お客さまに提供したお料理です。 |
盛り付け準備をしています。 |
うどん茹でチームのみんなです。 |
会場の様子。飾りつけは木の花祭りの湯葢や切り草です。 |
外ではずっと木の花祭りの舞が行われていました。 |
最後にみんなで集合写真を撮りました。 |
今回の「恵みいただきます」のテーマは、1月31日(土)に開催される富士浅間木の花祭りに因んだものです。宇宙の秘密みかこのブログ「いさどんと鬼の面」に表現されているように、僕たちはこのお祭りをとても大切にしています。そして、今、みんなで祭りに向けて様々な準備をしています。
まっちゃんの書です。 |
自分という我から抜けて、みんなと共に書かせて頂くという気持ちで書いた時、書に魂が入った。
まっちゃんはこの時のことをそう話しています。
※詳細は、天然循環ボケまっちゃんの天然生活in木の花ファミリー「書と通しての学び」をお読みください。
そして、循環と変化によって成り立つ「ひとつらなりのいのち」にも書いているように、りょうちんは、金神さまの面を作成しました。封印が解かれ乱れた世を立て直す艮の金神(=国常立大神)の物語は、僕たちがずっと大切にしているものであり、金神さまと共に神人、天地が一体の「弥勒の世」を生み出すために僕らは心磨きをしています。今年から金神の舞が演目に加わることで、その精神を表現し、生きていく場となりました。
金神さまの面(作成途中です) |
舞というのは流れるように舞うものです。木の花祭りは、愛知県奥三河地方東栄町の花祭りに由来していますが、地元には言い伝えがあり、積み重ねてきたものがあります。それは、言葉を超えたものなので、もし、教えてもらった通りに舞ったとしても、本場の舞を実現することは出来ないのです。舞の奥には、その舞や所作が生まれた意味が隠されていて、それが個性となっています。追究していく姿勢が大切なのです。追究していく姿勢から「溜め」が生まれます。それは1%の違いですが、大きな違いをもたらすのです。
これは日常生活の姿勢についても言えることです。言われた通りにする。自分の役割を果たす。それで「良し」とするのではなく、世界を観察し、他者と繋がりもう一つ大きな世界を創っていくことが大切なのです。
ケア滞在者の日記をチェックするいさどん。 首のマフラーは6歳のなおが編んでプレゼントしたものです。 |
彼が今日、日記を発表したのは、僕の勧めを受けてです。僕が彼に発表するように伝えた意図はどんなところにあると思いますか?
その後、僕を含めた数名が発言をしますが、正解探しのような単発の発言になってしまい、場が締まりませんでした。そんな中、いさどんが再び話し始めました。
この場で、ホリスティックにまとめていく視点を提供出来る人が現れないか様子を見ていていましたが、出ませんでしたね。その原因を考えたのですが、6割~7割の人たちはこの話を聴いていませんでした。自分の発言する場ではないと決めて、もちきびの選別などの作業に集中していました。これだけの人数がいるので全員が発言するわけにはいきませんが、それでも、話題をみんなにとって大切な話として聴いていることが大切です。もしみんながこの話題を大切にしていたら、この場は自然と締まったはずなのです。発言をしない人も場を創っています。一人一人が見えないところでどういう姿勢をもっているか?それが「溜め」を生み出し、場を創っているのです。
彼は、確かに緻密に自分のことを観ていて大きな成長を遂げています。ですが、皆で真剣に場を創っていった時、多様な視点が生かされ、もっと豊かな成長に繋がっていくのです。
一人一人の生きる姿勢が、場の空気を創り、それがその場にいるすべての人に影響します。今まで多くのケア滞在者が場の力により癒され、成長し社会へ復帰していっています。ですが、まだまだ上記のような空気を創ってしまう現状が木の花ファミリーにはあります。一人一人が、自らの人生の意味、そして、この世界、宇宙の仕組みを真剣に追究し、一瞬一瞬を大切にしていくことで、より豊かな場へとこの場は発展していくことでしょう。
そして、この時大切になるのが、「のぼりの書を書いたまっちゃん」のように、自分という我から抜けることです。別の場面でいさどんは以下のように語っています。
