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生命は命(いのち)と書きます。「いのち」は別の読み方で「みこと」と読みます。「みこと」というものはこの国では神のもう一つの言い方です。いのちというものによって、いのちは巡り巡って変化します。減りもせず、増えもせずに。これは宇宙の実態ですが、つまり宇宙の実態が、いのち、「みこと」であり、神そのものであるということです。われわれもその中の一部です。だから生命=命=神。それはすべての生命の集合であり、宇宙そのものです。宇宙が神であり、生命である。そして、我々であります。
生命を循環するための役割、一つの繋ぎ。そして自分の中でも循環している。それが無限に縦糸と横糸で編まれてこの宇宙が出来ています。広大な宇宙から自分自身、素粒子のレベルまでこの仕組みが同じように出来ています。そうすると人間の生まれた目的ですが、一つは生命輪廻の中の役割ですね。それから魂輪廻の繋ぎをするための目的ですね。それが義務としての役割です。もう一つ、個という自分がいますね。夕べ、オバマ大統領の演説がありました。オサマ・ビンラディンの暗殺に成功したというものです。10年前の911というテロ。その首謀者と言われたオサマ・ビンラディンをアメリカが殺害したというニュースが流れました。夜中の12時に緊急声明を発表しました。その時にホワイトハウスに1000人以上に市民が詰めかけてみんなでUSAコールをしている映像が流れました。この光景が非常に不可思議なものに見えました。1国の長、大統領が自分たちに危害を加えた犯罪者を自分たちの軍隊を使って殺したということを誇らしげに発表したのです。なんか戦時中の大本営発表みたいではないですか?それを国民が「USA! USA!」と言って、誇らしげに集まってきて叫んでいるのです。それがこの地球上、人類の最も栄えた国の実態です。それが我々人類のリーダーです。どうですか?オサマ・ビンラディンにはオサマ・ビンラディンの正義があるのです、かつてアメリカは正義の旗印の元にたくさんの命を奪ってきています。地球がダークの星になって太陽系の中で唯一光らない星になっているその原因を作ってきたのです。それに対してオサマ・ビンラディンの正義がありました。これは対立の心からです。しかし、これを支持するところからは正義の行動なのです。そして今度は、国家がそれを殺したと言ってみんなでフィーバーしています。これが人類の実態です。
不幸な星、地球。不幸な生命、人類。
僕の中に葬式をしようとしたことによって出てきたイメージがあります。目をつぶると、雲があります。その雲は地球上の雲ではありません。宇宙の星の雲であり銀河です。そこは僕の故郷の星、銀河から生まれて今ここにいると認識しています。そこへそろそろ役割を終えて、自分の所属を戻そうかと思っています。最近またリアルな映像が浮かんできています。そこには地球があります。地球はまだ青くありません。随分昔の地球です。そして、その地球を取り囲む船団がいます。そこに僕は乗っていました。そして、かつてのこの星に銀河から訪ねてきました。その時に僕はプランをもってきました。たくさんの魂たちと一緒に。その魂たちは本当に調和の取れている魂で、今からこの地球上に降ろすフロンティアを夢見ていました。みんなで一致団結してそれを成し遂げようと。そして地球の表面を、我々の魂の受け皿になるように念を送りながら整備をして、一つ、二つと魂を降ろしていきました。その船団はキリスト教でいうノアの方舟のようですね。魂の種をいっぱい持っていて、それを一つずつ地上に蒔いていきました。そしてこういう星にしたのです。その目的は当初、大いなるものから頂いたものです。しかし、だんだん一つ二つと地上に降りていくうちに、地上での肉体を持つ経験が執着になってきました。そうすると、大いなるものに目的を貰って自分がいるということを忘れて、自らの目的を果たすようになります。そうすると地上に降りることが役割なのか地上に存在することが役割なのか分からなくなります。そのうちに地上に降りた魂たちは地上がすべてだと思うようになります。もともと自分の所属である上の世界、地球を託されている目的を忘れてしまっています。最初の船団が持ってきたプロジェクト、それを神界と言います。その時に降りてきた魂たち、きれいな魂たちは神々です。それが地球上に降りてくることによって、神々であること、「みこと」であることを忘れて、自分というもの(自我)に執着して今のような人々になったのです。まだ地球が青くない、3次元生命の受け皿になっていない時代の記憶が最近僕に蘇ってくるのです。