様々なレベルの流れを読み解く

1年前、天の流れについていさどんは以下のように語っています。

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天は流れを創る。そしてその流れに具体的にことを乗せるのは、地の仕事である。流れを観て、流れに応じた行動をする。そういうコラボである。
道理を考えて人智を回すことも大事だが、それをやり過ぎると人智だけになり流れを忘れるから、流れを観ながら人智を回していく。当たり前のことだが、ついつい出来事に意識が行き過ぎると、そのことを忘れる。流れを観ていれば、ことはスムーズに進む。
それは流れているのだから、行きつくところに行きつく。

流れを観るとは、結論が出るということではない。

流れを観て、それに沿うと、行きつくところに行きつくから、その時に「ああそうか」といただく。結論はない。しかし流れをしっかり読める人間は行き着く先が想像できるものだから、思った通りにことが成るということだ。それは最初から成るべきことが成るように生きているということである。このようなものの捉え方でいると、道理が常に通っているから、自分の考えている通りにすべてが回る。



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そして、最近、いさどんがこんな話をするのを聴きました。

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この世界は氷山なんだよね。海面から見えるのは氷山の10%だけ。残りの90%は隠れている。それで、世間が言っていることは見える部分で、それを無視するわけにはいかないが、例えば、風が北から南に吹いている時、氷山は別の方向に動くことがある。それはなぜか?奥にある海流が別の方向に流れているからだよね。世間の風はこっちに吹いているのに現実が違う方向に動くことがある。安倍首相がいくらデフレ脱却、実質2%、名目3%の経済成長を目標にし、日銀を利用してマイナス金利まで導入しても、それはうまくいっていない。それは時流を読んだら、今の人間社会の表面に見える人間の欲得の世界ではなくて、時代の動き、宇宙は今、何を人間に与えようとしているのかということを読んだら、安倍首相は逆をやっている。だから表面に見える社会現象をすべてとしそれに乗ることを止めなければならない。たとえ世間からは理解されなくても何か別のものを見て時代にのっていくことが大切。本当の流れは表面からは見えない海流が生み出しているのだから。

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最近、支持率が低迷している安倍内閣ですが、2015年の夏、安全保障関連法案を成立させた時はとても強気でした。世論が反対していても、実行すれば世間はいずれその正しさを理解するという趣旨の発言をしていたのを覚えています。安倍首相は世論を甘く見ていたのです。今、南スーダン国連平和維持活動の日報隠ぺいが問題になっていますが、これは駆け付け警護の前例を生み出すために敢えて行ったように思えます。そこにも世論を甘く見る姿勢が伺え、その結果として今の支持率低迷がありますが、その種はずっと前からあったのだと思います。

高い支持率を維持していた安倍内閣がここ1、2ヶ月で国民の支持を大きく失っています。それは海上を吹く風、世間の流れです。世間の風は、人々の関心、損得や欲得でコロコロ変わります。そして表面に表れる現象の種は常にちょっと前に蒔かれています。現象は収穫のようなもの、種は常に前に蒔かれていて、そして今この瞬間は未来の種となっているのです。だから目の前の出来事に一喜一憂せず今を大切に積み上げていくことです。

その際に必要となるのが、天が生み出す流れを感じることです。天の流れは海流です。どんなに風が強くとも氷山を動かすのは海流であり、天の流れに基づくことであらゆる出来事が生かされていきます。そして、そんなふうに生きるためには目に見える出来事の奥を感じていく必要があります。

安倍首相は日本の総理大臣ですが、その支持率の高低は表面に表れている現象であり、その奥には天が生み出す流れがあります。近代以降特に、人間社会は個人の欲望を追い求めてきましたが、その結果、格差や貧困、環境破壊など様々な問題が発生し行き詰まりを迎えています。これは今までの人間の在り方が限界に達している証であり、天の流れは人間に変化を促しているのです。ですが、安倍首相の政策はそのような流れを掴めてはいません。

流れを観て、それに沿うと、行きつくところに行きつくから、その時に「ああそうか」といただく。結論はない。

いさどんはそんなふうに語りますが、その流れが海上の風、世間の流れならば、それはコロコロ変わるものであり、天の流れに沿っていなければ、おそらくどこにも行きつきません。その時その時の状況で一喜一憂するだけとなるでしょう。だからそれらはきっとどうであってもいいのです。

