余裕がほとばしり出るような徳の積み方(2018)

一緒に暮らす木の花ファミリーのみんなです。


こうやって賑やかにしていると、人の目は表面に顕れる出来事にいきます。ですが、その奥に流れているものがあってそれは常に新しい流れを生み出し続けています。そこに目を向けていないと新しい動きには間に合わなくなっていくものです。

ロータスランドが始まり、私たちの暮らしは特に忙しくなりました。忙しい毎日を送っていると、給料を貰い生活をしている人々ならば、ストレスが溜まってきます。そのためストレスを解消するためにお金や余暇が必要となります。ですが、ここの人達は忙しい毎日を送っても疲れて眠くなるだけです。それはこの暮らしの安心感がもたらすものですが、その余裕、ゆとりのようなものを心磨きに向けていく必要があるのです。

忙しく賑やかな毎日を生み出している奥のもの、そこを緻密に見ることによって、プロセスから学び、それは自分の成長として積み上がっていきます。その成長が天の生み出す新しい流れと呼応していくのです。表面的な賑やかさにかまけて、安心感の中、ぼうっとしていると次の流れには間に合わなくなるのです。



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上記は昨年の7月、お客様で賑わっているロータスランドを眺めながらジイジ(当時はいさどん)が語った言葉です。余裕をもって、日常の奥に流れているものに目を向ける大切さを語っていますが、当時、ジイジは以下のような話をよくしていました。

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この世界は氷山なんだよね。海面から見えるのは氷山の10%だけ。残りの90%は隠れている。それで、世間が言っていることは見える部分で、それを無視するわけにはいかないが、例えば、風が北から南に吹いている時、氷山は別の方向に動くことがある。それはなぜか?奥にある海流が別の方向に流れているからだよね。世間の風はこっちに吹いているのに現実が違う方向に動くことがある。安倍首相がいくらデフレ脱却、実質2%、名目3%の経済成長を目標にし、日銀を利用してマイナス金利まで導入しても、それはうまくいっていない。それは時流を読んだら、今の人間社会の表面に見える人間の欲得の世界ではなくて、時代の動き、宇宙は今、何を人間に与えようとしているのかということを読んだら、安倍首相は逆をやっている。だから表面に見える社会現象をすべてとしそれに乗ることを止めなければならない。たとえ世間からは理解されなくても何か別のものを見て時代にのっていくことが大切。本当の流れは表面からは見えない海流が生み出しているのだから。



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氷山の奥、そして氷山を動かしている海流に目を向けることが大切になりますが、それを可能にするのが、目の前の出来事から自由となる余裕やゆとりだと思います。そして、余裕ということで言えば、3年前の6月、ジイジは僕について以下のように語っています。

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なかのんは真面目で一生懸命やっているが、もう少しそこに余裕があると、あの人は本当に徳を積んでいるねということなんだけど、一生懸命「この道だぁぁぁ」とやっていると、そこに余裕がないと、何とか一生懸命気合いを入れてそこを保っているという状態。

余裕がほとばしり出るような徳の積み方というものがある。



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この言葉を受けて、今思うことは、余裕がないと「道」ですら囚われの対象となるということです。たとえば、「執着をなくそうという志」が「執着があってはいけないという囚われ」となります。結局、「道」とは何か思い描いた理想の境地へと辿り着くことではなく、出会う出来事をそのまま潔くいただくことで変化し続ける過程なのです。宇宙が絶えず変化変容を繰り返すように、この「道」にも終わりはなく、常にプロセスの中にあります。




よゆう

カタカムナで見ると、「混沌、よこしま(よ)が揺らぎ(ゆ)渦(う)となっている」という感じでしょうか。これは一見ネガティブにも見えますが、「よ」は「世」、この世界そのものです。清濁併せ持ったこの世界を表していて、それが揺らいでいます。揺らいでいるということは固定しないということで、それもこの世界の法則そのものです。それが渦になっている状態、それが余裕(よゆう)で、「う」は星雲の渦巻きに見られるように万物発生の基本となっています。

このように見ていくと、余裕(よゆう)はこの世界のすべてを生み出すもので、余裕がないと新しい何かを生み出すことは出来ず、今あるものに追われるだけとなっていくのです。

