地球談話(地 球 谈 话)を広げる~中国編~

人民元の切り下げ天津での爆発事故が話題になっている中国。
経済成長に陰りを見せ、環境破壊や貧富の格差など様々な弊害を生み出しています。
それは現代社会の縮図と言ってもいいでしょう。

この中国の状況は、現代社会の本質、人間の本質の考察へと至るものですが、日本のメディアの関心は専ら、日本への影響であり、それは他の国も変わらないでしょう。そのこと自体、僕たちの意識状態を表していると言えます。

自分を超えて客観的位置に立ちお互いを理解し合い愛し合う。

多くの人々の心がその状態になった時、世界は自然と平和となっているのでしょう。
木の花ファミリーの日々の暮らしはそこに至る取り組みをしているのです。


ファンちゃんツアーの様子
そんな木の花ファミリーに今、そんな中国からの20名のゲストを迎えています。昨年の夏、木の花ファミリーを75日間訪問していたファンちゃんが「一人でも多くの人に木の花の暮らしを伝えたい」と企画したツアーです。(「富士山麓での75日間~ファンちゃんの木の花ファミリー滞在記」もお読み下さい。)

このツアーに参加した方々が、自らを超えることの大切さに気づき、実践に繋げていくように。

そんな交流が出来たらと思っています。

さて、自分を超えることの大切さは先日このブログでも紹介した「地球談話」に端的に示されています。その「地球談話」ですが、中国語版も存在するのです。もし中国のお知り合いがいたら、この談話を紹介していただけたらと思います。

自然に平和が実現している。

そんな未来に向けて、多くの方と共に歩んでいけたらと思っています。


-实现地球真正的和平
2015.8.15

实现地球真正的和平,在我们能做一些什么呢?也每个人广的世界,超越自我的局限。当人执著于自我狭窄价值观,常常容易因人的差异而产生距离,得不协调,立和相争的开端。可是,我们生存这个世界是无限广大的,由多种多的生命形式相互连系构成了网络。在这个互相协调的络里大大小小的关系圈以分形(Fractal)的形式互相关联。全体为个体服务个体为全体服务,因此呈现出整体的和

个世界的本是一个生命体。因此,不存在全体和自我的。如果人的世界观扩大的话,将不再需要刻意地去为了创造和平的世界而做一些事情,和平的状态是会自然而然出现的。
日本的单词有「働く工作思是劳动」。真正的意思是「傍(はた・他者)を楽(らく)思是让旁人快乐。“働く”和“傍楽”的日语发音是相同的)」。工作也包含着活着的意思活着意味着超越自我,在自己所在的网承担义务为他人为世界而活。这样着才会世界来和平。

然而,现在每个国家都追求自国的利益,个人优先自己的利益,从国家的大战争,及到人与人之间的小相争,这样和平是维持不下去的。因为人的世界观狭窄的话,都会以优先自我的态度来面对他人,这样的话对立和相争就会发生。

观察地球上的生命进化的历史,过去6亿年之间有了6次生命大灭绝。根据推导,不久的将来也有可能发生生命灭绝。从过去到现在,人在地球生命中持有最高的能力和影响力。站立在地球生命顶点的人,有可能会由于自己的暴行带来下一次的生命灭绝,也有可能超越灭绝的危机而创造出更加进化的世界。

进入21世纪,我们迎接了几个大的转折点。太阳围绕银河系的中心转一圈需要2亿2600万年,期间太阳约有9000次的螺旋运动。一次的螺旋是25800年。20121221日,我们迎接了间隔25800年的银河的冬至,从宇宙的角度来看,将从黑暗和战争的时代进入光明和谐的时代。此外,冥王星围绕太阳1周需要248年。2008年,经过冥王星的1周期,持续250年的欧洲工业革命为标志的西洋物质文明迎来了终结。此后,将是东洋精神文明开花的时代。

从宇宙的视点来看,现在已进入了每个人开始意识到这点,从宇宙的宏观角度来看问题本质的时候。因此,许多人对现在的价值观开始感到疑问,需要寻找面向新时代的价值观。人类每个人的精神转变将会改变整个国家,进而改变世界,改变自己是改变世界的开端。这是宇宙的意志,也是时代循环的表现。因此,在个人层面,国家层面以及地球层面,不同规模上发生的事情都是宇宙的意志,也是时代的潮流。这种解读时代趋势的能力,可以通过超越自我,扩大世界观而成为可能。虽然人类在肉体的小容器里存在着,我们最终会感知到:宇宙就是自己的意识。
21世纪内人类就会达到这样的意识水平吧。今后的1000年将会是一个过渡的时期,从追求物质丰富的时代,到涌现我们内在未曾开发过的能力的时代。这取决于人类的大脑中还没被使用的90%的部分。如果这未被开发的能力得到发展,我们将能用直觉感受宇宙的意志和时代的趋势,生活在地球上的同时,也能理解整个宇宙。在那时候,各种探索和了解宇宙的技术也能帮助人们提升意识。生活在新的时代的我们,将能在现代技术和物质丰富的基础上,展开精神性的提升。

