中国における経済成長の渦と循環型経済の渦にも書いた通り、そんな中国でグリーンビルディングの実践をする25名の人々が木の花ファミリーを訪れました。この出会いはとても貴重で今日の大人ミーティングでいさどんは以下のように語りました。(僕の記憶で書くので正確でない部分もあるかもしれませんが・・・)
中国人にしたプレゼン資料から |
中国は共産主義の国だった。そこに資本主義が中途半端に入り変なことになっている。その中国が正常な状態に立ち返る。立ち返る先は共産主義ではない。それは天然循環法による暮らし。木の花ファミリーは今、中国と出会っている。それはまだ小さな渦かもしれないが、これからどんな未来が訪れるかとても楽しみ。
いさどんの話を聴きながら僕は思いました。共産主義は形で平等を現わそうとしました。そこには無理があり、文化大革命などの悲劇が起きました。一方、天然循環法は本質的な平等をもたらします。その実践をすることで木の花ファミリーはこれからの社会のモデルとなるのでしょう。
それでは本質的な平等とは何か?
木の花ファミリー憲章「家族・本質的な平等」には以下のように書かれています。
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木の花ファミリーは全体としてひとつのいのちを構成し、すべてのメンバーはその一部として欠かせない役割を担っています。性別や職種といった社会的な役割や能力の違いを超え、誰もが互いに対等であり、完全に平等です。
大自然の中で、すべてのいのちは互いに生かしあって存在しています。いのちはそれぞれの個性に応じた欠かせない役割を持ち、互いに対等です。一方、自我を持ち、自他を比較する人間の心は、本来平等であるはずの人々の関係に格差や支配をもたらしてきました。
そこから生まれるさまざまな問題を解決しようと、人間社会は法にもとづいた形式的な平等を作りだしてきました。しかし、こうした方法は、本当に人々の個性を花開かせ、平和な社会をもたらすのに十分なものでしょうか。
私たちは、人間が真の平等に至るには、いのちの本質を見据え、その姿にならう必要があると考えています。自然の営みをある限られた視点から見ると、そこは互いの生存をかけた競争の世界にも見えます。しかし、より大きな視点で見れば、自然はいのちのバトンタッチで成り立っており、すべては循環していることが分かります。その視点に立ったとき、人はいのちが持つ本質的な平等を見出すことができるのです。
私たちは不平等を生み出す心を日々の暮らしの中で見つめあい、手放すように心がけています。皆で語り合い、自らの心の枠を広げることで、他によって生かされ、他を生かす存在としての自分に気付くことができます。そして、自らの役割に対する自覚とともに、他の存在への感謝の心が育っていくのです。
あなたはわたし。わたしはあなた。つながりの中で生かし合うこの世界で、すべてのいのちはひとつであり、本質的に平等です。互いを尊重し、信頼しあう暮らしの中で、私たちの絆はいのちの本質に限りなく近づいてゆくのです。
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天然循環の暮らしにおいて、現象はそれぞれに相応しく与えられます。我欲に基づいて生きれば、それはそのまま自分に返り、滞りを生みます。我欲をなくせば、時の流れとシンクロし、物事がスムーズに進みます。現象はすべての人々に平等に与えられ、常に自分自身を教えてくれるメッセージとなります。どんな現象も有難くいいただくことで人は成長することが出来るのです。このような生活に中で自分を知り、みんなと一つになり時代と一つになっていくのが木の花ファミリーの暮らしです。
経済(富の流れ)もこのような暮らしの中で、循環しすべての人々を満たしていくでしょう。
中国が変わっていく。
どんな未来が訪れるかがとても楽しみです。
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