大切なのは、海流である天の流れに沿うことです。そして、天の流れは表面上の出来事の奥にあるものだから、それを感じるには、自分を離れ、高い視点に立つ必要があります。高い視点に立つことで初めて人は自分を通して天を表現することが出来るのです。

そし流れを観るとは、結論が出るということではない。といさどんは言います。

人はとかく結論を出したがるものですが、結論を出した途端に人智となり、天の視点を失います。常に新しいところ、未知なるところを進んでいく。それも天の法則の一つであり、天の流れは常に未知なるものなのです。

未知なる道を進み、行きつくところで「ああそうか」といただく。そしてまた未知なる道へと進んでいく。そんなふうに生きて経験を積み上げていこうと思っています。



いらなくなった状態を超えた世界

常に意識を全体性に持っていく必要があります。あなたは今、個人的願望を抱えているわけだけれども、それをどう超えていくのか?それが重要です。個人的願望が全体性と共通していればいいのです。例えば、個人的願望が宇宙の法に基づいていたら、それは理に適っていきます。個人を高めるためというならば、それは全体性を持つことが個人を高めることであり、全体性と個人は本来、共通していることなのです。ですが、個人が抜きん出てしまうと、天が「それは違う」と滞りを与えてくれるのです。

心を磨いた結果出会うことがあります。願いが叶わない状態も自分を高める要素です。「はい!分かりました」と叶うようなことなら、その願いは本当に自分を高めません。

だから何より心を磨き続けることです。

そして、自分を高める努力をしていると、その努力したことでエネルギーが消費され、他のものはいらなくなります。いらなくなった状態をさらに超えた世界。共通の世界で極めていく世界がその次にあるのです。個人で高める努力から「みんなで」とか「一つになる」というところで極める世界があるのです。

それは前人未踏の世界。我々は前人未踏の世界を創らなければならないのです。



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いさどんのこの言葉は、このブログでは何回も引用していますが、読む度に湧いてくることがあります。個人的願望とは自我の産物ですが、心を磨き自分を高めていくと自我の動きから自由でいることが出来るようになります。すると何もいらなくなるのです。

いらなくなるというのは拒絶するのとは違います。意図的に何かを求めることがなくなるということで、出会うことは素直にいただいていきます。


自我を超えていらない状態となった時、世界を動かす宇宙の法則が見えてきます。それはこの世界のすべてを生み出しているもので、みんなに共通する世界です。ただその世界を極めていく。それは法則のままに生きるということで「みんなで」「一つになる」世界です。木の花ファミリーの暮らしはそんな世界を表現する試みです。


昨晩、いさどんから働くこと、そして生きることについて語られました。


いさどんの話は、仮想通貨ビットコインの分裂や社会保障給付金の話、そしてアメリカトランプ政権のスカラムッチ広報部長の解任と、その日のニュースの話題から始まりました。それらは今の社会の状況を表しています。


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人間がお金や物に執着するのは
生きることの本当の意味を失っているからだ。
だから、それは死生観の問題だ。

今の人間は生きることの意味を履き違えている。

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いさどんのこの言葉が端的に示す通り、今の社会では多くの人がお金と引き換えに働いており、働くことが生きることそのものではなくなってしまっています。そして、人びとは仕事でストレスをためこみながら、個人的欲望を追い求めていますが、それが社会に分断や対立などの混乱をもたらしているのです。

本来、はたらくことは生きることそのものであり、生きることを通して傍(はた)を楽(らく)にすることであり、それは自分を超えた大いなるネットワークの中で役割を果たしていくことです。この宇宙の中で自分に与えられた役割をしっかりと担っていくこと。自分が大いなるものの一部であること。その自覚が人に喜びと安定感を与えます。そんなふうに生きて働くことが木の花ファミリーの暮らしでそれは人類の未来へ向けての希望となるのです。

こんなふうに語るいさどんの言葉からみんなでその大事を確認しました。

そこには個人的欲望はいらないのです。

いらなくなった状態をさらに超えた世界。共通の世界で極めていく世界。

みんなと一緒にそんな世界を表現していこうと思っています(^-^)