21世纪我们作为地球人,更作为宇宙人,将开始意识到为这个世界做出贡献。现在的我们,面临着一个转换点,是带来地球生命的灭绝,还是来一个新的。当我们在地球上展现出新时代所需的精神性时,将会实现地球真正的和平



「余裕」とはよーゆったもので・・・

今日は父親の誕生日です。父の誕生日には毎年、手紙を添えて野菜を送っています。

今年の手紙は少し遊んで以下のような文章を書いてみました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

親愛なるおやじへ

誕生日おめでとう!
おやじが生まれた日から地球は太陽の周りを69回周りました。
おやじは常日頃、自分はお天道様だけを信じると言っていたね。
お天道様に恥ずかしくない生き方をしているかどうかお互い常に問い続けよう。
僕らは太陽の子どもでもあるのだから。
お天道様の光が宇宙空間を超えて地球に届くように、
僕らの輝きも物理的距離を超えて届いていきます。
もしそれが感じられないとしたら心を雲が覆っているからです。
お天道様を信じるように自分と自分の息子を信じよう!
今この瞬間、世界は光り輝いています。

愛をこめて。



父への手紙です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

昨年末から今年の正月に掛けて、木の花ファミリーでは血縁について考える機会を持ちました。
そして、僕は今年の正月は帰省はせずに木の花ファミリーで過ごしました。
 ※以下の2つの記事を参照して下さい。
   「天の物語を生きる ~1年間の振り返りと来年の抱負として~
   「やっぱり天の物語を生きる ~新年の挨拶として~

正月の帰省に関して言えば、帰省してもしなくてもどちらでも良かったのだと思います。ただ、正月にはずっと帰省をしていたので、帰省をしないことで変化が起こるかなと思いました。お互いの心にさざ波が生じて自分を見詰める良い機会になるだろうと思ったのです。

結果そのような機会になり、自分の心の中にある肉親への愛着と向き合う機会となりました。

そして今回、父へ手紙を書くにあたり、僕は今までしたことがないことをしてみました。
まずは「おやじ」という表現を使うこと。
そして「スピリチャルなメッセージをダイレクトに伝えること」です。

これがどんなふうに伝わるかは分かりませんが、手紙を書いていて楽しい気持ちにはなりました。

今年の6月。いさどんに「余裕が迸り出るような徳の積み方」という話をしてもらいました。
最近その話をよく思い出しています。

余裕がとても重要なのです。

その余裕についてあわりーぬは以下のように語っています(「余裕」より)。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「余裕」とはよーゆったもので、「余裕」とは、客観性のことだと思う。

「余裕」とは、「世界観を広げながら自らを壊していく」ということから生まれてくる気がする。

「自らを壊す」というと、なんか破壊的で人生を滅茶苦茶にする、みたいに聞こえるかもしれないけど、そうではなくて、ただ、「今までできなかったことをやってみる」ということでいい

☆彡 ☆彡 ☆彡

まあ、この手紙も小さなことですが今の自分を壊す取り組みの一つですね。







地球談話~真の平和を地球にもたらすには~

戦後70周年ということで今年は様々な特集番組が放送されていますが、それらを観ていていさどんは一つの傾向を感じたそうです。

それは「あの戦争は悲惨だったけれども、今は努力を重ねて平和な社会を実現している」というストーリーです。

ですが、今の社会は本当に平和を実現しているのでしょうか?

毎年3万人近くの自殺者を生み出し、子どもや女性、老人を中心に貧困率が上昇している日本社会。精神疾患の患者も320万人と言われています。その社会が平和なのでしょうか?

それだけではありません。

人類が大量のエネルギーを消費してきたことで、地球環境は疲弊し、気候変動により、スーパー台風、大干ばつ、集中豪雨など異常気象、そして大地震や火山の噴火などの天変地異が世界各地で起きています。

今、人間社会は崩壊に危機にあると言えるのではないでしょうか?

壊れる ~世界編~」にも書きましたが、戦前の帝国主義による勢力の拡大と戦後の経済発展は同じ心の元に行われています。ですから、帝国主義が敗戦による崩壊を日本社会にもたらしたように、経済発展も環境破壊や経済破綻という崩壊を日本社会にもたらそうとしています。

そんな中、平和な社会を実現したという成功物語をマスコミは人々に伝え広げているのです。

この状態のマスコミを観て、いさどんは政府のプロパガンダとなっていて、それは戦前の思想統制と変わらないのではないかと感じたようです。そして以下のように語りました。

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みんな自分の視点から見ていて、それを超えることをしていません。
戦争にしても、それが正義か悪かという視点で見ていますが、本当は正義も悪もないのです。
時代がそれを起こしたのであり、その時代に相応しい魂が相応しい役割をしただけなのです。
そういう視点に立つ時、人はそれぞれの立場を超えて、対立を超えて分かり合えるのです。