混沌、よこしまが揺らぎ渦となっている

この一見ネガティブに見えるものを受け入れ、そこに向き合うことが余裕(よゆう)となり、そこから新しい何かが生まれるのでしょう。

徳積みも余裕がなければ、例えば使命感や義務感のようなものに追われるだけとなります。そうするとこの世界に新しい流れを生むことは出来ず、表面の出来事に右往左往することになるのでしょう。

この世界に本当の流れを生み出しているのは氷山の奥、海流です。余裕があるとその事実が見えてきます。そして、その流れと共にあることで、この世界に新しい流れを生み出すことが出来るのです。

ジイジから余裕を持つように言われてから3年が経ちました。

当時から比べたら、今の僕ははるかに余裕がありますが、これからさらに「混沌が揺らぐ渦・よゆう」と向きあい、余裕がほとばしり出るように徳を積み上げていきます。


混沌(4)の中に天の意志(5)を見出す





先日の大人ミーティングにて、カタカムナの「よ」と「ゆ」の思念についてみんなで深める時間を持ちました。「よ」の思念は僕の名前(よしふみ)の中にも含まれていますが、僕は3年前の10月、以下のような文章を書いています。

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僕の名前、よしふみ「よ()」は「4」であり混沌を表す思念です。

「よ」(4)は、「い」(5)の方に進めば、「よい」となるのですが、
「み」(3)の方に戻ると、「よみ(黄泉)」となり、死の世界に入っていきます。
「よ」はどちらにも転がりえる、混沌の中にあります。

「よ」がつく言葉を見ると、喜び、良い、淀み、汚れなど両義的なのはその表れでしょう。

自分の中には混沌がある。

それは確かで、その混沌が「相応しいものになっていく」や「空っぽへのあこがれ」で
描かれているような滞りを時々僕にもたらしてきました。

それは「いやなもの」に感じます。

ですが、思いは満ちた(3)後、混沌(4)の中で広がり、
意志(5)の元、この世界に位置(5)を得るのです。

混沌はこの世界に広がりをもたらすもので、必要なものでもあるのです。

「よ」を名前にいただいた僕は、自らの持つ混沌としっかり向き合い、
この世界に広がりと豊かさをもたらす役割をいただいているのです。

だから僕は混沌を愛する。

そう宣言し、混沌「よ」(4)の中に天の意志「い」(5)を見出し、
それらが描く未来を楽しんでいこうと思います。




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今、この文章をさらに発展させると、「よしふみ」の「し」は「示し」ですが、小円(〇)の位置は「い」と同じ位置で、同じような意味を持ちます。小円の位置で見ると、「よしふみ」は「4・5・2・3」となります。

よしふみ

混沌(4)を示して(5)震えて(2)満ちる(3)

にもなるし、

混沌(4)の中に示し(5)を見出し、増えて(2)満ちる(3)

にもなりますが、この違いはとても大きなものです。

混沌を示して震えて満ちたトキ、僕は以下のような状態になりました。

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中学校で勤めている時、僕は職員室の自分の机を蹴飛ばし、
そのままドアに向い、ドアを叩きつけて締めて、そのまま学校を離れました。
そして、道路を歩きながら、傘を叩きつけて、傘を壊したら、空から雨が降ってきて、
僕は濡れながら家まで5km歩いて帰りました。

僕はその頃、毎晩泣いていて、
人前でもきっかけがあると涙を止めることが出来ませんでした。

そして窓から飛び降りる衝動に襲われ、マグカップを人に投げつける衝動に襲われ、
心を静めるために一日に何回も屋上に行き、一人で佇んでいました。

なんか漫画みたいなバカな話。ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…

僕はそれぐらい自分の感情に翻弄されていました。

それはある意味、極端な精神状態への憧れでもあります。
忘我。自分を忘れるほどの熱狂、狂気。
僕の中にはその状態を求める気持ちがあり、
それが時に無理な行動に繋がり、自分を壊していきます。




☆彡 ☆彡 ☆彡

ですが、混沌の中の天を意志を見出すトキ、みんなで共に暮らし、その大事をこうして発信するようにもなります。どちらに転がる(9)かは紙一重。常に自分を離れ、心を天に向けることが求められています。

「よい」でも同様です。

混沌(4)の中に意志(5)を見出し位置(5)を得るわけですが、混沌(4)がそのまま意志(5)となり位置(5)を得ることもあり得ます。

例えば、今、経済発展は「よい」こととされていますが、それは人々をお金に依存させ、地球環境にも大きな負荷を与えることで世界はどんどん住みにくくなっています。これは混沌、渦巻く欲(4)がそのまま位置(5)を得たためだと思います。