僕はもともとは地球の魂ではありません。皆さんと同じで、銀河の魂であり、太陽系の中では地球所属の魂ではなくて、金星所属の魂なのです。金星というところは、僕の故郷で、非常にバランスの取れたところです。地球暦で金星の軌道をみますと、まったくぶれずに太陽の周りをきれいにまわっています。それが金星の姿です。1000年ほど前に、金星から物質的な生を受けてインドのヒマラヤに降り立ちました。そして、何回かの転生を繰り返して、今ここにいます。今回が1,000年の契約の最終章の役割で金星に戻るかなと思っていたら、どうもそうではないらしいのです。銀河を旅すると言う話。そんな記憶が今浮かんでいます。人間の生まれた目的、生きている目的、死んでいく目的というものを聞かれると、もう少し今の人間に近い形に表現するのかな?と普通の人は思いますよね。ですが、我々の今存在しているこの状態、これは今この肉体を形成していますが、これは光の変化したものであり、土の変化したもの。水の変化したもの、空気の変化したもの、風、空間の変化したものでもあります。そうしたものがこれを形成しているわけですが、宇宙には何か他から供給されることはありません。あってあるものが変化している状態です。あってあるものが変化し続けるものだから、その変化のところに現在という現象が現れているものは、あってあるものであるけれども、特定することが出来ません。瞬間瞬間に変化するものだから、なきてなきものなのです。それがこの世界の実態です。そして、人間はその中でいのちの表現を与えられていきているのです。
それからもう一つ。自分というものは、元は銀河から目的があってこの星に来ていて、そしてこのプロジェクトを請け負った魂たちです。そのことを忘れたものたち。忘れているのはどうしてかというと自我という我にまみれている状態だからです。我々はそれを思い出すために地上に降りてきています。そのカルマ(垢)を取り去って綺麗になって、本来の目的に目覚めてそれを推進する必要があります。それが生まれてきた目的、生きている目的です。死んでいくというのは、1回でそれが出来なければ、2回、3回と繰り返していく。生命輪廻を繰り返すということです。そこには個人というものはありません。ところが、我々にはここに生きている個人というものがしっかりあるわけです。オサマ・ビンラディンを殺して喜んでいたアメリカの大統領、国民。自分に近い側の喜びを喜びとしています。これは菩薩ではないですね。だから、当然仏にはなりません。それがアメリカという神、宗教を基盤として国家なのです。それが人類の実態です。明日、葬式を迎える僕が、なんのためにそれをするのかというのは、僕の目的ではありません。これは太陽系の意志表示であり、そしてその太陽系の意志表示を人類にもう一度呼び覚ますためです。生命というものは、自らのための生命ではなくてこの大きな生命の流れを繋ぐ、そして大きな生命の調和、ハーモニー、それを奏でるために一人一人がいるのです。そこには確かに1個の音がありますが、その1個の音は1個の自分のためにあるのではなく、全体で創るもっと大きな目的、調和のハーモニー、歌、生命、それを表現するためにあるのです。己を捨てなさい。そして大いなる側に立って、大いなるものとして目覚め、その役割を果たしなさい。もともとそういうものであったのではないですかということを呼び覚まします。この世界に問題ごとがあり、人々は問題ごとに出会います。この問題ごとは必ず自らに執着した時、不調和から起こります。ということは、調和に戻すため、そして喜びを表現するために、本来の目的に立ち返りなさいという意志、力が働いています。葬式前の最後の話として死生観について徒然なるままにお話ししました。
それからもう一つ。自分というものは、元は銀河から目的があってこの星に来ていて、そしてこのプロジェクトを請け負った魂たちです。そのことを忘れたものたち。忘れているのはどうしてかというと自我という我にまみれている状態だからです。我々はそれを思い出すために地上に降りてきています。そのカルマ(垢)を取り去って綺麗になって、本来の目的に目覚めてそれを推進する必要があります。それが生まれてきた目的、生きている目的です。死んでいくというのは、1回でそれが出来なければ、2回、3回と繰り返していく。生命輪廻を繰り返すということです。そこには個人というものはありません。ところが、我々にはここに生きている個人というものがしっかりあるわけです。オサマ・ビンラディンを殺して喜んでいたアメリカの大統領、国民。自分に近い側の喜びを喜びとしています。これは菩薩ではないですね。だから、当然仏にはなりません。