それぞれにふさわしい「頂き増す(いただきます)」がある

それぞれにふさわしい「頂き増す(いただきます)」がある

12月24日、木の花ファミリーではクリスマス会&お誕生日会が行われ、みんなで楽しい時間を過ごしました。この日、久しぶりにきょうこちゃんがギターを弾きました。子宮頸がんのため10月26日から12月12日まで48日間、病院に入院していたきょうこちゃん。一時は何度も生死の境を彷徨いました。そのきょうこちゃんが元気にギターを弾く姿にみんなで幸せな気持ちを味わいました。そんなきょうこちゃんの物語が木の花ファミリーブログに掲載されました。 「必死」とは「必ず死ぬ」と書く ~きょうこちゃんの「どこまでもいただきます」物語 きょうこちゃんと木の花楽団のみんな この物語にはたくさんの印象的なエピソードや文章が散りばめられていますが、今回は以下の文章を引用したいと思います。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 こうちゃんは「覚悟がないと、奇跡を起こそうという今までと同じ欲の延長になっちゃう。でも覚悟があって、いつでもいただきますという精神に至って初めて、奇跡を起こす側の立場になるのかなと昨日から思っていた。自分はどうかな?と思いながら」と言い、いさどんは「自分の想いを行動に移してみると、すべてつぶされていくでしょ(笑)。それでもう一回振り返ってみると、想っても仕方がなかったことがわかる」と言うと、こうちゃんは「輸血のことでも、輸血は1回だけだと言われて、僕としたら当然前回と同量くらい輸血するのだと思っていたら、前回の3分の1の500ccだけで、そこでひとつ外れたなと思ってさ。そうすると、自分の中に『あと1リットルくらい輸血してくれるだろうな』とか『なんでそんな話になったのだろうか』という想いが湧く。それで今日の夜中に500cc以上出血したものだから、どんどん手放していけということだと思った。自分では手放しているつもりでも、想いは湧いてくる。だから、一つ一つ現象が教えてくれている」と言い、わたしは「きょうこちゃんの魂が、きょうこちゃんが言葉では一時『すべてがありがたい』と言っても、『本当にあなたはすべてをありがたいと思っているのですか?』と問うてくれたのだと思った。だから昨日、『何かが違う』と伝えてきた。単に輸血して放射線治療を受けて、物理的に一時安定してそれでよかった、という浅いところではなく、魂の価値のことを教えてくれていた。ありがたいにしても、どんどん深みが増していく」と言った。 きょうこちゃんは「さらに自分の想いを本当になしにしていくというかね。いただいているつもりでも、まだいただいていなかったり、そういうことを日々学んでいると思う」と言い、こうちゃんは「本当に不思議だよな。だからといって、考えなくていいというわけではない」と言うと、いさどんは「それが生きているということだ。だから、生きているということは、あるものとコミュニケーションをとっているということ。この世界にはあるものというものがあるんだよ。秩序として、厳然たる不動のものがね」と言った。 さらにこうちゃんは「数日前から思っていたのは、どこまで行っても深くなる一方だから、どこまで行ったらということはとりあえず肉体を持っている限り、ない。感謝でもいただくでも、どんどん奥がある」と言うと、いさどんは「ということだ!わかったか(笑)。結論は何もわからん」と言い、わたしが「それがこの世界の実体だものね。人間にわかっちゃいけないんだよ」と言うと、こうちゃんは「生まれたときから死ぬときまでぜんぜんわからないことの連続だから」と言い、わたしが「生きているということはわからないことがわかるということ」と言うと、いさどんは「わかるを自分の側に置こうとするからいかんのだ。やはりいただいていく精神だ」と言った。 こうちゃんは「深いね。だって、探求してわかろうと思う想いがなかったら、ここには至らないしさ、けど・・・」と言うと、いさどんは「わかろうと思って、わかったら違うんだよ」と言い、もう言葉では表現できず、どうでもよくなる、という結論に至った。きょうこちゃんも「深いね!」と言い、いさどんは「生きていても死んでいてもいいんだよ。この間ここへ来たときは『死んでいる場合じゃないぞ!』と言ったけど、そんなことはどうでもいいんだよ」と言い、こうちゃんは「もしかしたら次の計画を先に練りだしているかもしれないし(笑)」と言い、いさどんは「『おまえ、こっちで手が足らんから早く来い!』と言われているかもしれない(笑)。それで行ってみたら、なんてことはない、こっちよりももっと親しい人たちがいたりしてな。『あっちに囚われている場合じゃなかった!これがわかっていたら早く来たかった!』ということになるかもしれない」と言い、皆で笑った。 最後にこうちゃんは「なかなか病院で笑っている人たちはいないよ(笑)」と言い、きょうこちゃんは「ほんと、ほんと!死ぬかもわからないけれど、面白い人生をもらっているなと思ってね。だって、この間せっかく血が入ったのに、もう全部出ちゃったもの!」と言うと、みかちゃんが「木花咲耶姫様のモットーは潔く生きて潔く散るということだからね」と言い、いさどんは「その散り際の美しさが木花咲耶姫の個性だ」と言い、皆で病室の窓から雪の王冠をかぶった美しい富士山を見た。きょうこちゃんは「一言では言えないけれど、良い時間だった!どこまで覚悟ができているかはわからないけれど、もう何度もそういう場面が来ているから、ある意味覚悟はできているなと思う。そこまで腹をくくっちゃうと、面白いな。ありがたいとかいただくことの深みを日々学ばせてもらっているな」と言い、いさどんは「ありがたいも深みがあるんだよ。『いただきます』だから、いただき(頂き)・・・頂上まである」と言うと、みかちゃんは「頂き増す!どこまで行っても頂きが増していくんだよ」と言い、こうちゃんは「登山に終わりはないってことだ」と言い、皆で拍手して病院を後にした♪ ☆彡...

