正義のメッキを剥がして本当の姿を見ていく

4月16日の10時56分に牡羊座新月となりました。今回の新月は天王星と並んで起きています。天王星は2011年3月12日、東北大震災の翌日に牡羊座へと移動し、今年の5月16日には牡牛座へと移動します。そのことについて、かとうゆかさんは以下のように表現しています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

天王星と牡羊座の新月。

天王星といえば、7年間牡羊座にあったわけですが、来月の中頃に牡牛座に移行し、ここから7年間牡牛座にとどまります。

この新月は、天王星の7年間のサイクルの総仕上げ。私たちは7年間かけて、「自分」というものに革命を起こしてきました。

「自分」の本来の持ち味や、情熱を阻害する全てから脱却しようと取り組んできた7年ではないでしょうか?

何のために生きているのか?

という問いから、

人間関係のリセットを行い、属する分野やカテゴリー、環境などから脱出する決意を持った人も多かったのではないかと思います。

「自分」を偽ったり誤魔化したり制限したりする、あらゆるものを取り壊していく革命を起こすような7年間。

ある人にとっては、間違ったルールで縛りを設ける古い体制の会社や環境に対して、No!を突きつけた実機もあるかもしれません。

しかし、壊すべきは自分。

古い体制の物を壊すのではなく、古い体制のものの中にいとどまり、自ら自由に生きる世界をクリエイションするためのチャレンジができない自分を壊していくことが重要です。

革命という言葉を聞くと、他者や社会に向けて改革を起こしていくイメージを持ちがちですが、自分の生き方が革新的であることでしか、社会を変えることはできません。社会を変えたり、誰かを救うことができる人は、自分を変え、自分を救った人だけです。手を差し伸べ誰かを救うために立ち止まり取り組むのではなく自分が率先して自己改革を進めることによって、同じように自分を救う自立した人への刺激を与えることでしか、人を本当の意味で救うことはできません。

自分でしか自分を救うことはできません。

自分が誰かを救うことはできない。

自分が自分を救う方法を体現して見せることならできる。

そこから目を背け、自分の人生へのチャレンジよりも、誰かの人生に意識が向いてしまうことを本気でリセットし、潔く、言い訳も、回り道もせず、自分の人生に本気で取り組むための決意を固めるのが、今回の天王星と重なる、牡羊座の新月です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

そんな牡羊座新月の夜、木の花ファミリーではいさどんからここで暮らす意味を再確認する話がされました。その話から僕が感じたエッセンスは以下の通りです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

生きることの目的は変化変容を繰り返すこの宇宙の流れに沿って生きること。木の花ファミリーの暮らしはその先駆け。一人ひとりの人生の意味は、流れに沿う中で明らかになっていく。そのために出会う出来事に心を開き、今までの自分が生み出したものとしていただいていくこと。環境と響き合って変化していく。そういう心を一人ひとりが創り上げて、みんなでひとつの世界を表現していく。

☆彡 ☆彡 ☆彡

変化変容を繰り返すことは今の自分を壊し続けることです。

ちなみに2010年12月、天王星が牡羊座に移動する少し前、僕は以下のような状態にありました。

☆彡 ☆彡 ☆彡 (2010年12月7日に書いた言葉)

メッキがはがれたのだと思う。困難からは逃げて、自分の都合の良いように解釈し、嘘をつき、びくびくして、いつも自分をみんなが忘れてほしいと願う。
自分は生きる資格のない人間で、本来なら死ななければならないけれど、死ぬことも許されない。だからもがき続けるだけ。そんなふうに思って生きてきた自分。
でも、ここ数年そんな思いは忘れていた。でも時々「しくしく泣いちゃう感じ」として出てきた。絶望感と無力感。僕はやり過ごしていた。
自分に別の人格を作り上げることで、最低人間の自分を超えようとしてきた。
そして、超えたと思っていた。でも、今、自分が噴き出してくる。
結局、僕が今までしてきたことはメッキを塗っていただけ。
剥がれてくれば、最低の自分が噴き上がる。
あの苦しみはもう味わいたくない。もうこのままぼーとして無気力に生きていたい。
そんな気持ちが湧き上がる。そうしたい。
でもそれはできない。僕はもうあまりにも木の花のみんなと関わりすぎた。
僕の心はもうすでに僕だけのものではない。
はじめからそうか。世界と僕は一つなんだから。
ここでの暮らしはその事実を分かりやすくみせてくれているだけ。