昨晩、いさどんからみんなに生きること、働くことの意味について語られました。



ただ出会う感情を楽しんでいく

出会う出来事を感情を挟まずにいただいていくように、出会う感情も感情を挟まずにいただいていく。それは感情から自由になるということです。出来事をいただくということは我慢とは違います。常に感情から自由でニュートラルである必要があります。

過去に滞りをいただいた時のことを思い出すと、大抵、何らかの感情に飲み込まれていることに気づきます。それは自覚している時もあれば、無自覚の時もあるのですが、感情が物事を見えなくさせているのは事実です。

自らの感情を表現しながらも、それを離れて眺めて、どう展開していくかを楽しんでいく。そんな姿勢が大切なのだと思います。この世界の中のものはすべて変化していきます。ならば感情も変化していくのですが、感情に飲み込まれてしまうと、それが絶対になり感情を満たすことに心を奪われていきます。そして、感情に翻弄され、それが出来事にも影響し右往左往することになります。

出会う出来事が自分の今までの生き方の結果であるように、出会う感情も自分の今までの生き方の結果です。それは自分に相応しく与えられています。そして、今の自分の感情が未来を生み出していきます。だから常に自分自身を見つめ導く必要があります。

変化変容がこの世界の法則です。その法則に自らの感情を委ね、出会う感情を楽しんでいく。そして感情が生み出す出来事をいただき楽しんでいく。そんなふうに生きていけば、きっと自分自身が天の法則の表現となります。

今、世界には多くの滞りが発生しています。それは今までの人類の歴史の結果であり、そこから生まれる感情も同様です。湧きおこる感情のままに行動していたら、今まで通りの世界が展開することになります。

今、北朝鮮がミサイル発射の実験を繰り返しています。

それは今までの北朝鮮や韓国、日本、中国、アメリカなど関係諸国の政治や経済が生み出している結果です。そこに感情的に反応し、そこから判断を下していたら今まで繰り返しとなります。例えば、それに脅威を感じて米軍と自衛隊が共同訓練をすることや外交圧力を強めることから新しい動きが生まれるようには思えません。

今までの自分たちを振り返ることで認識を深め、そこから新しい感情が生まれることで新しい動きは生まれます。きっとそれが滞りの解決へと繋がっていきます。

政治や経済、そして社会の動きは一人ひとりの心の総和です。一人ひとりが日常の中で自分を見つめ導くことで新たな動きが生まれます。それは人間の理解、理屈を超えた動きであり、だからこそ希望があります。どうにもならないと思える状態も変化していくのです。そうだから、ただ出会う感情を楽しんでいこうと思っています(^-^)

(以下、7月22日、早朝の空と富士山です)






10次産業を実現している場所

木の花ファミリーの経済について説明している時、いさどんはこんなふうに語りました。

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うちの経済は本当に面白いよ。NPO法人や農事組合法人、合同会社などがあって当然それぞれが独立した帳簿を持っているんだけれども、その奥には生活共同体木の花ファミリーがあって、生活共同体がすべての組織の運営をしているんだよ。だからどこにお金があってもみんなにとっては同じ。みんなのために使われている。それで6次産業化も完全に実現している。いや、6次どころではないな、1次+2次+3次で6次産業、うちはそれに4次も加わるから10次産業だよ。「4」は「死」。生きるものが行きつくところ。つまり究極。そして、「10」はカタカムナで言えば、統合。1+2+3+4=10、ヒフミヨイムナヤコト、「ヒト」を生み出す暮らしを木の花はしているんだよ。

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聴いていて面白いなと思いました。そしてネットで10次産業という言葉を調べたら、いくつかの記事にヒットしました。10次産業、使われ始めている言葉なのですね。

その一つがYahooニュース「農業・漁業の再生は第10次産業化の発想で!〜知的コーディネート力がカギ」ですが、そこにはこんなふうに記載されています。

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4次産業が1次、2次、3次産業を新発想でコーディネートすることが重要だ。足し算すると第10次産業。まさに大学などの研究機関が起点となって、産学連携をダイナミックに進めるということだ。これは本気で行うなら価値がある。どれだけ本気になってできるか、にかかっている。大学や研究所、学会が起点となって、様々な分野の連携を促しながら、新たな展開をすることができるなら、まだまだ、日本の社会が伸びていく余地はある。

