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世界のみんなと悟りを共有する

宇宙創成のプロセスは、「ヒ・フ・ミ・ヨ・イ・ム・ナ・ヤ・コ・ト」という数理で表すことができる。その始まりである「ヒ」から最終の「ト」までのプロセスを理解し、それらを統合して成り立つ存在が、ヒトだ。それが時代人(じだいびと)であり、時代主義(Eraism=エライズム)を生きる存在だよ。

~ 中略 ~


ヒトというのは、人間という地球上で物理的に進化してきたもののことではないんだよ。それは、物理的に進化してきたものが最終的に到達する目的地点であり、宇宙にはもともとヒトという意識レベルの存在があったはずだ。なぜなら、ヒトとは宇宙の仕組みをマスターした存在を言うのだから。
ついつい人間たちは、ヒトのことを人間と勘違いする。人間とヒトでは、定義が違う。ヒトは形ではない。宇宙の法を理解し、マスターした存在をヒトと言うのであり、それは目覚めということでもある。


~ 中略 ~


宇宙は奇跡の連続だ。なぜなら、もともと人間の思考のキャパを超えたところで成り立っているのだから。だから宇宙を生きるという意識レベルを考えるのならば、科学や理屈を超えたところでものごとを受け取る器を持つことが必要だ。そうでなければ、真実は観えてこない。それには、人間壊しをすることだ。人間を壊して、ヒトとして存在する。それがヒトイズムだ。




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上記のように語るいさどんですが、人間については、「ヒト」の間(アイダ)の存在とも語ります。「ヒ」から「ト」へと至っていないということです。そして人間は、紙と文字の発明によって二元的思考(平面的思考)をするようになったと語り、平面的思考についてはこんなふうに説明しています。

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3次元世界に暮らしながらも人間は物事を2元的に観ている。それは、出会うこととそれに対する自分の反応で物事を見ているから。それで平面的になっていく。だけれども、その奥にはこの世界を動かしている意志がある。出会うこととそれに対する自分の反応、そしてその奥にある意志。それらすべてを意識した時、この世界を立体的に観ることが出来る。

出会うことに反応することで人は一喜一憂する。それが人間で一喜一憂しなければ生きている意味がない。一喜一憂しながらも、出来事の奥にある意志を感じて、一喜一憂している自分を離れて観る。そして流れをいただいていく。それが生きていることの醍醐味で、人生に翻弄されずに楽しむことが出来るようになる。
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出会う出来事に平面的に反応する人間。そんな人間の特徴を受けて、今年の1月、僕は以下のように書きました。

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出会うことに反応する人間。その時、人は出会う出来事を固定して捉えています。

紙や文字が発明されることにより人は記録を取ることが出来るようになりました。一つの形にして残しておく。書かれた言葉は変化せずに残り続けます。それは変化を本質とするこの宇宙の法則からしたら異質なことなのだと思います。

固定された記録。それが人に囚われをもたらし、一喜一憂することになります。ですが、この世界で出会うことはすべてプロセスの中にあり、本来、固定はされずに流れ続けていくのです。出来事の奥にある意志を感じた時、その流れが見え、自分を固定から解放することが出来ます。

出会う出来事の奥を探求する」より


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物事の表面だけを見ていると、出来事は現在だけに固定され、そして違いが際立ちます。例えば、「ヒト」と人間についてのいさどんの言葉ですが、「定義が違う」と語ったり、「ヒトの間が人間」と語ったりしています。表面だけ見ているとそこに違いを感じるかもしれませんが、その奥を見ていくと、同じこと、共通した想い、「ヒト」へと至る大切さを語っていることが見えてきます。

今、この瞬間の出来事の奥には、過去から未来へと続く宇宙の流れが存在しています。「ヒト」となり宇宙の法を理解し、物事を立体的に捉えるようになった時、すべての出来事が一つの流れに集約されていくのです。そこでは善悪の違いや他者との対立はすべて解消されていきます。

善の中に悪があり、悪の中に善があります。善悪は自我(エゴ)の生み出す偏りであり、行き過ぎたエゴが善と悪という一対を生み出し対立していくことになります。

ミサイル発射、核実験などで国際的に非難されている北朝鮮ですが、北朝鮮からすれば、それは自衛の手段であり、アメリカをはじめとする核保有国の脅威を感じていることでしょう。テロリストであるISは様々な残虐行為を行っていますが、それを生み出したのはアメリカによるイラク進攻であり、もっと遡ればイギリスによる中東への侵略へと至ります。

各国のエゴが自国の利益を追求し、それが善悪という一対を生み出し争いへと発展しているのが現代社会であり、物事の奥を見れば、すべての人間に共通するエゴが見えてくるのです。だからこそ、今大切なのは、人間一人ひとりがエゴを超え、「ヒト」へと目覚めていくことなのです。それが宇宙の流れが示すメッセージであり、僕は心を磨き、木の花ファミリーのみんなとそんな暮らしを生み出していきます。

文字は世界に固定を生み出し、そして平面的思考へと誘います。それでも書き続けるのは、文字には広がっていく力もあるからです。そして、人は文字という固定したものをきっかけに、その奥を感じることも出来ます。行間に心を込め、そしてそれを感じあって、また新たな言葉を生み出していく。すべてをプロセスの中で立体的に捕らえていけば、文字だって「ヒト」へと至るにきっかけとなるのです。

世界のみんなと悟りを共有する。

そんなことを夢見て、僕は書き続けていこうと思っています(^-^)

富士浅間木の花祭りに登場する榊鬼、心磨きの象徴とも言えます。


未来は常に自分の手の中にある

無駄遣いが出来るということは、感謝の気持ちを忘れているからであり、日常生活では、どこか意識がぼけていて、安直に物事を進めてしまうことに繋がります。そんな時は人に対する態度も繊細さや優しさが欠けたものになりがちです。