僕はこの地球に対して自分ひとり分の責任を負っている。だから投げ出さない。

☆彡 ☆彡 ☆彡

メッキの奥にある本当の自分にメスを入れ始めた瞬間です。そしてそれが出来たのは木の花のみんながいたから。みんながいたから自分の責任に気づくことが出来ました。みんながいなければ僕は自分が生み出す苦しみに埋没し投げ出していたと思います。

人は出会う出来事を通して自分を知り、出会う出来事を通して変化していきます。

それは自分の思考や思惑、想像を超えたもので、世界が人を生かし、世界が人を変えていくのです。大切なのはその流れに沿っていく意志を持つことです。

あれからほぼ7年。天王星が牡羊座にいる間にそんな意志を育んできました。その意志は生きる上での根本姿勢と言えます。

そして一昨日、陶芸小屋に行った時、興福寺の阿修羅像のチラシを見たことから阿修羅について知りたくなり以下のような文章に出会いました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

古代インドの神々を統率していた神は帝釈天といい、阿修羅(あしゅら)は統率されていた一神格です。

阿修羅には舎脂(しゃし)という娘があり、いずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていましたが、そうとは知らない帝釈天は舎脂を力ずくで奪い、凌辱しました。怒った阿修羅は帝釈天に戦いを挑みました。

一方、舎脂は、戦の最中にも関わらず、逆に帝釈天を愛してしまい、阿修羅はそのため更に逆上し、争いは天界全体を巻き込む大戦乱となりました。

このため阿修羅は復讐に燃える悪鬼とされてしまい、勝てる筈もなく敗れた阿修羅は天界から追放されてしまったのです。

ところで、阿修羅と帝釈天はどちらが正で、どちらが悪でしょうか。

阿修羅は我が娘を陵辱した相手を懲らしめようとしたのであり、帝釈天は他神の娘を陵辱したのですから、阿修羅は正しく、帝釈天は悪であるはずです。

しかし、阿修羅の娘である舎脂は帝釈天の正式な夫人となっていたにも関わらず、戦いに目を奪われた阿修羅は相手を赦す心を失ってしまったのです。

つまり、たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となってしまうという教えを読み取ることができましょう。

仏教では死後に生まれかわる世界を六道世界(天界・人間・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄)と説きますが、天界を追われた阿修羅は、正義を振りかざす妄執の悪鬼として人間界と餓鬼界の間に置かれたとされています。

地獄・餓鬼・畜生よりはましだが、復讐の鬼となっている姿は人間以下だという意味が込められているのでしょう。

興福寺の国宝・阿修羅像は有名ですが、あのお顔はどこか神経質そうな顔をしています。


☆彡 ☆彡 ☆彡

たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となる

これはとても大切なメッセージだなと思いました。人は正義に側に立つとそれで「善し」にして自分を見なくなります。ですが、その正義は絶対的なものではなくあくまで自分の視点から見た正義です。先日、アメリカ、イギリス、フランスが正義を主張しシリアを攻撃しましたが、ロシアは別の正義を主張しています。お互いが正義を主張した結果争いへと至っています。正義はメッキのようなものです。その奥には汚い心があるため争いへと至るのです。

今、世界は正義のメッキを剥がし本当の姿を見ていく必要があります。そしてそのためには出会う出来事と謙虚と向き合う必要があります。だから僕は一人分その実践をし続けます。それはきっと本当の幸せへと至る道となっていくことでしょう(^-^)

木の花ファミリーの暮らし(ウェルカムコンサート)です。


0 コメント:

Your left Slidebar content. -->