世界のお金がみんなのお金になるように。PART.2

3月16日、僕は「世界のお金がみんなのお金になるように」という記事を投稿しました。そして、その日の大人ミーティングでシェアしようと思い、プロジェクターを使いスクリーンに映す準備をしておきました。ですが、いざシェアしようと思った時、パソコンの操作が上手くいかなくなるという現象をいただき、みんなにシェアをすることが出来ませんでした。そして、話題は次のものに移っていきました。

僕の中には投げやりな気持ちが生じました。そして、しばらく胸が熱くなっていましたが、気持ちを静め、その現象を振り返りました。

農事組合法人の決算&税の申告、個人の確定申告と忙しい日々が続く中で、心を見ることがおろそかになっていた。だからこういう現象をいただき、心を揺さぶって貰えたのだと思いました。これはとても面白く有難いことで、自分を知り、気持ちを引き締めることが出来ました。

この日の大人ミーティングでは、2月15日~3月14日まで行われた「1ヶ月の真学校」の受講生アンケートをみんなで共有し、それに長い時間を使いました。

僕は自分のブログをシェア出来るようにあらためて用意をし直していたのですが、夜も遅くなってしまっていたため、ブログのシェアはせず、上記の振り返りだけをみんなに伝えました。

そして次の日。ブログのシェアについてどうしようか考えました。

流れではないのかな?とも思えたのですが、木の花の経済についてみんなで共有する機会になるので、やはりシェアしようと決めました。ところが、大人ミーティングを迎えた時、ミーティングの議題を書くホワイトボードからは、昨日僕が書いた「ブログシェア」の言葉が消されていました。そして、ファシリテーターから、「もうブログのシェアはいいよね?」と声を掛けられました。

「やっぱり流れではないのだな」。僕はそう思って「うん、いいよ」と返事をしました。

ところが昨日、僕のブログを読んだいさどんから「この内容はみんなとシェアするといい」という言葉を貰いました。ということで、再びシェアをすることにし、ホワイトボードに書きました。

昨日の大人ミーティングでは、一つの出来事に対して右往左往する一人一人のメンバーの心が話題になりました。それはブログのシェアを巡る僕の心の動きそのものでした。僕は流れに従っているつもりで状況に翻弄されていたのです。

結局、昨日もブログのシェアはしませんでした。というのは、みんなで木の花の経済を共有し深めるのは別の機会の方がいいように思えたからです。

読もうと思ったブログが読めない。

そのことを通して、僕は心に芯が通っていないことを再認識し、学びを深めることが出来ました。

すべての出来事を相応しく与えられる。

そのことを実感しとても面白くなりました。やるぞーと思いました(^-^)


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ところで、僕は木の花ファミリーに移住する前、公立中学校で事務職員をしていました。
県に採用されて、市町村立の学校で勤務していました。

そのため仲間と、
「県民のお金を給料としていただいている」
「市民のお金を使って学校を運営させていただいている」
と話していました。

でも考えてみるとそれは公務員だけの話ではないのです。
なぜならお金は以下のように世の中を流れているからです。

国民(県民・市民) →(税金)→ 国(県・市) →(事業委託)→  業者 
→(給料)→ 従業員(国民) →(税金)→ 国(県・市) ・・・・・

サラリーマンの給料も、自営業者の収入も、国や県、そして他の市民のお金だった時があるのです。それをあらわしているのが、「世界のお金がみんなのお金になるように」でも紹介している以下の図です。


みんながみんなのお金で暮らしている。

それがこの世界の姿です。

ですが、個人の意識が強くなりすぎると、そのことを忘れ、みんなのお金を自分のところに溜め込むようになり、争いが生じるのではないでしょうか?

困った時はお互い様。

そんな信頼関係があれば、経済援助ももっと純粋なものになって有効に機能するのだろうなと思います。そして貧富の差がなくなるのではなく、意味をなさなくなるのだろうなと思います。


☆彡 ☆彡 ☆彡


大人ミーティングでのブログのシェアが遅れています。でもそれはこんなふうにお金に対する考察を事前に深めておく機会になっています。それはそれでいいのだろうなと思っています。

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