ですが、このような立場に立つ人はほとんどいません。
多くの人が自分の正しいに留まり、そこから語り続けるのです。
それは自分の語りたい語りです。
それでは本当は見えてきません。
自分の視点を離れる時、初めて本当が見えて人々は分かり合えるのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人々が広い世界観を持ち、自我を超えていくことで真に平和な社会が実現します。僕らが出会った「地球談話」にはそのことが端的に述べられています。その全文を紹介することでこの文章は閉じたいと思います。




☆彡 ☆彡 ☆彡

「地球談話~真の平和を地球にもたらすには~」
2015.8.15

真の平和を地球にもたらすために、今わたしたちにできることは何でしょうか。それは広い世界観を持ち、個々の自我を超越することです。人間が自我の狭い枠に囚われている時、他者との違いによって他者に違和感を持つようになります。それが対立や争いの始まりです。しかし、わたしたちが存在しているこの世界は無限に広大な世界であり、そこは多様ないのちのネットワークで成り立っています。その調和のネットワークは、個を存在させるために全体があり、全体を存在させるために個がある相似形の仕組みによって成り立っているのです。
この世界の真実は、全てが一つということです。ですから、全てのものと自分自身との区別はないのです。このように人々の世界観が広がれば、平和な世界を創り上げようとしなくても、地球上に平和は自ずと訪れるものです。
日本の漢字に「働く」という文字があります。これは「労働」を意味します。しかし、真の意味は「傍(はた・他者)を楽(らく)」にすることです。働くことはある意味生きることですから、生きるとは自分を超えたネットワークの中で役割を果たし、他者のため、世の中のために生きることなのです。ですから、生きることは世界に平和をもたらすことになります。
ところが、今の世界は国なら国益、個人なら自身の利益を優先しているため、国家レベルの大きな戦争から個人レベルの小さな争いに至るまで、平和が保たれない状態になっているのです。それは人間の世界観が狭いことが原因です。対立や争いは、自我が優先された人間の姿勢から生まれてくるのです。
地球上の生命進化の歴史を観ると、過去6億年の間に6回大量絶滅が起きています。そしてその統計からすると、近い将来生命が絶滅する可能性があると言われています。過去から現在に至る地球生命の中で最も高い能力と大きな影響力を持つのが人間です。地球生命の頂点に立つ人間は、暴走することによって次の絶滅をもたらす可能性もあれば、絶滅の危機を超えてさらに進化した世界をもたらす可能性もあるのです。
21世紀に入り、わたしたちはいくつもの大いなる転換点を迎えています。太陽は天の川銀河を22600万年かけて1周し、その間に約9000回の螺旋を描きます。その1螺旋は25800年です。20121221日、25800年ぶりの銀河の冬至を迎え、宇宙的には闇と争いの時代から光と調和の時代に入りました。さらに、冥王星は太陽のまわりを248年かけて1周します。2008年、冥王星の1周期を経て、ヨーロッパ産業革命以降250年間続いた西洋物質文明は終焉を迎えました。そして今、東洋精神文明が開花していく時代が始まったのです。
宇宙的には、すでに一人ひとりが目覚める段階に入っています。それゆえ、多くの人々は今までの価値観に疑問を感じ始めるようになり、新たな時代に向けての価値観が求められているのです。人類一人ひとりの精神革命が国を変え、そして世界を変えます。あなた自身が変わることが世界を変えることの始まりです。それは宇宙の意志であり、時代のサイクルの表れです。したがって、個人レベル・国家レベルそして地球規模で起きる全ての出来事も宇宙の意志であり、時代の流れの中にあるのです。そのように時代を読む捉え方は、わたしたちの個人的エゴからの解放と広い世界観を持つことによって可能となるのです。人類は肉体という物理的には小さな器の中にいたとしても、最終的には宇宙全てが自分自身であるという意識に到達することもできるのです。
21世紀中に人類はその意識レベルに到達することでしょう。それはこれからの1000年間で、物質的豊かさを追求する時代から、わたしたちの内面にある未開発の能力を開花させる時代へ移行していくということです。それを司るのがまだ使われていない人間の脳の90%です。わたしたちの内面に眠る未開発の能力が開花すれば、宇宙の意志・時代の流れを感受する直観が働き、地球にいながらにして宇宙を理解することが可能になるのです。そこでは宇宙を探査するテクノロジーの可能性は大いに広がることでしょう。新たな時代を生きるわたしたちは、近代的テクノロジーと物質的豊かさに加え、高い精神性とともに進化していくことができるのです。

21世紀はわたしたちが地球人として、さらに宇宙人としての意識を持ち、この世界に貢献していく時代の始まりです。今わたしたちは、次の地球生命の絶滅のきっかけをもたらすものになるのか、それとも新たな時代をもたらす存在となるのかの転換点を迎えています。そして、人類が次の時代が示す精神性を地球上に表現した時に、平和はもたらされることでしょう。


