天に想いを返す

「僕は望み、願い、求め、喜び、苦しみ、怒り、痛み、考え生きていく」を読んだいさどんと以下のような会話をしました。



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宇宙おじさん(いさどん)
いさどん

 あの文章は評価を期待して書いたように思える。自分の体験からそのままするっと流れるように出てきた文章ではなくて、評価されようとして自分の持っている知識を組み立てた文章。でも、その評価から生まれるものは、逆にそんなものを評価してやるものかというものも生み出す。なるほど、と思う人もいるかもしれないが、そんなに大事にするものでもない。作っているものと自然に湧いてきたものの違い。あの文章はただの知識で生きたものではない。例えば、さちよ郷子ちゃん和子ちゃんの文章は、人の変化が現れていて、本当に生きた文章と言える。なかのんの文章は、まったく変化していないなかのんがただ一つのきっかけを利用して組み立てただけ。

なかのん

 自分としてはああいうふうに生きていこうという決心でもあったんだけれども・・・・

いさどん

 僕はこういうつもりだったと言うなら、それはそれでいいが、例えば、今、自分がこういう状態で生きている。その状態を突破したいと思っているならば、自分を突破する必要がある。その時に、自分はこう思うということを優先するのか?自分には見えないけれども人から見えるものを優先するのか?もし自分を突破したいならば後者だよ。

なかのん

 その通りだと思う。要は、僕は変わっていないということだよね。

いさどん

 いや、変わっているとか変わらないとかではなく、ただ癖が現れている。なかのんの文章には癖が出ていない時もある。

なかのん

 だから、心の状態が現れているということだね。

いさどん

 そういうのを自分で嗅ぐわけることが大切。

なかのん

 いや、僕の中ではあの文章は良く書けたなと思ったんですよね。その感覚が・・・曲者だなと。

いさどん

 そう、その書けたなというところに自我で出ていたんだよ。それが曲者。
要は自分のことでも人のことのように見える客観性と冷静さがあることが大切。
良いと思うことが曲者。その良いというのがどういう意味で良いのかを吟味する必要がある。

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思い返すと、「僕は望み・・・」を書いた時、僕は自分の成長の姿を思い描き、そしてそのレールの元に成長していこうとしていました。こういう時は、僕の自我(エゴ)は強くなっているのです。今までもそういうことはあったのですが、チェック出来ていなかったのですね。

想いは持ち続けるものではなくて、想いが湧いたら天に返していく。
それで想いがなくなるなら、それでいいし、大切な想いならば、湧き続けてくるでしょう。

それが基本姿勢で想いに執着していてはいけないのです。

そんな中、現象から自分を知り、学んでいく。

ただそれだけなのですよね。

僕はそんな毎日を楽しんでいます。



僕は望み、願い、求め、喜び、苦しみ、怒り、痛み、考え生きていく。

「ブラックバイトで学生生活が破たん」というニュース記事を観ました。

低賃金で正規労働者並みの義務やノルマが課せられる。
異常な長時間労働を強いられる。

そんな状態にあるにも関わらず、辞めることが出来ず学業に支障をきたしている学生がいて、それが社会問題になっているようです。そして、『ブラック企業経営者の本音』(扶桑社新書)の書評を見ると経営者は意図的に学生をはじめとする従業員をそのような状態に陥れているようです。

こんなニュースを観ると、「怒りで世界を平和にする方法」でのカイラシュさんの言葉、

ノーベル平和賞受賞者として奨励します。皆さん怒ってください。一番怒っている人が、その怒りをアイデア・そして行動へと変貌させられる人なのです。

がより力強いメッセージとして感じられるようになります。

「余裕がほとばしり出るような徳に積み方(後編)」で、僕はカイラシュさんのスピーチに触発されて、余裕から生まれる思いやりが怒りを偉大なパワーに変貌させると書きました。あわちゃんは、「余裕」というブログ記事の中で、「余裕」とは「客観性」であり、「世界観を広げながら自らを壊していくことから生まれる」と書いています。

そして、今日、お風呂の中で、あわちゃんと話している時、余裕とは覚悟なのだと確認しました。

何があっても受け入れる。
どんな自分も受け入れる。
何があってもこの道(未知)を歩んでいく。

そんな覚悟があれば、どんなことがあっても平静さを保っていることが出来ます。
そして周りの反応を気にせずに沸いてきたものを表現することが出来るでしょう。

僕は今日、一つ失敗に気づきました。

自動車の任意保険(フリート契約)からすでに廃車されている自動車を抜き忘れていたのです。
およそ24,000円無駄なお金を支払っていたことになります。
木の花ファミリーの暮らしでは、24,000円は大人1人1ヶ月分の生活費です。
それはとても大きな金額です。 