4(混沌)は5(位置)へと進むことで「よい」となりますが、5(位置)へと進む意志(5)がどんなものによって、「よい」がもたらすものも大きく変わります。人々が欲望(4)のままに位置(5)を見出すならば、これからも「よい」とされることが世界に混乱をもたらしていくことでしょう。だから今、人々は自分を離れ、天の意志(5)に自らの位置(5)を見出す必要があるのです。

4+5=9、「9」は飽和安定(8)を超えて転がり出る思念であり、統合(10)という現象化をもたらす思念です。混沌(4)に位置(5)が加わることで、世界は転がり出し(9)、現象化(10)しますが、その要(カナメ)となるものが、意志(5)なのです。

明日、8月6日はアメリカが広島に原爆を投下した日です。大きな被害や悲劇、苦しみをもたらした原爆投下ですが、当時のアメリカ軍は「よい」ことしてそれを行いました。そのためアメリカの中には今でも「原爆投下は必要なことだった」という意見があると言います。それは意志が自らの視点に偏り、全体性を失っている証と言えます。

天に心を向け、天の意志に自らの位置を見出す。それは自分を離れ全体性へと心を開いていくことです。混沌の中に天の意志を見出し、この世界の光(ヒカリ)の一つ(ヒトツ)となっていこうと思っています。






出会う出来事を通して逞しく生きていく

昨年の8月1日、大人ミーティングにてジイジは以下のように話をしました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人間がお金や物に執着するのは
生きることの本当の意味を失っているからだ。
だから、それは死生観の問題だ。

今の人間は生きることの意味を履き違えている。


☆彡 ☆彡 ☆彡

そして、今年の8月1日、大人ミーティングにてジイジの以下の言葉が紹介されました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分の考えで人の話を聴いても、それは自我を育てるだけ。
自分を離れて人の話を聴くトキ、新しいことに出会える。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分の考えで人の話を聴かないように。

この言葉は昔からよくジイジに言われていましたが、昔は言われている意味が全然分かりませんでした。ちゃんと理解する必要があると思うから「考えて」聴いているのに、それが違うと言われ、混乱することがありました。ではなぜ、それが違うのかと言ったら「自我を育ててしまう」からです。

出会う出来事に反応し一喜一憂するのが自我です。そこからお金や物への執着も生まれます。自我を育てることは執着をもたらし、それは今の社会の行き詰まりにも繋がっています。

子どもの頃、出会う出来事や人からの話は世界を広げてくれました。新しい知識を得て、知らなかったことを知るようになり、それがそのまま「生きて認識する世界」の広がりに繋がりました。

大人になると、出会う出来事は今までの繰り返しとなり、自分の都合のよい話ばかりを聴くようになります。それは経験によって認識の枠組みが固まっているからであり、自我はその枠組みに基づいて反応し、枠組みを強めていくのです。

人間社会はずっとお互いの自我を育んできました。出来事に一喜一憂しながら、個人個人の幸せを追い求めることで、認識はどんどん凝り固まり、狭くバラバラになっていきました。その結果、お金や物、仕事やレジャー、成功や地位や名誉への執着が生まれ、生きることの本当の意味を失ってしまったのです。

このような中、心身の病や偏った生活習慣などの問題を抱える人が多くなっていますが、木の花ファミリーではそのような人たちに自然療法プログラム(通称:ケア)を提供しています。以下はケアの取り組みの中でジイジが語った言葉です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

出会う出来事は、環境も影響しますが、1番は本人の姿勢の問題です。親も完璧ではありませんし、親との間には意見の違いもあるものです。そういうことを対立や問題ごととして捉えることもできますが、それはある意味、困難な状況の中で自分を逞しくしてくれる要素でもあるのです。これからも人生の中ではいろいろなことがあると思いますが、それを生かしポジティブに捉えるように努力することが大切なのです。

~ ~ ~


ここで疑似体験をしてその延長で完璧に自信がつくということはありません。このケアの取り組みは70%、自分の今までのいろいろな癖やなぜこうなったのか、その理由に気が付くことです。それが分かって、その上でそれをどうやって改善し、次の新しい旅立ちに繋げるかということは、実際に新しいところへ踏み出してからです。それで力を身に着けることです。ここで出来ていることはここの環境、様々なサポートの中でのこと。本当の実力ではありません。


