはるかに超越したスケールで宇宙を巡り、それによって世界が動き、その中で私たちは生かされています。
その巨大な世界に秩序をもたらしているのが、時です。宇宙の万物はこの絶対の柱に沿い、過去から未来へと進み続けます。もしも時をさかのぼって地球が逆回りをしたり、死者が生き返るようなことがあれば、世界は秩序を失うでしょう。決して例外なく万物が絶対の約束のもとにあるからこそ、秩序が保たれているのです。
そもそも、この世界を生きることに、自由などないのです。誰も地球をコントロールできない。では自分のものだからと心臓をコントロールできるかと言えば、それもできない。眠ることを、呼吸することを、歳を取ることを、誰が思い通りにできるでしょう。私たちは決して抗うことのできない絶対の法則の中で命を与えられ、生かされているのであり、生きることで自らの手の内にあるものは何もないのです。それなのに、人間はすべてを自らの思い通りにしようとし、他者の思い通りになることは否定するのです。その結果、他者との共通点を見出すことのできない人々は、自らの創り出したものに支配されていくことになるです。
生命とは、生態系の循環の中でそれぞれの個性にふさわしい位置を与えられ役割を果たすものであり、本来自由でもなければ、平等でもありません。しかし人間社会は、民主主義という見せかけの自由・平等の世界を創り、自我から生まれる願望を一人ひとりが際限なく自己主張することが権利であり、進歩した世界であると思い込み、それが麻薬のように広まって、生命の本質からどんどん外れていきました。本来、生きることには優先順位があり、第一優先事項を第一番目として、二番目や三番目を一番に持ってきてはいけないのです。現代の人々は、自我の欲望から生まれる五番目や六番目を第一として生きています。だから世の中が狂うのです。新型コロナウィルスは、その狂った世の中の実態を暴き出し始めたのです。
そのメッセージに気付かず、人間がこのまま進み続ければ、世界はより過激な第二、第三の刺客を送り込んでくることでしょう。人々はコロナウィルスを、抑えても抑えても増殖して自分たちの生活を脅かす脅威と捉えています。しかし地球の側の視点から見れば、人間こそ、抑えても抑えても増殖し、地球の資源を貪り、他の生命を傷付け、生態系を破壊していく極めて有害な存在であると言えるのです。その人間の在り方に対し時代がNOを出し始めた今、私たち人間は、欲望のままに生きる自我の側から、その自我をはるかに超越し、私たちを生かし続ける世界の側へと視点を転換させ、自らの生き方を根底からひっくり返す必要があるのです。
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自らの想い通りにしようとし、際限なく欲望を広げた人類は、自ら生み出した欲望に支配されるようになっています。例えば、お金。交換をスムーズにするために生まれたお金は今、欲望の対象となり、人々はお金を求め、お金がなければ生きていけなくなっています。それは生命の本質から外れた世界であり、狂った世界と言えます。そんな世界に対して、これからは「天の意思が地上を生きる人間たちに有無を言わさず轟く」のです。それは新型コロナウィルスだけの話ではなく、これからずっと続くことです。それが2012年12月21日、銀河の冬至を超えたトキの流れであり、時代からのメッセージなのです。
2億2600万年掛けて銀河系を1周する太陽系。それは螺旋を描きながら公転していて、その1螺旋が2万5800年。人類はその太陽系の螺旋と共に長らく闇へ闇へと進んでいました。そのピークが2012年12月21日であり、それを境に天体は光へと進んでいます。だからこそ人類もその天体の意思に沿う必要があります。
闇へと進む間、人類は見せかけの良さ、見せかけの美しさの中で物事を曖昧にし、たくさんの矛盾を生み出してきました。曖昧にし、表面を取り繕う中で、他に生かされていることを忘れ、自らの欲望を許し際限なく追い求めることで見えない闇を広げてきました。その見えない闇がコロナウィルスなどの明快な問題ごとを生み出しているのです。それは一人ひとりの何気ない行動が生み出していることで、そのことをジイジは以下のように表現しています。
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そんな現代の人々に必要な取り組みについてジイジは以下のように述べています。
自らの想い通りにしようとし、際限なく欲望を広げた人類は、自ら生み出した欲望に支配されるようになっています。例えば、お金。交換をスムーズにするために生まれたお金は今、欲望の対象となり、人々はお金を求め、お金がなければ生きていけなくなっています。それは生命の本質から外れた世界であり、狂った世界と言えます。そんな世界に対して、これからは「天の意思が地上を生きる人間たちに有無を言わさず轟く」のです。それは新型コロナウィルスだけの話ではなく、これからずっと続くことです。それが2012年12月21日、銀河の冬至を超えたトキの流れであり、時代からのメッセージなのです。