気づいた瞬間受け入れがたい気持ちが生じました。
でも、こんな失敗をするのが僕なのです。

今後の対策などいろいろアイデアはありますが、
何より大切なのは、この失敗が僕に痛みを与えてくれたことでしょう。

この痛みを感じながら、覚悟を深めていく。それが余裕に繋がるのだと思っています。

自分を離れ、広い世界観に立った時、怒りがアイデア、そして行動へ変貌していくように、痛みもアイデア、そして行動へと変貌させることが出来るのです。

冒頭で紹介した学生たちは、怒りや痛みが麻痺してしまっているのでしょうか?
なぜそんな状態になってしまっているのでしょうか?

みかちゃんの最新ブログ「あなたは、どんな地球を作りますか?」には以下のような記述があります。

影の権力機構、というものがあるようで、
長い歴史の中で、人間を馬鹿にしていく仕組みを作った。
つまり、人々をコントロールしやすいように
自分で考えないように、脳みそをつるつるにしておく事で
地球を支配しようという企み。

私たちは長い間、考えないように、自己責任をとらないように
洗脳されてきている。

メデイアは、この影の権力機構の支配下にあり、情報は操作され
洗脳の手段となって来た。
「娯楽、セックス、スポーツ、食」に興味が行くよう
人間の欲望を刺激し続け
私たちは、大切な事を考えないように仕向けられ、
人間たちは、見事にその企みに、はまっていった。

実際あの手この手で、心身共に弱体化していくよう、
念入りに仕組まれている。
みんな見事にコマーシャルに洗脳され
消費している。

お金も、食も、性も、みんなその支配下にある。

ブラックバイトの事例をみると、まさに上記のような現実が見えてくるように感じました。
今、一人一人が自らの意志が考え行動していくことが大切なのです。
そして、心の中にある「支配するー支配される」関係を超えて、みんなが独立した世界を創っていくのです。今、時代はそんな時代になっています。

「願いから自由になるために生まれてきた」僕は、ずっと望んでいたことがあったのですが、心を麻痺させることで、その願いから目を背けていたことに気づきました。普段、意識していなくても、その願いはあり続けて、僕は自由ではなかったのです。

だから僕は、その願いをとことん追求することにしました。今の自分はまだまだ囚われているのだから、だからその囚われを、そのまま表現し、学びを深めていくことにしました。

この世界にあるきれいごと。

それが心を麻痺させて、そして、脳みそをつるんつるんにしておくこともあるのではないのでしょうか?

きれいごとなんていらないのです。

降りてくる言葉と湧いてくるエネルギー。

僕は望み、願い、求め、喜び、苦しみ、怒り、痛み、考え生きていく。

このちっぽけな自分で、僕はすべての出来事を天の意志として受け入れ生きていきます。




余裕がほとばしり出るような徳の積み方(後編)

余裕がほとばしり出るような徳の積み方(前編)』の話に続けていさどんは僕に以下のように語りました。

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なかのんは真面目で一生懸命やっているが、もう少しそこに余裕があると、あの人は本当に徳を積んでいるねということなんだけど、一生懸命「この道だぁぁぁ」とやっていると、そこに余裕がないと、何とか一生懸命気合いを入れてそこを保っているという状態。

余裕がほとばしり出るような徳の積み方というものがある。

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余裕がほとばしり出るような徳の積み方。

徳を積んでいく時に「余裕」というものがとても大切になるようです。

そんなことを思っている時、ACE白木さんのFacebookページでノーベル平和賞受賞者カイラシュ・サティヤルティさんのスピーチ「怒りで世界に平和をもたらす方法」を見つけました。(ACEと僕との関係は、「不寛容な心と向き合う」をお読みください。)

カイラシュさんは、経済的理由で学校を去らなければならない友人、売春宿に売り飛ばされる奴隷の娘、カースト最下層の不可触民に対する差別や政治家の欺瞞などに触れて憤りを感じて来ました。そして、その怒りからアイデアを生み出し行動に繋げていったのです。そのカイラシュさんは、スピーチの中で以下のように語っています。

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エゴと利己心が渦巻く小さな殻の中に閉じこもっていると、怒りは憎しみ、暴力、復習、破壊に変わっていきます。でもその悪循環を断ち切ることが出来れば、その怒りを偉大なパワーに変貌させることが出来るのです。誰もが持つ思いやりで、この循環を断ち切れば この世界をよくするため思いやりを持って世界と繋がることが出来るのです。