みんなの中でよみがえり生きていく(2)

みんなの中でよみがえり生きていく(2)

12月18日(日)は月の一度の自然食レストラン「恵みいただきます」の日でした。メニューは12月ということで、★メリークリスマス・スペシャルプレート★でした。そして、僕は例年通りトナカイとなって売店でお客様をお迎えしていました。 「恵み」当日。サンタさんたちと記念撮影です。 クリスマスと言えば、イエス様です。僕はイエス様のお話については以下のように考えています。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 多くの人々に救いをもたらしたイエス・キリスト。イエスは処刑されますが、予言通り3日後に復活します。僕は常々、イエス・キリストの死と復活については、心の成長過程のモチーフになっていると思ってきました。イエス・キリストはすべての人間の罪を背負って磔(はりつけ)にされ、命を落とします。人間の罪とはすなわち「自我(エゴ)」だと思うのです。自我の元、人間は自らの欲望を叶えようとし、世界に働きかけます。その結果が今の社会であり、環境問題、経済格差、人種差別、民族紛争など様々な問題を生み出しました。イエスの死は、問題を起こしてきた自我の死を意味します。自我の死とは自意識を捨てることであり、自分視点を離れることです。その体験は人に恐怖を与えるのかもしれません。執着の感情が湧き上がるのかもしれません。ですが、自我の死、自意識を手放すことは人間に新しい可能性をもたらします。磔にされ肉体の死を迎えたイエス・キリストは、3日後に復活するのです。それはイエスの魂の復活であり、それ以後、イエスは人々の中で再生し、今も世界を見まもり続けています。人が自意識を捨てる時にも同じようなことが起こります。自意識を捨てる時、人は今まで囚われていたものから解放されます。その時、人は、自分(自意識)が知らなかった自分と出会います。思いもよらない感情や能力が湧き上がってくるのです。そしてそれは波動となって世界に広がり、人々の心に伝わっていきます。自意識の元、自分の中だけに留まっていた心、感情が動き出し他の人々の心の中に入っていくのです。そして、その心は人々の心の中で生き続けます。自分の魂が肉体を超えてみんなの中で生きていく。自意識を超えた時、そんな生き方が可能となるのです。木の花ファミリーの生活は自我を手放す生き方へとみんなを導いてくれます。多くの人と共に暮らす生活では、調和の心が何よりも大切になります。自分だけの都合で動くことは、軋轢が生じるきっかけとなります。毎日の生活の中で、現象を通して、自分を知り、自意識を手放していくことが出来るのです。そして、自意識を手放し空っぽになった自分の中には、みんなの心が入ってきます。個性豊かな人々の心によって自分が創られていくのです。こうなると成長の可能性は無限大となります。出会う人々、出会う体験が自分を創っていくのです。それがどんなものになるかは自分の想像をはるかに超えることです。人生はまさに道(未知)への旅です。わくわくします(^-^) 「みんなの中でよみがえり生きていく」より ☆彡 ☆彡 ☆彡 上記は2年前、2014年の12月に書いた文章です。文章を読んであらためてこの時期の自分の心がクリア(明晰)だったことを感じます。その後、2015年の夏から秋に掛けて自分の自我(エゴ)が浮き彫りになり、その後もいろいろありましたが、今はそれらの体験を活かし深みを持ってあの頃の明晰さを取り戻していると思っています。 ところで、僕は今年の8月いさどんから以下の言葉を貰っています。 ☆彡...

願いを叶えるのではなくただ探求していく

願いを叶えるのではなくただ探求していく

同じ法則が貫いている 第二次世界大戦中、レヴィ=ストロースはフランス軍兵士として戦場に赴きます。ある日、塹壕に入ってぼぉっと景色を見ていたところ、たんぽぽの花に目が留まります。そして美しい秩序を持つたんぽぽの花を見つめるうちに構造の考えを思いついたのです。自然界の秩序と人間の思考の秩序は本質的に同じではないのか。宇宙の運動の中から地球が生まれ、地球に生命が発生し、脳が創られ、そこに精神があらわれます。自然界の中から生み出される精神の構造と自然の構造。レヴィ=ストロースはどちらも同じ構造を持つと捉えます。そして、人間の精神を構造という視点で科学的に分析したのです。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 上記は、名著de100分『野生の思考』からの言葉です。人類学者のレヴィ=ストロースは未開社会と言われる人たちと共に過ごす中で、その社会に高度な文化を見出します。それは近代科学や合理的思考によって発展してきた欧米社会の奥にも共通して流れているもので、その構造を描き出し蘇らすことで人類の未来が開かれると考えていました。 言葉は違っても、木の花ファミリーでもいつも同じようなことを語り合っています。例えば、いさどんブログ「円が縁を紡ぐ〜人間からヒトへ」にていさどんは以下のように述べています。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 なぜ生命が生まれたのかというと、世界があるからだ。この世界は生命そのものであり、それを立証するために三次元生命が生まれた。その三次元生命の発生の元となっているのが縁であり、縁とはこの世界の秩序をつなぐもののことを言う。 〜 中略...

