今、7年目を過ごしています。
「7」はカタカムナでは「なる」、質的転換を表す数字。
人生の質を変えていく年。
ということでつらつらと思い浮かんだことを書いてみました。
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この豊かな世界では様々な願いごとが生まれる。
誰かを好きになったり、美味しいものが食べたくなったり、旅をしてみたくなったり。
願いが叶うことは嬉しいことだが、それは一時的なものですぐに次に願いが生まれる。
願いが叶って喜んだり、叶わずに苦しんだり悲しんだり。
それはそれで楽しく豊かな人生なのかもしれない。
でもそれは刺激と反応の繰り返し。
その奥に更なる幸せがあることを僕は知っている。
願いを叶えるために生まれたのではなく、願いから自由になるために生まれてきた。
願いから自由になって、個人的視点から離れる。
そしてこの世界の真実を知り、それと一体になる。
僕はそのために生まれてきた。
それは宇宙や地球と一緒に学び幸せを味わう生活。
そこに至るためにこの暮らしがあり日々心を磨いている。
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いさどんブログ『とんとんとんと超えていく』ではこの暮らし、この道を川の流れにたとえています。
流れに任せて、その時その時の風景を味わいながら、留まることなく流れ続け、最後に大海に至ります。大海に出たら、その一部となり、太陽の力(宇宙の循環システム)によって蒸発し、また宇宙を生きる種として再生し、地球に降り注ぎ再び川になっていきます。
大いなる循環の中で常に変化して生きていこうと思っています。
僕は川を流れていくと同時に山を登っていきます。 |
またこの道は山登りにたとえられることもあります。
頂上に至るまでにはいろいろなルートがあるけれども、必ず最後は一つの場所にいきつきます。
頂上をみんなと共有し、僕は僕の道(未知)を歩んでいきます。
登り続けて流れ続ける。
この相矛盾するように思える行動に矛盾がない世界。
それがこの世界。
僕は僕の道(未知)を登り続けて流れ続けていきます。
そして最後は大海の一部となり山の頂上から世界を見渡します。
いさどんブログ『いつか死を迎える時に』には以下のような記述があります。
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人が生きて、終末を迎えたときに問われるのは、「濁り」なのです。人生の内容のことは何も問われません。そこでは心の濁りだけが浮き彫りになり、自らの生きた結果として問われることになるのです。
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自分が大海へ至った時に、自分の濁りで大海を汚さないように。
本当の意味でそこに融け合うことが出来るように。
僕は自分の願いから自由になります。
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