産業革命や資本主義の発達を背景に生まれた帝国主義の時代から現代までを振り返り、先の大戦を反省し、その教訓を生かし未来への提言をしていく。
そのような意図が談話にはあるのでしょうが、その振り返りは表面的なものとなってしまっています。人類の歴史の中で、戦争は繰り返され、今も中東やアフリカなどで紛争は続いています。その連鎖を止めるためには、人間の本質に迫り、争いを生み出す種(たね)を特定し、それを超えていく必要があるのではないでしょうか?日本がこれから本当の意味で世界の平和に貢献していくならば、先の大戦から振り返りを活かし、争いを生み出す人の本質を超えていく必要があると思うのです。
70周年談話はそのようなものにはなっていないと思います。起きた出来事を表面的に記述しているだけ、それは今までの人間の刺激と反応のパターンを示しているに過ぎません(「壊れる ~世界編~」も参照して下さい)。この世界に平和をもたらすためには、人間は今までのあり方を超えていく必要があるのではないでしょうか?
木の花ファミリーでは、そんな未来の人のあり方を探究し、人と人、人と自然が調和した暮らしを生み出して来ました。そんな僕らが今日、「地球談話」を発見しました。
広い世界観を持ち、個々の自我を超越すること。
真の平和を地球にもたらすために今、僕らに出来ることはそれだけなのです。
談話の中でも述べられていますが、冥王星は太陽の周りを248年かけて1周します。
それは安倍談話が考察の期間としている産業革命から現代までの期間とほぼ一致します。
冥王星は肉眼では見えない星で、太陽系の一番外に位置します。
それは太陽系が銀河系へと解き放たれる窓口ともいえ、究極の真理、悟りの境地を意味します。
見えないところで影響を与え続ける冥王星ですが、1930年に発見されています。
それは世界恐慌の翌年であり、この翌年、関東軍は満州事変を起こし侵略への道を進みます。
悟りに至るためには、人は自らの暗い側面を見つめ超えていく必要があります。
冥王星の発見が人々にそれを促し、心の中で処理出来ない人々が行動化した。
世界恐慌や満州事変、その後に続く日中戦争、太平洋戦争をそのように捉えることも出来るのではないでしょうか?
星々の運行も僕たちの生活に影響を及ぼしています。
太陽と冥王星の関係は、究極の真理を司り、それは大きな時代の流れを生み出しているのです。
悟りの境地については今まで主に宗教が探究してきました。
ですが、そこで説かれている悟りは、今の時代には古いものかもしれません。
そのことについて、昨日の大人ミーティングではいさどんを中心に以下のような話をしました。
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宗教は人々を救済するために解かれたもので、人生が罪もしくは苦しみであるという前提があります(仏教の四苦(生老病死)、キリスト教の原罪など)。そのため、そこで説かれる悟りにはその色が反映されています。
加えて、仏陀やキリストの時代はまだ人々は宇宙へ行くことがありませんでした。真理は宇宙法則の現れですが、それを知るための客観的データが今ほど充実していません。直観により宇宙を知ることが出来るのは事実ですが、客観的データが不足する分、その記述は限定的になります。
どんなに優れた教えでも、時代を反映し、時代の限定を受けたものです。
それを絶対視すると囚われとなり、真理を遠ざけます。
常に心をフリーにし、感情を離れて宇宙や世界をただただ記述していく。
そのことが大切であり、その先に悟りの境地はあるのです。
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悟りとは日常生活の中で実現するものであり、それは宗教だけの問題ではありません。
宗教と科学、生活と学問、思考と行動など。
悟りへとは、すべての垣根を取り払って、ただただ探究し続けるものであり、
時代と共に変化していくものです。
人々の心がそこに開かれた時、宇宙を感じ、星々と共に生きていけるようになるのでしょう。
その時、それぞれの違いは全体の中で活かされ、対立や争いは自然となくなり平和が実現するのではないでしょうか?
そんな未来に向けて、今日も太陽の光を浴び、蝉の声を聴きながら、生活していきます。
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