本当の実力は、自分の正直な心を出して、その上で返ってきたいろいろな出来事を通して、それをどう捉えて、どう前向きに進んでいくか、そういう中で本当の実力がつき、逞しい力となっていきます。それが生きるということです。


誰も明日の人生を読み解くことは出来ません。明日起きることが予定通りとは限りません。自分の予想を超えたこと、想像を超えた出来事が起きたトキ、その出来事は新しいコトに対する抵抗力を与えてくれます。そう思えば、その出来事は自分を育ててくれる有難い出来事です。そういうふうに物事を前向きに捉えたら、あれが駄目だった、これがこういう理由で駄目なんだということは思わなくなります。生きていれば難しい出来事に出会いますが、それらは一つ一つ向き合うことで自分の力がついて生きる希望となっていくものです。これがジイジのケアに対する考え方です。


行き詰っている人は、今までやり方が不器用だったから出来ない状態となっていますが、それがちゃんと出来るようになったら、その人流のいい人生を歩むことが出来ます。その人流というのは、今までたくさんの人のサポートをしてきたけれども、同じ人はいないからです。新しい事例を情報としてもらいながら、なんどもケア卒業の機会に出会うたびに、ますますこの大事をやらなければならないなと思っています。


今の世の中は行き詰った人たちをたくさん産んでいます。それは世の中にも原因があります。そして、本人たちは生き方が下手なのですが、そういう人たちの力になって、そして健全に生きてもらいます。その仕組みのからくりを世の中にフィードバックすることで世の中をよくするのです。とても今日は希望が湧いている感じです。


未来は常に未知です。まず一歩進めば、自分の考えていることと違うことが起きます。行く前から考え過ぎず、まずは進むことです。自分がどう生きるかは自分の人生の価値を付けること、自分が納得して人生を終われることが大切です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

新しく出会う出来事を通して、自分を育み、前向きに進んでいく。

ケアの取り組みでは、そのような姿勢を育むことで行き詰った人々が健全になっていきます。それは生きることの本当の意味を取り戻すことにも繋がります。

自分の利益、自分の立場に固執していると、意見の違いは対立や問題ごとに繋がっていきます。そのような中、人々は苦しみ、世界各地で、紛争や戦争、そして政治上の対立が生まれています。

今年の8月1日、人類は1年間で使える地球資源を使い果たしました。今、自分たちが使っている資源は未来の世代から奪っていることになります。「1年分の資源を使い果たす日」をアース・オーバーシュート・デー」と言いますが、この日は年々早まっています。物質的な利益を求め続けた結果、人類は困難な状況を迎えています。

ですが、困難な状況は自分を逞しくしてくれる要素にもなります。そのために必要な態度が自分を離れることであり、そのトキ、出会う出来事や人からの話が新しい世界へと繋がっていくのです。

変化変容がこの世界の本質です。宇宙の始まりから続く変化変容の物語の中で、人は生を受け、それを次へと繋げていくのです。そういう大きな視点の中で自分自身の価値を付けること、それが生きることの本当の意味です。人々が自分の利益や立場を離れ、困難を通して自分たちを逞しくしていったトキ、表面上の違いを超えた真の調和が訪れ、そのトキはきっと地球とも調和した暮らしを営んでいることでしょう。

そんな歩みを自分一人分、しっかりと刻んでいます。

木の花ファミリーのみんなです。




腹で落とし込んでから理解し、それを天へと還す

最近、こんな文章に出会いました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「いはおとなりて」

この部分の解釈にも、完全解釈まで
九つの段階があります。

ここでは、
解釈するための最初の基礎を書いておきます。

さらに深く読み解くための指標となるからです。

「い」は「お」となりて

とはどういうことか。

古代から言霊は、多くの霊的な力を使う時に利用されてきました。

そして、
言霊の配列の差異によって、
宇宙の構造から精神の構造までが大きく異なる影響が生まれてきます。

日本語の五十音には数多くの配列が知られています。
現在一般的な現代音図「あいうえおかきくけこ・・・」の他にも、
天津菅麻音図、
天津太祝詞音図、
宝音図、
布斗麻爾音図など
いろいろあり、