人はすぐに忘れるものです。僕もテレビを観ていて、「これはいい情報だ」とその時は思うのですが、多くの情報は忘れていきます。人は五感を通して経験します。それは肉体に制限されていて、この世界の広さからすれば、ほんのわずかな経験です。僕たちは海の底にはいけません。マグマの中にも入れません。そして、空には、無限な宇宙が広がっていますが、僕たちはこの場から眺めるだけです。僕たちはほとんど何も知らないのです。ですが人間は、五感を通して感じたものを絶対だと思ってしまいます。そして、自分が最も自分を幸せに出来るという勘違いが生まれます。五感は僕たちが生きていく基盤であり大切ですが、それに囚われてはいけません。多くの人が、五感の刺激に囚われ、「自分が・・・」という気持ちに縛られ、自分から幸せを奪っているのです。五感から離れ、自分と向き合い、細かく見ていく。そんなふうに自分から離れられると、宇宙の知恵が入ってきます。「いただく」という心が育ち、宇宙の流れに沿って幸せに生きていくことが出来るのです。
みんなが自分を離れ、全体性を考えて真剣に場を創っていく。僕たちみんなが心掛けていることです。「恵みいただきます」もそんな日々の心掛けの中から生まれているイベントです。その豊かさをこれからも多くの方に味わっていただけたらと思っています。
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そして世界に目を向けると今、日本人2人がイスラム国によって誘拐され、日本政府に身代金の要求がされました。その後、湯川遥菜さんは既に殺害されたとの情報が流れ、イスラム国からの要求もヨルダンに収監中のサジダ・アルリシャウィ死刑囚の釈放に変化しているようです(Yahooニュースより)。残る後藤健二さんが無事に解放されるように具体的な対策を取っていく必要がありますが、それと共に、イスラム国がこの世界に存在する現実にも向き合う必要もあるのではないでしょうか?なぜなら一人一人の心が世界を創り、その世界がイスラム国を生み出しているからです。この現実を真剣に追究していくことにより、イスラム国が生まれない世界を創っていくことが大切なのです。
イスラム国が生まれる背景について、吉崎達彦さんの記事「テロと格差の2015年を考える」には、以下のように書かれています。
大きな戦争がなく、成長率も低い時代においては、経済的な格差が固定化しやすくなる。これにグローバル化が重なると移民人口が増え、宗教的対立から「文明の衝突」が起きやすくなる。結果としてテロ事件が発生したり、過激な「イスラム国」が勢力を伸ばしたりする……。
これが2015年の大問題であるとしたら、事態を解決するために大規模な戦争を起こそう、というのはもちろん論外なので、世界経済の健全性を保つためにどうやって社会の流動性を高めるかという視点が重要になってくる。
社会構造が経済格差を生み出している。それはその通りなのですが、その社会構造は一人一人の心が生み出しているものです。「人と自分を区別し、自分を優先する心」がより多くの富を求めるのではないでしょうか?ならば、「自他の区別をなくし分かち合っていく心」に育っていくことで経済格差はなくなっていくのではないでしょうか?「分かち合いの心」を育てるために必要なのが、自分を離れ、自分と向き合い、細かく見ていく姿勢です。
木の花祭りで表現される金神さまの世直しは、一人一人に上記のような姿勢を求めます。その姿勢が神人和合の弥勒の世を生み出します。今、多くの人々がこの世界の仕組みについて話し合っています。どんな仕組みにすれば、物事がうまくいくかを考えています。ですが、人々の心が「自分を優先」していたら、どんな仕組みも対立を生み出すことでしょう。心が変わらなければ、現実は今の延長で続いていきます。大切なのは仕組みを変えることではなく、人々の意識を転換することです。
「自分が・・・」という心から「いただく」心へ。
自分優先の心から分かち合いの心へ。
それは世界の幸せが自分の幸せになる生き方です。
世界で起きていることに目を向けながら、それが日々の営みと繋がっていることを意識し、自分と向き合い、一日一日を大切に暮らしているのです。そんな暮らしに興味がある方。2月15日(日)から3月14日(土)まで開催される「1ヶ月間の真学校」に是非、ご参加下さい。大きな気づきが得られること間違いなしです。
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