日本の社会は蛸壺化してしまった。横断的な繋がりや発想が出にくい社会になったのだ。

 ~ 中略 ~



第10次産業化が閉塞した日本の起爆剤になる。第10次産業によって何ができるか、何が生まれるか。日本の新たな挑戦だ。

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4次産業とは情報産業や医療産業、教育サービス産業など知的集約産業に対して使われるようになってきている言葉ですが、上記の記事では4次産業が持つコーディネート力に注目して、そこに6次産業成功の鍵があると述べられています。

現在、多くの6次産業の取り組みが失敗に終わっているようです。そんな中、木の花ファミリーでは特別な努力なしに6次産業が実現しています。それは木の花ファミリーの産業は、生きることそのものであり、そこにはすべての取り組みが含まれているからでしょう。そのため、それは経済的成功だけではなく、生活の充実、人格の向上、人生の意味の探求など様々なものをもたらすのです。そして最終的には僕らは「ヒト」となります。「ヒト」とは何か?いさどんはこんなふうに語ります。

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ヒトというのは、人間という地球上で物理的に進化してきたもののことではないんだよ。それは、物理的に進化してきたものが最終的に到達する目的地点であり、宇宙にはもともとヒトという意識レベルの存在があったはずだ。なぜなら、ヒトとは宇宙の仕組みをマスターした存在を言うのだから。
ついつい人間たちは、ヒトのことを人間と勘違いする。人間とヒトでは、定義が違う。ヒトは形ではない。宇宙の法を理解し、マスターした存在をヒトと言うのであり、それは目覚めということでもある。

 ~ 中略 ~

人間は何か滞りに出会うと、それを不愉快なものだと捉え、滞りを避けようとする。しかし滞りを乗り越えた時、そこでは必ず一回り進化した新たな世界に出会う。つまり滞りとはとても大切なものであり、我々にはその滞りの正体を見極めるだけの余裕が必要なんだよ。

 ~ 中略 ~

この世界は人間の理屈を超えたところで成り立っている。だから科学や理屈で考えて納得できるところを超えた時に、奇跡が起きるんだよ。

宇宙は奇跡の連続だ。なぜなら、もともと人間の思考のキャパを超えたところで成り立っているのだから。だから宇宙を生きるという意識レベルを考えるのならば、科学や理屈を超えたところでものごとを受け取る器を持つことが必要だ。そうでなければ、真実は観えてこない。それには、人間壊しをすることだ。人間を壊して、ヒトとして存在する。それがヒトイズムだ。


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人間として生きていると様々な滞りに出会います。その時、人間としての自分の思考を超えて、余裕を持ってそれを受け取り、そこから学んでいく。そうすることで新たな自分と出会います。それは絶えず続く人間壊しであり、それが「ヒト」への道です。そして、そこを歩むことが生きる本来の目的です。

今、社会は細分化され、産業も1次、2次、3次、4次と分かれています。そして人々の関心は経済的なものに特化し、マスコミは消費を煽り、政府は経済成長を求め続けています。そのような中、社会的分断や対立、環境破壊が進んでいます。これは人類が出会っている大きな滞りです。

大切なのはこの滞りを余裕を持って受け止め、大きな視点から見つめることです。

先に紹介した記事にもある通り、今の社会は蛸壺化することで人々から繋がりを奪っています。そして産業は生活から切り離され、細分化されています。その状況から非効率や無駄、孤立が生まれ、それが滞りを生み出し続けているのです。そこには滞りから学ぶ人間壊しはありません。

木の花ファミリーにとって産業とは生きることそのものであり、そこにはこの世界のすべてが含まれます。宇宙に想いを馳せ、季節の移り変わりと共に作物を育て、恵みをいただき、みんなで喜びを分かち合います。それがそのまま経済活動ともなっています。すると失敗事例が多い6次産業化の取り組みが努力なしに実現していきます。

それはなぜか?