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思いやりが怒りを偉大なパワーに変貌させます。
そして、その思いやりは余裕から生まれるのではないかと思いました。

ところで、いさどんは冒頭の言葉に続けて、周りにいる人たちのオデコをペンと軽く叩きました。
そして、僕にこう語りました。

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例えば、なかのんが同じ行動をしたら、どうなるか?
なかのんは狂ったと思うかもしれない。
それは日頃の行動で創っているものを変えていくということ。
別にこれをしろとは言わないけれども、新しい行動で常に自分壊しをしていくことだよ。

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この話を聴いていたあきちゃんは、僕の人格を変化させることは良いと思う。僕に気になるところがあると言いました。あきちゃんが電話をして僕にお願いごとをすると、すごく低姿勢で「はい」を3回は言うそうです。

そんな僕に対して、周りにいた人たちが電話応答のアイデアを出します。


 そんなもの出来る時にしか出来ねぇよ。

 わかったよ。やっとくよ。じゃあな。

 なにくれる?


色々な言葉の後、結局、真似することなくなかのん流の変化をしていくことが大切とアドバイスをされました。


そして、その翌日、さっそくあきちゃんから電話があったのですが、僕は「はい」と応じていました。まずはそんな自分に気づきました。そして、次に電話が来たら、「遊ぼう!」と思いました。
そんなふうに思っていると、またあきちゃんから電話がありました。

・・・が、またまた「はい」と応答している自分がいました。そんな自分がおかしくなり笑ってしまいましたが、もう一歩進める必要があるなぁと思いました。

そして、その日の大人ミーティング

理屈ばかりの言葉が続き、停滞している感じになっている時、

手を叩いて、 今、天からメッセージが降りて来ました。

と突然語りだそうと思ったのですが、自分を超えられずに結局出来ませんでした。

まだまだですね(-_-)ノシ・・・ハァ・・・


これは自分を離れ自分で遊ぶことだと思うのです。
そんな余裕が大切なのだと思います。
そんな余裕があると、怒りが生じた時も、それに翻弄されずに偉大なパワーに変わっていくでしょう。

日頃の遊び心が世界平和に繋がっていくのしょう。

もっともっと遊びたいと思います。

滑り台で遊ぶ木の花の子ともたち。同じ気持ちで人生を楽しもうと思います。










希望の光となるように。

19世紀、転換性障害(転換性ヒステリー)を患う女性の症例が多く観られました。それが20世紀に入って、女性が社会進出をするに伴って減少したという話を聴いたことがあります。

これは多くの女性が時代の流れを受けて、そのメッセージを身体で現わしていたと言えます。

今、ニートや引きこもり、鬱などが社会問題となっていますが、これらも時代のメッセージを現わしているのではないのでしょうか?


6月10日から木の花ファミリーでは、あわちゃん主催の希望の光プロジェクトが開催されています。

このイベントは、ニート・引きこもりも鬱も希望の光と銘打って開催されました。上記のように時代のメッセージを受けているニートや引きこもり、鬱の人々ですが、多くは時代の流れに無自覚に翻弄されている状態です。そのため苦しむことになるのです。

ですが、彼らが時代の流れを自覚した時、症状は改善され、喜びに満ちた人生を生きることが出来るのです。その生き方は新しい時代に求められるものであり、多くの人々の希望となるものなのです。

木の花ファミリーの暮らしは、現代社会の価値観からはかけ離れた暮らしです。
それは新しい時代に向けた希望の光となる暮らしです。
ここで暮らし人々がそのことをより自覚することで更なる光をもたらすことが出来るのでしょう。

一人一人が個性を発揮して希望の光となれるように。

みんなで話し合いながら、

『天から柱を立てる』ことの大切さ。

疑問を持ち追究し続けると同時に分からないものを信じることの大切さ。

などを確認しています。

今日はこのイベントの最終日です。

ユーストリームで配信をしているので、良かったら覗いてみて下さいね。



希望の光プロジェクト 第3日目(612日) 9:0012:00
 
上記時間帯に、下記URLにアクセスしてください。
(最初は真っ黒な画面が出ますが、少し時間を置くと表示されます)
 ↓

http://www.ustream.tv/channel/kibou-no-hikari





余裕がほとばしり出るような徳の積み方(前編)

『願いから自由になるために生まれてきた』僕ですが、つい最近、性欲が強くなってしまうことがありました。強すぎる望みは、こだわりとなり、僕から自由を奪います。困ったものです。