2億2600万年掛けて銀河系を1周する太陽系。それは螺旋を描きながら公転していて、その1螺旋が2万5800年。人類はその太陽系の螺旋と共に長らく闇へ闇へと進んでいました。そのピークが2012年12月21日であり、それを境に天体は光へと進んでいます。だからこそ人類もその天体の意思に沿う必要があります。
闇へと進む間、人類は見せかけの良さ、見せかけの美しさの中で物事を曖昧にし、たくさんの矛盾を生み出してきました。曖昧にし、表面を取り繕う中で、他に生かされていることを忘れ、自らの欲望を許し際限なく追い求めることで見えない闇を広げてきました。その見えない闇がコロナウィルスなどの明快な問題ごとを生み出しているのです。それは一人ひとりの何気ない行動が生み出していることで、そのことをジイジは以下のように表現しています。
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発音が曖昧ということは、言葉が曖昧ということです。言葉が曖昧ということは、意味が曖昧ということです。意味が曖昧ということは、コミュニケーションが曖昧だということです。そうすると、自分の思うことも相手に伝わらず、相手の言うこともわからないまま適当に解釈することになって、曖昧な人間関係をつくることになっていくのです。そのように意識しないうちにすべてのことを曖昧にしていくと、やっていいことと悪いことも曖昧になります。そして、自分の行動に矛盾が発生してもそれをいいとも悪いともはっきりさせないまま、ただ都合のいい豊かさだけを追い求めていくからその豊かさも曖昧になります。そういった一人ひとりの小さな行いを曖昧にしていった結果、地球上にたくさんの矛盾が積み重なっていったのです。そして今、明快な災害が起きるようになりました。
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そんな現代の人々に必要な取り組みについてジイジは以下のように述べています。
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僕が今、考えているのは、人というのは自分を良いものだというふうに見せてカモフラージュしている。だから、正直でないことが染み付いていると、わからないことはこういうふうにしていこう、と見せたいものなのだ。自分の許容範囲の中に収めていきたいものなのだ。ところが、実際の人間というものは、日常親しく付き合っていればボロが出てくる。しかし、いちいちそこで問わない人間関係であれば、そんなことは誰も問わない。穏便にいけばいいから。お互いに自分の許す印象が維持されていれば、それでいいわけだから、それに言及しない。
ところが、それでは生きているという意味からしたら、人間は生きることによってただこの世界に役割を果たしているのではなく、自らのカルマというものを浄化するために生きている。だから、人間の生きる目的からは外れている。それをノーチェックでいって、そこに矛盾やエネルギーがたまっていけば、ぶつかったり、悩んだり、中にはうつ病になるものも出てくる。
そこに対して、その行動を理解して果敢に挑戦する気が自分にあるかどうか。そこをごまかして、自分に挑戦しないで、逃げている。それを自分だけの問題だと思っているのだが、それが世界の空気をつくっていく。
ここで難しいのは、自分の癖・性分というものは捨てるものではないということ。癖・性分というものは直すとか捨てるとか、そういうものではない。癖・性分というものは、有効に生かすというところで、初めて変化をもたらすことができる。そうすると、人は癖・性分を有効活用するというところになかなか行かないものだ。だから、同じことを繰り返す。
そこで、癖・性分を有効活用するにはどうしたらいいのか。まずは出来事を癖・性分で受け取っているのだから、出来事を客観的情報として冷静に分析する力を身につけないといけない。しかし、自分から離れて事象を観ることは難しい。それに一喜一憂している自分に対して、自分から離れて、それを観る。しかし、それは簡単にできるわけがない。一生の問題だから。
そのときに、それが可能になるのは真剣に取り組んでいく姿勢。真剣でも、方向が間違っていたら、同じような滞りが繰り返し起き、そのうちに嫌になって、やる気がなくなり、ダメになるというものも出てくる。一生懸命だったって、ただ一生懸命やっていると、ダメになる一生懸命もある。
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物事を曖昧にし、表面を取り繕いながら一生懸命に努力しても改善にはつながりません。これから轟き続ける天の意思は真実の光の下にそんな姿勢を暴いていくのです。だから、本質に向き合わず対処療法を続けていても問題ごとが治まることはありません。思惑を手放し真実に向き合う勇気が必要になります。そして自らがこの世界に生かされていることを思い出し、自らの意思を天に沿わせたトキ、真実の光の下に一人ひとりの癖・性分が生かされ、この世界に調和の響きが広がっていくことでしょう。
今、天の意思が地上に轟くトキを迎えています。
今、天の意思が地上に轟くトキを迎えています。
表面を取り繕う努力はあまり身にならないのだと思いました。
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