それぞれの図で示される宇宙観や仕組みは異なりますが、
各々に魂の学びに必要な意図が込められています。

例えば、
「いろは」の歌は、
神から人へ伝えられる神示であり、

「ひふみ」の歌は、
人から神へ捧げる祝詞です。

瞑想と祈りのような関係にあります。

「いろは」には
神からのエネルギーを調律する作用もあるため、
古来から唱える人も多く、
ほとんどの人には意味は理解できずとも大切に残されてきました。

「いろは」も「ひふみ」も
どちらの内容も深淵であり、
普遍意識から読み解く必要があります。

このように
言霊の順序を変えるだけで、
諸力に働きかけることが可能となり、
大きくその力を利用できるようになります。

現在のところ、
ことのは(言葉)、

言霊の真の力を
本当に理解する人はまだあまりいません。

だから「君が代」の真の意味も封印されてきたのです。

現代五十音図の「あいうえお」の順では、
魂の学びの場を作るために、
あえて
宇宙の理がストレートに人に伝われないよう意図的に工夫されてきました。

そして、
新しい世界では「あおうえい」で表される宇宙の摂理に沿った世界へと移行します。

「あいうえお」の
「い」と「お」が入れ替わると
「あおうえい」
になります。

これが
「い」は「お」となりて。

そして、
このエネルギーシフトは、、
宇宙だけではなく、
個人の霊的覚醒も照応しています。

ヨガでは、
霊体脊髄を通して生命エネルギーを昇華していきます。
この時に利用する言霊は、
「あおうえい」です。

ヨガでは
実際にこの音霊を
エネルギー昇華の時に利用する技法が存在します。

この順序でなければなりません。

この順序であれば
人は
人体の中で最も動的な生命エネルギーの一つである性エネルギーを
昇華することが可能となり、

それによって
高次の意識状態へと導かれます。

つまり
物質世界に重点をおいた「あいうえお」では、
エネルギーの昇華は出来ないのです。

エネルギーは
留まっていることはできません。

下に放出するか
上に昇華するか。

人も
宇宙も
「あいうえお」の順序から
「あおうえい」へと移行することで、
スムーズにエネルギーの昇華が起こります。

地球は、
今回の物質次元での大きなサイクルを完了すると
新しいエネルギー領域でのサイクルに入ります。

そこでは、
初級段階の学びを終えた魂たちが、
さらに新しい魂の進化過程に入ることになります。

すでに
霊的覚醒を促進させる光が地球に降り注ぎ始めていて、
それは次第に強さを増しています。

その光によって、すべての生命の波動が上昇し始めています。
この高次の光によって、
私たちの感受性は増していきます。

それによって
目が覚めはじめ、
視野が拡がっていき、
今までの古い制限された観念から脱却し、
新しい世界へと移行することが出来ます。

今までも何度も
霊的な光が地球上に注がれる周期はありました。

しかしながら、
今回は人類の霊的覚醒だけではなく、
地球の進化が同時に重なる地球始まって以来の特殊な時期に当たります。

地球は、物質界における波動までもすでに高まりつつあり、
長い年月に渡り蓄積された歪の浄化が
あらゆる面で表出しています。

ある一定の周波数を超えて波動が高まると、
地球はその表現媒体を物質からエネルギー体へと移行します。

「あいうえお」から「あおうえい」へ。

それを表現したのが、
「い」は「お」となりて

ここが、
君が代の核心部分になります。

そのエネルギーシフトの内容と法則は、
数字で表すと三三〇一四
で表わされます。

つまり
さざれいし
です。


☆彡 ☆彡 ☆彡

「あいうえお」で一番初めの「あ」はカタカムナでは「アウノスヘシレ」の「ア」です。「アウノスヘシレ」は「ヒフミヨイ」「マワリテメクル」「ムナヤコト」のあと、「ト」で統合したあとの最初の響きが「ア」で、これは高次の「ヒ(始原)」、高次の響きであり現象界の一番初めとなります。

愛(アイ)は「ア」の位置(イ)であり、だからこそすべては愛から始まる。

上記はジイジの言葉ですが、「ア」の位置をチャクラで見ると胸部、ハートの位置となります。以下、母音とチャクラの位置を紹介します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

鈴木俊輔著『御霊の法則』(徳間書店)によると
下のチャクラから順に「うおあえい」となっています。

次のように書いてあります。

①言霊「ウ」・・・会陰・仙骨(ムラダーラチャクラ)
②言霊「オ」・・・腹部(マニプラチャクラとスワディスタナチャクラ)
③言霊「ア」・・・胸部(アナハタチャクラとマニプラチャクラ)
④言霊「エ」・・・咽喉(ヴィシュダナチャクラ)
⑤言霊「イ」・・・頭部(アジーナチャクラとサハスララチャクラ)