そこでとりあえずいさどんと話してみることにしました。以下、いさどんの言葉を紹介しますね。


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まずは普段から素直に自分の気持ちを出していることが大切です。
性欲があるならばあるで正直に表明して、ただ心磨きをしていればいいだけの話。
なかのんは普段、性欲があることを隠しているでしょう。
隠すことにより、その想いが解放されずに囚われやこだわりに繋がっているのです。

ここは完全に自由の場で、みんなが自由に振る舞うことが出来ます。
性に対する気持ちも当然、自由に表現できます。

とはいえ、当然秩序は求められます。だから僕はいつも秩序の話をしています。
性によって、その後、執着や所有、嫉妬が生まれるようならば、ここの人間関係が乱れてしまいます。そんなふうになってしまったらこの暮らしをいている意味はなくなってしまうでしょう。

だから心磨きが大切になります。心磨きをすることにより、余分な心をそぎ落としていく必要があるのです。

男も女も自分を磨き、見る目を持つ。

それが大切です。

男が男を磨いて「どうだぁぁぁ」とアピールをする。
それに対して、女が「まだまだだね」と応じる。
そんなふうにせめぎあってお互いを磨いていく。
そんな中、ここまで「磨いたならいいか」とみんなが認めた時、天が尊い魂を降ろす。

それが性の本来の姿なのです。
それが出来た時、ここに微笑ましい関係がそこかしこで生まれるはずです。
ここは本来、そういう世界を表現する場のはずです。

ただ、こんなふうに言うと、性欲を満たすために心磨きをするように捉えられてしまうが、それは本末転倒で、原点を思い出すことが大切なのです。

ただひたすらにこの道を歩む。それが原点で、そのために心磨きをしているのです。
性のことは他の多くのことと同様に、その過程で相応しく与えられるものです。

性欲など未熟があることは仕方がないことです。ただ未熟がある時にはいつも原点に帰ればいいのです。原点に帰れば、性欲を含めた自分の欲望などどうでもよくなるはずです。

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いさどんの話を聴いて、僕はとてもすっきりしました。

一番大切なことはこの道を歩み続けること。そのために心を磨き、精神性を高めています。

精神性を高める。

それは僕にとって一番の望みで一番の喜びです。ただただ心を磨き続けます。

そして性欲は他の望みと同様に素直に表明して叶うか叶わないかは流れに委ねていればいいのです。

例えば、僕が「どうだぁぁぁ」と言ってアピールした時、女性に「まだまだだね」と断られたとします。
それは更なる心磨きへと僕を導くエールとなります。それは僕にとって喜びです。

例えば、僕が「どうだぁぁぁ」と言ってアピールした時、「ここまで磨いたならいいか」と認められたとします。それも僕にとって喜びとなります。

どちらにしても喜びにしか繋がらないです。
だから僕はわくわくドキドキしながら心磨きをしていればいいのです。
とても単純な話ですよね(^-^)


木の花ファミリーのみんなです。






太陽や水と遊ぶ

今日は山中湖までお弁当配達に行って来ました。

そこで「せっかく山中湖まで行くのだから太陽と遊んでこよう」と思いました。

「太陽と遊ぶ」と言ってもただ温かい日差しの中、散歩をするだけなのですが・・・

同じ散歩でも「太陽と遊ぶ」と表現すると、
なんだか楽しい気分になって宇宙との繋がりも感じられるのです。

山中湖と富士山です。

山中湖の太陽です。



最近つくづく自分は不満が多い人間なんだな~ということを思います。

例えば、木の花ファミリーに暮らしていて、僕は経理をはじめいろいろな仕事をさせてもらっているのですが、油断すると「こんなにたくさんのことやっている」という想いが浮上します。そして、この想いは「自分にしか出来ない」という傲慢な心を生み出し、現状への不満、敷いてはみんなに対する不満に繋がっていくのです。

敢えて言ってしまえば、昔の自分は、不満を抱えるために仕事をどんどん引き受けていたのです。
仕事を引き受けるのも、不満を抱えるのも両方ともみんなに対するアピールなのですよね。

まず仕事を引き受けることで、自分はこれだけ仕事をやっているとアピールします。
ですが、その仕事を淡々とこなしていると誰も気にしてくれません。
そこでいっぱいいっぱいになるまで仕事を引き受けていきます。
そして少しずつ「もうこれ以上出来ない」という不満を表現していくのです。
不満を表現すれば、みんな注目してくれるので。

きっと失敗も同じようにして生まれることがあるんだろうなと思います。

何かにチャレンジして実力不足で失敗する。

それは意味のある失敗で、その失敗はきっと次に繋がるでしょう。

ですが、注目されたくてする失敗もあるのではないかと思います。
失敗すれば、みんなが注目してくれますからね。

成功することでも注目を集めることは出来ます。
ですが、成功ではなく失敗するのは、成功を続けるのが難しいからでもあり、神さまの優しさでもあるのでしょう。なぜなら、成功し続けてしまうと傲慢な心が育って、人からどんどん切り離されていってしまうので。