今はそんな自分たちを振り返る機会となっています。その際、落ち込むのではなく、無駄を生かしていくことを心掛けるようにしています。先のことは誰にも分かりません。今の無駄が後になって生きることもあり得るのです。大いなる流れに心を委ねること。出来事の背後にある意思を感じること。そういう姿勢も大切になります。

地球は人類が生きていくのに十分な恵みを与えてくれています。ですが現状は、格差が広がり、貧困や飢餓が生じてしまっています。分かち合う心により、現状を変えて社会的共通資本を育むことが可能となります。そして、それは人々に安心感を与えてくれるでしょう。

その安心感は土台となり、人々を更なる成長へと導きます。安心に浸り感謝の気持ちを忘れてしまってはいけません。安心出来る暮らしを土台にして、日々の中で自分の振り返り心を磨いていくこと。それがみんなで出来るようになった時、理想の世界が実現していくのだと思います。僕たち木の花ファミリーはそんな世界を目指しています。



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上記は3年前の11月に書いた文章です。無駄をなくすことについて書いているのですが、それはただの節約貯金とは異なります。大切なのは、物事を有効に生かしていくことであり、この世界には貯めることで生かされないお金もたくさんあります。今年の秋分頃にいさどんはこんなふうに語っています。

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お金があるからと言ってお金を貯めていくと、それは拡大傾向の守りの姿なんだよ。縮小ではなく拡大傾向の結果、そうなる。持たない、手放すという意味からいったら、お金をどんどん使うと景気が良くなる。でも必要なものだけを購入するという意味では縮小になる。それが織り混ざっている。そこを仕分けていくということだろう。

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お金を使う場合も貯める場合も自らの欲得からその行動を行っていたら、お金の流れに影響し格差や貧困など様々な矛盾を生み出していきます。そうではなくニュートラルな姿勢でたんたんと必要なお金を使っていけば、それは世界へと循環していきます。大切なのは一つ一つの選択や行動に心を込めることです。心を込めることで、本当に必要なものが仕分けされていきます。そして、お金の循環に心が入り、それは豊かな繋がりの表現となっていくのです。

それはお金の流れだけではなく、日々の行動にも言えることです。ニュートラルな心で日々を送り自分を表現していくと、それは人との繋がりの中で生かされていきます。ですが、そこに「自分が・・・」という「我」が入ると、何らかの滞りや軋轢となって表れるものです。とはいえ、滞りも無駄と同様で、自らの学びとした時に生かされていくものです。出会う出来事から学び自らをきれいにしていく。それこそ人間が生きる目的で、いさどんは以下のように表現しています。

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皆さんは地球で肉体を持って生き、自分が生きた結果、どういう行いをしたら、どういう人生が得られるかを学習する力を持っています。つまり生きることは学習なのです。そして、生きることの目的は、学習して自分が高い意識のものとなり、自我の汚れを取って、美しくなって、この世界がよい世界になることに貢献することです。それが、人生が終わった時に、よい人生だったなぁと気持ちよく旅立っていける、人生の完全燃焼です。



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生きることは学習です。そしてそれは常に過去から未来へと続くプロセスの中にあります。「今を生きる」に書いた咳ですが、今も続いています。それが「恐怖」という僕が抱えてきた汚れが生み出したものならば、咳を通して行っている浄化が未来を生み出していきます。今の状態に囚われず先を見て自分の判断や状態を確認していこうと思っています。

過去の積み重ねが今の自分を創っていて、そして今の自分が未来を生み出していきます。過去から学び、過去から自由となれば、今までとは違う未来を生み出していけます。だから常に未来は自分の手の中にあるのです。

今、世界の至るところに無駄や軋轢が溢れていますが、それは今までの人類の姿勢が生み出したものです。ですが、未来を生み出すのは今の姿勢です。自分一人分きれいにして美しい未来を生み出していこうと思っています。

木の花ファミリー10月お誕生日会の様子です。


「命には囚われない」という悟り(2)

昨晩は「クラウドアトラス」という映画を観ました。この映画は公式ホームページでは以下のように紹介されています。

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主人公は、6つの時代と場所で、6つの人生を生きる男。その人生は悪人で始まるが、様々な数奇な経験を経て、ついには世界を救うまでに魂が成長していく男の物語だ。

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そして、この映画を少し前に観たいさどんは以下のように語っています。

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あれは「猿の惑星」のようなストーリーで、人類が地球にとって、いわば悪の存在だ。最終的には人類を破滅させるようなストーリーで、だから他の星へ行って暮らしているという結末だった。あの映画ではそのような人類の悪説が語られていて、実際に今、アメリカの姿勢にしても、日本の姿勢にしても、北朝鮮の姿勢にしても、中国の姿勢にしても、ロシアの姿勢にしても、どこをとっても、地球にとって悪だ。それぞれが自己主張していて、地球に優しい波動を出すことがない。結局、アフリカでも自然が破壊され、自然に還ることを忘れている。

そこで今、必要なことは、地球に優しい生き方だ。エコビレッジなどといったものは、結局人間にとって都合のよい生き方だ。だから最終的に、人間には「命には囚われない」という悟りが必要だ。

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映画の中の未来。地球は汚染され住むことが出来なくなって主人公は宇宙に救難信号を発します。その結果、他の惑星で暮らしているのですが、公式ページでは、それを「世界を救う」と表現し、いさどんは「人類が地球にとって、悪の存在」と表現しています。立つ位置によって見える景色は異なっていきます。

この映画で印象に残った言葉として、「際限のない欲望が文明を滅ぼした」というニュアンスの言葉がありました。人類は自らの欲望を超えていく必要がある。そういうメッセージとして受け取りました。ですが、公式ホームページで、「世界を救うまでに魂が成長した男」と紹介されている主人公は、肉親を奪ったものへの憎しみという私情に負けてお告げを破りました。主人公は欲望を超えていません。だからこそ地球を救うことが出来ず他の星に行くことになったのではないかと思えます。同じ心が残っていたら、きっとその星でも同じことが繰り返されてしまいます。

