
恵みいただきます/囚われからの解放
8月13日放送のクレージージャーニー「奇妙な現実を巡るオカルトの旅」を観ました。 番組の中ではまず縁切り神社として門田稲荷神社が紹介されます。そこには、人の死を願う絵馬や釘が打たれた絵馬などが飾られていて、人々の怨念がこんなにもあからさまに表現されている場所があることに驚きました。 次に即身仏が紹介されます。即身仏とは、苛酷な修行により自ら死に向かう修行僧のことを言い、日本には17体あるようです。具体的にどのような手順を踏むかと言うと、まず木喰行(木の実や薬草だけを食べる生活)を数十年続けます。それにより身体なら油や水分を取り出し、腐敗しにくい身体を創り上げるのです。そして、土中入定(生きたまま棺に入る修行)をします。その後、1000日後に掘り起こされ即身仏となり人々に崇められるのです。 番組を観ていて即身仏に何の意味があるのだろうか?と疑問になりました。 崇められることが修行の目的ならば、それは修行僧の欲と言え、カルマ(業)の上積みに過ぎないのではないでしょうか?そんなことを思いました。 最後に人形婚が紹介されます。人形婚とは亡くなった子のために、人形の花嫁や花婿と結婚をさせる風習で、地蔵尊が祀られている河倉賽の河原にて奉納されています。それは親の子どもに対する想いから成り立っているのでしょうが、それが社会にもたらすものは?と疑問を持ちました。 仏陀は人間の苦しみとして生老病死を掲げ、そこからの解放の道を示しました。それは囚われからの解放です。ですが、上記の縁切り神社や即身仏、人形婚は人間の囚われを強化しているように思えます。 個人的な願い、望みが人を幸せにすることがあるのでしょうか? それが幸せに繋がるのは、時代や社会、集団の大きな流れに即している時のみなのではないでしょうか? 多くの場合、人は個人的な感情に囚われ、それに翻弄されているように思えます。 そして、翻弄されている状態にいつの間にか慣れ親しんでしまい、人は自らを苦しめ続けます。 そして、それは自らを苦しめるだけでなく、世界に不調和をもたらし、今の様々な社会問題を生み出しているのではないでしょうか? この番組で紹介されている縁切り神社や即身成仏は、それを強化しているように思えました。 本来、人や社会を救う立場にある神社仏閣がこの状態にあり、強い願いを持つ人々はそれを利用します。こうして世界の歪みが強化されていくのだろうなと思いました。...
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