なんにせよ、不満を抱えるのもアピールのために失敗するのも無駄なエネルギーです。
そんな無駄なことに心を奪われないためにも、いつも太陽と遊ぶようにしているのです。
そうすると楽しくなって人から注目を集める必要なんてなくなりますからね。

山中湖では太陽だけではなく水とも遊ぶことにしました。
びちゃびちゃ音をさせながら、湖畔を歩くのはとても気持ちがよかったです。腕をまわして渦を作りながら、カタカムナの5首と6首を奏上しました。

そして、ベンチに寝っ転がって、のんちゃんが持たせてくれた米粉パンのサンドを美味しくいただきました。木漏れ日がとてもきれいでした。

こんなふうに過ごしていると今まで以上の仕事量を楽しくこなしていけるから不思議ですよね。


マーマレードとバターがサンドされた米粉パンです。
ベンチからの木漏れ日です。

今、世界の各地で戦争や紛争が起きていて、日本の国会では安全保障関連法案が審議されています。「武力が必要=危険な世界」だと思うのですが、武力で安全な社会を実現しようとしているようです。

このような争いの根にも「自分を知ってもらいたい」「注目を集めたい」という心があるように思えます。国の体面を守るとか・・・。平和な世界を実現したいのなら武力なんて本当に無駄なエネルギーなのに、世界各国はまだそれを求めているのですよね。

ただ純粋に今この瞬間を楽しむことが出来れば、そんな無駄なエネルギーは必要ないのだろうと思います。

今、この瞬間を味わい楽しむこと。

それが出来れば、きっとこの世界から争いはなくなり、鬱や引きこもり、ニートもなくなっていきます。

今、あわちゃんはそんな取り組みをはじめイベントを企画しています。

 → 『ニート・引きこもりも鬱も希望の光 ~ 初めの一歩が未来と創る~』

そして、その想いを歌にしています。 → 『スーパーニード』 

あわちゃんは木の花ファミリーの自然療法プログラムで自分を取り戻し、上記のような企画をするようになっています。自然療法プログラムは、今まであわちゃんだけでなく、多くの人に自分を取り戻す機会を提供して来ました。そこには、万人にとって必要とされる生きるヒントが詰まっています。その自然療法プログラムについて、6月7日(日)、千葉県船橋市にて紹介されます。

 → 出張木の花塾「人は変われる~宇宙視点の自然療法」第2弾!

これはシリーズの2回目で前回の参加者から「もっと聴きたい」という声が続出しています。
※講座の様子は以下のページから観ることが出来ます。

   「人は変われる~宇宙視点の自然療法」①
   「人は変われる~宇宙視点の自然療法」②
   「人は変われる~宇宙視点の自然療法」③
   「人は変われる~宇宙視点の自然療法」④
   「人は変われる~宇宙視点の自然療法」⑤
   「人は変われる~宇宙視点の自然療法」⑥

自然療法プログラムは一人一人に心磨きを促していきます。
心を磨く喜びと豊かさを多くの人と共有していきたいなと思っています。
是非、出張木の花塾にご参加下さいませ。






願いから自由になるために生まれてきた。

5月20日で僕の木の花ファミリーでの暮らしは丸6年となりました。
今、7年目を過ごしています。

「7」はカタカムナでは「なる」、質的転換を表す数字。
人生の質を変えていく年。
ということでつらつらと思い浮かんだことを書いてみました。


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この豊かな世界では様々な願いごとが生まれる。
誰かを好きになったり、美味しいものが食べたくなったり、旅をしてみたくなったり。
願いが叶うことは嬉しいことだが、それは一時的なものですぐに次に願いが生まれる。
願いが叶って喜んだり、叶わずに苦しんだり悲しんだり。
それはそれで楽しく豊かな人生なのかもしれない。
でもそれは刺激と反応の繰り返し。
その奥に更なる幸せがあることを僕は知っている。

願いを叶えるために生まれたのではなく、願いから自由になるために生まれてきた。

願いから自由になって、個人的視点から離れる。
そしてこの世界の真実を知り、それと一体になる。
僕はそのために生まれてきた。

それは宇宙や地球と一緒に学び幸せを味わう生活。

そこに至るためにこの暮らしがあり日々心を磨いている。


☆彡 ☆彡 ☆彡


いさどんブログ『とんとんとんと超えていく』ではこの暮らし、この道を川の流れにたとえています。
流れに任せて、その時その時の風景を味わいながら、留まることなく流れ続け、最後に大海に至ります。大海に出たら、その一部となり、太陽の力(宇宙の循環システム)によって蒸発し、また宇宙を生きる種として再生し、地球に降り注ぎ再び川になっていきます。

