「金(かね)」
「か」はこの世界に遍満する微細な見えないエネルギー、そして「ね」は「根(ね)」、根源のもの、無限に広がる思念です。つまり「金(かね)」とは、この世界に時空を超えて無限に遍満している微細なエネルギーのことを現わしています。
ちなみにこの思念とは、宇宙の発生、発展、消滅に伴う「響き」のことであり、それは耳には聴こえてこないけれども宇宙空間に満ち満ちて鳴り響いています。その「響き」を人間の可能な発生に合わせて、48音の記号に定めたもので、言葉の定義とは違い、幅広い意味を包含しているのです。それは厳密に定義するのではなく、直観からのイメージを膨らませることで、そこに近づくことが出来る性質のものです。お金に関しても、その単音からイメージを膨らませることで、それがこの世界にどのように発生し、発展しているのかが掴めるのだと思います。漢字はその助けになっています。上記の「金(かね)」に関する記載はそんな方法による考察です。
この世界に時空を超えて無限に遍満している微細なエネルギー
それがお金です。
今村仁司さんが書いた『貨幣とは何だろうか』という本があります。この中で今村さんは、人間特有なものとして、墳墓と貨幣を挙げ、それらが死の観念に結びついていると語っています。この視点はとても面白いと思いました。
すべての生命は死を迎えますが、自らの死を意識して生きているのは人間だけだと思われます。そこに人間の独自性があります。「死」と向き合う方法が求められます。
木の花憲章世界観概要にも書かれていますが、この宇宙には「想い」のみが存在している地点がありました。その「想い」が圧縮して爆発し、相反するものが生まれました。相反するものは離れては惹かれあい、宇宙の振動(響き)を生み出しています。
生きることは死に近づくこと。
生命のその姿はまさに生と死という相反するものが離れては近づく(惹かれあう)姿でしょう。
離れたものが再び近づく。
そこには媒介となるものが存在します。それが墳墓であり貨幣であると考えられるのです。
それぞれ別々の存在としてこの世界に誕生した生物。個性を磨き際立たせることは、全体から離れることでもあります。ですが、無限に遍満している微細なエネルギーである「金(かね)」が、離れていく個を繋ぎ合わせるのです。
お金とは媒介物であり、それは関係性のあり方を現わしています。
とまあ抽象的なことを書いてきましたが、わけが分からないかもしれません。
そこでもう少し違う書き方をしてみます。
生と死、善と悪、光と闇など相反するものが存在するこの世界では、それらを再び近づける媒介物が必要となります。その一つがお金ということです。お金は人々を繋げるのです。ということはお金がどんな姿をしているかで、その世界の人々の関係性が分かるのです。
お金はニュートラルなもので、人々の心がお金を通した関係性を生み出します。
ということは、お金のあり方は自分自身の心を振り返る材料になります。
今、アベノミクスの是非が問われていますが、国民一人一人がアベノミクスという政策を通して、社会全体の心を振り返る機会となればよいのだと思っています。アベノミクスは簡単に書けば、通貨の流通量を増やすことで景気を活性化させようとする取り組みですが、そこに自然への配慮は果たしてあるのか?人々にとって何が幸せかについての検証があったのか?そういうことを真剣に考える機会とすることが大切だと思います。
木の花ファミリーの暮らしはそんな視点を持って営まれています。
木の花ファミリーに関わるみんな、そして世界を意識して、決算に臨みたいと思います。
「恵みいただきます」にてみんなで撮った写真です。食事の売上の背後のある姿の一つです。 |
カタカムナ的に「カネ」を解釈し、
返信削除売り上げからその背後の想いを感じる。。。
なんて素敵なんでしょう!
私には、文字面の奥にある「何か」を感じられるブログでした。
こんなのはここでしか書けないよね。
いつもありがとう。
まりねえ