みんなの変化をいただいていく

みんなの変化をいただいていく

2年前の今日、僕は「みんなでみんなの人生を生きる」を書きました。そこではいさどんのこんな言葉を紹介しています。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 僕が他人について語る時、その人以上に詳しく語ることがよくあります。それは客観的な視点から語ることで、より深く多様にその人を描き出し、本人やみんなへ気づきをもたらしてきました。今、みかちゃんとなかのんが僕や僕の言葉について語っています。それは僕の言葉に新たなる彩りを与えています。切り口が変わり、多様な表現となっていきます。一人一人がこのように語りだしていくことで、ここの暮らしは新しいステージに移行し、より豊かな場となっていくでしょう。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 そしてほぼ1ヶ月前、僕は以下の文章を書いています。 ☆彡 ☆彡 ☆彡 魂は生まれてきて自分に相応しい肉体と出会います。そして、両親に出会い、身内に出会い、友や仲間と出会って行きます。その中で感情が育まれていきます。すべては相応しく与えられる出会いであり、その出会いを通して魂は自分を知っていきます。 僕たちの本来の姿は魂です。肉体や感情は相応しく与えられるものであり、それを通して自分を知る材料であり、だからこそコントロールすることが出来、その変化を通して魂も変化していくのです。...

真の信頼(神頼)関係を生み出していく

真の信頼(神頼)関係を生み出していく

農事組合法人やNPO法人、そして一人ひとりのメンバーと様々な存在によって構成されている木の花ファミリー。それぞれが独自にお金を管理していますが、意識の上ではみんなのお金と見なしています。どこにお金があっても一つの目的のために使われていくのです。「所有」という概念から自由となり世のため人のためにお金を循環させています。そのあり方を説明する時、「信託」という言葉が当てはまるのではないかと思いました。僕らはお金を信じて託されているのであって、所有しているわけではないのです。 僕は最近、信託という言葉をたまたま目にしたのですが、この言葉は面白いなと思いました。僕らの人生は神からの神託(信託)に基づいています。 神は人間を信じ、人間に自由を与え自らの計画を人間に託しました。 神託は信託。神は自らの計画を手放し人間に委ねているのです。そこに大きな愛を感じます。 そして、同時にパンドラの箱の神話についてもよく考えるようになっています。 「神々からのすべての贈り物」を意味するパンドラは、神々から「開けてはいけない」と言われた箱を持って人間界に現れます。そして、好奇心から箱を開けてしまいます。すると箱からは疫病や悲嘆、欠乏、妬み、憎しみなどあらゆる災いが飛び出しました。こうして世界には災厄が満ち、人々は苦しむことになるのですが、絶望に沈むパンドラに語りかける存在がありました。それが希望です。あらゆる災いが飛び出した後、箱の底には希望が残っていたのです。 パンドラの箱はこんな話ですが、好奇心から箱を開ける行為は、神の言いつけに背く行為です。それは神が人間に与えた自由から生まれる行為で、自我(エゴ)に基づくものです。自我(エゴ)に基づいて行動する時、人は人間の醜さに向き合うことになります。それは人間を知ることに繋がり、プロセスとしては大切なものかもしれませんが、いつか行き詰まりを迎えます。 最終的にトランプ氏が勝利したアメリカ大統領選挙では候補者はお互いに罵り合っていました。それが世界の最高峰のリーダー候補者の姿です。 イラクのモスルではISが民間人を人間の盾とし、多数の犠牲者を出しています。 そして、総人口2100万人の半数以上が難民となり、21世紀最大の人道危機と言われるシリア内線は未だに続いています。 今、世界では様々なニュースが流れていますが、それぞれ人間の醜さや悲惨さ、残酷さを表していて、人間社会の行き詰まりを表しています。まさに絶望的な状況と言えますが、絶望から希望が生まれるのです。絶望、自らの望みを絶つ時、人間の自我(エゴ)の動きが止まります。そこに出来事を受け入れる余地が生まれ、思いがけない出来事に出会うのです。それは神からの働きかけであり、希望へと繋がるものなのです。 希望、まれな望み。 それは自我(エゴ)を手放し、自らの思惑から離れた時、生まれます。 戦争、紛争、経済格差や飢餓、気候変動や環境破壊など。山積する問題に対して、様々な対策が練られていますが、多くが自我(エゴ)の思惑から生まれた自分都合のものなのではないでしょうか?自我(エゴ)からの行動は人間の醜さと出会います。このような対策が思うように進まないのはある意味当然と言えるのです。...

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