それがアメリカという神、宗教を基盤として国家なのです。それが人類の実態です。明日、葬式を迎える僕が、なんのためにそれをするのかというのは、僕の目的ではありません。これは太陽系の意志表示であり、そしてその太陽系の意志表示を人類にもう一度呼び覚ますためです。生命というものは、自らのための生命ではなくてこの大きな生命の流れを繋ぐ、そして大きな生命の調和、ハーモニー、それを奏でるために一人一人がいるのです。そこには確かに1個の音がありますが、その1個の音は1個の自分のためにあるのではなく、全体で創るもっと大きな目的、調和のハーモニー、歌、生命、それを表現するためにあるのです。己を捨てなさい。そして大いなる側に立って、大いなるものとして目覚め、その役割を果たしなさい。もともとそういうものであったのではないですかということを呼び覚まします。この世界に問題ごとがあり、人々は問題ごとに出会います。この問題ごとは必ず自らに執着した時、不調和から起こります。ということは、調和に戻すため、そして喜びを表現するために、本来の目的に立ち返りなさいという意志、力が働いています。葬式前の最後の話として死生観について徒然なるままにお話ししました。
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今日、元号が令和(レイワ)となりました。レイ(=ゼロ)になって調和(ワ)を表現する。それが令和、これからの時代です。8年前、ジイジが語った言葉は正に令和の精神を表現しています。きっとこれからそれが現実となります。
テロや災害が多発した平成はひどい時代だったのかもしれません。ですが、平成は、「イワト(平=一八十)成る時代」とも言われていました。テロや災害は、人間の実態への岩戸を開いたのかもしれません。ジイジは先月、こんなことを語っています。
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一つの視点からすると、神様は不完全なものを創ることによって完全への道を示された。生命というものは動くこと、循環することが生命の表現、だから完成された状態でも、未熟でも、そこで止めておくというのは生命ではなくなる。神の実態は経路。神経。循環だから。そうしたら、その経路を移り行くこと、それが時空で宇宙の実態なのだから。そうすると、ひどい話が神の意思と言える。ひどい状態からスタートして、それを知って変化していくことが神の存在の顕れ。だからと言って、ひどいことやっても大丈夫ということではない。ひどい話という実態から進んでいくということ。そうでないと希望も喜びも生まれない。
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ひどい状態を知り、それと向き合い変化していくことに喜びと希望があり、その奥には神の意思が隠されています。それは神の経路であるこの世界を通して自我という自分をなくしていく旅路。令和の精神の表現なのです。
テロや災害が多発した平成はひどい時代だったのかもしれません。ですが、平成は、「イワト(平=一八十)成る時代」とも言われていました。テロや災害は、人間の実態への岩戸を開いたのかもしれません。ジイジは先月、こんなことを語っています。
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一つの視点からすると、神様は不完全なものを創ることによって完全への道を示された。生命というものは動くこと、循環することが生命の表現、だから完成された状態でも、未熟でも、そこで止めておくというのは生命ではなくなる。神の実態は経路。神経。循環だから。そうしたら、その経路を移り行くこと、それが時空で宇宙の実態なのだから。そうすると、ひどい話が神の意思と言える。ひどい状態からスタートして、それを知って変化していくことが神の存在の顕れ。だからと言って、ひどいことやっても大丈夫ということではない。ひどい話という実態から進んでいくということ。そうでないと希望も喜びも生まれない。
「煩悩をなくし絶対有へと至る道」より
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ひどい状態を知り、それと向き合い変化していくことに喜びと希望があり、その奥には神の意思が隠されています。それは神の経路であるこの世界を通して自我という自分をなくしていく旅路。令和の精神の表現なのです。
2019年4月28日、長野県大町の空です。 |
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