また『アルファベットの事典』(創元社)によると

会陰部・・・ド・・・U 「ウ」
丹田・・・レ・・・O閉 「ウォ」
太陽神経叢・・・ミ・・・O開 「オ」
心肺・・・ファ・・・A 「ア」
喉・・・ソ・・・E 「エ」
第三の目・・・ラ・・・I 「イ」
頭頂部・・・シ・・・M 「ム」

となっています。


☆彡 ☆彡 ☆彡

あいうえお

高次の響きである「ア」がハートにやってきて、そのエネルギーが、頭部(イ)→会陰(ウ)→咽喉(エ)→腹部(オ)と移動していきます。高次の響き(ア)を頭で解釈し(イ)、それをそのまま落とし込み(ウ)、表現し(エ)、腹に収める(オ)。

こんな感じですかね。

そして、あおうえいは、

高次の響きである「ア」がハートにやってきて、そのエネルギーが腹部(オ)→会陰(ウ)→咽喉(エ)→頭部(イ)と移動していきます。高次の響き(ア)を腹で感じて(オ)、落とし込み(ウ)、表現したもの(エ)を頭で理解する(イ)。

こんな感じかなと思います。

「あいうえお」では、思考(頭部)という自我を経たエネルギーが最後、腹に溜まります。自我のエネルギーが行動(落とし込み)へと繫がるため、それは自分視点が強く反映されます。その結果、独りよがりになりがちであり、だからこそ、今の世界の混乱があるのだと思います。

一方、「あおうえい」では、まず腹で落とし込んだエネルギーが思考(頭部)を経て、頭頂から天へと還っていきます。ハートで受け取ったものを腹で落とし込んで天へと還すのです。自我は腹で落とし込んだものから学ぶのであり、そのエネルギーはそのまま天へと還っていきます。自我は学びの中で成長し調和的になっていく。それが「あおうえい」なのだと思いました。

「あいうえお」から「あおうえい」

そのエネルギーの動きの違いを意識し、まず腹で落とし込んでそこから学び、そのエネルギーを天へと還します。

カタカムナの5首6首です。







ただ出会う出来事を楽しんでいく(3)

先日、木の花ファミリーのみんなとクローズアップ現代「セックス・若者たちの本音~世界のミレニアム世代調査」を観ました。この番組は以下のように紹介されています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今、“セックス”の在り方を考えようと、声を上げ、行動を起こす若者たちが増えている。 その背景には、何があるのか?私たちは、世界の公共放送が連携した、ミレニアル世代(1834)の本音に迫るWEB調査「Generation What?(#なにジェネ)を用いて、100万人の若者のセックス観を分析。浮かび上がったのは、セックスに対し、戸惑いや不安を抱える日本の若者の姿だ。 「性的な欲求を持つことに罪悪感を感じて生きてきた」 「何が正解で何が不正解なのか、考えても分からない」 一方、北欧では、ポルノの影響を懸念した公共放送が「普通の人のセックス」の特集を組んだり、行政が若者のセックスの相談を受ける「ユースクリニック」を全国各地に設置するなど、社会を挙げて性教育に取り組んでいることも明らかになった。 勇気を出して声をあげてくれた若い男女の切実な悩みに、徹底的に耳を傾けながら、 「セックスのあり方」、そして「生き方」を考える。

☆彡 ☆彡 ☆彡

日本の若者の多くがアダルトビデオから性に関する情報を得ています。その影響があるからか、男性はアダルトビデオの真似をして、それが女性には不快なのに女性は正直にそのことを話せない。番組ではそんな事例も紹介されていました。

番組では一貫して性をオープンにしていくことの大切さを語っていましたが、性の本質には触れられず、表面的な話題に終始していました。こんな番組に対してジイジは概ね以下のように語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自然界の動物で性教育を受けているものはいません。ですが、立派に子どもを育てます。そして人間社会を見ても、教育が普及していなかった時代がありましたが、今ほど性が乱れてはいませんでした。だからこれは学校で教えないから・・・という問題ではないのです。心が美しければ、美しい性に出会います。心が汚れているから性が乱れていくのです。現代の人々の心はそれだけ汚れてしまっているということです。今の人々にはそのことがまったく見えていないのです。