きっとすべてが繋がり無駄なく生かされているからです。もちろん、その暮らしの中にも滞りはありますが、僕らはそれを人間(=自分)壊しの機会とし、「ヒト」への歩みを進めるように努めています。

今、人間社会に求められていることは様々な繋がりを取り戻すことであり、その過程で人間(=自分)を壊し、「ヒト」への道を歩むことです。その時、社会の産業は至るところで繋がりたくさんの10次産業が現れることでしょう。

そんな未来の先駆けとして暮らしていこうと思っています(^-^)

ジャガイモ一斉収穫の時の写真です。

時代人となる

7月26日はマヤの新年です。3年前の7月26日、メキシコの太陽マヤ族最高司祭である尊母ナー・キン氏が木の花ファミリーを訪れ、宮ノ下広場でマヤ新年”10OC”を祝う祭典を行いました。それ以来、木の花ファミリーではこの日にみんなで集まり調和の祭典を行っています。今年は朝6時に宮ノ下広場に集まり大切な時間を共有しました。祭典の最後、霧雨の中、いさどんはこんなことを語りました。

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今、ミストシャワーのような雨が降っていますが、雨は命に潤いを与えてくれます。祭典だから晴れて欲しい。それは人間の都合で、実際にすべての日が晴れ渡ったら私たちは困ってしまいます。命の潤い、それをいただきますという気持ちで浴びれば尊いものともなります。自分の都合を手放しいただくことの大切さをこの雨は教えてくれています。
毎日生きている限り出会う出来事はすべて生きた証として相応しく出会っています。どの現象もそこに生きる人達の生き様の結果与えられています。滞りに出会ったならば、自らの生き様を変えていけば、その滞りは自然に消えていくのです。それなのに生き様を変えないで現象だけを変えようとするのが欲の心です。現象は因果律によって約束されています。そのものに相応しい現象が現れます。出来事を不愉快だからと言って解決する時代はもう終わりです。どういう時代にするかは、そのものがどんな人生にするか、何を望むかによって変わってくる。つまり、生きることが自分の手の中にあるのです。今までなぜ人々の手の中に生きることがなかったのかと言ったら、一人よがりでこの世界の仕組みを無視して欲のままに生きていたからです。その結果、自らの欲に翻弄され人生を失っていくのです。

※いさどんの言葉全文はいさどんブログ「3000年に向けて新たな時代を生きる人々へ」をお読みください。

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生きることが自分の手の中にある。この言葉を聴きながら、僕は先日、養蜂場でいさどんに聴いたこんな話を思い出しました。

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一つの群れに一匹だけ存在し数年間生きる女王蜂ですが、その役割は産卵をするだけです。巣の清掃、幼虫のお世話、蜜集めなどは働き蜂が引き受け、約1ヶ月(冬場は半年)という短い寿命で新陳代謝していきますが、コミュニティの在り方を決めているのは寿命の短い働き蜂なのです。

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短いサイクルで入れ替わる働き蜂は一人ひとりの人間、そして女王蜂は時代を表しているように思えました。いさどんブログ「私たちは時代人(じだいびと)です」に書かれているように、時代は生命であり、時代が意志を持って、時代を紡いでいます。ですが、一人ひとりの人間の生の在り方が時代を創っているのも事実です。それは人間が現象化を担うからであり、その姿は、様々な役割を担う働き蜂がコニュニティの在り方を決めているのと同様に思えました。僕たちは一人分時代を担っているのです。

時を司るマヤの新年。それは時代の流れの節目です。

このタイミングで、自らの欲を離れ、あらためて現象の奥を見つめ時代の流れを意識しましょう。その時、見えてくるのは、以下のような時代からのメッセージです。

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時代は生きています。時代は意志を持っています。わたしたち人類はその時代の変化を感知し、時代に寄り添っていく立場にあるのであって、時代を創ろうとする必要はないのです。

そのように考えていくならば、この世界は一体です。すべてのものが時代と共に一体となって動いています。それが宇宙の実相です。そのような意識レベルを有した者が地球上に現れたならば、その響きがこの世界に放たれ、それに共鳴した者たちの行動が少しずつこの世界を変えていきます。そしてさらにそれに共鳴した者が行動することによって、その響きがこの世界に放たれていく――、その連鎖が時代を動かしていきます。その響きがこの世界の混乱を鎮め、人類の営みによって傷つけられてきた地球を包み込み、地球を本来の美しい星へといざなっていくのです。

 〜 中略 ~

今こそ、わたしたちは自らを自我の枠から解き放ち、この無限なる宇宙の中で自由自在に生きる時が来たのです。わたしたちの中から願望や野心が消えた時、宇宙の真理が湧いてくるようになります。そして、人類が誕生した目的にのっとった最もふさわしいポジションにわたしたちは立てるのです。そういった真理に目覚め悟った者は、時代を読み、流れを感じ、今を生きる「時代人」となるのです。