昨晩も映画を観たいさどんは以下のようなことを語りました。

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人が健全を求める時、みんな自分の位置から健全を求めます。でも、その健全は他の位置から求める健全とは異なるものです。それぞれが自分の位置から健全を求める結果、分かり合えず対立や分断に繋がっていきます。自分を離れた時、すべてを理解する視点に立つことが出来ます。今、人類に求められていることはその位置に立つことです。

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映画の中では、6つの時代、どの時代でも戦っていて、観ていて痛々しかったです。主人公は、真実、真理を求めて行動しているのですが、争いの延長に平和が実現するとは思えません。人はヒーローを求めるものですが、ヒーローが生まれるためには必ず悪が必要となります。自分がいい側に立って世の中を良くしようとする。その心がそのまま世の中に悪を生み出していきます。ヒーローと悪は一対となり、争いを生み出していくのです。だから、自分の中にあるヒーローを求める心を超えていく必要があります。ヒーローも悪もなく、そのままでみんなが主役になる、そんな世界を生み出していくこと、それが平和への道だと思うのです。

僕ら木の花ファミリーは自然界をモデルにした暮らし心掛けています。自然界にはヒーローも悪もありません。個性豊かな生き物たちがそれぞれ生かし合いながら豊かな世界を表現しています。「個」としての感情や欲望、命に囚われず、「宇宙」としての自分に目覚め、繋がりの中で自分を生かしていく。みんながそんなふうに暮らした時、きっとこの世界に菩薩の里、ロータスランドが実現します。僕らはみんなでそんな世界を目指しているのです。




時の遊牧民から時代人へ


「時代の遊牧民」

遊牧民が季節の移り変わりによって適切な場所に移動していくように、
僕らは時代の流れを読んで、それを楽しんでいくのです。

すべては時代が生み出しています。

例えば、先に紹介したデカルトは、
自然から魂を抜き機械にように見なす冷たい思考を生み出しました。

この冷たい思考、実は熱い情熱から生まれています。

デカルトは夢で新しい学問を打ち立てる啓示をうけます。
その夢の内容は圧倒的で強烈な印象をデカルトに与えます。
そして、新しい学問の構築に情熱を捧げ、「我思う」の思想が生まれたのです。

時代がデカルトを通して近代科学の基礎を生み出した。
そんなふうに思えませんか?

そして今、時代は変化の時を迎えています。
それは星の動きや歴史の周期が教えてくれています。




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時の遊牧民、これは2年前の10月、モンゴルから来たムルンくんと交流する中でいさどんの中から湧いてきた言葉です。そして、僕はその言葉を聴いて上記の文章を書きました。この言葉はその1年後、時代人、時代主義という言葉に発展していきます。以下、いさどんブログ「わたしたちは時代人(じだいびと)です」からの言葉です。

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わたしたちは、「時代人」です。つまり、時間という共通した乗り物に乗って旅する旅人です。この時間という乗り物には地球も乗っています。この世界に存在するものはすべて、時間に乗って旅しています。そして物理的にも、地球は宇宙を旅しているのです。

なぜ、時間は進んでいくのでしょうか。それは、一秒、一分、一時間、一日、一年と人間が時間の基準をつくり、時間を認識しているからです。それは人間社会だけの話のようですが、実はこの世界はサイクルのもとに成り立っています。そのサイクルは、一秒、一分、一時間、一日、一年と人間が便宜上区切っただけではありません。一日は地球の一自転であり、一年は地球の一公転です。春・夏・秋・冬の四季のサイクルの中で植物は芽吹き、栄え、種を残し、しばらく冬眠した後、また春に芽吹いてきます。その繰り返しによって時間が刻まれていくのです。ですから、これは人間がつくったものではありません。そして、人間以外のそういった仕組みを認識しないものもすべて、そのサイクルの中にあるのです。

その大いなるサイクルの中で今、わたしたちは歴史的な転換期を迎えています。皆さんもそのような時代の移り変わりに気付き始めているからこそ、今、このメッセージに出会っているのでしょう。地球環境や世界情勢は今、混乱の極みを迎えています。しかし、時代は常に未来へ向かって進み続けていますから、この混乱もいずれ収まり、この延長線上に世界が進み続けていくことはないでしょう。それは、目先のことや自らの欲望におぼれず、ひとつの物語として時代を読み解いていくことができれば、今の延長にある流れがいずれ行き詰まることは明らかなことが観えてきます。その証として、今、世界中では人類史上稀に見る危機を迎え、わたしたちが自らの姿勢を転換する必要があることを時代が教えてくれています。

そこで、わたしたちはこれからの時代をどのように生きていくべきなのでしょうか。

「時代が生命であり、時代が意志を持って、時代を紡いでいる。」

21世紀は「時代主義」の始まりです。「時代主義」を生きる人々は、自らの願望に翻弄されることなく、世界を自由自在に生きることができる宇宙の旅人(時代人)です。

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地球や宇宙が常に変化変容し進化し続けるように、真理も常に進化し続けます。真理は固定したものではなく実践の中で集い語り合う中からその都度生み出されていくものです。昨晩いさどんは、以下のように言葉を語りました。

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今、世界は混乱の極みにありますが、それは人々の日常から生み出されたものです。だから何よりもまず自らの日常を正していくことが大切なのです。

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多くの人が現状に問題を感じています。それは自らの外に問題を見出している状態です。そして一部の人は、世界をなんとかしようと外に働きかけますが、それが有効な動きへと繋がることはなかなかありません。それは問題を生み出している大本、自らの日常の暮らしにメスが入っていないためなのだと思います。だからそのことを心掛けることが何よりも大切です。加えて、問題ごとの奥には現状に問題を感じながらも何もしない大勢の人々がいます。