性は陰陽からなるこの宇宙の根本原理であり、この宇宙のあらゆるところに性はあります。それは本来、神聖なものであり神事です。ですが、人々の欲の心がそれを汚してきたのです。番組では、性の本質には触れずにただ気持ちよさを求める言葉が語られていました。それはよこしまな心から生まれる言葉です。

近年、若者の性離れが報道されていますが、その影響で性産業は衰退しているとも言われています。人口が膨れ上がった今の社会において若者の反応は自然なものとも言えます。ですが、この番組では「気持ちがよいセックス」を語ることで若者の欲を刺激し、性産業を盛り立てようとしているようにも思えます。こんな番組を公共放送が流すのです。それが今の人々の意識を表しています。

ここでは性の本質、その大切が語られ、世の中に発信しています。この番組を見てその大切さを改めて感じました。

☆彡 ☆彡 ☆彡


木の花ファミリーで語られている性の大切さは「正しいヒメゴト・命を生み出す宇宙の根本原理~性と宇宙」に表現されていますが、ここではその一部を引用したいと思います。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「ヒメ」をカタカムナでひも解いてみると、「ヒ=秘か。ものの始まり」「メ=芽。目。まだ見えないところに広がりを持っている」ですから、ヒメとは、秘かに芽が出ていること。節分前のまだ寒い時期に、表面的には何も動いていないように見えても、土の中では秘かに芽が動き出しています。その命の芽吹きのことです。
女性のことをヒメと言います。それは、表面には見えていませんが、現象化するためにもっとも大切な存在だということです。

~ 中略 ~

見えないところで起こっている ──── 男と女が交わって、種を降ろし、命を生み出すのは、見えないところでやるでしょう?それを「ヒメゴト」と言います。
男女の交わりは命を生み出す宇宙の根本原理であり、とても神聖なものです。ところが現代は、それは後ろめたい、忌まわしい、隠さなければいけないものになってしまいました。なぜだかわかりますか?本来の性の意味を履き違え、欲望のままに人々は性を行うことにより、人々の中に、それは悪いものだという心が生まれたからです。ですから、それを隠すようになったのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

性の神聖さを人々の「欲」の心が汚してきましたが、それは性に限ったことではありません。性は宇宙の根本原理であり、あらゆるところに遍満しているものです。だからあらゆるものを人間の「欲」の心は汚してきたのです。では「欲」とは何か?ジイジは昨年のマヤの新年の際、以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

私たち人間は、生きている限り、この地球上で様々な出来事に出会います。人生の中で出会うことは、すべて私たちの生きた証であり、それまでの生き様にふさわしい結果として出会っているのです。今、世の中には、世界的な規模で解決策を見出せないようなたくさんの滞りがあり、それを何とか解決しようと世界のリーダーたちは模索していますが、その動きでは解決できないでしょう。なぜなら、どのような現象も、そこに生きる者たちのそれまでの生き様の結果として与えられたものですから、その現象を変えるには、それをもたらした人々の生き様を変える必要があるのです。その現象に出会った結果、それまでの自らの生き様がどのような結果をもたらすものであったのかを悟り、その生き様を変えていくことによって、自ずと、自動的に、その現象は存在する意味をなくし、消えていくのです。そこで、原因である生き様を変えずに、学びのない姿勢のまま、現象を追い求めていることを「欲」と言います


☆彡 ☆彡 ☆彡

近年、多くの人が自らの想いを叶えようと現象を追い求めてきたかと思いますが、その姿勢が世界を汚してきたのです。想いが叶えば、欲の心が膨らみ、想いが叶わなければ、未練を残すことになります。その響きが世界を汚してきたのです。

だから今、必要とされるのは出会う出来事をいただく生き方です。それが人に学びをもたらし、そこから人は成長していきます。性についても、思惑や願望から叶えるのではなく、出会う縁をいただくことで美しい響きのものとなっていくはずです。ここで「はずです」と書くのは、僕自身はそういう縁をいただいていないからです。それでも性は宇宙の本質だから、本質に基づいて語ればいいのだと思っています。

昨日はマヤ暦(13の月の暦)の新年でした。マヤの新年を迎えて僕は「銀河という大いなる基軸に自分を委ねる」と決めました(「今までの人類の感情を生きている」参照)。それに合わせて僕の表現もこれからどんどん変化していくことでしょう。

そして表現したものにふさわしいものであるように。心して生きます。

マヤ(13の月の暦)の新年の朝、木の花ファミリーのみんなと。




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