宇宙と共に人の本質を極めていく。

2015年8月15日。終戦記念日(戦後70周年)の朝は、太陽が輝き、地球が太陽の周りを運行していることを教えてくれました。そして、月は8月14日23時55分、終戦記念日の直前に新月となり、新しいサイクルで動き続けています。

昨日、安部首相による戦後70周年の談話が発表されました。

産業革命や資本主義の発達を背景に生まれた帝国主義の時代から現代までを振り返り、先の大戦を反省し、その教訓を生かし未来への提言をしていく。

そのような意図が談話にはあるのでしょうが、その振り返りは表面的なものとなってしまっています。人類の歴史の中で、戦争は繰り返され、今も中東やアフリカなどで紛争は続いています。その連鎖を止めるためには、人間の本質に迫り、争いを生み出す種(たね)を特定し、それを超えていく必要があるのではないでしょうか?日本がこれから本当の意味で世界の平和に貢献していくならば、先の大戦から振り返りを活かし、争いを生み出す人の本質を超えていく必要があると思うのです。

70周年談話はそのようなものにはなっていないと思います。起きた出来事を表面的に記述しているだけ、それは今までの人間の刺激と反応のパターンを示しているに過ぎません(「壊れる ~世界編~」も参照して下さい)。この世界に平和をもたらすためには、人間は今までのあり方を超えていく必要があるのではないでしょうか?

木の花ファミリーでは、そんな未来の人のあり方を探究し、人と人、人と自然が調和した暮らしを生み出して来ました。そんな僕らが今日、「地球談話」を発見しました。

広い世界観を持ち、個々の自我を超越すること。

真の平和を地球にもたらすために今、僕らに出来ることはそれだけなのです。

談話の中でも述べられていますが、冥王星は太陽の周りを248年かけて1周します。
それは安倍談話が考察の期間としている産業革命から現代までの期間とほぼ一致します。

冥王星は肉眼では見えない星で、太陽系の一番外に位置します。
それは太陽系が銀河系へと解き放たれる窓口ともいえ、究極の真理、悟りの境地を意味します。

見えないところで影響を与え続ける冥王星ですが、1930年に発見されています。
それは世界恐慌の翌年であり、この翌年、関東軍は満州事変を起こし侵略への道を進みます。

悟りに至るためには、人は自らの暗い側面を見つめ超えていく必要があります。
冥王星の発見が人々にそれを促し、心の中で処理出来ない人々が行動化した。
世界恐慌や満州事変、その後に続く日中戦争、太平洋戦争をそのように捉えることも出来るのではないでしょうか?

星々の運行も僕たちの生活に影響を及ぼしています。
太陽と冥王星の関係は、究極の真理を司り、それは大きな時代の流れを生み出しているのです。

悟りの境地については今まで主に宗教が探究してきました。
ですが、そこで説かれている悟りは、今の時代には古いものかもしれません。
そのことについて、昨日の大人ミーティングではいさどんを中心に以下のような話をしました。

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宗教は人々を救済するために解かれたもので、人生が罪もしくは苦しみであるという前提があります(仏教の四苦(生老病死)、キリスト教の原罪など)。そのため、そこで説かれる悟りにはその色が反映されています。

加えて、仏陀やキリストの時代はまだ人々は宇宙へ行くことがありませんでした。真理は宇宙法則の現れですが、それを知るための客観的データが今ほど充実していません。直観により宇宙を知ることが出来るのは事実ですが、客観的データが不足する分、その記述は限定的になります。

どんなに優れた教えでも、時代を反映し、時代の限定を受けたものです。
それを絶対視すると囚われとなり、真理を遠ざけます。
常に心をフリーにし、感情を離れて宇宙や世界をただただ記述していく。
そのことが大切であり、その先に悟りの境地はあるのです。

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悟りとは日常生活の中で実現するものであり、それは宗教だけの問題ではありません。
宗教と科学、生活と学問、思考と行動など。
悟りへとは、すべての垣根を取り払って、ただただ探究し続けるものであり、
時代と共に変化していくものです。

人々の心がそこに開かれた時、宇宙を感じ、星々と共に生きていけるようになるのでしょう。
その時、それぞれの違いは全体の中で活かされ、対立や争いは自然となくなり平和が実現するのではないでしょうか?