大いなる循環の中で常に変化して生きていこうと思っています。


僕は川を流れていくと同時に山を登っていきます。

またこの道は山登りにたとえられることもあります。
頂上に至るまでにはいろいろなルートがあるけれども、必ず最後は一つの場所にいきつきます。

頂上をみんなと共有し、僕は僕の道(未知)を歩んでいきます。

登り続けて流れ続ける。

この相矛盾するように思える行動に矛盾がない世界。

それがこの世界。

僕は僕の道(未知)を登り続けて流れ続けていきます。

そして最後は大海の一部となり山の頂上から世界を見渡します。

いさどんブログ『いつか死を迎える時に』には以下のような記述があります。

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人が生きて、終末を迎えたときに問われるのは、「濁り」なのです。人生の内容のことは何も問われません。そこでは心の濁りだけが浮き彫りになり、自らの生きた結果として問われることになるのです。

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自分が大海へ至った時に、自分の濁りで大海を汚さないように。
本当の意味でそこに融け合うことが出来るように。

僕は自分の願いから自由になります。


すべての土台は心磨きにある!

1週間ぐらい前、富士山を前にしてジャンプしながら腕を振り回していたら、肩が筋肉痛になってしまいました(-_-;)。余分な思考を振り払いたくてやっていたのですが、思い切り振り回し過ぎました・・・。

筋肉痛は予想外の事態ですが、これからも時々なこんなことをしようと思っています。
余分な思考から自由になって目の前の出来事に開かれているように。(^-^)。

早朝の富士山です。


ところで、16日~17日に掛けて池田志朗さんと勝芳邦さんが木の花ファミリーを訪れました。17日の午前中、僕はお二人を施設&圃場見学にお連れしました。

木の花ファミリーでは自給用に醤油を作っていますが、まずはお二人に醤油樽をお見せしました。ちなみに醤油作りの工程は簡単に書くと以下のようになります。

炒った小麦を挽き割りにして、種麹を混ぜたものに冷ました蒸し大豆を混ぜ合わせ、4日間ねかせます。そうするとモスグリーンの美しい麹が出来きます。それに水と塩を足して、毎日櫂入れをし、ふた夏越したものを絞ります。※詳細はやすえどんのFacebookページをご覧ください。

醤油のもろみです。
醤油樽に入っているもろみを見ながら、池田さんは以下のような話をして下さいました。

醤油樽と呼んでいますが、このように天井が空いていて、蓋が置いてあるだけのものは桶なのですよね。樽というと完全に密閉したもので、運搬に使用したり、ワインのように密閉した状態で長期間貯蔵するものに使用されます。醤油を醸造させているこれは桶なのです。

桶はに開かれています。醤油の醸造室は、桶から微生物が飛び出し部屋全体が微生物でいっぱいになります。それはそれは特別な空間を創り出します。そして桶自体にも微生物が住みつきます。桶に種麹を入れた段階では、微生物の種類は20種類ぐらいなのではないでしょうか。大手企業の醤油は、温度調整をして2ヶ月で醸造させてしまうので、微生物の数はそのままです。ですが、木の花のように桶でふた夏越したものは微生物の数がおそらく2000種類ぐらいに増えています。そのため味の深みは5倍になります。ここの醤油は本当に美味しいですよね。

そして桶は使いまわしをしますが、大切なのは桶を乾かさないことです。水分を含んでいると桶に含まれる微生物は死ぬことがなく次の醸造へと引き継がれていきます。そして、そこで醸造される醤油の味はどんどん深みを増していくのです。

天に開かれた空間の中で微生物の働きにより小麦や大豆から醤油へと変化し循環していく。木の花の醤油作りは、まさに天然循環と言える取り組みですよね。

カタカムナに出会うことによって、僕たちはこの暮らしを天然循環と呼ぶようになっています。池田さんはそれを別の切り口で表現して下さり、とても面白かったです。


その後、僕たちは鶏舎を経て、ナスやキュウリなど夏野菜が植えてある畑に移動しました。お二人とも畑を見て、その空気の清々しさ、そして整然と植えてある作物の姿に感動して下さいました。その上で池田さんは以下のような話をして下さいました。

