思い通りにならないことに向き合うことで心が育まれる

思い通りにならないことは向き合うことで心を育んでくれます。そして心が育まれると思いもよらない出来事に出会い感動します。感動し嬉しくなると気が緩むものです。ですがこの時、気が緩んでしまうと思い通りにならないことに苛立ち心が貧しくなっていきます。そうするとせっかく積み上げたものが一気に崩れてしまいます。これでは元の木阿弥で人生は同じことの繰り返しとなっていきます。

思いもよらない出来事に出会うということはそれだけ価値のあるものになれというメッセージで、より責任が大きくなり心を引き締める必要があります。心を引き締めることで何が起きても心は育まれ続け価値を高めていけるのです。

クリスマスの日、木の花ファミリーでも12月のお誕生日会を兼ねてクリスマス会が行われ、みんなで楽しい時間を過ごしました。クリスマス会ではサンタさんから子どもたちにプレゼントが贈られますが、今年は僕にもプレゼントがありました。思いがけないことに胸が温かくなりましたが、翌日、子どもたちがプレゼントのおもちゃに使う電池を求めて僕のところに来て、数が足りなくなったけれども注文してある分がなかなか届かなくて何度も何度も確認に来る子どもたちがいたり、プレゼントのオーディオプレイヤーの使い方を調べて欲しいと言ってくる子の対応をしたりでペースが乱されました。

忙しいところ時間を取られてしまった。これはまずい!

という思いが浮かびましたが、冷静に観れば、多少仕事に遅れが出ただけのこと。大騒ぎをするようなことではありません。それでも、まずい!という思いが浮かんでくるのは自己主張で、その奥にはペースを乱されていることに対する負担感、もっとよく見れば苛立ちがあります。それを認識すれば、その感情を超えていくだけなのです。

子どもたちはただ喜んでいるだけだから、その喜びには気持ちよく応じたいものです。

仕事が進まない。まずい!

というのは責任感がある言葉のようにも聴こえますが、心の奥を観ればペースを乱されることに対する苛立ちがあり、それをきれいにカモフラージュしているだけです。

自らを分けると書く自分、そこから生まれる自我は自らを際立たせます。それは刺激に対する反応なようなもので、多くの場合、そこには冷静な判断は含まれていません。押されたら引きたくなるし、引かれると押したくなる。目的は自らを際立たせることあるから言うことがコロコロ変わるのです。人はそんな自我の動きをきれいごとでカモフラージュします。先に挙げた、仕事が進まない。まずい!というものもそんな心の動きの一つです。

自らの価値を高めることは自我から自由となることであり、だからこそ思い通りにならないことは向き合うことで価値を高めてくれます。思いもよらない出来事はそんな中与えられるご褒美のようなものですが、そこで自我が疼いたらまた元の木阿弥となるのです。

だから常に心を観察し続けることが大切です。

そんなことを思っていると、静岡新聞の社説が目に入りました。

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素手に棒を握り、はいつくばって砂浜をつついて進む。手応えがあると慎重に砂をのける。現れるのは円形の地雷。信管の抜き取りをわずかでも誤れば目の前で爆発。死と隣り合わせの作業に幼い面立ちのナチス・ドイツの敗残兵が当たる

ちょうど1年前に公開された映画「ヒトラーの忘れもの」。第2次大戦後のデンマークを舞台にナチスが海岸線に埋設した地雷の除去に駆り出された少年兵と、指揮するデンマーク軍の軍曹との葛藤を描いた。史実に基づくリアルな場面が胸に迫った

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ナチス・ドイツの敗残兵に地雷処理をさせる。それを命令する側には当然の報いという理屈があるのでしょうが、その奥にある心を見て超えていく必要があります。そうでないとお互いの正当性を主張しながらの悲劇が繰り返されていきます。先の記事はこんなふうに続きます。

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残念ながら、その悲劇は今も終わらない現実でもある。先日、非政府組織の連合体、地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)が発表した報告によると地雷や不発弾による2016年の死傷者は世界全体で8605人。うち8割は子どもを含む一般市民だった

地雷の中でも対人地雷は命でなくけがを狙って設計される。恐怖心をあおり救護に要するコストで敵を消耗させる。安価で大量に装備でき、いったん埋設されれば半永久的に作動し無差別に殺傷する。「悪魔の兵器」といわれるゆえんだ

廃絶を目指した対人地雷禁止条約(オタワ条約)ができて20年。130以上あった地雷保有国は半分以下まで減ったものの、なお地球上に残る地雷は数千万とも1億とも推計される


条約に米国、ロシア、中国などが背を向ける中、日本は地雷を廃棄し除去へ資金や技術的支援にも積極的に取り組む。道のりは長いが、まずは地雷全廃。そして核という非人道兵器も“人類の忘れ物”にしてはならない。



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人生は思い通りにならず人類は数々の悲劇を経験してきました。それに向き合う時、人類の心が育まれ、思いもよらない出来事、実現不能にも思える平和が訪れるのだと思います。地雷にしろ原爆にしろ自分の思い通りにしようとする心から生まれています。その思いにはそれぞれ正当性があるのでしょうが、軍拡競争となり歯止めが利かなくなっています。思い通りにしようとすると心が貧しくなっていきます。平和運動が対立に繋がるのも思い通りにしようとする心の表れです。だから自分の正当性の奥にある心を見て、それを超えていく必要があるのです。それはきっと日々の生活の中でみんながする必要がある実践で、その積み重ねが本当の平和へと繋がっていくのでしょう。

思い通りにならないことに向き合うことで思いもよらない出来事に出会い感動するのです(^-^)

12月お誕生日会&クリスマス会の様子です。


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