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先日、衆議院選挙がありましたが、投票率は53.6%でした。約半数の人は投票していません。安倍政権の支持率は40%前後、そして自民党の支持率は30%台、単独で過半数を取るような数字ではありません。それでも自民党が過半数を大きく上回るのは、支持しない人々が選挙にいかないからです。それらの人々は現状に問題を感じています。ですが、自らの想いを託す政党が見つからず何もしないことを選んでいます。その結果、自らが望まない現状を肯定していくのです。

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いさどんはこんなふうに語りましたが、多くの人が肯定することが出来ない政治をそのまま許しています。そんな人々はきっと自らの日常も誇りを持って肯定することが出来ないのではないでしょうか。自らの日常、人生を誇りを持って肯定出来るものにしていくこと。その延長に政治に対する姿勢も生まれていきます。それは自分の欲得のままに動くことでは得ることのできない誇りです。自分を離れて客観的視点に立ってその時その場で相応しい行動を常に選ぶことによって初めて生まれる誇りです。まずは自分一人分、そんな誇りを持って日常を送っていこうと思っています。

真理は常に実践の中で進化し続けます。つまりそこから常に新しい真理が生まれるような日常を送ることが大切なのです。それは宇宙の流れ、時代と共に生きる生き方です。最後にまたいさどんブログ「わたしたちは時代人(じだいびと)です」からの言葉を引用して終わりますね。

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この世界は一体です。すべてのものが時代と共に一体となって動いています。それが宇宙の実相です。そのような意識レベルを有した者が地球上に現れたならば、その響きがこの世界に放たれ、それに共鳴した者たちの行動が少しずつこの世界を変えていきます。そしてさらにそれに共鳴した者が行動することによって、その響きがこの世界に放たれていく――、その連鎖が時代を動かしていきます。その響きがこの世界の混乱を鎮め、人類の営みによって傷つけられてきた地球を包み込み、地球を本来の美しい星へといざなっていくのです。

一人ひとりの目覚めがウエーブとなって連鎖し、地球上を巡っていきます。そこには、音もなく、力もいりません。それは、時が刻まれていくときに、時の音がわたしたちの耳には聞こえないのと同じです。地球が自転し公転するときに、その音が聞こえないのと同じことなのです。ですから、時代が動くときに、その音はわたしたちには聞こえないのです。耳をすませてその音を感じてみてください。そのような人類の目覚めの動きが今、地球上に始まっているのです。

今こそ、わたしたちは自らを自我の枠から解き放ち、この無限なる宇宙の中で自由自在に生きる時が来たのです。わたしたちの中から願望や野心が消えた時、宇宙の真理が湧いてくるようになります。そして、人類が誕生した目的にのっとった最もふさわしいポジションにわたしたちは立てるのです。そういった真理に目覚め悟った者は、時代を読み、流れを感じ、今を生きる「時代人」となるのです。

それが、21世紀初頭にあたり、時代がわたしたち人類に伝えているメッセージです。

10月18日の富士山、こんな雲を見るとムルンくんを思い出します。




「命には囚われない」という悟り

今年のノーベル経済学賞は、行動経済学の研究を進めた米シカゴ大学のリチャード・セイラ―教授に授与されました。行動経済学は、経済学に心理学の理論や分析を応用した学問ですが、人間の非合理な側面を解析し、経済理論を構築していきます。行動経済学の研究は、2002年、2013年のノーベル経済学賞の対象になっていて今回で3回目。近年、注目を集めているようです(今年のノーベル経済学賞『行動経済学』は何が凄いのか参照)。僕自身、昨年の2月、「人間性が経済を生み出す」で行動経済学を紹介していますが、これは人間の反応パターンを知るという意味ではとても有益な学問だと思っています。

例えば、行動経済学の知見の一つにプロスペクト理論というものがあるそうです。それによると人は、同じ変化の大きさであれば、「プラスに触れる」ことよりも「マイナスに触れる」ことに、より敏感に反応します。

「50%の確立で5,000円が当たります。同時に50%の確立でハズレが出て、その場合、2,000円支払う必要があります。」

上記は経済的には”お得”な賭けなのですが、多くの人はこの賭けを避けると言います。それは2,000円を失うことを恐れる気持が、5,000円を得る期待を上回るからです(人は失う恐怖に弱い参照)。

失う恐怖から行動を避ける。行動の結果、何かを得られる場合でも。

それは経済的活動だけでなく人生の様々な場面で人間に起きる反応なのだと思います。そして、それはこの世界に停滞を生み出す一因となっています。

話しは変わって。

台風21号が猛威を振るっていますが、その台風について、ようこちゃんといさどんは以下のような会話をしました。

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ようこ:

昨日の夜、台風21号に思いを馳せていたら、突然地球の悲しみや痛みがわたしにうつってきて、涙が止めどなくあふれた。そのときに、「台風の勢力を沈めようとするよりも、私たち一人ひとりの心を正常にするしかない」ということを改めて感じた。そうしたら、今も急に地球の悲しみがわたしにうつってきて、涙が出てくる。

いさどん:

文ちゃんが勧めた映画を昨日観たけれど、あれは「猿の惑星」のようなストーリーで、人類が地球にとって、いわば悪の存在だ。最終的には人類を破滅させるようなストーリーで、だから他の星へ行って暮らしているという結末だった。あの映画ではそのような人類の悪説が語られていて、実際に今、アメリカの姿勢にしても、日本の姿勢にしても、北朝鮮の姿勢にしても、中国の姿勢にしても、ロシアの姿勢にしても、どこをとっても、地球にとって悪だ。それぞれが自己主張していて、地球に優しい波動を出すことがない。結局、アフリカでも自然が破壊され、自然に還ることを忘れている。

そこで今、必要なことは、地球に優しい生き方だ。エコビレッジなどといったものは、結局人間にとって都合のよい生き方だ。だから最終的に、人間には「命には囚われない」という悟りが必要だ。