それが、21世紀初頭にあたり、時代がわたしたち人類に伝えているメッセージです。


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マヤの新年。時代人となることを宣言します(^-^)

2017年7月26日マヤの祭典@宮ノ下にて

奥に流れているものに目を向ける

カフェ&ショップ・ロータスランドでは今、土用の丑の日フェア!を開催しています。その初日の朝、準備に慌ただしくしているみんなを眺めながらいさどんはこんなふうに語りました。

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こうやって賑やかにしていると、人の目は表面に顕れる出来事にいきます。ですが、その奥に流れているものがあってそれは常に新しい流れを生み出し続けています。そこに目を向けていないと新しい動きには間に合わなくなっていくものです。

ロータスランドが始まり、私たちの暮らしは特に忙しくなりました。忙しい毎日を送っていると、給料を貰い生活をしている人々ならば、ストレスが溜まってきます。そのためストレスを解消するためにお金や余暇が必要となります。ですが、ここの人達は忙しい毎日を送っても疲れて眠くなるだけです。それはこの暮らしの安心感がもたらすものですが、その余裕、ゆとりのようなものを心磨きに向けていく必要があるのです。

忙しく賑やかな毎日を生み出している奥のもの、そこを緻密に見ることによって、プロセスから学び、それは自分の成長として積み上がっていきます。その成長が天の生み出す新しい流れと呼応していくのです。表面的な賑やかさにかまけて、安心感の中、ぼうっとしていると次の流れには間に合わなくなるのです。

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この話を聴きながら、僕は自分のことを振り返りました。

人と人、人と自然とが調和した木の花ファミリーの暮らしは、少ないお金、そして低い環境負荷で豊かな暮らしを実現しています。それは環境破壊やそれに伴う異常気象、経済格差や貧困、戦争や紛争、人々の分断や孤立など様々な問題が溢れている現代社会に対して一つの答えを提示しています。一般社会で暮らす中で様々な矛盾を感じて苦しんだ僕は木の花ファミリーで暮らすことを選びました。それは一つのゴールであり、僕は形の上では正解を選んだのですが、数年後には意欲をなくしている自分がいました。僕が選んだ答えは到達点であり、その暮らしをそのまま続けていればよく、当時の僕はそれ以上何かを変化させる必要を感じていませんでした。形ばかりに目を向けていた僕は、その奥から生まれる新しい流れに間に合わなくなり、次第に停滞し意欲をなくしていったのです。

木の花ファミリーの暮らしは自然界をモデルとしています。すべてのものが生かし合い支え合っている自然の姿を人間社会に顕すことを一つの目標としています。ということは自然の動きと連動している必要があるのです。

春夏秋冬。ただ繰り返しにも見える自然の動きですが、よく見ると、毎年新たな動きがあり、自然は常に新しいところへと向かっています。変化変容が自然の本質です。

それは木の花ファミリーの暮らしも同様です。自然界をモデルとし、天の流れが生み出したこの暮らしは変化変容し続けます。表面的には同じことの繰り返しに見えたとしても、その奥には常に新しい流れが生まれ続けているのです。そこに目を向け、自身も共に変化していかないと流れに置いていかれます。するとそこで起きていることが分からなくなり、意欲を失っていくのです。

このような状態になると、「変わろう」と思ってもなかなか変わることが出来ません。おそらくそれは自分の在り方が流れから外れてしまっているからです。流れに沿っていれば、変化は自ずから生じます。なぜなら、変化変容がこの世界の法則であり、自分もその一部だからです。2014年の終わり、僕は変化について以下のように書いています。

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このBLOGを立ち上げた時、僕は別に「変わろう」とは思っていませんでした。ただ広い視点を持つことを心掛けて毎日を過ごしていました。その結果、僕はとても幸せになりみんなに変わったと言われます。一方、僕が意識的に変わろうと努力した時、僕は変われなかったし、あまり幸せにもなれませんでした。

その違いは何か?