そんな未来に向けて、今日も太陽の光を浴び、蝉の声を聴きながら、生活していきます。




壊れる ~世界編~

それぞれの人がそれぞれの刺激と反応のパターンを抱えています。そして、それは一つのパッケージのようになっていて、一人一人の暮らしはそれに基づいて相応しく展開します。

壊れる」に書いたように、僕は先日、自分が壊れる経験をしました。
それは自分から抜け出し、上記のパッケージに気づくのにとてもよい機会となりました。

僕は常日頃から人に取り入ろうとしている。

その事実がとてもよく見えました。

取り入ろうとしている心の奥には思惑があります。

相手に自分を見て欲しいという思惑。自分を好きになって欲しいという思惑など。

それは自分の思うように相手を動かしたい気持ちと言ってもいいでしょう。

相手が自分を見てくれない時、そっけない態度を取られた時、
不満が生じたり、見返したいという気持ちが生じたりします。
こうなるとまるでコントロール合戦をしているようで、とても不毛で、とても変な感じがするのです。

こんなふうに変な感じになると、相手に取り入ろうとしている自分、
そしてその奥にある相手を思い通りにしたい心がよく見えてきます。

この相手を思い通りにしたい心ですが、
人との関係性が上手くいかない時にだけ生じるものではないのです。
この心は常日頃から自分の中にあります。

物事がスムーズに感じる時は、たまたま自分の思惑通りに進んでいるだけなのです。

そのことに気づきました。

僕はこの思惑に基づいて反応し、一喜一憂し、時々トラブルを起こしてきました。

これは一つのパッケージです。僕はこのパッケージを超えてこれからの生活を送ろうと思います。それが自分を超えるということであり、みんなと分かり合える客観的な心への道となるのです。

こんなふうに壊れることは認識を深める機会に繋がるのです。
そしてこれは国や社会についても同じことが言えるのではないでしょうか?

先日、戦後70年談話有識者懇談会の報告書が発表されました。今日(8月14日)、安倍総理はこの報告書に基づき70年談話を作成し、閣議決定する見通しとなっています。

報告書では、世界の帝国主義の流れから日本の日清日露戦争、満州事変、そして第二次世界大戦に至る過程の分析がなされ、その侵略行為を反省しています。以下、その内容を簡単に書いておきますね。

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ヨーロッパで帝国主義が生まれ侵略により勢力を拡大し自国の繁栄を求めていく時代が始まりました。それを支えたのがヨーロッパにおける技術革新です。技術革新がヨーロッパを優位な存在とし、他の地域は植民地となっていったのです。

この帝国主義ですが、民族自決の理念や第一次世界大戦の犠牲に対する反省からブレーキが掛かります。列強は、軍事的膨張を控え、経済的な行動に力を入れるようになります。国際協調の時代となります。

ですが、1929年アメリカで勃発した世界恐慌は日本の経済に大打撃を与えました。そのため日本は力による膨張を選んだのです。世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えることになります。このような選択をした日本の政府、軍の指導者の責任は重たいものです。

この経験からは5つの教訓が汲み取れます。


  1. 国際紛争は力によらず、平和的方法によって解決するという原則の確立
  2. 民主化の促進
  3. 自由貿易体制の大切さ
  4. 民族自決 ~すべての国が平等の権利と誇りを持って国際秩序に参加する~
  5. 途上国の経済発展への支援 ~貧困は紛争の原因となりやすい~

日本は上記の教訓を踏まえ、生まれ変わり、経済発展を遂げてきました。

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上記の分析は当時の日本が受けた刺激とそれに対する反応の記述にはなっていますが、
その奥にある心まで分析することが出来ていません。
これでは戦争という「壊れる」体験を充分に生かせていないと思うのです。

帝国主義による勢力の拡大と戦後の経済発展。

この2つの奥には共通する心が見えます。

それは自らの欲望に基づいて拡張していく心です。

その心が今、経済破綻の危機や環境破壊の危機などを
世界にもたらしているのではないでしょうか?

冒頭に書いたように、それぞれの人がそれぞれの刺激に対する反応パターンをもちます。
それは多くの場合、自我(エゴ)に基づくものであり、自らの欲を求めます。

それが寄り集まることにより人々のコントロールを超えて、
戦争や格差、環境破壊へと繋がっていくのではないでしょうか?

ですが、人は自らの刺激と反応のパターンを超えていくことが出来ます。
(僕自身、まだ実現していませんが、そのことに対する確信はあります。)
そこには、すべての存在と共感できる感じ方、すべての存在を一つのまとめる心があって、
僕はそれを客観的な心と呼び、そんな心を育むことを心掛けています。

多くの人が客観的な心を育んだ時、きっとこの世界は地上天国となっていくのでしょう。
そんな未来を楽しみに毎日木の花ファミリーで生活をしています(^-^)

木の花ファミリーのみんな@川遊び



希望は変化し続けることから生まれる。

村上龍さんの小説『希望の国のエクソダス』は、優秀な中学生たちが北海道に自分たちの独立国家を築き上げていく物語ですが、その中でリーダー格の少年ポンちゃんは、「この国にはなんでもある。でも希望だけがない」と語っています。

この小説は10年以上前のものですが、いじめや不登校などの教育問題は変わらず存在し、社会の閉塞感も変わらずに存在しているのではないでしょうか?