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そして、いさどんとようこちゃんは、カタカムナ5首6首を奏上し地球を想い、地球に優しい響きを響かせました。それを受けて、僕らみんなもそれぞれの場所でカタカムナ5首6首を奏上しました。物理的対策をしっかりとすると共に地球の心を向けることを大切にしました。そして、昨晩、みんなでひまわりホールに集まり、先日、大鹿窪遺跡で奏上されたカタカムナの映像を観ました。そこで、欲の心に囚われず、ただただ自らをきれいにすることを誓いました。

今、地球環境を見ても世界情勢を見ても大変な時代を迎えていますが、それは人間の心、自我が生み出したものです。そのため自我の元に状況を改善しようとしても、それは自分都合となり、物事を悪化させていくのです。

昨日、衆議院選挙がありました。どの党も世の中を良くするためのことを語っています。ですが、お互いにいがみ合っています。良くするためのことを語りながらお互いにいがみ合っているのです。それが自我の生み出す響きでありこの世界を創っていきます。

世界を良くしようと思っていても、自我が生み出す反応パターンに飲み込まれていると
それは自分都合のものとなり、結果、不調和な響きを発することになるのです。そこで冒頭に挙げた行動経済学のプロスペクト理論ですが、これも自我が生み出す反応パターンで自分都合のものと言えます。そういう反応パターンをすべて自覚し超えていくこと。究極はいさどんの言う、「命には囚われない」という悟り。そこに達した時、個人の人生という囚われから解放され、時代の流れ、宇宙と一体となって生きていけるのだと思います。

その地点はきっと究極の喜び。

そこへ向けて日々心を磨こう!!!と思いました(^-^)

大鹿窪遺跡でカタカムナを奏上したみんな



善なる愛なる調和を表現する

心学堂ツアーの皆さまを迎えたウェルカムコンサートです。

今、木の花ファミリーでは1ヶ月間の真学校卒業生の文ちゃんが企画した心学堂ツアーの皆さまを台湾からお迎えしています。心を学ぶツアー、その中で経済プレゼンの時間も持たれました。それに合わせて、木の花ファミリーのお金の動きの図を以下のように作り直しました。


今年の春分点を通過した翌朝(3月21日)にオープンしたカフェ&ショップ・ロータスランド、そして5月26日、新月の日に設立された合同会社ロータスランドを図に加えました。ロータスランドで行っていることは商売ですが、私たちの商売の特徴は、いさどんによる以下の言葉に表されています。

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今の社会では、みんな収入を得るために必死に仕事をしています。お店ならば、お客を獲得するために一生懸命、商品開発や営業活動を行っています。お客の増減はお店にとっては死活問題なのです。ですが、木の花ファミリーの活動はそれとは違います。私たちは天の恵みである作物をいただき、それを基盤として生活を営んでいます。収益を得ることが死活問題とはなっていません。ですから、私たちの商売は一般とは違うものなのです。同じ基準で考えてはいけません。天の恵みによって暮らす私たちは、心に余裕やゆとりがあります。そして、その余裕を心磨きに向けることが天との約束です。商売もその延長にあります。天の恵みの恩恵を世の中に広げていく。それが私たちにとっての商売で、心を伝えること、幸せを循環させることがその本質にあるのです。


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お金は社会の血液と言われています。血液は身体の中を循環することで、栄養や酸素を身体に行き渡らせます。同じように、お金も本来、世界中を循環することで、天の恵みを社会に行き渡らせるものです。ですが、今の社会ではそれが機能していません。現代社会では、生活と仕事は切り離され、人々はお金のために働くようになっています。そしてお金が人の欲の心や不安の心を刺激し、その結果、お金の動きに偏りが生じ、貧困や飢餓が発生しているのです。

これはすべて心が生み出していることです。木の花ファミリーでは心を磨くことで、自らの欲得や思惑から自由になっていきます。その心でお金を循環させることできれいなお金が世界に行き渡るようになるのです。カフェ&ショップ・ロータスランドではいろいろな人の夢を叶えながらその流れを大きくしています。最近、70代の元気なバァ二人がデザインから製作まで手がける手作りブランド「BAARS(バァズ)」が誕生し、2人は生き生きと働いています。

自分たちで作成したスカーフを身に着けているバァ2人です。

木の花ファミリーの暮らしには給料がありません。バァ2人もお金のことは考えずただ自分たちの作品を作りお客様に提供することを楽しんでいます。その暮らしについては、木の花ファミリー憲章「生活・仕事(役割分担)」に端的に書かれています。

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現代社会の多くの人にとって仕事は対価を得るための手段であり、生活から切り離されているものです。しかし、私たちにとって仕事とは共に支え合って生活するための必要を満たす手段であり、すべてのメンバーは共同体に対してそれぞれの個性に応じた役割を担っています。

自然界ではすべてのいのちがつながりあい、それぞれの働きによって他のいのちを存在させています。私たちもまた、全体のために働くことを通してそれぞれの個性と能力を開花させ、互いに生かし合っています。

自然界をモデルにした利他の精神のもとに立って、私たちは日常の小さな仕事も地球の営みと共にあることを認識し、心を尽くして働きます。私たちにとって仕事とは、自らが地球と共に生きることの表現のひとつなのです。

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このような暮らしから木の花ファミリーの経済は生まれています。それは共有し分かち合う経済です。心学堂ツアーの経済プレゼンでは、いさどんは宇宙の成り立ちから話しを始め、人類の歴史を辿り、その中に登場した木の花ファミリーの経済について語っていきました。そして、その最後は以下のように締めくくられます。