夏野菜が植えられている畑です。


燕麦やソルゴーの漉き込み(すきこみ)や敷草などを炭素資材と言いますが、それは正確ではないのです。炭素よりも重要なのではむしろ珪素(けいそ)で、もみ殻や落ち葉は珪素が豊富に含まれています。作物は、光合成によって、炭素を大気からも取り込むことが出来ますが、珪素については落ち葉などの資材を投入する必要があるのです。

水晶は二酸化珪素が結晶化したもので、それは人の心と影響し合います。どんな気持ちで作物に関わるかが大切になるのです。例えば、欲の心から関わると、作物は成長しません。そうすると多くの人は窒素を投入します。窒素を投入すると窒素過多になり虫が発生します。欲しい欲しいと思う気持ちが悪循環を生み出しているのです。ですが、純粋な心で作物に接するならば、珪素はその心に反応し、作物はすくすくと育っていくのです。

僕たちは今、作物が持つ本来の響きを響かせることを大切にし、自らの心をきれいにして作物と向き合うことを心掛けています(天然循環法)。池田さんのお話を聴いて、珪素はそれを裏付ける元素だと思えました。
※天然循環法については『木の花ファミリー通信Vol.80』をお読みください。

生命活動を維持するために必要な農作物ですが、その土台は心磨きによって成り立っているのです。そして、心磨きとは日々の一つ一つのことを大切にし、自らの立場を手放していくことです。

小学校4年生のきよは、心磨きについて以下のように語っています。

『心をきれいにすること。みんなと、話し合ったり、伝え合ったりして自分を見ていくこと。あと無農薬とかの正しい食べ物を食べること。正しい食べ物を食べると心がきれいになるんだよ。』

続けて毎日を気持ちよく過ごす秘訣として以下のように語っています。

『いっぱい働いたり、体育で運動したりして、全部のエネルギーを全部使った日はいい日。だらだらしちゃった時はつまらない日なの。朝起きてエネルギーをありったけ使いきって、疲れて眠ってまた、エネルギーがたまってそれをまた使い切る!そんなふうに過ごせた日はいい日だよ!』

こんなことを語るきよと共に暮らせることはとても幸せなことです。

きよだけでなく木の花の子どもたちは本当にたくさんのメッセージを大人に知らせてくれます。例えば、天然生活in木の花ファミリー『木の花ファミリーで起きたこと~子どもから学ぶ~』には、昼食時、他の子どもが賑やかにしている中、自分だけ静かにしていることに怒っていたたくくんが描かれています。僕はたっくんの隣に座っていたのですが、そのたっくんの気持ちに全く気付きませんでした。ひとみちゃんが尋ねたことにより初めて気づいたのです。

人の気持ちに気づかない。たっくんはそんな自分の至らなさを教えてくれました。これでは1週間前に、筋肉痛になるまで腕を振り回した意味がありません。痛みを生かしてもっともっと心を開いていこうと思いました。きっとその姿勢がこれからの世界を明るいものにしていくことでしょう。

木の花の子どもたち(小学生) 右下の女の子がきよです。

木の花の子どもたち 黄色い服を着た子がたっくんです。





僕らは宇宙を旅している。

ある日、瞑想をしていると、いさどんはいつものように体の外へ抜け出しました。ところがその日は、まるでロケットが打ち上げられるように、ぐんぐん上へ上がっていくのです。ぐんぐんぐんぐん上がって、ついには宇宙空間へ飛び出してしまいました。
月を背にして、いさどんは地球を見ました。
なんて美しいのだろう・・・。
宇宙空間に浮かぶ、青い星。それは奇跡のような美しさでした。
ところがその美しい星に、ところどころケロイドのようなものが観えるのです。それは都市や破壊された森林など、人間の行いの跡でした。人間たちの行いが、まるで皮膚ガンのように、地球を蝕んでいるのです。
いさどんの心に、強い懺悔の想いが湧いてきました。
大きな視点で捉えれば、それはこの星が成長していく過程であるとも言えるかもしれない。しかし、まぎれもなく自分は今、それを目にしていて、そして地球をこのような状態にしている原因が自分自身の中にもある。もっと自分が優れていれば、もっと人々に伝えていける力があれば、こんなことは起きなくていいはずだ。
全ての人間の中に、こういったことを引き起こす種がある。いさどんは、そのことを自分の罪として懺悔しました。それは誰かに対して、何かに対しての懺悔ではなく、ただ目の前にある美しく尊いもの  ━━━━━  それは自分自身であり、奇跡ともいえるもの  ━━━━━  そういうものが侵されていることに対して、自然と湧き起こってきた想いでした。
地球が何ものであるかを知った者として、自分はこの地球の真実を伝えていこう。宇宙空間から地球を眺めながら、いさどんはそう心に決めました。やがていさどんは宇宙空間から解き放たれて、地球へ帰り、気が付くと瞑想している自分の体へと戻っていたのでした。
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上記の文章は、いさどんブログ「木の花記 ~金神さまの巻~」からの引用です。いさどんからこの話を聴いた時、僕はユングのことを思い出しました。ユングも身体を抜け出し宇宙に行った経験があるのです。以下、『ユング自伝-思い出・夢・思想』から引用します。