ところで8月11日、九州電力は川内原発を再稼働させました。世論調査では過半数が反対する中(賛成34.4% 反対56.7% 7月共同通信)、火山を周りに抱え、避難計画も不十分な状態での再稼働です。

今、参議院で審議をしている安全保障関連法案も世論の反対の中、成立に向けて動いています。

社会は世論が反対する方向に進んでいっています。これはとてもおかしな現象です。この現象も社会に閉塞感をもたらし、人々から希望を奪う原因の一つなのではないかと思いました。


希望とは何か?と考えた時、思い出すのがギリシア神話の「パンドラの箱」です。

人類最初の女性とされるパンドラが、好奇心から「パンドラの箱」を開けた時、疾病や悲嘆、欠乏、嫉妬、怨恨などありとあらゆる災いが飛び出してきました。その時、最後に箱の中に残ったものが希望とされています。

パンドラの箱から飛び出した災いは世間にあふれています。それは人間の表面を覆う本質となり、何もしないでいると人々はその災いに翻弄されて暮らすことになります。ですが、それらと向き合い、その奥を覗き込むとそこに希望が見えてくるのです。

災いはそこと向き合うことにより希望に変化し、この世界は喜びに満ちたものになっていきます。
変化が希望を生み出し、希望が変化を加速させるのです。


さて、原発の再稼働に話を戻します。

2011年3月11日。福島原発事故という大きな災いが生じ、一度すべての原発は運転を停止しました。その原発が世論の反対の中、再稼働されたのです。

これは本当におかしな出来事です。
ですが、このおかしな出来事は一人一人の日本人が生み出していることなのです。

安全を求める心、経済的豊かさを求める心、自分たちの利権を求める心など。

人々の様々な心が絡み合い世界は動いています。
今の世界の動きは人々の心の総和と言っていいでしょう。

日常の中で、物事を明確にするのを避け、曖昧な状態で過ごし、矛盾を生み出している。
そして災いに翻弄されている。
そんな人々の姿が原発の再稼働を生み出しているのではないでしょうか?

一人一人の日常が世界の動きを創っていると思うのです。
だから、一人一人が災いと向き合い、その奥にある希望を見出したならば、
世界全体にも希望がもたらされると信じています。

8月12日~14日。木の花ファミリーで開催されている希望の光プロジェクトの第2回イベント「私たちみんなが希望の光」~宇宙と友に生きる~は、この世界に希望をもたらす取り組みです。

希望は変化し続けることから生まれます。
そして、変化は宇宙や自然の法則です。

変化ということを考えた時、昨年末に書いた以下の文章を思い出しました。
「天の物語を生きる。~1年の振り返りと来年の抱負として~」より)

☆彡 ☆彡 ☆彡


僕はこれまでずっと自分の物語を生きて来ました。

それは「世界が僕を変える」や「世界と一緒に変化を楽しむ」に書いた英雄物語だったり、「僕といさどんと木の花ファミリー」に書いた「虐げられた状況から逆転する物語」だったりします。その自覚はずっとあって、それを意識的に変えようと努力を重ねてきました。ですが、それらの努力は功を奏しませんでした。僕は変わりませんでした。

そんな中、今年の9月24日、このBLOGを立ち上げました。タイトルは「木の花ファミリーの経済から世界を見る」。「世界を見る」とタイトルをつけたからには、そこに書かれるものは、世界を意識したものでなければならない。そんなふうに思いました。そして普段から世界で起きていることと木の花ファミリーの暮らしを繋げて考えるようになりました。そうすることで、この暮らしの意味をあらためて感じることになりました。そして、その意識を保つために一定のペースでこのBLOGを書き続けました。

すると大人ミーティングが今まで以上に面白い場となってきました。そこから世界が見えるのです。
そんな大人ミーティングの場で、12月の初め不思議な体験をしました。その時、いさどんがみんなに向って語っていたのですが、僕は天から暖かいエネルギーが降り注ぐのを感じたのです。いさどんの話が天の扉を開き、そして、天からエネルギーが降り注いでいたのです。そのエネルギーはとても大きく暖かいものでした。僕はこの時、初めて天の存在を感じました。ずっとあることを知っていた天の存在をリアルに感じたのです。この日から僕は天に意識を向けるようになりました。

天に意識を向けると、自分の感情や枠を超えることが出来ます。自分から自由になって、天の温かさを感じることが出来ます。それがとても心地よく毎日がとても幸せなのです。そんなふうに過ごしていると、周りから「変わった」と言われるようになりました。

このBLOGを立ち上げた時、僕は別に「変わろう」とは思っていませんでした。ただ広い視点を持つことを心掛けて毎日を過ごしていました。その結果、僕はとても幸せになりみんなに変わったと言われます。一方、僕が意識的に変わろうと努力した時、僕は変われなかったし、あまり幸せにもなれませんでした。

その違いは何か?