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宇宙の存在は善なる愛なる調和です。今、その真実を分かる時代がやって来たのです。そのために宇宙はその反対の世界を経験させてきました。多くの経済学者や人類学者は今の時代が問題だということは分かっています。そして警笛はいっぱい鳴らしています。ですが次の時代をどうすればいいかという解決策は誰も語っていません。これからの時代は、優れた研究者ではなく私たち一人ひとりが行動を通して答えを出していかなければならないのです。世界観を広げることが大切です。中には今日一日、自分のことしか考えていない人もいます。家族も忘れて、そうすると家族は崩壊していきます。また自分のことも考えられなくて、自分の身体を壊してしまう人もいます。食べ物や考え方で自分自身を行き詰まらせていくのです。人類は物質的に恵まれたグローバル社会の中で情報をいっぱい得るようになりました。ですが、意識は狭くなっています。それは自我にまみれて、自分のことだけを考えているからです。ですが実際は、太陽はいつも平等に光を注いでくれています。生きるために食べ物は買うけれど太陽に料金を振り込んでいる人はいません。水は雨となり平等にみんなに生きる潤いを与えてくれます。そして、大地はみんなに恵みの種を芽吹かせてくれます。風があるのも私たちを鍛えてくれています。人生の風も自然の風も一緒です。逞しい私たちを創ってくれます。何よりも空間、空気、これは生命力の元であり、プラーナという生命力を吸って、私たちに健康を与えてくれているのです。自分が世界からいっぱい与えられているのですが、生かされているということを忘れると、私たちは自分が生きていると思うようになります。そして世界観が狭いと先の見通しが立たないので、不安となり希望がなくなり、その人一人分社会を暗くします。自分を明るい人生に導かないのも自分ですが、世の中を暗くしているのも自分です。みんながそのことに気づき意識を広げ、自分が自分に何をもたらしているのか、自分が世界に何をもたらしているのか、そのことに気づいたら、その人の人生の歩みは変わるでしょう。世界観を広げ意識が変われば、経済や時代の捉え方、人生の捉え方も変わります。それはすべての好循環の始まりです。それはあなた一人の行動から始まります。

このツアーでは、皆さんに優れた知識を提供するわけではありません。皆さんは地球で肉体を持って生き、自分が生きた結果、どういう行いをしたら、どういう人生が得られるかを学習する力を持っています。つまり生きることは学習なのです。そして、生きることの目的は、学習して自分が高い意識のものとなり、自我の汚れを取って、美しくなって、この世界がよい世界になることに貢献することです。それが、人生が終わった時に、よい人生だったなぁと気持ちよく旅立っていける、人生の完全燃焼です。あなたは生まれてくる前に宇宙と約束してきているのです。「時代の役割をお前に与えるから果たしてこい」と。そして自分一人分、人類に進化を与え、世の中を美しくして帰ったら、「ご苦労さん、よくやってくれた、合格」と迎え入れられる。それが生きることの目的だと思います。お金やモノをかき集めても死の向こうには持ってはいけません。持っていけるのはあなたの心の価値だけです。心の価値を積み上げていく人が増えたら、21世紀、これからの世の中はよい世の中になっていくでしょう。それはあなたの一人の行動から始まります。

皆さんがこのような価値観に出会うことは目覚めるということです。目覚めれば、私たちは真実の生き方が出来ます。幻や闇の中で生きていてはよい人生は生きられません。真実に生きると、普通の人が困難に思うことも乗り越えられる力が湧いてきます。そして逞しく生きられます。皆さんは今、目覚めに繋がる価値観と出会いました。素晴らしい地球のためにこの目覚めのネットワークを広げていきましょう。

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経済も一人ひとりの心の反映です。世界観を広くし、自我の汚れを落とした時、共有し分かち合う暮らしが生まれます。それは宇宙法則の表現であり、自然生態系の表現となります。善なる愛なる調和。そんな暮らしを広げていきましょうね(^-^)



突破口は気づきにある(3)

実際に病気なのか違うのかそういうことがはっきりしないと人は都合のよいように病気になったり自己主張をしたりというところがあって、そうすると医療の対象になっていきます。あなたはある意味賢いから上手に人との付き合い方を自分流に巻き込んでいますが、そうやって過ごすことで自分の人生を刻み、自分の歴史を創っているのです。そうすると不遇で中途半端な人生となっていきます。それを自覚して欲しいと思っています。


結局あなたが今、自己主張することは本来いらないことです。それをなしにすることで次のステージに行けます。だから、自分と向き合って自分を越えていく作業が必要です。ケア(自然療法)を卒業する人たちは、最終的には自分に問題があったことを認識したからこそケアを卒業し、次のステージに行っているのです。自分と向き合うしかありません。そこが一番のポイントで、あなたが自己主張することが一般社会で適応できない原因となっているのです。


こちらはあなたに反論しているのではなく、あなたの大きな目標を達成するための提案をしているにすぎません。そこを勘違いすると、自分の考えと違うと敵対意識を持ちますからね、あなたは。お父さんもこちらもあなたを応援しているから、あなたに付き合っています。だから、問題事の原因はあなたの中の心の姿勢にあり、今の停滞をつくっているのはあなた自身であることに気付かないといけません。あなたは自己主張で武装していて、それがあなたの人生の障害になっているし、ここでケアを受ける原因になっていますが、それに気付いて、理屈ではなく素直に生きていくことが大切です。そうすると、皆からも好感が持たれるようになります。


あなたは自己正当化し続けていて、自分は正しいと思い込んでいると言いますが、それは客観的視点、相手目線がないからです。だからその主張が通ったとしても何もいいことは生みません。相手に「あなたは話を聴かない人だな」という印象を残し独りよがりの人生となっていきます。

今、日本は豊かだからこんな状態でも支援して貰えるけれども、戦時中だったり食うのに精一杯の時代だったらこんなことは言っていられません。そういう意味では近代の、ただ物理的な豊かさだけを人々が求めてきたことの産物、時代の申し子とも言えます。あなただけでなくそういう人はたくさんいますが、あなたたちはメッセンジャーとも言えます。それをメッセンジャーだからと言って、やり続けるのはどうかと思います。それでは自分の人生に価値がなくなります。

