余裕がほとばしり出るような徳の積み方(前編)

『願いから自由になるために生まれてきた』僕ですが、つい最近、性欲が強くなってしまうことがありました。強すぎる望みは、こだわりとなり、僕から自由を奪います。困ったものです。

そこでとりあえずいさどんと話してみることにしました。以下、いさどんの言葉を紹介しますね。


☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡

まずは普段から素直に自分の気持ちを出していることが大切です。
性欲があるならばあるで正直に表明して、ただ心磨きをしていればいいだけの話。
なかのんは普段、性欲があることを隠しているでしょう。
隠すことにより、その想いが解放されずに囚われやこだわりに繋がっているのです。

ここは完全に自由の場で、みんなが自由に振る舞うことが出来ます。
性に対する気持ちも当然、自由に表現できます。

とはいえ、当然秩序は求められます。だから僕はいつも秩序の話をしています。
性によって、その後、執着や所有、嫉妬が生まれるようならば、ここの人間関係が乱れてしまいます。そんなふうになってしまったらこの暮らしをいている意味はなくなってしまうでしょう。

だから心磨きが大切になります。心磨きをすることにより、余分な心をそぎ落としていく必要があるのです。

男も女も自分を磨き、見る目を持つ。

それが大切です。

男が男を磨いて「どうだぁぁぁ」とアピールをする。
それに対して、女が「まだまだだね」と応じる。
そんなふうにせめぎあってお互いを磨いていく。
そんな中、ここまで「磨いたならいいか」とみんなが認めた時、天が尊い魂を降ろす。

それが性の本来の姿なのです。
それが出来た時、ここに微笑ましい関係がそこかしこで生まれるはずです。
ここは本来、そういう世界を表現する場のはずです。

ただ、こんなふうに言うと、性欲を満たすために心磨きをするように捉えられてしまうが、それは本末転倒で、原点を思い出すことが大切なのです。

ただひたすらにこの道を歩む。それが原点で、そのために心磨きをしているのです。
性のことは他の多くのことと同様に、その過程で相応しく与えられるものです。

性欲など未熟があることは仕方がないことです。ただ未熟がある時にはいつも原点に帰ればいいのです。原点に帰れば、性欲を含めた自分の欲望などどうでもよくなるはずです。

☆彡 ☆彡 ☆彡


いさどんの話を聴いて、僕はとてもすっきりしました。

一番大切なことはこの道を歩み続けること。そのために心を磨き、精神性を高めています。

精神性を高める。

それは僕にとって一番の望みで一番の喜びです。ただただ心を磨き続けます。

そして性欲は他の望みと同様に素直に表明して叶うか叶わないかは流れに委ねていればいいのです。

例えば、僕が「どうだぁぁぁ」と言ってアピールした時、女性に「まだまだだね」と断られたとします。
それは更なる心磨きへと僕を導くエールとなります。それは僕にとって喜びです。

例えば、僕が「どうだぁぁぁ」と言ってアピールした時、「ここまで磨いたならいいか」と認められたとします。それも僕にとって喜びとなります。

どちらにしても喜びにしか繋がらないです。
だから僕はわくわくドキドキしながら心磨きをしていればいいのです。
とても単純な話ですよね(^-^)


木の花ファミリーのみんなです。






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