僕が意識的に変わろうとした時、僕は自分の変わる姿をイメージしていました。評価される自分、出来る自分をイメージしていました。要は自分がかわいかったのです。そして、自分に囚われていました。その囚われが僕の変化を邪魔していたのでしょう。

今は自分に対するイメージは持っていません。「どうなりたい」という思いもありません。ただ、天を意識し感じ続けること。それが僕の一番の望みで、それだけ出来ればよいのです。だから僕はこれから何があってもずっと幸せだろうなと思います。

僕を変えて幸せにしてくれたのは世界であり、天です。
自分では幸せになれませんでした。
だから、これからは天の物語を生きていきます。
それは僕を幸せにし、そしてみんなを幸せにする物語になるのだろうなと思っています(^-^)


☆彡 ☆彡 ☆彡

原発反対とか戦争反対とか具体的なものをイメージするとそれが囚われになり、変化の邪魔をすることもあるのではないでしょうか?

ただただ世界に心を向けて、天を意識して暮らしていく。

一人一人がそうなることで、世界は自然と変化していくのではないでしょうか?

その時、人々は世界の変化をみんなでただ純粋に楽しむことが出来るのだと思います。
そんな日に向けて心を磨き続けていこうと思っています。

木の花ファミリーのみんなです。



壊れる

僕は壊れる必要があったのだと思う。そして僕は壊れた。

そこで見えたのは自分自身の未熟さと盲目さ。

でも解き放たれた(と思う)。

僕はもう何もいらない。と同時にこの世界を豊かにし、幸せにするものすべてを求める。

これらは全く矛盾しないこと。

例えば、好き嫌いなど個人的な感情があって、それに基づいて何かを求めていく。

そういうものはもう何もいらない。

僕は個人的願いをすべて手放していく。

だけれども自分を離れてニュートラルな状態を保ち、そこで心を開いていく。

人や世界と一つになっていく。

そんな豊かな関係性はとことん求めていく。

そう僕は解き放たれた(と思う)。

そして僕の視点は表面的な出来事ではなく、それを生み出している奥の心に向う。

僕は、これからはそれだけを求め、自らを高めていく。

これが今だけの言葉ならば、
実態が伴わなければ、
僕はまた生き詰まりどこかで壊れる。
ただそれだけのこと。

それはそれでいい。

でも僕は解き放たれた(と思う)。

これからみんなと、世界とより深く心を分かち合っていく。


木の花ファミリーのみんな

自分を知り、その自分を超えていく

プロセスを楽しむ」でも書きましたが、いさどんは僕に以下のように語ってくれたことがあります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分を見て、自分を分かれば分かるほど、精度高く見るようになっていく。
分からない人間は出来ていると思いがち。
分かれば分かるほど、人は「まだまだ」と思う。
そしてその「まだまだ」という心が人を創っていくんだよ。
分からない人はもう出来たと思うから、全然心を磨かず失敗を繰り返しドツボにはまっていく。

「まだまだ」と思いながら高いプライドを持つ。それを同時進行していくことが大切なんだよ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

高いプライドはどこから来るかと言ったら、自分を超えていく意思から来るのだと思います。

知れば知るほど、至らない自分が見えてきます。

「世の為人の為」という理想を掲げながらも自分の都合で動いている自分。
周りからの評価を気にする自分。
失敗を恐れる自分。
そして、ちょっとの失敗で落ち込む自分。

などなど。

誤魔化さずに真っ直ぐに自分を見ると至らないところがたくさん見えてきます。
ですが、自分を知ることで自分を対象として眺めることが出来ます。
そして、いつもその位置にいることが出来たならば、
人は自分を超えて、自分から自由になれるのだと思います。

自分を知り、その自分を超えていく。

きっとそこは「みんながひとつ」の世界で、そこに究極の喜びがあるのだと思います。
そしてそこを目指す意思が高いプライドとなっていくのでしょう。

矛盾を超えて生きていく。」にも書きましたが、ここ最近「人の気持ちを理解していない」ことを痛感する出来事が続きました。あらためてその時のことを振り返ると、自分が自分の感情のままに行動し、そして感情に振り回されていることに気づきます。ここ数週間でいさどんから貰った言葉を書いてみます。

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1、自分の衝動のままに(文章を)書いている。そのため相手がどう感じているかが見えていない。

2、相手の意向ばかり気にしていてこちらの立場をしっかり示せていない。そのおどおどした態度が相手に「何かあるのではないか?」という印象を与え、相手の中に余計な心を育てていく。

3、なかのんは分かっていることを分かっている立場で語っている。客観的な位置に立つことが出来ていない。

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2の「相手の意向ばかりを気にする」ということは、一見、相手の立場を考えているように思えるかもしれませんが、それは違うのです。僕の中には思惑があって、その思惑に沿って欲しいという気持ちがありました。そして相手に余計な気遣いをしたり、余計なことを伝えたりしたのです。その結果、会話がスムーズにいかなくなりました。結局、相手の状態(心)を冷静に見ることが出来ていないのです。