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上記はケア滞在者に対していさどん伝えた言葉ですが、一人の人の行き詰まりは社会の反映でもあり、その解決は社会へ向けてのメッセージともなります。先日、いさどんからロータスランドに掲げられた絵の説明をみんなにされる時間がありましたが、その時、お釈迦様による以下の話が紹介されました。

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お釈迦様の話の中に、家に火がついたのに子どもたちが気付かないで庭で遊んでいるというたとえ話がある。だから、お釈迦様はそれを何とか助けようと思って、家に火がついていることを気付かせようとするのだが、子どもたちはまったく気付かないで朗らかに遊んでいる。それが、今の人間たちの生きる姿勢だ。


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上記の話に出て来る家は長者の家であり、子どもたちは裕福な暮らしをしているそうです。それは地球環境に配慮せず物質的豊かさを享受しさらに追い求めようとしている人間の姿と言えるでしょう。気候変動、異常気象などを通して地球は人類に警告を与えていますが、多くの人々は未だに経済成長という都合の良い幻想を追い求めています。その姿は先に挙げたケア滞在者が病気という幻想を利用する姿と重なります。自分の都合で動いた結果、自分や世界に何がもたらされるか、そのことが見えていないのです。それは客観的視点の欠如と言えるでしょう。そして世界は行き詰まっていますが、その突破口は気づきにあるのです。

気づきとは客観的視点にたって、世界や自分の変遷を見ていくことから生まれる悟りです。今の状態は過去からの積み重ねであり、今この瞬間の心が未来を生み出していきます。その流れを見通すためには自分や世界と向き合う必要があるのです。気づきは自分と向き合うことから生まれます。

ところでロータスランドには3枚の絵が掲げられていますが、それぞれ、富士山麓の自然、地球の生態系、蓮の大輪というテーマを受けて描かれたものです。

蓮の花は法華、当然そこには仏様が入るべき、仏様が入ったら宇宙の光が降りてくる」

こんなふうに絵のイメージは膨らんでいったと言いますが、宇宙の光は気づきの源泉です。それは常にこの世界に降り注いでいるのですが、自我の生み出す幻想はそれを見えなくしています。そして、地球の生態系の中で僕らは生かされていますが、それは常に変化変容を繰り返し美しい豊かさを表現しています。ですが、多くの人は、自然と切り離された社会の中でその事実を忘れてしまっています。

自我は自分の都合の良い幻想の世界を生み出します。そして真実を見えなくし、人を客観的視点から遠ざけます。ケア滞在者、そして現代社会に生き詰まりはそんなふうにして生まれているのです。そこを超える方法はただ一つ。自分と世界と向き合うことです。その時、自分を超えた大きな生態系の中に降り注ぐ宇宙の光に気づきます。その光は僕らを、「ここは何だろう・・・あれ?!」という世界、桃源郷へと導きます。それが僕ら木の花ファミリーが表現しようとしている世界です。



蓮の花の絵です。

地球の生態系の絵です。

富士山麓の自然の絵です。


追い求める人生からいただく人生へ

なぜこのような生き方が重要なのかといえば、今の社会を観ればそれは一目瞭然です。今、世界中が様々な問題で大混乱を迎えています。そういった中、人間たちは一体これから何をしていこうとしているのでしょうか。どのように突破口を開いていこうとしているのでしょうか。
その突破口のひとつとして、ケア滞在を申し込んでここに訪れた人たちが健全になっていくプロセスから新たな世の中が始まるヒントがあると思うのです。彼らがそのままの病的な状態でいて改善しなければ、先が観えず、同じ現象が続いていくだけです。そして、それと同じような混乱が世界中で起きているのです。ですから、単純にひとりの人の人生が行き詰まり、それを改善するためのプログラムを私たちは提供しているのではなく、ひとりの人生の行き詰まりが時代の変遷を解き明かすことにもなり、そして新しい世界を切り開いていくことにもつながるのですから、これはたいへん重要な取り組みなのです。
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上記は自然療法プログラム(ケア滞在・ケアプログラム)を受けていたリョウタくんの卒業コンサートにていさどんが語った言葉です。そして、その二日後にはリョウくんの卒業コンサートも行われ、そこでいさどんは以下のように語りました。
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一昨日、リョウタくんがケアプログラムを卒業しました。今日は、リョウくんがこのプログラムを卒業します。彼らは競争社会の中で頑張って勝ち抜こうと思いながら生きてきました。しかし、それをすると自分も傷つくのです。そうした中で彼らは木の花ファミリーと出会い、皆と力を合わせて豊かに生きる道を見つけました。今までの社会では彼らは行き詰まりを迎えたかもしれませんが、新しい時代を切り開くという意味では、彼らはこれから世の中をリードする人たちなのです。

自然は私たちに命を与えてくれ、そして豊かな人生を学ばせてくれます。それが私たちの価値となり、人生を終わっていくことができます。自然を犠牲にして人間だけが創る社会は、もはや終焉を迎える時代が来ています。

 ~ 中略 ~

木の花ファミリーに集う人々は、自分たちが豊かに暮らそうと思って生きているわけではありません。私たちがこの広大な宇宙の中で奇跡のような地球に生命として肉体を持って生まれてきたことの意味を学ぶために、生きているのです。そして、たくさんの経験をしながら、人としての尊い生き方を極めているのです。それぞれが住む国を素晴らしい国にし、素晴らしい地球にし、そして私たちはそのような価値あるものをこの世界にもたらすことのできる者なのです。これから世界中のいろいろなところで、人々はこのような生き方をするようになるでしょう。


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安倍総理による臨時国会冒頭での解散宣言を受けて、小池百合子氏が「希望の党」を設立し、民進党は前原誠司代表が希望の党への合流を決め、枝野幸男代表代行は離党し新党「立憲民主党」を設立しました。結果として保守とリベラルとの区別が鮮明になったとも言えるのですが、これらの動きの一番の動機は「選挙に勝つ」ことであることは明白でしょう。それは現実を思い通りにしようとする動きです。