僕が意識的に変わろうとした時、僕は自分の変わる姿をイメージしていました。評価される自分、出来る自分をイメージしていました。要は自分がかわいかったのです。そして、自分に囚われていました。その囚われが僕の変化を邪魔していたのでしょう。




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変わろうと思っても、それが自我(エゴ)の思惑ならば、変化が生まれることはなかなかありません。大切なのは、変化変容を本質としている自然の流れに沿うことです。そのためには常に出来事の奥に目を向ける必要があります。今の形、自我が生み出す世界に安住していると人は流れから外れ停滞していきます。そして変化は遠ざかっていきます。ですが、その奥に流れるものに目を向け心を開く時、変化は自ずと生まれます。

天の流れが生み出す変化。それは自分の想像を超えた大いなるもので、何気ない日常も深い体験となりただ出会う出来事を楽しむことが出来るのです。

ただ出会う出来事を楽しんでいく

そのために奥に流れるものに目を向け続けていこうと思いました(^-^)



自分を守る心を手放す

2年前の今頃、衆院で安全保障関連法案が可決され話題になる中、いさどんは「自分が総理だったら・・・」という仮定でこんなふうに語っていました。

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私たちは非常に豊かな国であり、
技術大国であり、
世界の先頭を行く国のひとつですが、
そこであえて皆さんに提案したいと思います。

私たちは無駄で不必要な軍備を全て放棄します。

そのことによって、
私たちは日本の財政再建や
世界各国の貧困をなくすことにつなげたいと考えています。

そして、
新たな豊かさを構築していくのです。

そこで、
隣国からの侵略に対する脅威については、
たとえば隣の国が攻めてきたとしますよね。

そうしたら、
その国が日本を支配すればいいのです。

つまり、
私たちの国はそれを受け入れる国であり、
隣の国は支配した国になるのです。

支配した国というのは、
いつも攻撃的で貧しいこころを持っています。

そして、それを受け入れる国は、
常に調和的なこころを持っているのです。

そうすると、
たとえばキムジョンウンさんがこの国のリーダーになったとしても、
「キムジョンウンさん、
調和的な国を一緒につくりましょう!」と
共に国づくりをしていけばいいのです。

侵略する国というのは、
持続不可能なのです。

調和する国というのは、
持続可能です。

そうすると、
侵略してきた人たちの中に
調和のヒビキが浸透していくのです。

もし、
武器を持たない中立的な国があるとしたら、
その国の存在は稀に見るものです。

そうすると、
隣国がその国を侵略しようとしたときに、
まわりにいる国が
「あの国にこの国を侵略させてはいけない!」と
この国を守るようになるのです。

それだけの優れた国であるならば、
ちゃんと守られるのです。

ですから、
自分を守ろうとすることを
放棄すればいいのです。

世界の国家と共に、
そういった宣言をできたらと願っています。

特にアメリカは世界のトップなのですから、
まずアメリカがその見本を示したら、
他の国々が追随すると思うのです。


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こういう話を聴くと、「そんな都合のよいように行くわけがない。」と反応する人もいるかと思います。ですが、その反応自体が自分を守る心です。自分を守ろうとする心を持ちながら、形だけ宣言をしても、そこには思惑が働き、その思惑に相応しい出来事が起きるものです。加えて、これは今まで実際にやったことがない話です。結果を所有しない覚悟を持って行動に移した時、どんな展開になるかは誰にも分からないことです。ですが、多くの人は今の自分の視点から未来を予測し、やらないことを選ぶのです。それもまた自分を守る心の反映といえます。

この話のポイントは、自分を守る心を手放せるかどうかにあるのだと思います。例えば、本当に日本が軍備を放棄した時、この通りに物事が進むかどうかは分かりません。ですが、それは新しい未来への一歩となり、覚悟があれば、人々はただ出会う出来事をいただき楽しむことが出来るでしょう。

自分を守る心を手放せれば・・・の話ですが。

この世界は響きが創っている。

それは確かな法則ですが、響きは自分の都合で生み出せるものではありません。日々の心掛け、実践がそのまま響きとなって顕れます。自分を守る心を手放す。人々がそれを完全に成し遂げた時、その場にどんな響きが生まれるか?それは前人未踏の世界なのではないでしょうか?血縁を超えてすべてのものを共有しようとする木の花ファミリーの暮らしはそんな響きを生み出す試みです。

楽しみに見ていて下さいね(^-^)

こちらは先日開催された大人サミットの写真です。





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