願いから自由になるために生まれてきた。」を書いた頃、僕の心は澄んでいました。生きているのが楽で楽しく、滞りもほとんど起こりませんでした。その後、僕の中に「願い」が生じ、感情が乱れ、滞りも起きるようになりました。

これは僕が退化したのかと言ったらそんなことはないのです。

より広く深く世界を見ることが出来るように。もっともっともっと成長するように。
そのために僕の中に「願い」が生じ、感情が乱れ、僕は今、そこと向き合っているのだと思っています。

それは自分をさらに深く広く知るための旅路です。

僕は今、滞りの中で自分に対する認識を深めています。
そして、僕は、認識を深める中で知った自分を超えていくのです。

きっと人生はこの繰り返し。

次から次へと湧き上がる感情を通して、自分を知っていく。
そして、その自分を超えることで、自分の「濁り」を取っていく。
そして、また感情が生じる。

その繰り返しの中で自分に対する認識が深まり、世界が広がり、
宇宙をより感じるようになっていくのでしょう。
その中で積み上げていく価値は、時代や社会を超えて普遍的なもの。
そうやって死の向こうまで伴える価値を積み上げていくのです。
そして、その結果、出会う現実も豊かに変化していくのでしょう。

僕はまだまだ未熟ですが、それでも出会う現実は確かに変化しています。

心を磨いた結果出会うこと。

人生はただただそれをいただいていくだけなのです。






矛盾を超えて生きていく。

ここ最近、「人の気持ちを理解していない」ということを痛感する出来事が続きました。
木の花ファミリーの暮らしは計画や段取りを立てるのではなく、天の流れをいただくことで成り立っています。そんな暮らしをしていると、この宇宙の大きな流れに気持ちを向けやすくなります。

ですが、大きな流れが見えたとしても、そこに関わる人の気持ちを大切にしていなかったり、自分の感情に囚われていたりすると滞りに繋がってしまいます。

自分の主観から離れる。

この基本となる姿勢が出来ていないからこそ、人の気持ちを理解出来ていないのだと思います。
あらためて自分の心をしっかり育てる必要性を感じました。

日常生活での失敗が続いて大人ミーティングが停滞している時、スカイプで参加していたいさどんから「これもプロセス」という言葉がありました。その時はその一言しか聞こえなかったのですが、あとであわちゃんから「死の向こうまで伴える価値を積み上げていく」という話が同時にあったことを聴きました。

死の向こうまで続く価値とは何か?

いさどんブログ「いつか死を迎えるときに」には以下の記述があります。

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人が生きて、終末を迎えたときに問われるのは、「濁り」なのです。人生の内容のことは何も問われません。そこでは心の濁りだけが浮き彫りになり、自らの生きた結果として問われることになるのです。

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自分の持つ濁りに応じて、この世界では様々な現象に出会います。思いもよらないことに出会うこともありますが、それは今の自分を超えるチャンスともなります。一つ一つの現象に逃げずに向き合うことで自らの価値を積み上げていく。その視点を持つことでどんな出来事も尊い学びとなるのでしょう。

陰と陽。ない世界とある世界。精神と物質など。

この世界は相反するものの存在から生み出されています。
濁りがあるから物語が生まれ、濁りを取ることでこの世界と一つになっていくのです。
濁りは肯定されるものであると同時に否定されるものでもあります。

先の紹介した「いつか死を迎えるときに」には以下の記述もあります。

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矛盾とは、真実に目覚めるためのものでもあります。この世界の全ては相似形でできているのですから、探求すればするほどその解釈はどんどん深くなっていき、そしてその究極の矛盾の解釈は、相反する存在の理解につながるのです。そこでは、物事の一方から離れて解釈できるところまで行くことが大切なのです。それは、物理的世界を超越してしまうことであり、私たちは今ここにいながらにして、宇宙が理解できるところにいるのです。

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自分の都合のままに生きる時、それは一つの立場からの言動となり、知らず知らずに矛盾を生み出していくのではないでしょうか?例えば、戦争反対という言葉が主張の違いを生み出し、対立に繋がっていくように。

自分を離れた時、相反する物事が同時に存在する世界が見えてきます。
その時、矛盾は矛盾でなくなります。

願いから自由になるために生まれてきた」に書いたように、

山を登り続けて川を流れ続ける。

そこに矛盾がないのがこの世界です。



安全保障関連法案、原子力発電、沖縄基地問題などなど。

この社会には様々な矛盾に満ちた問題があります。
もし一人一人が自分の立場に留まっているならば、その矛盾はさらに増幅していくことでしょう。

ですが、一人一人が自分を離れることができた時、矛盾を超えて、矛盾のない世界が展開していくのだと思います。その時、すべての存在は調和の中で暮らしていくことが出来るでしょう。そんな未来に向けて、一つ一つの現象を通して自分の心を創っていきます。


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