個人の幸せを追求することが当たり前になっている現代社会では、多くの人が想いを叶えようとし、思い通りの現実を求めています。みんなの幸せや世界の平和を語る時も、それは自分の幸せのためであり、まず先に自分の幸せがあるのです。そして自分以外の誰かの幸せを願っていたとしても、それが自分の執着から来ていたら、それは、結局は自分の想いを叶えようとしているのであり自分の幸せを求めているのです。

想いは人それぞれ違います。みんなが想いを叶えようとしても、叶う想いは僅かです。そこから葛藤や不満、優越感や劣等感など様々な感情が生まれ、それが様々な社会問題をもたらしているのです。自分の想いを追求していると、それに囚われ視野が狭くなり気づきを失っていきます。そして、今の問題を生み出している原因は見えなくなってしまうのです。

人は他者の存在なしでは生きることが出来ません。太陽や水、土や空気に生かされ存在しています。ならば、個人の幸せは追い求めるものではなく、本来、みんなの幸せの結果いただくものなのです。

追い求める人生からいただく人生への転換。

そのことが人の視野を広げてくれますが、視野が広がると、今の状況が当然の結果であることが見えてきます。そして、改めるべきところも明らかとなります。改めるべきところを改め先に行って結果をいただき、そこで判断し、また先に進んでいく。そんなふうに未来を常に新しい体験として学んでいく生き方がいただく人生であり、世界に調和をもたらします。

木の花ファミリーのメンバーは常にそのような生き方を心掛けています。そして、ケア滞在をする人たちはその生き方を学ぶことで改善していきますが、それは社会に対する大きなメッセージとなり、新しい時代へ向けた歩みとなっていくのです。

追い求める人生からいただく人生への転換。

それが今の人類の行き詰まりに対する突破口となります。

リョウくんの卒業コンサート。この日は台湾から20名のツアーが来ていました。

空気を感じて空気のように

昔、その不可思議な異次元空間が当たり前に身近にあるけれど、
あまりにも身近にありすぎて、
あることが気付かないようなところにあった。
そこに現れるその異次元空間が、新たな時代を創っていく。
それは潜象界のようだ。

「難しいことを与えておるゆえ、心してゆけ。」
ここまでそれがわかってくると、難しいことの意味がまったく違ってくる。
それは難しいだろう、それはわからないだろう、という話にもなる。
それは、「難しいからやっていくぞ!」というものではない。
ともこのように気合を入れて宣言してやるようなものではない。


僕はただ、
「ここは何だろう・・・あれ?!・・・ここはどこ?・・・」
という場を創りたいのだが、皆は何もわかっていない。

※潜象界とはカタカムナの用語です。


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この言葉は昨年の7月にいさどんが語った言葉ですが、「空気のように」というタイトルが付けられていました。

空気のように

この言葉からは僕はいさどんがまりちゃんに伝えた以下の言葉を思い出しました。

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「空気のような存在にならなければいけない。そこに居るのかいないのか分からないが、なしでは生きていけないものだ」。つまり、自己主張するのでもなく、でしゃばりもせず、しかしそこにいて、この道には欠かせない者になれ、ということ。


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そして、もう一つ、昨年の10月にいさどんが語った言葉も思い出しました。

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なぜ、今、空気はこの状態なのか。それは生命の歴史と連動していて、空気の成分は変化してきている。そうすると、そこにいる生命の存在も変わってきていて、空気も汚染されてきた結果、人間の歴史も変わってきている。つまり、我々は空気だ。
空気は絶対なくてはならないものだが、空気の存在によっては生命は対応できず、絶滅もする。だから、空気の存在は時代が動いていく中で、とても大きな役割を果たしている。空気は何でもなくあるようで、ものすごく大きな存在。気付けば気付くほど、その存在は大きく、あまりにも身近にありすぎて解釈できない。この空気と対話したり、空気の存在を解明したら、何か新しい世界が観えてくるのではないか。


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木の花ファミリーの名前は富士山の主神である木花咲久夜姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)から頂いていますが、僕は以前、いさどんからコノハナサクヤヒメについて、以下のような話を聴いています。

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コノハナサクヤヒメは命の儚さ、美しさ、潔さを司る神様です。天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が地上に降りて来た時、コノハナサクヤヒメの美しさに惹かれ、サクヤヒメの父親、大山津見神(オオヤマツミガミ)のところにサクヤヒメを貰いに行きます。この時、オオヤマツミガミはサクヤヒメと一緒に姉の岩永姫(イワナガヒメ)も一緒に貰ってくれと頼みます。イワナガヒメは命の永続性を司る神様ですが、岩のようにごつごつした顔をしていました。そして面食いだったニニギノミコトはイワナガヒメを断ってしまいます。ニニギノミコトは人類の祖先です。命の永続性を司るイワナガヒメを断ることにより人類には寿命が与えられたのです。

これは神話ですが、実は地球上の大気に変化にも対応しているのです。地球の原始大気の多くは二酸化炭素が占めていて永らく変化はありませんでした。それは神々の時代、命の永続性を表しています。そこに生命が生まれ、光合成を行う生物により酸素が誕生し、二酸化炭素は減少していきます。酸素は物質の変化を促します。そこに命の儚さ、美しさが表現されるようになっていきます。

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空気の変化により生命は今の形を取り、循環の中で変化変容を繰り返しています。儚く、潔く己の命を全うすることで、美しさが表現され、それが次の時代へと繋がっていきます。循環と繋がりの中で美しさを表現していく。それが今の空気が生命に示している生き方です。

自己主張するでもなく、でしゃばりもせず。だけれどもこの宇宙の歴史にとって欠かせないものとなる。

空気を感じて空気のように生きる。

空気は当たりまえのように身近にあるけれども、時代を表現しあらゆるものと溶け合って不可思議な異次元空間を生み出していくのです。

それに気づけば・・・ですね。




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