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「とにかく途方もないことが、私の身の上に起こりはじめていたのである。

私は宇宙の高みに登っていると思っていた。はるか下には、青い光の輝くなかに地球の浮かんでいるのがみえ、そこには紺碧の海と諸大陸がみえていた。

脚下はるかかなたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。

私の視野のなかに地球全体は入らなかったが、地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭は素晴らしい青光に照らしだされて、銀色の光に輝いていた。

地球の大部分は着色されており、ところどころ燻銀のような濃い緑の斑点をつけていた。」


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この記述を受けて立花隆さんは『臨死体験』の中で以下のように述べています。

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このあと、彼が宇宙から眺めた地球の姿の記述が続くのだが、それを読んで私は驚いた。

それが客観的な宇宙から見た地球像とよく合っていたからである。これが現代の記述なら私も驚かない。

我々はみなアポロが撮った地球の写真を見ているから、ユングと同じように地球を描写できるだろう。

しかし、ユングは、これをアポロ以前どころか、ガガーリン以前に書いているのである。

ガガーリンが宇宙から地球を見て、「地球は青かった」というまでは、誰も宇宙から地球を見ると青く見えるなどということは知らなかったのである。

しかも、ユングはガガーリンが見た位置よりはるかに高いところから見た地球の姿を正しく描写しているのである。


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僕は立花隆さんの『臨死体験』を読んで、実際、ユングは宇宙に行ったのだろうなと思いました。そして同じようにいさどんも実際に宇宙に行ったのだと信じています。

ところで立花隆さんは実際に宇宙に行った人たち(宇宙飛行士)へのインタビューも出版しています(『宇宙からの帰還』)。この本に登場する多くの飛行士は、地球の美しさと宇宙の闇の深さに、大きな衝撃を受け、地球の尊さ、そして、そこに人智を超えた意思の働きを感じています。上記のいさどんの言葉はそれに共通します。そして、ユングも上記の体験以降、科学者とのしての体面を捨てて、自らの経験を率直の語り始めていきます。宇宙の体験は多くの人々の人生観の変化をもたらしているのです。

戦争や紛争、格差や貧困、気候変動や地震など。

様々な問題が起きている現代において、宇宙を感じ、体験することはとても重要なことです。
そしてそれは宇宙飛行士など特別な人たちだけが出来ることではなくて、心を宇宙に向けたら、今この場ですべての人にとって可能なことなのです。

子どもたちと宇宙の話をするいさどん
今年の春分の日。宇宙人ピトピでもあるいさどんはそのことを木の花の子どもたちに語っています(いさどんブログ「宇宙人ピトピから全人類へのメッセージ」をお読みください)。

季節が移り変わり、毎日、日は登り沈んでいますが、これは地球の自転と公転により生じています。つまりは宇宙の中での地球の動きがもたらしていることで、僕たちは地球に乗って宇宙を旅しているのです。客観的な物理的事実は、人類が宇宙に中で暮らしていることを教えてくれます。

加えて、心は3次元世界(現象界・物理的世界)を超えた存在であり、それは宇宙も同様です。想いを向けることにより、僕たちは宇宙の全空間を味わうことが出来ます。カタカムナでは、想いの速さはアマハヤミと言い、それは、光の速さ × 10の64乗 です(木の花ファミリーブログ「第2界カタカムナ研究会リポート」をご覧下さい)。それは潜象界(「ない世界」)を通して伝わっていくのです。

いさどんやユング、宇宙飛行士の体験、そして現代物理学やカタカムナの存在が僕らの想像力を刺激し、宇宙へ導いてくれます。天体の動きが生命を生み出していることを知り、僕たちは生きているのではなく、生かされていることを教えてくれます。そしてすべては一つであることも教えてくれます。

そんな謙虚さや一体感から新しい世界が生まれてくる。その確信の元に僕たち木の花ファミリーはこの暮らしを営んでいます。

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以下、新しい時代へ向けたイベント紹介です。是非、ご参加下さい。


5月17日  出張木の花塾@船橋 「人が変化する自然療法プログラム」 
       ※申込〆きりは15日です。
       





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